story8 私の世界 6

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 ミラージェの中央診療所、二階。廊下の突き当たりから手前に二つ目の個室に、立ち入るべからずの札が掛けられていた。
 名札の類は一切ない。味気ない扉が並ぶなかにあって、その札はかえってひと目を引いた。
 金具のきしむ音がして、扉が開く。白い服の医師と、補助師が二人、固い表情で出てきた。言葉を交わすでもなく、まっすぐに廊下を戻っていく。足音の後、訪れる沈黙。一般の見舞客が来る気配はない。
 怜は動いた。
 音もなく棒を床に突き出し、身体を反転させて着地する。人ひとり分の質量が天井から移ったとは思わせない身軽さで、身を翻し、躊躇なく扉を開けた。先ほど医師たちが出てきたばかりの、立ち入るべからずの扉だ。自分の身体だけが入る程度、最小限に引き開け、肩から滑り込むとすぐに閉めた。音をたてないよう、慎重に。
 室内にあるのは、白い簡素なベッドが一つだけだった。もともとは複数あったベッドを運び出したのだろうか、妙にだだっ広い空間だ。ベッドの脇に、ローボードが一つ。あとは何もない。
「ちょこっと、お邪魔しますよ」
 小さな声でそう告げる。もちろん、返事はない。
 ベッドの上には、若い男。顔色が悪いということもなく、眠っているだけのように見える。
 怜はまず、ベッド上やローボード、室内すべてを、ざっと物色した。紙切れ一枚出てこず、彼の身分を証明するようなものもなにひとつない。隠している、というよりは、彼を運ぶ以上のことには手が回らなかったというところだろうか。もちろん、着替えの類が用意されているわけでもない。
 次に、彼の首元に手をやった。そのまま数秒、じっと待つ。脈は正常。
 それから、毛布をはぎ取った。診療所のものだろうか、白い簡易服に身を包んでいる。腹や背中、服に隠れていた部分を確認し、元に戻した。
「……これは、俺は管轄外だったかな」
 外傷、なし。どう見ても、ただ眠っているだけだ。
「なら、管轄内の僕が見てあげようか」
 突然、声が響いた。
 ベッドの上の青年が口を開いた気配はない。第一、声は怜の背後から聞こえてきた。
 しかし、怜は驚かなかった。
 そこに声の人物がいるのが当然だとでもいうように、よう、と声をかける。
「出たな、翡翠色」
「え、なにそれ。感動の再会なのに、なんで翡翠色? 僕の名前忘れちゃったの、怜。あんなに仲良しだったのに!」
 声の主は、怜が呼びかけたとおり、頭の先から足の先まで、翡翠色で統一されていた。透き通るような緑の髪、ぞろりと裾の長い、占い師のような衣装。
 突然現れたわけではない。怜のようにこっそりと、扉から入ってきたのだ。魔力も用いたのだろう、気配は完全に消されていたが、それでもそれに気づかない怜ではなかった。
 助っ人を用意した──悠良から告げられた言葉で、彼の出現は予想していた。町での目撃情報まであったのだから、疑いようがない。
 名は翠華スイカ、怜のかつての相棒だ。
「おまえさ、ここの警護団に思いっきり目撃されてたぞ。そんな目立つなりでうろついて、よく捕まらなかったな」
 声をひそめることもなく、怜はベッドに腰を下ろした。棒に寄りかかるようにして、前のめりに場違いな美人を見上げる。間違っても、隠密行動をとる人間の格好ではない。
 翠華は肩をすくめた。壁によりかかり、長い髪をかき上げる。
「声が大きいんじゃないの、怜? そっちこそ不審者で捕まるよ」
「おまえがここにいるんだから、声なんて漏れないように細工してんだろ」
「してるけど」
 お見通しだ。だてに長い付き合いではない。
 翠華はふっと表情を緩めた。肩を震わせる。どうやら笑っているようで、怜は声をかけるのをためらった。しばらく会っていないうちに、どこかおかしくなってしまったのだろうか、などという危惧が頭をよぎる。以前からどこかもなにもおかしいやつだったが。
「いいね。やっぱりいいなあ、怜。悠良嬢や根暗な術師なんてやめてさ、僕と来なよ」
 再会するたび、挨拶のようにいわれている言葉だ。怜たち三人と似たような行動を取りながら、それでも彼らとは決定的に違う道を行く翠華。翠華が、三人に加わりたいなどと思っていないことは、怜も良く知っていた。かつての相棒が時期天女と共にあることを選んだときから、翠華自身がひとりであることを選択したことも。
「寝言はいいから、説明しろよ。翠華の管轄内なんだろ。俺はもーお手上げ。ムリ」
 そんな挨拶に、律儀に付き合ってやる気もない。両手を上げて降参のポーズをする怜に、翠華はつまらなそうに目を細める。
「本当に何もわからない?」
 試すように、そっと問う。
 怜は眉をひそめ、言葉の意味を考えた。わけもなく、こんないいかたをする男ではない。ということは、何か、自分が見逃していることがあるということだろうか。
 情報を整理する。
 昨夜、アカデミーで学生が襲われたという事件。そうやらその学生が、リィナ=エヴァンスと親しい関係にあったということ。彼女と親しかった学生が、以前にもひとり亡くなっている──もっとも、これは事故として処理されたということだが──という事実。昨晩の、アカデミー寮内での翠華目撃情報。
 そして、彼ら自身の、目的。
「……リィナ=エヴァンスは、俺の思っている以上の悪役か」
 一つの結論にいきついた。
 翠華は唇の端を上げた。実におもしろそうに笑む。
「まあ、それで間違いじゃないけど、そこに本人の意志が絡むかどうかは別問題だね」
「本人?」
「本人っていうと、別の人間を連想するかな」
 怜はうなずいた。それですべてが、繋がった。
「なるほどね」
 最初からわかっていたことだ。今回は、厄介なケースなのだと。
「僕は今回、これ以上リストにない死者を増やすな、というお達しで動いてる。君らが解決したら、なかったことになるけど……まあ、歪みは少ない方がいいからね」
「じゃあこいつは、放っといても大丈夫だな」
 怜は首を回し、依然として意識のない学生を眺めた。眠っているように見える、のではない。事実、眠っているのだ。
 そして、そうである限り、彼には危険はない。
「そういうことなら、受け身は終わりだな」
 いたずらを思いついたこどものような顔で、にやりと笑んだ。

  *

 エヴァンス家の呼び鐘が打ち鳴らされた。ノック音が空気を伝っていく。今日だけで、もう三度目だ。
 随分遅れて、リィナ=エヴァンスが顔を出す。警戒心を露わにして、最初は少しだけ。客を確認すると、訝しげに眉をひそめながらも、ゆっくりと扉を開けた。
「こんにちは、リィナさん。うちのものがお邪魔しているはずだけど」
 扉の向こう、暮れなずむ空を背景に立っていたのは、太陽よりもなお赤い髪を湛えた美少女だった。リィナには見覚えがあった。忘れようもない。
 莉啓と共にいた少女。ナニサマなのか、と暴言を口にしてしまったことも、覚えている。
「うちの、もの?」
 思わずくり返す。
 敵対心を隠そうともしなかった。それでも赤い髪の少女は、にこりと微笑んだ。
「莉啓がいるでしょう。私は悠良、彼のあるじです。しばらく、莉啓と一緒にお世話になるわ。その分の金銭は用意があるので、安心して」
「え……ど、どういうこと?」
 制止の言葉を口にするまでもなかった。悠良はやや顎を上げて目を細めると、悠然とリィナの手を退け、自ら扉を大きく開けて、歩を進める。
 振り返るようにして、一言。
「どうぞ、よろしく」
 まるでそれが決定事項であるかのように、柔らかく、しかし威厳のある声で告げた。





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