story6 忘れられた魔女 5
「絶対貧乏くじってやつだよな」
毒づき、怜は棒を片手に屋敷の玄関口に立っていた。
昨夜は自然公園を抜けて町に出たので、ずいぶん遠く感じたが、田舎然とした町の中心部を抜けてまっすぐ街道を行けば、案外すぐに屋敷にたどり着く。
何の口実で突撃したものか。ものものしい装飾の施された、石造りの大きな門を見上げて、怜は盛大に息をついた。左右には、終わりの見えない外壁。侵入者撃退用の術が施されていることは、昨夜の調査で判明済みだ。気づかれるかも知れないリスクを冒して、悠良や莉啓が術を解除するよりも、正面から乗り込んだ方が、得策は得策なのだろうが。しかしこれはこれで、リスクが高い。
「やっぱ雇ってください、だろうな」
威厳を尊重しているらしいどっしりとした屋敷の姿に、不釣り合いな「カンパニー」の看板を見て、怜は決意も新たに鐘を打った。重い音が、響き渡る。
ややあって、格子状の門の隙間から見える屋敷の扉が開いた。十代前半ほどの少年が出てくる。
金髪の、どこか気の弱そうな少年だ。小柄で、痩せすぎのように見える。小走りにやってきて、門の向こうで頭を下げた。
「いらっしゃいませ。ご依頼ですか?」
マニュアル通りなのだろう。怜は営業スマイルを浮かべた。
「いえ、実はここで働きたくて、はるばるやって参りました。雇っていただきたいのですが」
ぴしりと一礼して、そんなことをいってみる。稀なのだろう、少年は驚いて逡巡していたが、お待ちくださいといい残し、一度姿を消した。
数分後、再び現れる。
「どうぞ、こちらへ」
いかにも重そうな門は、何やら鍵がはずされる音と共に、ひとり分通れるだけ、かすかに開かれた。
「どうも」
第一関門突破だ。
屋敷のなかは、ずいぶんと時代錯誤な様相をしていた。広い廊下に敷き詰められた赤絨毯。壁には絵画や壺が飾られ、頭上にはシャンデリアが輝いている。今日日なかなかお目にかかれない、大昔の貴族の屋敷のようだ。
「や、あれだね、緊張するね。あなたもここで働いているんですか? 随分……その、若いけど」
前を行く少年のあとを追いながら、話しかけてみる。少年は少し振り返り、曖昧な笑みを浮かべた。
「はい。でも、ここで働いているひとは、だいたいぼくと同じぐらいです」
「へえ、そうなんですか」
そういえば、レグもこの少年と大して変わらない年齢だろう。
「あ、申し遅れました、俺、怜っていいます。無事採用されたら後輩になります、よろしくどうぞ」
くすくすと、少年が笑う。
「エイン=リーダです。ぼくの方が年下だから、敬語はいいですよ」
エイン=リーダ──名を反芻する。間違いない、リストにあった名だ。
エインは立ち止まり、右手の扉を開けた。広い部屋の中央に、見るからに高価そうな応接セット。ここでもシャンデリアが輝いている。
「ここでお待ちください」
ソファを勧め、エインは立ち去った。
豪華絢爛、の一言に尽きる応接間だ。花瓶には深紅の花が生けられている。いわれるままにソファに座った状態で、怜はぼんやりと考えた。
面接官でも来るのだろうか。だんだん面倒になってきた。
ほどなくして、扉が開かれる。現れたのは、黒い髪の美女だ。
「こんにちは。ようこそ、カンパニーへ」
美女は優雅に挨拶をし、名前の記された小さな紙を差し出した。怜も立ち上がり、どうも、と頭を下げる。その紙には、綺麗な文字で、「カンパニー 代表 セリーヌ=エリアント」とあった。まさか、いきなり会うことになるとは思ってもいなかった。さすがに緊張が走る。
「どうぞ、楽になさって」
そういって、彼女は怜の向かい側に座る。静かに足を組んだ。
年齢不詳だ。二十代前半にも、後半にも、あるいはもっと年上にも見える。
「怜さん、でしたね? ここで働きたいとか。熱意のある方は歓迎します」
静かな笑みを見せる。どこか悠良に似た、毅然とした態度だ。
「雇っていただけるんでしょうか」
形ばかり問うと、セリーヌは考えるようなそぶりをした。何もお持ちではないでしょう、と問う。
「出身地など、いつもは詳しく聞くのだけれど。生まれた地の証明になるようなものはあるかしら? 教会から出されるものでいいの」
「いえ、俺の田舎にはそういうのはなかったので。たぶん、都会だけですよね、それやってるの」
「あるいは教会の権威が強いところね。……いいわ」
セリーヌは、つっと身を乗り出した。髪の瞳も、衣類も黒色で統一されているのに、指先の爪は赤く塗られている。
「わかるわ。『東』から来たのでしょう?」
怜の表情に、ほんの一瞬の緊張が走る。「東」といういい方──東の地は、大昔に滅んだ。それをなぜ。
動揺を悟られないよう、言葉を返そうと口を開きかけ、唇がしびれていることに気づく。遅れて血の気が引いた。何か、よくないことが起こっている。
「あら、珍しい……棍をお持ち? ぜひ棒術を披露していただきたいわ」
手を伸ばし、怜の手にした棒に触れる。怜は身動きがとれないままに、彼女の指の動きを目で追った。この棒を見て、武器だと、「棍」だといえる人間を、少なくともここに降りてきてからは、見たことがない。この女は、何者なのか。
冷や汗が頬を伝った。セリーヌは微笑んだ。
「採用試験をしてもよろしいかしら、怜さん。わたし、退屈で退屈で、仕方なかったのよ」
艶めかしい声が、随分遠くで聞こえる気がする。怜はいつのまにか、意識を保つことに必死になっている。
明らかな油断。なんで俺ばっかりこんな貧乏くじ、と頭の片隅で軽口がよぎる。
限界だった。セリーヌの赤く塗られた爪の先が、すっと緩やかな軌道を描く。それを合図に、怜は意識を手放した。
*
あの女は狂ってる、とレグは繰り返した。
聞かされた事情は大方はこちらがつかんでいたもので、新たな収穫といえば、中心にいる元凶がセリーヌ=エリアントであるという確証を得たことぐらいだ。
聞き終えて、悠良はレグに近づき、頭を撫でるようにして彼に触れた。
「わかったわ」
一言。たった一言だが、泣きそうになって、レグは下を向く。
「そのために来た、というのは本当だ。協力しよう。──ただ、こちらの目的の妨げになる場合は、その限りではないが」
淡々と、莉啓が告げる。
レグは改めて二人を見た。笛を手にした、あの男と似たような衣類。聞いたことのない発音の名前。そして、「目的」。
「……あなたたちは、何?」
漠然とした問いだ。
悠良はひどく優雅に、しかしどこか自嘲気味に、微笑んだ。
「死神よ」
天から降りた彼女たちの「仕事」とは、死んでいるはずの魂の回収。
残された者から見れば、それは死神の為すことに他ならないのだ。