story6 忘れられた魔女 3

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 この町では、皮膚を照りつけていた太陽がおとなしくなって、もう何日も経つという。それどころか、土地柄だろうか、よく風が吹き、時折寒さすら感じる。道行く人に尋ねたところ、作物を取り入れているうちには冬がやってくるらしい。
 規模も大きく、人口も多いこの町には、しかし都会らしさはほとんどない。果物と野菜が名産というだけあって、緑多い外観が原因だろうか。レンガ造りの家々は、そのほとんどが背の高い煙突を備えており、訪れる冬が厳しいものであることを物語っている。
 ただ一つ、町の南にある角張った巨大な屋敷だけが、のどかな雰囲気に合わず、奇妙な印象を与えていた。看板に掲げられた「カンパニー」の文字が、尚更胡散臭い。
「変な町」
 思わずつぶやいた。隣を歩いていたレグが、怜を見上げる。
「変?」
「あのでっかい建物」
 手にした棒で南の方角を指した。もう片方の手にはバケットが握られている。朝早くに、相棒からパン屋への買い物をいいつかったのだ。町の地理はまったくわからないので、案内役としてレグは連行された。
 早く起こされる身にもなって欲しい。相棒の料理熱には、呆れるばかりだ。
 レグは棒で示された方向に目をやり、ああ、と声を発した。
「なんだ、カンパニーね」
「昨日いってたけど、あのでかい公園も、そのカンパニーのなんだろ。そもそもさ、なんなの? 店?」
 少し考えるように、レグは唇をすぼめた。栗色の頭が下を向く。小動物のようだ。
「店、じゃないよ。何でも屋かな、簡単にいえば。ひとをいっぱい雇っていて、人手が必要なところに派遣するんだ。ぼく、詳しくは知らないけど、この町以外の町にも、いくつか拠点っていうか、あるらしいよ。なんかすごいんだって」
 ふうん、と返事を返す。大陸の経済の半分を仕切っている、という噂も、嘘ではないのかも知れない。
「ねえ、それよりさ」
 レグは瞳を輝かせた。
「今朝、カタリーがいってたんだ、ユラさんって貴族なの?」
「あー、それ極秘情報ね、お忍びだから。貴族っていうか姫。女王。神! 怒らせたら雷が降るよ。おもしろいからやってみて」
 大げさに首を左右に揺り、声をひそめるようにしながら、適当なことをいう。そういうことにしておいて問題はないだろう。あのわがまま具合は、それぐらいいっておいた方が自然だ。
 純真な少年は、すごい、と感嘆した。
「じゃ、レンさんは護衛? リケイさんは、お抱えシェフなんでしょ?」
 思わず、怜は吹き出す。
「シェフ? 啓ちゃんが?」
「だって、レンさんにバケット買ってくるようにいって、カタリーにはキッチンを借りる交渉をしてた。あと、立派な調理セット持ってた」
「ああ……姫が味覚にうるさいからね……」
 旅先で悠良が料理に満足することはほとんどなく、自然と、莉啓が自ら腕を振るうようになっていった。元々料理の心得があったわけではなく、悠良のために特訓をしたらしい。辞書の「過保護」の欄に、莉啓、と名を載せたいと心から怜は思う。
「どうして、こんな大陸のはずれに来たの?」
 好奇心を全身で表現して、レグがさらに聞いてくる。
 怜は唇のはしを上げた。
「仕事」

 時計台の麓の青い屋根までたどり着き、木製の戸を開けると、一階の食堂には、すでに食欲を促す香が満ちていた。
「遅いわ、怜。パン屋一つ見つけるのに、一日かけるつもり?」
 椅子に優雅に腰をかけ、赤い髪をさらりと後ろに払い、悠良が毅然と一喝する。怜はレグに目配せした。
「な、神だろ?」
 くすくすとレグが笑う。怪訝そうにこちらを一瞥したが、聞いても無駄と判断したのか、悠良はすぐに視線をはずした。用意された果実ジュースらしいものを、口につけている。
「低血圧なのに、たたき起こされて朝一で買い物。俺、けなげだと思うよ。十分褒められて良いと思うけどね」
 バケットはレグに預け、怜は悠良の隣の椅子を引いた。
「ちゃんと働いてんの、俺ぐらいじゃん」
棒を脇に立て掛けて、頬杖をつく。視線はそっとレグを追った。バケットを手に、キッチンへとまっすぐ走っていく。良い子だ。
「収穫はあったの?」
「別に。いきなり根ほり葉ほり聞いて怪しまれてもね」
「余裕ね」
 感情のこもらない返事。怜は軽く片眉を上げ、悠良の手元のグラスを取ると、ジュースを一気に飲み干した。勝ち誇った顔を見せる。
「まあね」
 不意に、割り込むように怜と悠良の間から手が伸び、皿が置かれた。鮮やかな盛りつけのトーストにスープ、サラダ、スクランブルエッグ。きっちり一人分だ。
「貴様、一秒でも座っている間があったら働いたらどうだ」
 ごく冷ややかに、エプロン姿の莉啓が怜を睨みつける。怜は少し身を引いた。
「や、啓ちゃん、いいつけどおり買い物もしたんだから、メシぐらい頂戴よ。ないと死ぬって、ほんとに」
「いま横取りしたもので十分だ。働け」
 黒髪の下の鋭い目をさらに細め、威嚇する。くるりと悠良に向き直り、表情を和らげる。「さあ、悠良、今日の朝食だ。果実のジュースはまた持ってこよう」
「そう、ありがとう」
「…………」
 怜は、憮然としてその様子を眺めた。この二人は何なのだろう。まさしく姫と従者の姿だ。
 莉啓は一度テーブルから姿を消し、結局あと二人分の食事を持って、再び現れた。それでも、悠良の分よりランクダウンはしていたが。
「それで、何か情報は?」
 エプロンをはずして座ったかと思うと、すかさず聞いてくる。
「そんな昨日の今日で親展はないだろ、普通。昨日町で聞いた情報くらいだよ。レグから特に何かを聞いた訳じゃない」
「余裕だな」
「……なんとでもいってよ」 
 二人して、どうしてこうも人をこき使えるのか。不満というよりも真剣に疑問だ。
「それよりさ、気になってるのは昨日のことなんだけど」
 怜はあっという間に目の前の皿を空にして、話題を切り出した。
「昨日、レグを追ってきてた奴ら。あれ、結局何かわかった?」
「あれか……」
 莉啓はゆっくりと、サラダを口に運んでいる。
「昨夜少し調べてみたが……まあ、傀儡の類だろうな。何か、特殊な術かもしない。お前が殴り倒したあと、跡形もなく消えたということは、ただの傀儡ではないだろうが。高位の術士の仕業だな」
「気配もおかしかったものね」
「カンパニーのトップ……魔女、と名高いセリーヌ=エリアントがやった、わけではなく?」
 セリーヌ=エリアント──カンパニーの最高権力者の名だ。カンパニー設立者で、実権を握っているらしい。その手腕からか、「魔女」という異名を持つ。
「それはわからないわね」
「ふうん……」
 暇になったフォークを遊ばせながら、怜が何やら考え込む。
傀儡──術を用いた操り人形──を使う、または使うような術者がついているということは、何を意味するのか。ターゲットを見つけておしまい、というような、安易な仕事では終わらなそうだ。
「考えてもしかたないわ。カンパニーは人員を募集しているんでしょう?」
 嫌な予感がした。
「しているだろうな、大きな企業だ。採用基準は厳しいかも知れないが」
 さらに、莉啓の言葉が追い打ちをかける。
「あら、怜なら大丈夫よね?」
 悠良の優しげな、しかし冷たい言葉が突き刺さる。
 入れ、と言外の命令だ。
「……りょうかーい」
 やるせない気持ちで、怜は片手を上げた。
 どのみち、動かないことにはどうしようもない。
「仕事」のターゲットの存在すら、まだ確認できてはいないのだから。
「ただ、俺の苦手なことになるようなら、啓ちゃん頼むよ。術とかは完全管轄外。もう少し探ってみて、それからだな」
「いいだろう」
 本当に承諾しているのか怪しい口調で、莉啓がさらりと返す。
 怜は空の皿を見つめた。
 何かよくないことが起ころうとしているような、嫌な気配がまとわりついて離れない。



 どこからか、風が吹いている。
 長い黒髪を風に任せ、深紅の花々のなかに、セリーヌ=エリアントは立っていた。
 ただ、思いを馳せる。
 長い、長い道のりだ。もしかしたらこの道に、終わりなど来ないのかも知れない。
 背後に静かに影が降りた。
 振り向かず、彼女は問う。
「あの子は?」
 薄緑色の影は、恭しく一礼した。白と透き通る緑を基調とした衣服に身を包んでいる。髪の色も目の色も、消え入りそうな緑色だ。年齢は二十歳前後だろうが、見た目には男性なのか女性なのかわからない。ぞろりとした、異国調の衣装と、その中性的な美しさが、この世の者ではないような印象を抱かせる。
「町の宿に。昨日の三人の旅人も一緒」
 声から察するに男性なのだろう。すっと目を細め、彼は続けた。
「どうします?」
「いいわ、放っておいて。どうせ、ここに帰ってくるしかないんだから」
 やっと振り向き、セリーヌは微笑んだ。ひどく感情のない笑顔。
「でも、その、旅人。あなたの傀儡が簡単にやられるようじゃ、不安ね、翠華。──そうね、一度、見てみたいかしら」
 翠華、と呼ばれた影はすっと頭を下げた。音もなく、衣服が揺れる。
「では」
 彼は腰に差した横笛を取り出し、そっと口をつけた。
 静かな音色が広がり、何もない空間が光を帯びる。
空気が揺れた。音が波のように広がり、光は白い無を生み出す。やがてそのなかに、三人の姿が映し出された。
 ぼんやりとしていて、はっきりとした状況はわからない。座っているらしい三人の男女。食事中なのだろうか。無音のその映像を、セリーヌは食い入るように見つめた。
 ふっと笑みをこぼす。
「もういいわ、翠華」
 翠華が笛から口を離す。音色は途切れ、映像はかき消えた。
「どういうこと? あなたと同じ、この辺りでは見ない格好。まさかあの子たちも、『東』から来たのかしら」
「それは、どうでしょう」
 翠華の表情にはかすかな笑み。
「秘密? あなたは別に、わたしの味方じゃないものね」
 セリーヌの胸に、久しく忘れていたものがこみ上げてきていた。高揚感。何かが──当たり前であったものの何かが、変わるかも知れない。
「一つだけ。あの三人は、何者なの?」
 旅人などではない。それはセリーヌにもわかった。恐ろしく昔に消滅したはずの地──翠華も、あの三人も、その地の衣服に身を包んでいるということが、単なる偶然の筈がない。
「セリーヌ、あなたのいうとおり、僕はあなたの味方じゃない。──けど、ヒントなら、一つ」
 翠華は妖艶な笑みを浮かべた。
「ひとからは、死神、と呼ばれることがあるそうですよ」
 こらえきれず、セリーヌは声を出して笑った。呼応するように、足下の花々が揺れる。
 黒い髪をかき上げ、魔女はつぶやいた。
「遅かったのね」




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