story6 忘れられた魔女 20

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 レグがホールに走り込んできたときには、あれほど飾られていた花々は燃やし尽くされ、人々は皆、倒れ伏していた。
 壇上では、セリーヌが座り込んでいる。感情のない瞳で、ぼんやりと、何もないところを見つめている。
「少し、わかる気もするよ、セリーヌ……本当はね」
 着衣の乱れを整えながら、すっと翠華が彼女のとなりに降り立つ。
 焦点の定まらない瞳を見た。
「僕も……下界で、ときの流れの違うなかで、過ごしてきたから。君の気持ちは、少しわかるんだ。君が似ているといったのは、そういうことだね」
 まわりの人々が通り過ぎていく感覚。確かにそこには、言葉に出来ない、寂しさがある。
「でも君は選択を誤ったんだよ」
 翠華はセリーヌの黒髪に触れた。
「望むだけでは、手に入らない」
 三百年近くのときのなかで、彼女はただ、求めたのだ。
 きっと、望みの叶ったときも、あったのだろう。
 しかしそれに気づき、見つめることが、出来なかった。
「……ひとりにしないで」
 セリーヌは、力のない声を絞り出した。
「一緒に、いて」
レグは拳を握りしめた。セリーヌのもとへと歩み寄り、手にした分厚い書物を置くと、彼女の両肩をつかんだ。
「セリーヌ、ぼくじゃ、だめかな」
 できるだけ明るくいおうと思ったのに、声が震えた。
 遅れて到着した悠良が、莉啓と怜の隣で、成り行きを見守る。
「ぼくがいるよ。どこにも、いかないよ。一緒にさ、これからも、一緒にいようよ」
 明るい声を出すが、泣き笑いのような顔になる。
 自分を恥じた。
 自分は、彼女のもとを離れてはいけなかったのに。
「セリーヌは頭がいいし、優しいから……いろいろ、考え過ぎちゃうんだよ。ぼくが、いるから。それじゃ、だめかな」
「レグ……」
 セリーヌは肩を震わせた。
 笑いがこみ上げた。
「馬鹿な子」
 突き放すような笑顔。
「あなたじゃだめよ」
 かっとして、莉啓が身を乗り出す。怜はそれを制した。
「死人の子は最初から死人──あなた、ほんとうは、生まれていないの。あなたじゃ、足りないの」
「子……?」
 翠華が眉を顰める。
 死人の子、と彼女はいった。
 それならばレグは。
「リストにないのは当たり前ね……セリーヌ、あなた、死んでいる身で、レグを宿したのね。レグは、あなたの子でしょう?」
 確信を持って、悠良が問う。知らなかったの? とセリーヌは笑った。
「あのひとのことが忘れられないでいるうちに、お腹が大きくなっているのに気づいたわ。それから何年も経って、生まれてきた。何十年も経って、急に成長した。──わかる? あなた、ここでしか、わたしのそばでしか、生きられないの。それが当たり前なのよ」
 だって、生まれながらにして、死んでいるんだもの。
 愛おしそうに目を細め、セリーヌはレグの頭を撫でた。馬鹿な子、と、もう一度繰り返す。
「うん」
 レグはうなずいた。
「だから、これからはずっと、一緒にいよう、……お母さん」
「いらないわ! わたしから離れていったくせに!」
 しん、と静寂が訪れた。
 セリーヌはすぐに後悔した。
 いま、自分は、何をいった?
「ごめんね」
 レグは笑った。
 その頬を、涙が伝った。
「狂ってるとか、嘘だよ。大好きだよ、セリーヌ」
 それだけだった。
 それだけの言葉を残して、レグは光のなかに消えた。
「……存在を生んだ者から、存在を否定されれば、消えるのは当然よね」
 悠良が告げる。
「満足?」
 
 セリーヌは頭を抱え込み、声を限りに叫んだ。
 望んだのはこんなものではない。
 こんなものではない。
「嘘よ、戻ってきて……あの子だけは、ずっと、一緒だったのに……」
 どこから歯車が狂ったのか。
 望んだことがいけなかったのか。
 得ていた、大切なものに、気づかなかったのがいけなかったのか。
怜は、セリーヌの足下に転がる書物を拾い上げた。
 無造作に、彼女に手渡す。
 セリーヌは震える手で、ページをめくった。


 ○月×日
 セリーヌとはじめて町に出た。見たことのないお店ばかりで、なにかひとつだけ買っていいっていわれたけど、決めることができなかった。店がしまって、ざんねんにおもいながら帰ったら、セリーヌがおかしをくれた。町で見た、うまの形をしたやつだ。セリーヌはやさしい。

 △月○日
 セリーヌとケンカした。ケンカというより、おこられた。ぼくがそうじをさぼったからだ。セリーヌはこころがせまいとおもう。もう口もきかないとちかう。
 やっぱりあやまった。ごめん、ここに書いたこともうそです。ごめんなさい。
 きらいにならないで。

 ○月△日
 今日、初めて仕事をした。町の工房の手伝いだ。よくわからなかったけど、いわれるとおりに仕事をした。たくさんほめられた。
 帰ったら、セリーヌにもほめられた。
 もっとがんばろう。

 ×月○日
 セリーヌが誕生日を教えてくれない。しかたないから勝手に決めて、花をプレゼントした。セリーヌはよくわかってなかったみたいだけど、ぼくは決めた。今日がセリーヌの誕生日だ。
 これからは毎年、プレゼントをあげよう。


「馬鹿な子……」
 もうこれ以上、ページをめくることが出来ず、セリーヌはつぶやいた。
 涙がこぼれていた。
 ひとりだなどと、どうして、そんな思い違いをしていたのだろう。
「望むものなんて、手に入るわけがないわ」
 悠良の静かな声が聞こえる。
「もう、とっくに、終わっていたのだから」
 ただそれに気づかなかっただけだ。
 愚かにも、求め続けただけだ。
二百七十四年──それだけ遠回りをして、そうしなければ、気づくことさえできなかった。
 セリーヌは理解した。 
「馬鹿なのはわたしね」
 自嘲する。
 いまならわかる。殺してなどと、自分が認めない限りは、不可能だったのだ。
 ここにとどまることの無意味さを。
 死んでいるのだという事実を。
「やっと、本当に、死ぬことができるわ……向こうで、レグに、会えるかしら」
 誰もその問いには答えなかった。セリーヌも本当は、気づいていた。
 会えるものならば抱きしめて、ありったけの愛を注ぐのに。
 セリーヌは、ゆっくりと舞い上がった。他の魂がそうであるように、手足からゆっくりと薄らいでいく。
 そうして消えた。
 気の遠くなるほど生きた魔女は、静かに、光に溶けた。
「ごめんなさい」
 悠良はつぶやいた。
「あなたを、救えなくて」 



 その日、町には光が降り注いだという。
 天界への扉を開けた影響なのか、魂が流れ込んできたせいなのか──。理由はわからないが、町にいる人々は、幾つもの光が流れていくのを、見た。
 それは不思議な輝きだった。
 煌々と存在を主張するのでは決してなく、ぼんやりと、優しさに包まれたような光だった。
しかしそれは、悲しい光だった。
 光を見た人々は、我知らず、涙した。
 何かをなくしたのだと、彼らには、わかったのだろうか。










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