story6 忘れられた魔女 19
「ひとりになりたくなかったのよ……」
セリーヌはつぶやいていた。
果たしてそれは、そんなに大それた望みだったのだろうか。
ひとりは嫌だと、誰かとともにいたいと思うことは、そんなにいけないことだったのだろうか。
「最初は……そう、最初は、ただあのひとといたかっただけ。あのひとを、愛していただけ。それだけだったのに」
二十歳のとき、恋をした。
焦がれ、結婚も決まり、毎日が幸せであった。
いまでも鮮明に思い出せる。花羅、と優しく呼びかける、あの声。幸せはこのまま、永遠に続くのだと、信じて疑わなかった。
しかし、彼女は崖から落ち、命を落とした。ただ彼とともにいたいと願い、死にたくはないと願い、思いが通じた。
始まりは、ただそれだけの、思い。
「でもあのひとはいなくなった……老いていかないわたしを気味悪がって、おかしくなって、先に死んだの。卑怯だわ。わたしはあのひとのために、死を捨てたのに」
それから二百七十四年──懲りずにひとを愛し、ともにありたいと願い続けた。
しかし、願いなど、叶わないのだ。
自分は死んでいるのだから。
「ねえ、あなたたち死神なんでしょう? だったらどうしてもっと早く、来なかったの?わたし、生きていたいと願ってなどいないわ……早く終わらせて、終わらせてくれればよかったのに……こんなひとりのときを、気の遠くなるほど長いときを、望んでなどいなかったのに!」
「──ひとりだったの?」
静かな声で、悠良が問うた。
真っ直ぐな瞳。吸い込まれるように、目が離せない。
「あなたの望みは、本当に、叶っていなかったの?」
「……?」
何をいっているのか、わからない。
セリーヌは首を左右に振った。
責めているのか。
まだわたしを責めるのか。
ならば、どうすればよかったのか──
涙が、一筋、こぼれ落ちる。
「セリーヌ、泣かないで」
少年がひとり、歩み寄ってきた。
「セリーヌ」
「泣かないで」
「セリーヌを苛めないで」
二人、三人──カンパニーで働く少年たちが、いつのまにか皆、セリーヌの周りに集まってきていた。
黒の魔女をかばうように、数人が彼女を囲む。
セリーヌは嘲笑した。
「馬鹿ね、あなたたち、死んでるのよ……ただの私の操り人形なのに。こんなときでも、ご主人様に忠実なのね……」
ひとりひとりを、その存在を確かめるように、じっと見つめる。それでも、彼らを屋敷に連れてきたときには、望みが叶ったような気がしていた。決して老いることのない、自分と同じ死人と暮らしていけるのだから。
「──くだらない! もういらないわ! さっさといなくなりなさい! 操られていることにも気づかない、馬鹿な子たち! そんな作り物では……あなたたちでは、わたしの望みは叶わないの!」
少年たちは少し悲しそうに笑った。なかのひとりが、セリーヌにキスをする。
彼らはふわりと浮かび上がり、やがて輪郭がうっすらと色を失い、消えていった。
セリーヌは、目を見開いて、空中を見つめる。
「本当に、いなくなったの……?」
また、自分は置いていかれるのか。
またひとりになってしまうのか。
「悲しいひと」
悠良のつぶやきが、ひどく遠くで聞こえる。
何かが、セリーヌのなかで、破裂した。
ホールに倒れていた人々の頬に、手足に、黒い文様がみるみるうちに浮かび上がっていく。彼らはゆらりと立ち上がり、ひどく緩慢な動作で、悠良たちの方を向いた。
「あちゃー、そう来たか」
さして危機感のない声で、怜がいう。莉啓は剣呑な目つきで彼をにらみつけた。
「貴様……計画は万全のようなことを、いっておきながら……」
「考えてなかったねー」
飄々とした答え。そもそもここは敵の本拠地なのだ。こうなる可能性は予測しておくべきだったのだろうが、魂流出の件で、それどころではなかった。
莉啓の怒りがふくれあがり、一瞬、一触即発の空気が流れる。だがここでやりあうほど、馬鹿でもない。
「啓ちゃんは悠良ちゃんよろしく。こっちは俺と翠華でなんとか」
「いいだろう」
「了解」
三人は跳躍した。瞬時に悠良の手をつかんだ莉啓が、ホールの端に避難する。入れ替わるように二人はホール中央に躍り込み、各々の武器を構えた。
「そういえばおまえ、笛吹いてもだめなの?」
「だめ。こっちの術で寝かせているところを起こされたってことは、悪いけど向こうの方が上手だよ」
「使えないな……ま、魔女相手じゃね」
しかしこれは、やっかいな相手だ。まさか怪我を負わせるわけにもいかないが、気絶させないことには何度も起きあがって襲ってくる。
セリーヌは、壊れた笑顔で、その様子を見守った。
もう、みんな、いなくなってしまえばいい。
「あなたたちさえ来なければ……こんなことにはならなかったのに! 邪魔をするなら、いらない! いらないわ!」
狂気に満ちた笑い声が、ホールに響く。
ずいぶん勝手ないい分だ。思い通りにならなければ、まるで子どものように癇癪を起こす。
悠良は莉啓の後ろにかばわれつつ、ホール内を見渡した。
「レグがいないわ」
莉啓も見る。
少し前までは、ホール内にいたはずだ。しかし、確かにいまは、その姿はなくなっている。
「さっき一緒に消えた……わけではないな。あそこにはいなかった」
「探してくる」
「──悠良!」
制止しようと、細い腕をつかむ。悠良は静かに、莉啓を見つめた。無言の言葉。
「……わかった」
「莉啓はここで援護を」
反論を許さない口調。莉啓はおとなしく手を離す。
悠良は走るようにして、ホールから出て行った。
残された莉啓は手を振り上げ、ホールの様々な箇所に飾られた赤い花を見やる。恐らく、あの花が元凶だ。
空中に、陣を描く。何もないはずの空間が赤く光り、炎が生まれた。
*
レグは、見ていた。
仲間たちが消えていくのを、ホールの端で、見ていた。
彼らの笑顔が脳裏から離れない。
どうして。
一緒にいたのに。
確かに、みんなで、──生きて、いたはずなのに。
あまりにも残酷だ。
混乱するままに、彼はホールを逃げ出していた。
消えてしまいたくないとか、生きていたいとか、そんな単純なものではなかった。
ただ恐ろしくなった。
彼らがやはり、死んでいたのだという事実と、何もできなかった自分が。
「……どうしよう、どうしよう、どうしよう……」
自室にこもり、抱いた枕に顔をうずめ、自分に問いを投げ続ける。
どうするのが正解なのか。
好きなようにすればいいと、怜はいった。
好きなように?
好きってなに?
「そうやってまた逃げるのね」
頭上から、声がした。
顔を上げずとも、誰なのかわかった。見上げる勇気はなく、沈黙を守る。
何をいえばいいのかわからない。
自分はまた、逃げてきたのだから。
「あなた、ともだちを助けたいと、いっていたでしょう。助けられたの?」
答えられなかった。
助けてなどいない。
助けるというのがどういうことなのか、もうわからないのだ。
「そこで、ずっと、そうやっているの?」
レグは泣きそうになった。
なぜ、この人は、いつも正しいことを突きつけるのか。
ならば何をすればいいのか、教えてくれればいいのに。
「……悠良さん」
声を絞り出した。
悠良は黙って、続きを待つ。
「みんなが、死んでいたって……どうして? 何が違うの? 生きていることと、何が、違うの?」
「わからないの?」
感情のこもらない声が、投げかけられる。
「ときが止まっていたのに」
レグは顔を上げた。
悠良の瞳を見つめた。
毅然としたいつもの目の奥には、悲しい色があった。
「ときが、止まっていた──?」
変わらない幸せ。
変わらない日々。
そんなものは本来、存在しないのだ。
急速に、レグは悟った。