story6 忘れられた魔女 17

BACK | TOP | NEXT



「弥良様──! こちらではこれ以上、防ぎようがありません!」
 朝食後のティータイムを楽しんでいたところに、無粋にも、白衣の青年が走り込んできた。
 天女は少し眉を顰め、ティーカップを優雅にテーブルに置く。これだけ広い建物のなかで、ここは唯一のプライベートルームだ。白で統一された家具は、落ち着きを与えてくれる。ゆっくりと、リラックスしていたところだったのに。
「まずノックでしょ? それから、はい、って聞こえたら開けなくちゃ。ママに教わらなかったの?」
 やんなっちゃう、と頬を膨らませ、座ったまま、失礼な来客に向き直った。青年は目に見えて狼狽し、非礼を詫びた。
「申し訳ありません……、しかし弥良様、魂はやはり一向に落ち着かず、扉はどんどん開かれています。門番や監視者も、もう手の打ちようがないと……」
「ああ、そのはなしね」
 さらりと言葉を返し、天女は優雅に足を組んだ。
「いいわよ、放っておいて」
 青年は目を見開く。
「──は? しかし、このままでは、転生間近の魂が、下界に流出するのも、時間の問題かと……」
「いいのよ」
 赤い瞳をすっと細め、何でもないことのようにいう。それ以上何もいえなくなり、青年は口を閉じたが、だからといってこのまま退室することもできず、膠着状態となる。
 天女は息をついた。
「下界に降りた聖者が、なんとかするといっているわ。いったからには、なんとかするでしょう」
「聖者……すると、悠良様たちですか」
「そう」
 自慢げに、微笑む。
「優秀よ、あの子たち。だから放っておいて」
青年は、まだ釈然としない面持ちではあったが、天界のすべてを統べる天女にこういわれたのでは、もう引き下がるしかなかった。
「…………。わかりました」
深々と頭を下げ、部屋をあとにする。
 天女はもう一度嘆息し、テーブルに向き直る。冷めてしまったティーカップを弄びながら、つぶやいた。
「ま、なんとかなるわ」
 本当は、賭なのだ。
 しかし天女には、根拠はないものの、確信があった。
 彼らなら、大丈夫だと。

   *

 セリーヌ=エリアントにとっては、申し分のない晴天。冬が訪れようとしているとは思えない暖かい陽気が、町を包んでいた。
 自然公園の花畑にはガーデンパーティーの準備も万全だ。屋敷内も飾りつけが為され、シェフは陽が昇る前から腕を振るっている。
 セリーヌは、廊下の窓から、自然公園を見下ろしていた。催し物の少ない町のことだ、多くの人々がやってくることだろう。
 あと少しで、扉が開く。
 そうすれば、望みが叶う。
 自分の求めた世界が、手に入る。
「今度こそ……」
 自然と、笑みがこぼれた。
 長い、長い道のりだった──求めているものを、見失うほどの。
 虚構を作り上げることには飽きてしまった。自分を欺くのは、もううんざりだ。
 思えばこれは、何かの罰だったのかも知れない。
 しかしそれももう、どうでもいい。
 自然公園に、人影が見えてくる。遠くから、時計台の鐘の音が聞こえた。十回。ひとが集まり始めるころだ。
 主催者として、人々に顔を見せておくべきだろう。セリーヌは窓を離れ、階下に向かった。

「赤いジャケットのひとよ。そう、向こうの方にいるみたい。え? だから、もらえるのよ、全員に。カンパニーも、本当、凝ったことするわよねえ」
 街道を行く人々は、このはなしで持ちきりだった。それどころか町にも噂が流れ、皆、どこにいるのかと、赤ジャケットの人物を探している。
 カンパニーの屋敷に至る道は、街道を進む道と、自然公園を抜ける道の、二つ。自然公園に至る道は複数あるものの、解放されている門はメイン街道から至る一つ。
 その両方に、赤ジャケットの人物が、複数待ちかまえていた。 
 小さな町でも、職に就けない、あるいは就いていない者というのは、いるものだ。やはり程度の差はあれど、貧富の差はなくならない。そして自然と、暮らす区域も変わってくる。
 実は赤ジャケットの人物は、そのほとんどが、昨日のうちに雇われた職のない人々だった。事情があって働いていないのであろう、真面目そうな人物もいれば、よく見れば人相の悪い、町のごろつき風の者もいる。どちらにせよ、カンパニーのパーティーなど、無縁と思っていた者たちだ。
「一日これを配るだけで破格の給金が貰えるのか。太っ腹というか、カンパニーはやることでかいな」
 赤ジャケットのひとりが、隣の女性に話しかける。
「急に決まったから、人手が足りなかったんじゃない? ついでにパーティーに出席しようかな。無料みたいだしね」
 女性は、腰から下げた袋のなかから、ペンダントを取り出し、通りかかるひとに次々と配っていく。見た目には、石ころにひもを通しただけのようにも見えるが、なにやら輝いていて、神秘的といえなくもない、不思議なペンダントだ。
 人々は皆、喜々としてペンダントを受け取った。すぐに首からぶら下げたり、手首に巻きつけたりしている。
「どうですか、ちゃんと滞りなく?」
 長い棒を持った少年が、向こうから歩いてきた。赤ジャケットの人々は──男女合わせて十数人は立っている──、少年に親しげに声をかける。
「昨日はありがとうな、バイト口紹介してくれて。おかげでいいメシが食えそうだ。もちろん、別に問題は起きてないぜ」
「そうですか、それはよかった」
 怜は、棒に引っかけて持ってきた袋をばさりと広げ、なかから大量のペンダントを取り出した。補充分といって、それぞれに配る。
「今朝もいったけど、これ、通行証も兼ねているので、漏れのないように渡してくださいね」
 ひとり、若い女性が近づいてきた。
「ね、これって、わたしたちももらっていいんでしょ? 光る石のお守りって、なんか素敵」
「もちろん、全員に」
「よかった! ありがとう」
 補充も終え、ではこれで、と怜はその場から去る。計画通り、進んでいる様子だ。
 自らもぶら下げているペンダントをつかんで、少し笑った。
「啓ちゃん徹夜の作品だもんなあ」
 魔力の込められたそれは、もちろんもともとはただの石だ。しかしこれを持っていると持っていないのとでは、大きな違いが生まれる。
「や、ひとの噂なんて、至極かんたんだね」
 ──持っているだけで幸せになれる、カンパニー特製のお守り。パーティーお越しの方に、もれなくプレゼント──
 それだけの触れ込み。だが十分に、効果はあった。
 昨日一日中、走り回った甲斐があったというものだ。この調子ならば、混乱は最小限に抑えられるだろう。
 あとは莉啓と翠華が、どれだけうまく立ち回れるかに、かかっている。
 とりあえず、手は尽くしたのだ。
「──うしっ」
 気合いを入れて、怜は屋敷に向かった。
 
 屋敷のもっとも大きなホールは、その窓すべてが開け放たれ、豪勢に彩られたパーティー会場と化していた。
 赤絨毯の上に、幾つも置かれたテーブル。立食パーティー用の、背の高いテーブルだ。それぞれに花が飾られ、脚には金のリボンまで施されている。壁や燭台には、もはやこの屋敷のモチーフというべき、赤い花々が飾られていた。
 頭上高くにある天井からは、書物でしかお目にかかれないような豪勢なシャンデリアがぶら下がっていた。屋敷でパーティーどころか、なかに入る機会さえ初めてなので、町の人々は感嘆し、口々に称賛の言葉を述べている。
 カンパニーで働く少年たちは、それぞれ派手にならないようきっちり正装し、給仕係としてホールに控えていた。トレイを持ち、飲み物を配って回っている。
 そのなかに、浮かない顔ながら、レグの姿もあった。   
「みなさま、ようこそいらっしゃいました」
 黒く輝くドレスをなびかせて、数段高くなっている主催者席から、セリーヌが澄んだ声を発した。
 ざわついていたホール内が瞬時に広まり、皆の視線が集まる。セリーヌは満たされた笑顔を浮かべていた。
「お忙しいなか集まっていただいたこと、このセリーヌ=エリアント、心より嬉しく思います。本日は、みなさまへの日頃の感謝と、カンパニーのさらなる発展の願いを込めてのパーティーとなります。どうぞお気の向くままに、ゆっくりとお過ごしください」
 凛とした姿で述べ、ドレスの裾をつまみ、深く一礼する。若きカンパニー代表者の、威厳ある姿に、拍手と歓声が巻き起こった。
 セリーヌは数歩下がり、笑みを湛えたままで、しばらくそのまま、人々を眺める。正装していない者や子どもの姿も多く、皆ただ純粋に、楽しんでいるように見えた。 
 彼女は、喉の奥で、小さく笑った。
小さな小さな世界でときを過ごそうとした、自分が間違っていたのだ。
 世界はもっと、大きくなるはずだ。
「……もうすぐ」
知らず、声になる。
 彼女はときを待った。
 望みが叶うときを。





BACK | TOP | NEXT