story6 忘れられた魔女 16

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 夕方、町はにわかにざわついていた。
 通りを行く人たちは、口々に何かの噂をしている。決して暗い様子ではない。むしろ祭り前のような、妙に浮き足立った空気だ。
 怜は足を止め、買い物かごを手にした年配の女性を呼び止めた。
「なにかあったんですか?」
 興味津々といった様子で、問いかける。女性は、喜々として話し出した。
「あら、こんな町に旅の方? 運がいいわね、なんでもカンパニー主催でパーティーがあるらしいの。自然公園も一般開放されるらしいから、子ども連れて行かなくちゃって話してたのよ」
 女性と話していたもうひとりも、身を乗り出す。
「お昼ぐらいにね、カンパニーの子たちがちらしを配りに来たのよ。見る?」
 そうして、かごから紙切れを差し出した。どうも、と礼を述べ、それを眺めながら宿へと向かう。
 開催日は二日後──作為的だ。無関係とは思えない。
 緑色の屋根の宿にたどり着き、食堂にいたカタリナにレグがカンパニーに戻ったことを告げ、階段を上った。
 部屋の戸を開け──すぐに、閉めた。
 怒りのオーラをむき出しにした相棒の姿が見えたのは、気のせいではないだろう。
「……ああー、啓ちゃんのこと忘れてた」
 このまま逃げるわけにもいかないので、意を決して扉を開ける。
 予想どおり飛んできた包丁を素早く避けて、怜は相棒の姿を確認した。
「や、ただいま、啓ちゃん」
「貴様……」
 両手に包丁を構え、じりりと莉啓が歩み寄る。もう怜には、彼が術士なのか料理人なのかわからない。
「よくものこのこと帰ってきたな……!」
 静まりそうにない怒り。悠良が一緒にいない以上、何をいっても無駄と知りつつも、怜は悪あがきを試みる。
「せっかくの美男子が台無しよ、啓ちゃん」
 火に油だった。
「……あの女に操られていると、そういうことだな、怜!」
「ええ、濡れ衣!」
 無論会話ができる状態ではなく、包丁の舞が炸裂する。
 そうして莉啓が落ち着きを取り戻すまで、たっぷり数分を要した。

 生傷の増えた状態で、疲れ果て、怜はソファに身をうずめていた。
 莉啓は心にもない謝罪を述べる。
「すまない、少し我を失っていた」
「……その棒読みはいっそ気持ちいいよな。けんかしてる場合じゃないのに。ほんと熱いんだからな……」
 ぶつぶつと文句をたれる。莉啓も頭ではわかっていたはずなのだ。しかし、部屋に残されたメモを見て、頭の奥で何かが切れたのだという。
『悠良嬢、ちょっと借ります 翠華』のメモの下に、『悠良ちゃんピンチ! というわけで行ってきます』という、明らかに怜の字で為された走り書き。明確に何ごとがあったのか分からない上に、必要以上に神経を逆なでする書き方だ。
「悠良は、カンパニーに?」
 平静を保ち、事務的に莉啓が問う。それはわかっていることだった。怜はできるだけ正確に、事情を告げた。
「翠華がね……セリーヌに天界の魂を提供するために、悠良ちゃんを連れ出したらしい。もっとも翠華は、あくまで手のひらで踊らせて、セリーヌに望みは叶わないってことを思い知らせようとしたみたいだけど」
「結局逆に捕まったということか」
「そゆこと」
 莉啓は押し黙る。翠華に会ったら思いつく限りの報復をせねばなるまい。
「悠良ちゃんは無事だよ。少し、衰弱はしてた。助けようにも、もう術がかかっていて不可能だ。セリーヌいわく、二日後には解放する、って。そういう嘘をつくようなタイプじゃないと思う」
 莉啓はうなずいた。そんな小狡いまねをする女性ではないだろう。かといって、全面的に信じるのは危険だが、怜が不可能といっている以上、手の出しようもない。
「気になるのは……悠良ちゃんは、力を吸い取られているみたいだった。翠華のいってたことを併せて考えると、たぶんセリーヌは、天界の魂を利用する目的があるんだろうな。で、悠良ちゃんがいた部屋に、明らかに怪しい扉がひとつ。つまりこれが、二日後に開くらしい」
「扉か……実は天界でも少し、騒ぎになっているようだった。扉がこじ開けられようとしていて、魂がざわつき始めていると」
 げえ、と怜が声を漏らす。もうそんな影響が出ているとは。天女様はそうとうお怒りだろう。
「なるほど、それで二日後か……」
 莉啓は、ベッドの上に置いてあった紙切れをテーブルに置いた。カラフルな色彩で、『パーティー開催』の文字。
「あ、それ俺ももらった」
 怜が道行く女性から譲られたものと同じだ。そこには、カンパニー主催のパーティーが行われること、自然公園や屋敷が一般開放され、食事会が盛大に行われることが記されていた。記念パーティーという名目で、もちろん参加費は無料だ。
「扉が開くときに、屋敷の周辺にひとを集めたいってことだろ。ってことは……」
「不安定な魂の入れ物として、町の人間を使う気だな。なりふりかまわず、か」
 転生を待つ魂は、本来非常に不安定な存在だ。生前の形をとどめた状態のものならまだしも、長い年月をかけ、形を失った転生間近の魂になると、器に入って「命」を得ようとする。動物の本能に似た動きで、そこに理屈などはない。
 そんなものがこの町に流れ込めば、混乱が起こることは必至だ。多くの魂は、我先にと、人間のなかに入ろうとするだろう。
「だが扉が開くことを阻止できないのだとすれば、何か他の手を考えるしかないな。明後日まで、手をこまねいて見ているわけにはいかない」 
 しかしどうやって。探るような、静かな沈黙が訪れる。
 最優先すべきは悠良と、町の人々の安全だ。ターゲットの回収はあくまで二の次と割り切らなくては、守るべきものも守りきれなくなる。
「セリーヌ=エリアントか……」
 ぽつりと、莉啓がつぶやく。
 そもそも、彼女の望むものはいったい何なのか──本当なら、それがもっとも本質的な疑問だったが、二人とも口に出せないでいた。
 漠然と、その答えはわかろうとしていた。
 しかしそれは、あまりにも、悲しい。
「そうだ、啓ちゃんはどこ行ってたわけ、悠良ちゃんが大変なときに」
 ふと思い出し、怜がいう。いっていなかった、それほどまでに取り乱していたことに、莉啓自身少し驚いたが、表面上は静かに咳払いをした。
「天界に。もう一度、セリーヌ=エリアントとレグの名がないかどうか、確かめに行っていた」
 どうだったか、などとは聞かない。ただ静かに待つ。
「やはり、二人とも魂の未回収リストには載っていなかった。そこで、生を受けたもののリストを調査したところ……」
「ええ、そんなことやったの啓ちゃん。働くなー」
 自分なら絶対に無理だ。真剣なはなしの最中にもかかわらず軽口を挟むが、冷ややかに睨まれて怜は黙った。
「……セリーヌ=エリアントが生を受けたのは、おそらく、二百七十四年前だ」
 怜は息を飲んだ。
「ほんとかよ、それ」
「他にその名は見つけられない。もちろん別人の可能性もなくはないが……。やはりセリーヌは偽名で、もともと親から受けた名は、花羅。つまり、東の生まれだ。もちろんこの名でも、未回収リストには載っていない」
 途方もない。怜は天井を仰いだ。
「二百七十四年、ずっとかよ……そりゃ、おかしくもなるわな」
「どんな理由があっても正当化されてはいけない」
 低く、静かに、莉啓が告げる。それは彼の信念でもあった。はいはい、と怜は返事をしておく。
「レグは?」
 先を促す。
 莉啓はいいづらそうに、少し、黙った。
「……名前を、見つけられない。いくつかその名はあったが、すでに魂の回収まで終わっているものばかりだ」
「……? リストに載ってない、って、それ……」
 単純に考えて、生を受けていないということになる。
 ではレグは何なのか。
 確かに存在する少年のことを、どう説明すればいいのか。
「これについては、考えてもしかたがないだろう。問題は、明後日の『パーティー』をどうするか、だ」
 むりやり思考を断ち切るように、莉啓が淡々と、しかしもっともなことを口にする。怜は黙り、それからテーブルに身を乗り出した。
「実質、準備期間は今日の残りと明日一日……考えならあるよ。啓ちゃんが少し、大変だけど」
「聞こうか」
 怜は唇の端を上げ、計画を話し始めた。

   *

 日が暮れ、食事の席に集まった子どもたちを見て、セリーヌ=エリアントは奇妙な感覚に襲われた。
 人数が多いため、屋敷内はビュッフェ形式の夕食だ。白いテーブルクロスのかけられた丸テーブルが点在する部屋には、様々な料理の香りが満ちている。食前の祈りを一斉にした後は、思い思い、食事をすることになっているのだ。
 泊まり込みの仕事に出している子どもはおらず、全員が部屋に集まっていた。食事を皿に盛りつける子どもたち。ひとりレグだけは、まだ部屋にこもっていたが。
「……こんなものだったかしら」
 ひとり、セリーヌ用の角テーブルにつき、彼女はつぶやいた。
 子どもたちの姿を、目で追っていく。
 何かが、違う。
「こんなものだったかしら」
 繰り返す。
 満たされていない。それでももうすこし以前には、幸せだと、ぼんやり感じるものがあったはずなのに。
 この虚無感は何だろう。
 わけもなく、不快な気持ちが、わき上がった。
 やはり、違うのだ。
 こんなものを突きつけられるために、求め続けたわけではなかったのに。
「…………」
 結局、料理には手をつけず、セリーヌは立ち上がった。何人かの子どもたちが心配そうに声をかけてきたが、応えず、部屋を出る。
 そこで待ちかまえていた人物に、眉を歪めた。
 何もかもが不快。
「つまらなくなったんでしょ、セリーヌ。自分の作った世界が」
 ひどく美しい緑色の影は、やわらかく、辛辣な言葉を吐く。牢から抜け出したのか、などと、そんな問答すら無駄に思われて、セリーヌは黙って歩き始めた。
 翠華はついては来ない。
 それでいい。
 これ以上、見透かされるのはごめんだ。
 黒髪の魔女の姿が見えなくなってから、翠華はついと裾をひるがえした。
 身を隠す素振りもなく、階段を上り、部屋の前で立ち止まる。ノブに手をやり、鍵がかかっていないことに形の良い眉を顰めたが、そのまま戸を開けた。
 悪趣味な赤い部屋。中央には半透明の扉、ベッドの上には眠り姫の姿。
 しかし姫のとなりに座る影を見て、小さく笑った。
「まだいたの」
「また来たの。ここに来るってことは、責任感じたりしてんの? 律儀だねえ」
 長い棒を携え、怜がそんな言葉をよこす。まあね、と翠華は肩をすくめた。
「どうやっても救えそうにないけど──だいぶ入念な術が施されてるよ。しかも、途中解除は悠良嬢に負担をかけるだけみたいだし。それでもなんとかならないかと、思ってみたんだけど」
「おまえがそういうならならないんだろ。待つしかないな」
 何でもないことのようにいって、怜は隣で眠る悠良の髪をそっと撫でた。
「ところでその扉──どういうものかわかる?」
 翠華は首を曖昧に振った。
「推測なら。天界とこことをつなぐ扉……っていうのが、いちばん悪い推測かな」
「正解」
 翠華は大きく嘆息した。ではやはりセリーヌは、魂を呼び寄せるつもりなのだ。
 懲りず、自分の世界を作り上げるために。
「これが開ききるのが二日後らしい。それまではどうやっても悠良ちゃんは解放できないし、おまえのいうとおり、無理に解除するのは危険ってことだ」
「じゃあ、なすすべなく、二日後を待つしか?」
「ないね」
 翠華は押し黙る。ここに安易に悠良を連れてきた、自分の責任だ。
 しかし、心のどこかで、まだセリーヌの望みが行き着くところを、見たいという思いもあるのだ。そうでなければ報われないのではないかと、漠然とした思いが。
 怜は立ち上がり、翠華の肩に手を乗せた。
「ところで、罪滅ぼしの方法があるんだけど、聞く?」
 断るわけもない。
 翠華は苦笑するようにうなずいた。




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