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第三章 公開処刑 3







 なにが起こっているのかわからなかった。
 教会にいたはずだ。
 反省をしろと強制的に連れてこられ、窓のない小部屋に入れられ、そこで三日過ごすのだといわれたはずだ。
 三日間、己のした罪を悔い、恥じ、時の流れもわからないなかで、ただじっと渦巻く思いの中にいるはずだった。
 実際、一日目はそうしていた。
 それが、二日目に一変した。
 時刻はわからない。二日目、固いパンが二回運ばれてきたということは覚えている。少なくとも午後だということになるが、頭が朦朧として、どれだけの時間をここで過ごしたのかわからなかった。寝ていたのか、それとも気絶していたのだろうか。
 ここは、どこなのだろう。
「──ニナ……」
 名を呼ばれ、どきりとする。視線をさまよわせるが、目がかすんでいた。少し離れた場所に、光が見える。何度もまばたきをして、目を凝らす。
 ニナのまわりは、暗闇だった。右半身を下にして、転がされている。頬や足の下はひやりと冷たく、湿り気があった。石の床だ。屋内のようだが、かといって部屋の中という雰囲気でもない。もっとよく見たかったが、手足が縛られ、自由がきかない。
 光は、ランプの類のようだった。石の壁に掛けられている。光のそばには、男と女。ニナと名を口にしたのは女の方だが、呼ばれたわけではないようだった。こちらは見もせずに、二人で何事か話し込んでいる。声ははっきりと聞こえるものの、なにをいっているのかはわからない。異国の言葉だということは、ニナにもわかった。
 女の顔は灯りに照らされていて、ニナの位置からもその姿がよく見えた。短く切りそろえた茶の髪は、一見すると男性のようでもあるが、遠目でもはっきりとわかる唇の鮮やかな赤が、女性であることを主張している。同じ色の靴を苛立たしげに鳴らし、腕を組んで立っている様子は、近寄りがたい空気をまとっていた。目には丸い眼鏡。ニナは眼鏡というものをほとんど見たことがないが、昔町渡りが持っていたのを覚えている。あの女も、ニナをここに連れてきた男も、おそらくカイミーアの人間ではない。
 とたんに、ニナは不安になった。いつの間にか、カイミーアの外に連れてこられたのだろうか。商品のようにどこかへ売られるか、なにか良くないことに利用されるのだろうか。急に寒さを自覚し、震えが止まらなくなる。
 本なんて持っていなければよかった、すぐに燃やしてしまえばよかった──後悔しても遅かったが、思わずにはいられなかった。あの黒髪の町渡りは、きっと助けようとしてくれたのだ。彼女はどうなったのだろう。礼もいえないままだ。
「シェリアン」
 不意に、空気が変わった。
 灯りを携えた少年が、女と合流する。灯りは上から下がってきたので、おそらく階段を下りてきたのだろう。マントで身体を覆っているが、輝かんばかりのブロンドが隠しきれていない。年齢は、ニナと同じぐらいか、少し上ぐらいだろうか。
 ニナはとっさに目を閉じ、それからそっと薄目を開ける。寝ているふりをしていたほうが良いだろうと直感した。
「あら、王子。こんな時間に、こんなところまでいらっしゃらないでも、任せてくだされば良かったのに」
 眼鏡の女は、媚びるような甘い声を出す。今度はカイミーア語だ。
 王子──とっくに混乱しているニナの脳内に、新しい疑問が増える。
 少年も、女も、カイミーア語で話した。それに、「王子」という呼び名。
 考えるまでもない。ということは、あの少年は、カイミーアの王子なのだ。
 名を思い出そうと、ニナは記憶を探った。姿を見たことなどないが、店の手伝いをしていれば噂を耳にする機会も多かった。確か、今年で十三歳になったという、王の弟。名はルーガルドだったはずだ。
「その呼び方はやめてください。……あそこにいるのが、例の?」
 ルーガルドは声をひそめてはいなかった。ちらりとニナを見て、すぐにシェリアンという名の女に向き直る。
「そうですわ、王子」
 やめてといわれたのに、シェリアンは猫撫で声でもう一度王子と呼んだ。
「まあ、あの子が妥当といったところでしょうねえ。まだ十歳ぐらいみたいですけど、まさかいきなりどこかの家に押し入って、適当なの連れてくるわけにはいきませんものねえ?」
「十歳……!」
 ルーガルドの声が、怒りを帯びる。
「十歳では、幼すぎます。もう明日に決まってしまったというのに……。シェリアン、あなたがあの教会にいるなんて、聞いていませんでした。計画が台無しです」
「あら、だって、あそこの教会がまだ生きているなんて知らなかったんですもの。それはしようがないですわ」
「生きている?」
 問い返した言葉を、ニナも心の中でつぶやいていた。教会が生きている──なにかの喩えなのだろうか。
「王子。こちらのことには口出しをしないお約束でしたわよね?」
 笑みさえ含んだ声で、シェリアンがいう。甘い甘い声だったが、おそらくはルーガルドのことをほとんど気にかけていないのだと、ひどく小さな子どものように扱っているのだろうと、ニナにはわかった。馬鹿にしているのかもしれない。ルーガルドは気づかないのだろうか。
「僕に協力してくれる約束です。忘れないでください」
「そもそも……」
 甘いだけだったシェリアンの声に、嘲るような雰囲気が加わった。ニナは背筋がぞくりとするのを感じ、ぎゅっと目をつむる。そうっと開けたが、怖くなって、やはり閉じておくことにする。
「王子、あなたの計画の完成度が問題だったのですわ。あそこで私がなにをしていようが、支障はなかったはず。ブルーアスから来た女に協力を依頼したといってましたけど、その女、私の邪魔をして、あろうことか赤い魔女にしたてあげ、レッドウォーカーに捕らえさせたのよ。あなたのために、おとなしく捕まって差し上げたの。感謝していただきたいですわ」
「ですが」
 ルーガルドが叫ぶ。しかしそのまま黙り、静寂が訪れた。
 ふう、とため息をつく音が聞こえる。誰のため息だろうかと、ニナは考える。
 最初にシェリアンと話していた男は、ルーガルドが来てからというもの一言もしゃべっていない。もしかしたら、カイミーアの言葉がわからないのだろうか。
「ねえ、王子」
 小さな子どもをあやすような声で、シェリアンが呼びかけた。
「お悔しいのでしょう。わかりますわ。あなたはこんなにもこの国を愛しているのに、誰もあなたに期待していない。この国に王子がいることなんて、なんとも思っていない。あの傲慢な女王にすべてを任せてしまっている──あの女が、この伝統ある崇高な国をひっくり返そうとしているのも知らないで」
 ひっくり返す? ニナは鼓動が早くなっていくのがわかった。聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。現王はカイミーア・ユイファミーアだ。詳しいことは知らないが、そんなとんでもない王だという話は聞いたことがない。
 なによりも、ニナにはどうしても、シェリアンという女のいうことが信じられなかった。それは直感としかいえなかったが、ルーガルドが来る前と来た後の様子の違いひとつをとっても、信用のならない怪しい女としか思えないのだ。
「この国を救えるのは、あなたしかいないのです」
 シェリアンがいう。まるで呪文のように、囁いている。
 殺されるのかもしれない──ニナは漠然とだが、感じていた。こんな話を聞いてしまったのだ。このまま生きては帰れないだろう。
 店で忙しく働いているであろう父親に、思いを馳せる。父さん、父さん──心の中で、何度も呼びかけた。
 ごめんなさい、あたしがいけなかった。本なんて、持ってるんじゃなかった。町渡りになんて、こだわるんじゃなかった。
 ごめんなさい。父さん、ごめんなさい。
 あたしを育ててくれた父さん。もっと素直に甘えておくんだった。
 いっぱい反省します──だから、どうか。
 どうか、どうか。
 もう一度。
「……っ」
 しゃくりあげそうになるのを、我慢する。しかし堪えきれず、涙がこぼれる。
「公開処刑は、予定通り、明日で問題ありませんわ」
 シェリアンの言葉が、ひどく明確に、耳に飛び込んできた。
 公開処刑。
 誰の? 考える。おそるおそる、思い出す。
 十歳では幼すぎると、ルーガルドがいっていた。もう明日に決まってしまったのにと、いっていた。
 ニナはあまり頭の良いほうではないと、自分では思っている。店の注文や町の名を覚えるのは得意だが、父親のように要領よく仕事をこなすことはできない。順序よく物事を考え、効率を上げるようなことは苦手だ。
 しかし、ここに運ばれてきてから聞いたいくつかの情報が、順序よく頭の中で並んでいく。こんなときに限って、わかってしまう。
 処刑されるのは、自分だ。
 それも、誰かの身代わりにされるのだ。
「魔女ですもの。こう見えて実は八十歳とか、もっともらしくいってしまえば、だいじょうぶでしょう」
「しかし、この子に罪は……」
「本を所持していたらしいですわよ。町渡りにそそのかされたとか。それって、まだいまは、重罪ですものね」
 ルーガルドが動揺しているのがわかった。涙で視界がかすむが、こうなったらすべて見ておかなくてはならないと、ニナはむりやり目を見開く。
 自信のなさそうな、どこか影のあるこの国の王子と、偉そうな眼鏡の女とを、じっと見る。
 あたしは殺されるんだ──あの二人に、殺されるんだ。
 焼き付けておこうと思った。
 この理不尽に怒り、絶望し、しかしそれよりも、なにもかもを心に留めておこうと思った。
「あなたのせいですのよ、王子」
 優しい声音のままで、シェリアンがいう。
「融通の利く他国の女とは、違います。あの子は文字なんてもちろん読めない。だからこそ、公開処刑を明日にしたのです。生かしておいては、すぐにどこからかボロが出てしまう……この国の未来のためには、やむを得ませんわ」
「…………」
 ルーガルドが、黙ってしまう。それ以上、食い下がらなくなる。
 結局、話はそれで終わったようだった。ルーガルドはニナの近くに寄ることもなく、背を向けて、階段を上っていった。灯りが一つ遠ざかり、見えなくなる。
 ニナは、目を閉じた。シェリアンと男とが言葉を交わすのが聞こえたが、それはもうニナには理解できない言葉だった。
 縛られた手足は、もう痛みを感じなくなっている。逃げ出したいという思いはあるが、どうしても、諦めのほうが先に立ってしまっていた。ここがどこなのかもわからない。身体の自由もない。
 カツカツという、足音が聞こえる。シェリアンもどこかに行くのだろうか、だとしたら逃げることも可能だろうか──そんなことはできないとわかっていて、かすかに考える。
 しかし、足音は次第に大きくなり、すぐ近くで止まった。ニナは身体を固くして、閉じた目に力を込める。話を聞いていたということを悟られないようにと、全身を集中させる。
「ニナちゃん」
「──っ!」
 ニナは、声にならない叫びをあげた。優しい声で呼びかけたかと思うと、シェリアンは先のとがった靴でニナの横腹を踏みつけたのだ。
「起きていたかしら。話は聞いていた? ねえ、あなた、残念だけど、明日でおしまいよ。諦めなさいね」
 どこか楽しそうな声が、降りてくる。腹を押さえたいが、縛られた手ではそれもできない。咳込み、身体をよじる。
「でもあなた、ラッキーだわ。働き者のお父様と二人で暮らしているんでしょう? あなたがおとなしくしていれば、お父様は幸せに暮らせるんだもの。良かったわねえ」
「……っ、あんた、父さんに……」
 シェリアンは身を屈め、ニナの頭をつかんで持ち上げる。ひどく近い距離で、じっとニナの目を見つめた。にやりと、真っ赤な唇が妖艶な笑みを描く。 
「わかるわね、お利口ちゃん」
 ニナは震えた。恐怖よりも、怒りからくる震えだった。彼女のいっていることは、もちろん、わかる。おとなしくしていなければ、父親も殺してやるということなのだろう。
 それでも、従順にうなずきたくはなかった。力一杯、シェリアンの目を睨みつける。
「かわいくないわね。いいわ、口がきけないようにして出してあげる。明日が楽しみね」
 吐き捨てるようにいって、手を離す。力なく冷たい床に落ち、ニナは歯噛みした。
 悔しくて仕方がなかった。逃げ出せずとも、せめて女の思惑に背いて、ここで死んでしまいたかった。
 足音が、遠ざかる。シェリアンは男になにかを告げて、そのまま歩き去っていった。やがて足音も聞こえなくなり、灯りも一つだけが残る。どうやら、男はここに残るようだ。見張りということなのだろうか。
 あの男もどこかに行かないだろうかと、ニナはかすかに期待して、男を見た。見張りがいなくなったからといって逃げられるはずもなかったが、それでもいるよりはいないほうがずっといいような気がした。それとも、同じことろうか。
 暗い色の服を着た男は、ニナの方は見ずに、腕を組んで壁にもたれている。目を閉じて、じっと動かない。寝ているのかもしれない。
 ニナも、目を閉じた。もう、見ていても仕方がなかった。見ていたからといって、なにがどうなるわけでもなかった。
 しかし、目を閉じてしまえば、頭に浮かぶのは後悔の念ばかりだ。どうしてこんなことになってしまったのかと、悔やむ気持ちばかりが何度も何度も押し寄せてくる。
 それならもう、終わらせて欲しいとさえ、思った。明日の公開処刑を待つのではなく、いまここで。
 結局、ニナは目を開ける。暗闇だけを見つめていればやがて目が慣れてきて、石床の模様まで見えてくる。迷路のようなそれに入り込んでしまった錯覚に囚われながら、取り留めのないことを考える。
 それから、どれぐらいのときが経ったのだろう。カツカツという足音がもう一度聞こえてきて、ニナは緩慢な動作で視線を動かした。
 シェリアンだ。ひょっとして、もう処刑が始まるのだろうか。もうどうにでもなれという気持ちで、ぼんやりとそちらを見る。
 見張り役の男は、どうやら本格的に眠ってしまっていたようだった。シェリアンに怒鳴られ、慌てて背筋を伸ばしている。それから強い調子で何事かをいわれ、足早にその場を去っていった。いい気味だ、と思う気持ちと、男ではなくシェリアンがこの場に残ってしまったことに沈む気持ちとが、両方ともほんの少し、胸に落ちる。もうどうでもいいのだけどと、諦めた気持ちのまま、見るわけでもなく、視界は彼女を捉え続ける。
 そのシェリアンが、ニナを見た。
 あの冷たい目で、じっと見ていた。赤い唇が浮き上がって見える。どうしてこっちを見ているのと、答えが欲しいわけでもなく、ニナは思う。
 シェリアンが、眼鏡に手をあてた。おもむろにそれを外すと、肩が凝ったといわんばかりに、首を左右に傾ける。
 そうして、もう一度ニナを見たときには、表情が一変していた。
「……え?」
 思わず、声を出す。どこかで見たような表情だと思うものの、思い出せない。
 シェリアンの姿をした女は、人差し指を口元に持っていくと、小さく微笑んだ。