第二章 赤い魔女 2
脳裏をよぎる、シルエットがある。 それはなんでもないとき、たとえばこうしてベッドに深くすわり、やるべきこともなく──このまま眠ってしまっても特に支障はない、そういうときにふと現れる。 長い髪。色は黒。 どこか冷たい、けれど真っ直ぐな── 「ねえってば、聞いてる?」 声が、遮った。 ジキリ・ナスタは、現実に焦点を合わせた。腰までの金色の髪をなまめかしく揺らし、女がすり寄ってくる。 「今日は朝まであたしといてくれるんでしょう?」 「ああ……」 ごまかすように無精髭を撫でながら、桃色に塗られた女の唇を見た。悪くない。 「どうすっかなあ」 しかしそこは、会話を楽しむことにする。金髪の女がいやいやをするように首を振った。「いてくれなくちゃ、ダメ」 甘えて口を尖らせる。ジキリは彼女の髪を撫でるが、横から栗色の髪の女が腕を伸ばした。ジキリの手を取り上げると、頬を寄せる。 「ジキリはあたしといるのよね? タウンに戻ってきたら、一番にあたしに会いにくるって、約束だったんだから」 「したか、そんな約束?」 素直に聞き返す。まったく記憶にない。 しかしそれもいつものことだ。女も分かっているのだろう、艶めかしく笑うと、彩った指先をジキリの胸板にあてた。 「いいのよ、あなたが覚えてなくても、こうしてあたしが覚えてるから」 「いやあね、そんな約束」 金髪の女が、それを阻む。うしろから黒髪の──ただしショートカットの女が、二人の手を引いた。 「ジキリに決めてもらいましょうよ。三人を一度に相手してくれるなら、あたしはそれでもいいけど」 「そりゃあ、魅力的だね」 ジキリは三人の女を順に見た。全員化粧が濃いが、そんなことをせずとも充分に整った美人揃いだ。衣装はそれぞれ個性が出ているものの、基本的には肌を露出し、男を誘惑しようという意図が見える。そんな三人が三人とも上目遣いで、甘えるようにジキリを見ていた。 ここは女を買う場所ではない。グレイプタウンを拠点とするジキリが、トレジャーハントを終えると戻ってくる、上級でも下級でもない、ごくふつうの宿だ。何年も同じ部屋を借りっぱなしなので、宿というよりも自分の部屋のようになっている。 ジキリは、女たちと遊ぶつもりがないわけではなかった。しかし、どうも気が向かない。目を細めて彼女たちを眺め、その理由を考える。町に戻ってきたばかりで、疲れているというのはある。しかし、まだ夜は長い。眠るのはもったいないという気になってしまう。いっそ娯楽施設へ行っても良かったのだが、すでに闇が落ちていた。建物から出るべきではない。 「なんだろうなあ」 結局答えが出ず、思ったままを口に出した。女たちは顔を見合わせる。 「ダメね。今日はダメな日だわ」 「こういうときのジキリは、ダメよね。どうせお金もないんだわ」 一様に呆れ、営業は終わりだといわんばかりに、全員がジキリから離れた。表情どころか、声まで違う。 「こんなことなら来なきゃ良かった。無駄しちゃったわ」 無駄、とまでいいきる。いつもならもらい放題の「贈り物」も「お小遣い」も期待できないのだと見切りをつけ、彼女たちは驚くほどあっさりと帰り支度を始めた。それが目当てなのだとジキリも知っているので、これといって落胆はしない。むしろ、不発だったことに気を落とす女たちの姿を楽しむ。 「その結論は、早いんじゃねえの。ひょっとしたら、でっかい土産が隠れてるかもだろ」 そんなものはなかったが、そう声をかけてみた。しかし、返事は一言だ。 「ないわね」 声にしたのは一人だったが、全員が同じ意見のようだった。 「遊び人を気取りたいなら、もっと徹底すればいいのに。愛しい誰かを想って気持ちがふわふわ遠くに行ってるの、そういうのって、すぐわかるのよ」 「一途な男って、面倒くさいだけ」 口々にいわれ、さすがに眉を下げる。面倒くさいなどといわれると、一応は傷つくものだ。 「男ってのは、あんたらが思ってるよりずっとピュアでナイーブな生き物なんだからよ、ひどいこというなよ。また実入りのいいとき、遊ぼうぜ」 「ほら、今日はダメだって、認めちゃった」 認めるもなにも、先にいいだしたのはそっちだろう──そうは思ったが、ジキリはそれ以上はいわないでおく。女には逆らわない、が彼の信条だ。 彼女たちはそれぞれ薄手の上着を羽織り、もともとたいして持ち込んでいなかった荷物をまとめた。暗くなった町では、建物の外に出ることは自殺行為だ。同じ宿内にいるほかの目当ての部屋へ移動するか、空いてる部屋を借りるのだろう。 帰ると決めてしまえば、冷たいものだった。別れの言葉を残す素振りもなく、ドアに向かう。 しかし、彼女たちが部屋を出るよりも早く、ノックが響いた。 「今日はダメな日よ」 親切心なのだろう、ドアの向こうに声を投げる。彼女がドアを押し開けると、そこに立っていたのは老婆だった。 ジキリはなかば寝ころぶようにベッドに預けていた身体を起こし、来客を見る。おどけて右手を挙げた。 「ダメな日ってことらしいが、相手してくれんなら歓迎するぜ」 「相手してやってもいいが、あたしは高いよ」 老婆は鼻を鳴らした。三人の女はくすくす笑いながらも、とりあえずは部屋から出るのをあとまわしにしたようだ。脇に避けて老婆を部屋へ通す。 「まずは、宿代全額払ってもらわなきゃね」 当然の要求に、ジキリは視線を外した。老婆は、この宿の主だ。 「やだ、ジキリったら、ここのお金も払ってないの?」 「いつからそんなダメな子になっちゃったのかしら」 おもしろ半分の女たちの囁きにも無視を決め込み、ベッドの上であぐらを掻く。くしゃみをして初めて、上半身がほとんど裸だという事実を思い出した。無造作にジャケットを羽織り、ポケットに両手をつっこむ。 「今日はダメな日ってのは、正解だな。なんなんだ、久しぶりに戻ってきたのにこの待遇。涙ながらに迎えてくれるのが本当なんじゃないのかね」 「起きたまま寝言をいうのはあんたの特技かい、ジキリ・ナスタ。あたしはわざわざ教えに来てやったんだよ。見知ったのがのたれ死ぬのは、さすがに気分が悪いからね」 老婆は女たちには目もくれず、老いを感じさせない機敏な動きで歩を進めた。ジキリの目の前で立ち止まる。 しわの寄った細い目に、並々ならぬ力が満ちている。ジキリは生唾を飲み込んだ。 「な、なんだよ。なんでおれの死を予言だよ。わりとリアルで怖えよ」 「あんたじゃないよ。こいつさ」 老婆は、右手を突き出した。首根っこをつかまれ、完全に伸びているそれは、小さな生き物だ。白く美しいはずの毛並みは薄汚れ、いつもならぴんと尖っている耳は垂れ下がっている。 それは、尖獣だった。この地方では裕福な人間が愛玩用に飼っている程度で、ほとんど見ることはない。 「やだ」 「かわいそう」 女たちが群がり、頭を撫でる。その尖獣は、彼女たちの言葉通り、まったくかわいそうな風体だった。おそらくは霧にやられたのだろう、生気が感じられず、ぐったりとしている。 「スノウ?」 ジキリはそれを、凝視した。 そして、悟る。ゆっくりと首を左右に振る。 「あの世で、幸せになれよ……」 「まだ息はあるよ。この宿の前に落ちてたのさ」 「ここの前? なんでだよ」 ジキリは思わず訊いたが、もちろん老婆から返答が得られるはずもない。だが、ジキリを訪ねてきたのだということは、予想がつく。 「たまたま窓から見えちまったんだよ。見つけたら、助けないわけにはいかないじゃないか。ちょうど長い棒があって良かったけどね」 どうやら、あくまで一歩も建物から出ない状態で、棒を伸ばして救出したらしい。それでも窓や扉を開ける必要はあり、つまりはそれだけのリスクを冒したことになる。 「ばあさん、あんた意外と人情家だよな」 素直に感想を口にしたが、老婆はそんな言葉は求めていなかったようだ。不機嫌そうに目を細め、ジキリにスノウを投げ渡した。 「愛があるなら、助けてやりな。そいつは確か、あんたの愛しの君のペットだろう」 「こいつに愛はねえけども」 しかし──ジキリは素早く頭を働かせた。愛はない。一欠片もない。だが老婆のいうとおり、その飼い主に対しては、あった。それはもう特大に。 「愛しの君! 噂をすればね」 「あの冷たい感じの美人でしょ」 「まったく相手にされてないのよね」 なにが楽しいのか、女たちが嬉々として口を揃える。反論したかったがうまい言葉が見つからず、ジキリは鼻をこすってスノウの片足をつかんだ。上下に振ってみるが、目を覚ます気配はない。 「こいつを助けても、愛しの君に感謝されねえんじゃねえかな、別に」 それは予感というよりも確信だった。ジキリの思い人は、このペットに対してひどく冷淡だ。スノウを助けたところで、彼女が満面の笑みを見せてくれるとは思えない。それどころか、おそらくは眉間にしわが寄る。 「女心がわかってないね。ペットを連れているってことは、そいつを愛しく思ってるってことさ」 ごくあたりまえのことのように、老婆がいった。一般的にはそうだろうが、彼女の場合は事情が違う──ような気がしたが、ジキリも詳しく知っているわけではなかったので、黙ってしまう。 しかし、スノウを助ければ、彼からことの顛末を聞くことぐらいはできるだろう。彼女がいまどこでなにをしているのかがわかれば、会いに行くことも可能だ。 「まあ、いいや。こいつの場合、助けるのは簡単だしな」 ジキリは無精髭を撫でると、スノウの両脇をつかんだ。持ち上げて、顔を寄せる。 しかし、思いとどまった。四人の目が、こちらを向いている。 あまり観衆の多いところでやりたいことではない。 「こいつはおれがちゃんと助けとくから、安心しろよ。それともこいつも入れて、朝まで遊ぶか?」 いい終わらないうちに、老婆はさっさと部屋をあとにしていた。女たちはそれぞれ肩をすくめて、閉まったばかりのドアを開ける。 「次は期待してるわ、ジキリ」 「ちゃんと稼ぎなさいよ」 「愛しの君によろしく」 どこまで本気なのか、そんな言葉を残して出て行ってしまう。ジキリはしばらく待ってから、そっと部屋のドアを開けた。見える範囲に誰もいないことを確かめ、鍵を閉める。 「バレたらまずかったような気がするしな」 そうではなくとも、騒ぎになるような事態は避けたい。 ジキリはドアを背に、無造作にスノウを抱え上げた。頭を支え、顔を近づける。 尖獣の小さな口に自らの唇を寄せると、一切の躊躇なく、接吻した。 「──っ!」 途端に、ジキリの手の中で、スノウがはじかれたように動いた。なにかを叫んだようだったが、声にはならない。尖獣の肢体が膨張していくのを感じ取り、ジキリは手を離す。 小さな生き物だったはずのそれは、徐々にその姿を大きくしていった。尖獣の毛並みは柔らかな白い髪に変化し、まるで繭のように彼自身の身体を包み込む。 球体から長い足が床に伸び、髪もまた重力に逆らわずこぼれていく。そうして、生まれ出るように、青年が姿を現した。 「…………う……」 十人中十人が美青年と形容するであろう容姿を持ちながら、スノウの顔は嫌悪に激しく歪んでいた。 目には涙がにじんでいる。口を押さえ、わなわなと震えていた。 力なく膝をつき、頭を垂れる。 そのまま、動かなくなった。 「久しぶりだなあ、スノウ」 ジキリは陽気に片手を上げるが、しかし返事はない。顎に手をあてながらじっくりと考えて、ベッド脇の荷物を漁ると、適当なシャツとズボンを引っ張り出した。人の形となったスノウは、文字通り生まれたままの状態だ。一糸まとわぬ姿でいるのが苦痛なのだろうと解釈し、投げ渡す。 「まあ、とりあえず着とけよ」 心からの善意だ。 スノウは衣類の塊を片手で受け止めた。無言で床に叩きつける。 しばらくして、思い直したのだろう、のろのろと手を伸ばし、濃紺のズボンと薄茶のシャツを引き寄せる。すわったままで器用に、着込んだ。足の裾を二度折り曲げ、長さを調節する。 立ち上がり、顔を上げた。 涙を拭う。 「貴様のところになど、来るんじゃなかった」 重い声で、吐き捨てた。 ジキリは目を丸くして、腕を組む。 「おうおう、助けてもらっといて、その態度はどうなのかね、スーちゃんよ。その姿になってりゃあ、自分で回復できるんだろ? 尖獣のままじゃ、やばかったと思うぜ。そもそもなんで、霧のなかで転がってたのかね」 「スノウと呼べ! 尖獣の姿でも、多少のことなら可能だ。無論、力尽きる前にライティングで防御した。霧のことは確かに失念していたが、霧に蝕まれ命を落とすほど、愚かじゃない」 「はいはいはい」 ジキリは適当に聞き流した。この男と全力で向き合っては疲れるだけだと学習している。三割程度の会話であしらうのが得策だ。彼女がいつもそうしているように。 「ほかにも方法はあったはずだ! 私がいいたいのは、なぜ、貴様が……く、く、口づけを……!」 スノウが怒りに震え出す。これでも堪えていたのだろう。 「どもるな」 ジキリは心から面倒臭いと思いつつも、一応は彼をなだめることにした。 「良かれと思ってだよ。口と口、ってのがその姿に戻る条件なんだろ? おれはさあ、放っといたらおまえが死ぬんじゃないかと思ったわけ。助けてやろうっていう友人の気持ち、わかんないかねえ」 「誰が友人だ! 私を元の姿に戻せるのは、エスメリアだけだ!」 「それはあんたの勝手な願望だろ」 だんだん疲れてきて、ジキリは大きく息をついた。スノウが尖獣から人に姿を変える条件は、人間との口づけだ。そこに限定はない。要は誰でもいいのだ。 「だいたいな、小せえんだよ。考えようによっちゃ、どっかの女だったりするよりは、面倒じゃなくてよかったろ。おれなら事務的作業ってことで納得もしやすいっつうか。愛はないから安心しろよ」 「あってたまるか! あって、たまるか!」 二回いった。肩が震えている。よほどの激昂具合だ。 「私はいまなら、血の涙も流せる……!」 実際に流しそうだったので、ジキリは話題を変えることにする。 「あんたのご主人様はどうしたよ。単独行動ってことは、また逃げられたか?」 口に出してしまってから、ほんのりと後悔する。なんの用件があるのかと単刀直入に訊けばそれで良かったのに、思わずからかう方向へ持っていってしまった。 噴火して怒るかと思われたが、意外なことに、スノウは押し黙った。 「図星か」 「違う!」 拳を握りしめ、叫ぶ。ものすごい剣幕で否定したわりには、うってかわってひどくいいづらそうに、口を開いた。 「エスメリアは、捕らえられた。私は彼女を助けに行かなければならない」 ジキリは目をまたたかせた。捕らえられるという言葉とエスメリアの存在とが、結びつくようで結びつかない。おそらく罪状はいくらでもあるだろう。しかし彼女がそう簡単に捕まるだろうか。 「なんで?」 従って、そういう質問になる。スノウは重々しい空気をまとい、首を振った。 「無実の罪だ。いまごろは震えて泣いているだろう……かわいそうに」 それはどうかな、と思ったが黙っておくことにする。 「尖獣は、非力だ。だから貴様に協力を乞おうと思ったのだ。だが、この姿に戻ったいま、その必要もなくなった。その過程は大変不本意だが、前向きに考えよう。この姿で助けに行った方が、かっこいい」 「そりゃ前向きだな」 ジキリはスノウを心から尊敬した。己を納得させるためではなく、本気でそう思っているところがすごい。 「騎士道精神を邪魔するつもりはないけどよ、おれも手伝うぜ、スノウ。エスの一大事ってのは、おれの一大事でもあるからな」 「どうしてそうなるんだ! ジキリ、前々から思っていたが、貴様はエスメリアに対して、なんかこう、なんていうか……そう、軽々しい! 軽々しすぎる!」 軽々しい。ジキリは真剣に考えた。 いわんとしていることは伝わってくるが、しかしよくわからない。もっと敬えといいたいのだろうか。 「しようがねえだろ、おれはあいつの元ダーリンなんだからよ」 「ほんの半日のことだ。しかもエスメリアが目的のために貴様を利用しただけだ」 「利用しただけ、ねえ」 スノウのいうとおりだったが、あえて含みを持たせる。 「女心なんてわかんないだろ、スノウ」 実のところ、ジキリにもそんなものはわからない。今後わかるようになる予定もない。 半日だけの『おつきあい』は、ジキリにとって複雑な歴史だ。エスメリアに出会った喜びと、その後の落胆は、どちらも言葉にできるようなものではない。エスメリアは目的のためにジキリに交際を申し込み、用済みとなるやいなや後頭部を殴って気絶させ、彼の元から逃げた。ついでにスノウも残されたが、彼は自分に都合のいい理由を捏造し、ショックを受けるには至っていない。 いってしまえばスノウは当事者であり、一部始終を知っているはずだった。しかし、それでも悔しそうに、わなわなと震える。 「き、貴様なんて、大嫌いだ!」 投げつけられた言葉はひどく幼稚で、ジキリはかえって毒気を抜かれた。このままこうしてやりあっていても仕方がないと、現実を見ることにする。 「とにかく、おれはついていくぜ。どうせなら一緒に行動した方が、効率的だ。あいつはいま、どこにいるんだ?」 スノウはなおもジキリをにらみつけていたが、そもそもの目的を思い出したのだろう、己を奮い立たせるように首を素早く振った。その仕草がまるで尖獣のそれで、ジキリは思わず笑いを堪える。ここで笑ってはまたいい争いになるのはわかりきっているので、表情はあくまで真剣なままだ。 「カイミーアだ」 だが、告げられた国の名に、表情が崩れた。 「カイミーア! なんでまた!」 声が大きくなるが、なぜ、の答えはジキリにもわかっている。エスメリアの目的は、常に一つだ。 「おれは忠告したことがあるぜ、あそこはやめとけって。いくらネストキィレターのためでもな、あの国はやばすぎる。……でもなるほどな、カイミーアにいたから、霧を『失念』か」 「エスメリアは貴様ごときの忠告を聞くような方ではない」 どういうわけか誇らしげに、スノウが顎を上げる。ジキリは鼻にしわを寄せた。 「カイミーアかあ、カイミーアなあ……。あそこさあ、間違って本持ち込んだことあんだよな。港の検査もなんかかいくぐっちゃって、立ち寄った町で気づいてよ、もう冷や汗かいたぜ。まあ、捨てるのもなんだから、町の女の子にあげたけど」 「ちょうど、文字狩りに遭った。エスメリアは、不届き者から書物をもらったという少女を守るため、自らが犠牲になったのだ。結果、レッドウォーカーに捕らえられた」 あれ、とジキリは思ったが、口には出さないでおく。符号の一致が見えたような気がしたが、スノウには見えていないのならば黙っておくほうが賢明だ。 そもそも、エスメリアが善意からそういった行動に出るとは考えにくい。となれば、結果オーライだったはずだと軽く流した。 「よし、わかった。じゃあ入念に準備した方がいいな。カイミーアの地図なら、おれも裏ルートで入手してる。文字狩りに捕まったらどこに行くか、そういうとこ、ちゃんと調べて行かねえとな」 「いや、一刻も早く、行くべきだ。エスメリアが心配だ。癪に障るが、貴様にもルートを使わせてやろう」 スノウは指先を噛むと、そこから滲んだ血をシャツにあてた。素早く文字を記し、服を変化させる。白と青を基調とした、ジキリのものよりは動きづらそうな──しかし見目の美しい上下服になり、白い髪をうしろに払う。 それがライティングと呼ばれる技術だということは、ジキリも知っていた。スノウが新しく服を出現させたのではなく、着ているのは依然としてジキリの服であり、大気中の物質に特別な文字で命令を与えることによって、違った服に見せているという理屈も、一応はわかっている。 しかしそれでも、釈然としない。せっかく服を貸してやったというのに、なぜわざわざ手を加える必要があるというのか。 「あんたさあ、その髪じゃまだろ。切っちゃえよ」 不平をいわずにはおれず、そうつぶやく。スノウはものすごい形相で、ジキリをにらみつけた。 「これはエスメリアが雪のようで美しいと褒めてくれた髪だ! だからこそ、私の名はスノウなのだ。それに、この姿で髪を切ったら、尖獣になったときに体毛がどうなるか……!」 「ああ、わかった。悪かったよ」 ジキリは想像してみた。そして納得する。非常にかわいそうな姿になるかもしれない。 「ふつうに行けば長旅でも、あんたのルートを通るってんなら、あっという間だな。よし、エスを助けるまで、おれたちは仲間だ。仲良くしようぜ、相棒」 ジキリは手を伸ばした。スノウは複雑な──どちらかというと不機嫌そうな表情を浮かべ、じっとその手を見る。 しかしやがて、潔く真っ直ぐに手を伸ばすと、無骨な手を握りしめた。 「協力はするが、エスメリアを助けるのは、私だ」 七割を聞き流し、ジキリは肩をすくめた。 「はいはい」 |