第二章 赤い魔女 1
カイミーア・ユイファミーアは、王城の廊下で一人、立っていた。 正確には、一人ではない。近くに──というよりは遠巻きに、三人の護衛が控えている。本当ならばもっと人数を増やさなければならないのだが、彼女が多くても三人と決めた。彼女の決定は絶対で、それに逆らえるものはいない。 乳白色のドレスは裾の広がらないタイプで、細身で背の高い彼女の姿を、いっそうすらりと見せている。金色の髪は高い位置でまとめられ、踵の高い靴の効果もあり、総合身長は頭を垂れているだれよりも遙かに上だ。 その彼女に、メイド服の女性が一人、そっと近づいた。顔色をうかがいながら、うなずくようにしてつばを飲み込み、口を開く。 「ユイファミーア様。オングルの使者が、黄の間に……」 「良い。待たせておけ」 良く響く声で、ユイファミーアは答えた。怒気を含んでいるわけではないが、迫力がある。彼女の顔は決して不機嫌ではない。とはいえ、上機嫌というわけでもないのは、誰の目にも明らかだ。 「ですが……」 メイドは引き下がらなかった。しかし、続きをいうのはためらわれるのだろう、ユイファミーアの相貌を見上げ、白いエプロンを握りしめる。 「あの……」 「待たせておけば良い」 「……かしこまりました」 結局、頭を下げ、ユイファミーアに背を向ける。ユイファミーアは眉一つ動かさず、歩き去るメイドの姿を一瞥で確認した。 彼女が、こうして客が待っている旨を伝えに来るのは、これで三度目だ。ユイファミーアは、客に会う気がないわけではない。ただ、いまは優先すべきことがほかにある。 引き続き、ユイファミーアは待った。 前国王である父は何年も前に身罷り、その後のカイミーア王国を支えた母も、病に伏せている。いまや、王権を授かる身であるユイファミーアには、自由になる時間などほとんどない。 それでも、こうして時間を使ってでも、ユイファミーアはここにいなければならなかった。 「ユイファミーア様。珍しいですね、こんなところで」 廊下の角を曲がり、弟──カイミーア・ルーガルドが姿を現した。驚いた顔をしたのは一瞬で、すぐに品の良い笑顔になる。 ユイファミーアがここに立っていたのは、まさにこのためだった。睨むような目を向けるが、気づいていないのか、弟は穏やかな微笑を浮かべたままだ。 「ここのところ寒いですから、どうかお身体にお気をつけください」 まったく自然な挙動で、そう姉を気遣う。ユイファミーアは露骨に眉をひそめた。 「ずいぶん他人行儀だな、ルーガルド。姉と呼べと、いっているだろう」 「ですが、あなたはこの国の王です」 「貴様はその弟だ」 「ええ、弟です」 ユイファミーアは黙る。そんな問答がしたかったわけではない。 ルーガルドはユイファミーアとは違い、護衛を連れていなかった。カイミーアでは、現王の弟であろうとも、厳密には王位継承権を持たない。それを決めるのはまさに現王であるユイファミーアであり、彼女はルーガルドに継承権を与えることを否としている。だからこそルーガルドには自由が許され、そして守られることもない。 「部屋に入れろ。大事な話がある」 眉間に深くしわを刻み、ユイファミーアはそれでも怒りを堪えるように、静かにいった。ルーガルドはすぐにうなずく。 「もちろん、僕にそれを拒否する権利なんてありません」 「ルーガルド」 語調を強める。ルーガルドは、己を呼ぶ声から身をかわすかのように、ユイファミーアに背を向けた。 「どうぞ」 ユイファミーアがずっと立っていたその隣の、重厚な作りの扉を開ける。ルーガルドは姉を待つことなく、先に自室へ入っていった。 「ここで待て」 ユイファミーアは三人の護衛に厳しく声を投げ、弟のあとに続く。言葉が返ってくるよりも早く、ぴしゃりと扉を閉めた。 ルーガルドの部屋は、ユイファミーアの記憶にあるそれとはずいぶん様変わりしていた。 幼いころから几帳面な弟だったが、それに拍車をかけたように整えられた室内。必要最低限のものしかなく、飾り気もほとんどない。望めばなんでも置けるはずの広い室内に、デスクとベッド、チェストのみ。 「おまえの部屋には、腰を落ち着ける場所もないのか」 部屋をぐるりと見回し、結局は立ったままで、ユイファミーアがつぶやく。ルーガルドは、自分もすわることなく、姉に向き直った。 「場所を変えますか?」 「いや、いい。二人きりで話したいのだ。ほかでは邪魔が入る」 ユイファミーアは、扉から距離を取った。小さな窓の向こう側にも注意を払い、それから部屋の中央、なにもない絨毯の上に立つ。 背筋を伸ばし、顎を下げ、弟の目をじっと見つめた。ルーガルドが真っ向から視線を受け止めたので、迷わず口を開く。 「なにを、企んでいる」 しかし、彼女の質問は、宙に浮いた。 ルーガルドは表情を変えなかった。沈黙が降りる。まるで言葉など発せられなかったかのように、変わらず、対峙する。 ユイファミーアは苛立ちを抑えながら、息を吸い込んだ。 「私がなにも知らないと、思っているのか。おまえが赤い魔女を捕らえようと躍起になっていることも、そのために伝師やレッドウォーカーを使っていることも、知っている。なにをする気だ、ルーガルド」 「ユイファミーア様こそ、なにをお考えですか」 ルーガルドはまったく怯まなかった。それどころか瞳に光を宿し、まるで敵対するものを見るかのように、姉を射抜く。 「僕は赤い魔女を捕らえたいと思っています。でもそれは、当然のことです。いままでに赤い魔女が、いくつの町を滅ぼしたでしょう。放っておけば、カイミーアは完全に加護を失うことになる」 「他国では、あたりまえのことだ」 「他国!」 ルーガルドは笑った。だがそれは、奇妙に歪んだ顔だった。どこか泣きそうな、しかしそれを無理矢理に抑えているような表情だ。 ユイファミーアは、気づいた。彼は、軽蔑しているのだ。 「姉さんは、カイミーアの誇りを忘れてしまったんですね」 「違う」 きっぱりと、首を左右に振る。 「この国の未来を考えればこそだ。ずっとこのまま、塀の中に閉じこもっているわけにはいかない」 「だから、人の作った文字を?」 ユイファミーアは瞳を伏せた。様々な思いが身体中を一気に駆けめぐり、すぐに凪ぐ。 答えは決まっていた。 弟を見る。 この国のすべてが正しく、この国のすべてが素晴らしいものだと信じて疑わない彼の目を、真っ直ぐに。 そして、うなずいた。 「そうだ」 ルーガルドが目を見開く。ユイファミーアはあえて、強く続けた。 「この国は、ネストキィレターと決別しなければならない。ルーガルド、余計なことはするな。私の邪魔をしたいわけではないだろう」 ルーガルドは答えなかった。ユイファミーアは弟の言葉を待とうとしたが、ついに堪えきれなくなったかのように、扉がノックされる。 もうこれ以上、ここにいることはできなかった。黙ったままの弟を残し、ユイファミーアは部屋を出た。 |