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Elixir
第三章 医師団 2



 日が暮れるよりも少しだけ早く、馬車は町に到着した。法衣の男は率先して馬車から降り、門番となにやら話し合っている。やはり、外から来た人間を入れるのは容易ではないのかもしれない。
 ガリエン・シティはぐるりと外壁に囲まれていた。ジリアルもそうだったが、こちらの方がより厳重だ。単純に町の規模の違いもあるが、まだ国がまとまりを持っていないころ、数々の襲撃を受けてきたことがその理由だった。ガリエンは、東西南北、どこからも物資の入る交易の盛んな町であり、早い段階で巨大なランセスタ治療院が建設された医療の町でもある。要するに、他の土地の人間がぜひ手に入れたいと思うような魅力に満ちていたのだ。
 古くは獰猛な野生動物の進入を阻んだという歴史もあり、町には警護団も組織されていた。警護団とランセスタ治療院の権力が拮抗している現状を象徴するかのように、町の見張りに立っているのは、警護団の赤い制服と治療院の青い法衣とがちょうど半々だ。
「まったく、ものものしいな。なにを手間取っているんだ。いつまでも馬車にいたのでは、尻が痛いではないか」
 馬車の窓から顔を出し、ロイスは毒づく。キルリアーナは腕を組んで、そんなロイスをじっとりと見つめた。
「あんたの尻が痛いのは、おかしな体勢でずっと寝てたからだろ。よくこんなカッタイ椅子で、いびきかいて寝られるよな」
 見たところ、尻よりも首の方が痛そうだ。起こしたほうが良いだろうかとキルリアーナが思うほどに、ぎりぎりまで横に傾いて眠っていた。
 どういう神経をしているのかわからない。キルリアーナのボディーガードをするとかなんとかいっていたのはいったいなんだったのだろうかと、ふと考える。どちらにしろ断るのだからどうでも良いことではあったが、洞窟に連れて行かれたときにも真っ先にやられ、いまも警戒心なく熟睡する始末だ。そもそも、剣技がどうのといっていたような気がするが、腰のベルトに引っかけてある小さな細い剣は、まさか実戦用なのだろうか。飾りだとしか思えない。
「眠れるときには眠るべきだ。君も寝たほうが良かったんじゃないのかな? ガリエンでどんな恐ろしいことが待ち受けているか、わからないのだからね」
「眠れるとき、ねえ」
 キルリアーナにとって初めて乗る馬車の中は眠れる場所でもなんでもない。しかし結果として、何事もなく町の入り口まで来ているのだから、ロイスが正しかったといえなくもない。
 少し考えて、キルリアーナはその点について答えるのをやめた。なにをいっても、調子に乗らせる結果になりそうだったからだ。
「お待たせしました。一応、町に入ることはできますが、中心街のあたりは特に危険です。南側の職人通りか、その近くの住宅街あたりなら、それほど病の波も来ておりません。町に入ったら外壁沿いに南に進んでいただいて、朝には出られることをお勧めします」
 戻ってきた法衣の男が、そう説明する。文句のひとつでもいうのかと思えば、ロイスはほっとした表情で礼を告げた。
「そうか、そうか。ありがとう。恩に着るよ」
 そういわれれば、法衣の男も悪い気はしないのだろう。馬車の戸をわざわざ開けて、二人を促した。
「話は通してありますので。どうぞ」
 金の力は素晴らしい。おそらく、ロイスや女たちに着せられた服の効果もあるのだろう──キルリアーナはこっそり感謝する。いつもの、どちらかというと小汚い格好では、こうはいかなかったに違いない。
 金持ち然とした衣装のためか、ロイスの自信に満ちあふれた振る舞いのためか、町の門はあっさりと通過することができた。外から人を入れる後ろめたさもあるのか、むしろあまり見ないようにされていた節もある。どちらにしろ、好都合だ。
 門を通り抜け、背後で閉められる音を聞く。流行病の影響か、夕方だというのに、町の中は夜中のような静けさだ。屋根や木々の上から、赤い鳥たちがじっとこちらの様子をうかがっている。視界に入る生き物といえば、それぐらいだ。
 南の方角もちらりと確認して、キルリアーナはためらいなく、まっすぐ続く本街道を歩きだした。
「そうするだろうとは思ったが……いきなり中心街へ向かうのか。せめて宿を取ったりとか、こう、準備とか」
 諦めた様子でロイスがいいながら、付いてくる。キルリアーナは特に隣を見上げなかった。
「あんたには、あんたの用事があんだろ。オレは治療院に行く。どうなってんのか、興味あるからな」
「僕の会いたい女性も、治療院にいるんだ。奇遇だな」
「ああ、そう」
 なるほど、もともとはランセスタの御曹司なのだから、そういうこともあるだろう。キルリアーナは納得した。しかし、それにしてはあまり焦っている様子がないのは何故だろうかとも思う。治療院は医師団の襲撃を受けたという話だったはずだ。
「ランセスタとしては、無償で治療して回ってるような連中、潰したくて堪らねえだろうけど。医師団のほうが治療院を襲撃ってのは、なんかちょっと、違和感あるな。あんた、なんか知らねえの」
 一緒にいるのならば、得られる情報は得ておきたい。キルリアーナが尋ねると、ロイスは難しい顔をした。
「それは、僕も考えていた。そもそも、僕がランセスタにいたころから……というより、ずっと以前から、そうやって秘密裏に医療活動をしていた人たちっていうのは、いたんだよ。パジェンズのように神がかった存在ではないから、それほど目立たないだけだ。まあもちろん、犯罪者として罰せられるわけだが。医師団なんていう名前でまとまって活動してるというのは、ここ最近だけどね」
 つまり、ほとんどなにも知らないということだ。キルリアーナは息をつく。
「じゃあ、昔からいたようなのとはまた別の団体ってこともあるか。そんなのが出てくるようじゃ、ランセスタの時代ももう終わりだな」
 医療技術を独り占めするということに、そもそも無理があるのだ。その体制で百年近くやってきたことが奇跡ともいえるかもしれない。
 軽い気持ちでいってしまってから、キルリアーナはロイスの顔色をうかがった。いまはもう関係ないとはいっていたが、元々はランセスタを背負って立つはずだった人間だ。どんな顔をするだろうかと、興味がわく。
 しかしロイスは、キルリアーナの言葉にショックを受けた様子はなかった。
「終わらせるべきだと、僕も思うよ」
 ごくあたりまえのことのように、いう。少しつまらない反応だ。キルリアーナは肩をすくめ、行く先を見上げた。
 ランセスタ治療院の青く尖った屋根が、見えていた。権力を象徴するかのように、大抵の町で、治療院はもっとも大きく、もっとも目立つ場所に建っている。各町の治療院長は、ほとんど王様にでもなった気分なのだろう。怪我や病に苦しむ人々が、日々、祈りと金品を捧げにやってくるのだから。
「治療院は、機能してないっつってたな。あんたの知り合いは、治療院で働いてんだろ? 家とか、近くにあんのかよ」
 誰もいない事態も想定しつつ、ロイスを見上げる。ロイスはもごもごと口を動かした。
「ああ、うむ、もちろんだ。家がなくては寝起きできないからね。もちろんあるとも、そのはずだ」
 歯切れが良いようで、具体的にはなにも伝わらない返事だ。本当に、会いたい女性とやらがいるのだろうか。
「なんか、怪しいな、あんた」
 率直にいうと、ロイスは勢い良くキルリアーナに顔を向けた。そんなことより、と声を張り上げる。
「君は本当に、治療院に行くつもりなのか。襲撃を受けたとはいっていたが、治療院の人間が誰もいないという保証はない。パジェンズの君がそんなところにいったら、たちまち捕まってしまうだろう。下っ端ならともかく、さすがに長クラスでは、ごまかしは利かないのではないか」
「ああ……」
 今度は、キルリアーナの歯切れが悪くなる番だった。ランセスタの御曹司だったというこの男は、どうやらなにも知らないらしい。
「まあ、そうだな……下っ端ならともかく、長クラスなら、だいじょうぶだよ、たぶん」
 曖昧に返す。一から説明をする気にはならない。
 二人が歩いている間にも、町の人間には一人も出会わなかった。歩いてきたのはどうやら店の建ち並ぶ区域だったようだが、営業している様子はまったくない。看板はしまい込まれ、カーテンも閉ざされている。
 病に苦しんでいるのか、それとも病から身を守ろうとしているのか。どちらにしろ、家に籠もっているのだろう。
 実際のところ、この町に住む人々のうち、どれぐらいの割合が流行病に冒されているのだろうか。キルリアーナは眉間にしわを寄せた。
 そもそも、流行する前に、なんとかしなくてはいけないのだ。町そのものが、ひっそりと死んでしまったような状態になっているようでは、話にならない。治療院という名を持っている限りは、彼らもある程度は仕事をしなければ信用に関わるはずなのに、この有様はどうだろう。
 医師団にしてもそうだった。最悪のタイミングで襲撃をかけた──あるいは、かけてしまったのだとして、それでも病を放っておく理由にはならないはずだ。
 キルリアーナはいらいらとした気持ちのままに、奥歯をかみしめる。どいつもこいつも使えないと、ここでいってもしようがないのだが、吐き捨てたくなる。
「治療院の前にも、誰もいないようだね」
 ロイスが背伸びするようにしてつぶやいて、キルリアーナも門を見た。大仰な門は開けっ放しで、近くに法衣姿も見あたらない。誰かが訪れたときのために、一人、二人は立っているのが常だ。
「普通の状態じゃないってことだな。正面から、行くか」
「ううむ……最悪の状況として、過激な医師団とやらが待ち伏せしていて、いきなりガツン、ということはないだろうか」
「ねえだろ。こっちはただの旅行者だぜ」
 あったとしても、自慢の剣技でどうにかしてはどうか。皮肉めいたことをいおうとして、結局はやめておく。
 門は開いていたが、さすがに扉は閉まっていた。重い石の扉を引き開けて、キルリアーナはなかを覗き込む。ランセスタ治療院はどこも同じ構造だ。左右に治療室が並び、奥には『祈りの間』があるはずだった。病が治りますようにと、祈りを捧げる場所──要するに、礼拝堂のようなものだ。
 しかし、足を踏み入れる前に、気づく。
 血の臭い。
 それも、まだ新しい。
「……いやな感じだ。本当に、誰もいないのか?」
 ロイスが先に、なかに入る。青い絨毯の敷かれた廊下は、しんと静まり返っていた。
「まだいるぜ、たぶん」
 やった側か、やられた側か、あるいはその両方が。息のあるものは、もしかするといないかもしれない。
「気をつけろよ。いきなりガツンも、なくはないかもな」
「ふん、問題ないさ。この僕が返り討ちにしてくれよう」
 不思議なほどに自信たっぷりで、ロイスが歩みを進める。その調子で突進して真っ先にガツンとされる未来が見えるような気がしながら、キルリアーナは警戒しつつ、あとに続いた。彼が盾になるというのならそれもいい。距離をとり、うしろを行く。
「いるかどうかはわからないが、お偉いさん方の部屋というのは、祈りの間のさらに奥にあるんだ。事情を聞くのなら、そこだろうな」
「なにかあったとしても、そこってことか」
 左右の部屋からは物音ひとつしない。声を潜める必要性も感じなかった。二人は足早に、祈りの間へ近づいていく。
 だだっ広いその部屋には、扉はなかった。
 高い高い、天井。突き当たりの壁と天井は一部がガラス張りになっており、そこから光を取り込んでいる。正面に掲げられた銀の杯は、ランセスタの象徴だ。大昔、神から与えられた奇跡の力──それこそが、ランセスタの起源だった。
 しかし、神聖なはずのその場所は、いまは血の臭いに満ちていた。
 青い絨毯の上で、倒れ伏しているのが三人。
 二人は、刺繍の施された法衣に身を包んだ年老いた男性だった。少し離れた場所に倒れるもう一人は、法衣ではないようだ。
 キルリアーナはすぐに駆け寄った。いちばん近くから順に確かめる。一人目、二人目──どちらも、息絶えていた。
「ひとりは、ここの長だな。もうひとりはその補佐か」
 ロイスは沈痛な面もちをしているが、それでも冷静だった。キルリアーナと同じように、脈を確かめる。
「むごいな。僕たちが来るのが、もう少し早ければ……」
「いや、即死だな。争った形跡もない。あっという間に、ためらいなく、やられたんだろ。誰かに」
 二人は心臓を貫かれていた。一人は正面から、もう一人は逃げようとしたのか、背後から。
 深く突き刺された痕だ。刃物には毒が塗ってあったのか、周囲の皮膚は変色していた。これでは、キルリアーナたちが多少早く来ていたところで、結果は同じだっただろう。
 立ち上がり、奥にいたもう一人のところへ行って、膝をつく。血を流してはいないようだが、皮膚の色が紫に染まっている。毒に触れてしまったのだろうか。確かめようと、キルリアーナが手を伸ばす。仰向けにさせ、服に手をかけたところで、かすかに指が動いた。
「う……」
 ごく小さな声。それでも、息がある。キルリアーナは素早く衣服をはぎ取った。やはり、傷はないようだ。毒にやられているだけならば、まだ間に合う。
「動くな。治してやる」
 鋭く囁く。一見すると女性のようだったが、体つきは男性のものだった。ずいぶん若い。ロイスと同じぐらいだろう。金の髪は長く、着ている服も女性のもののように見える。
「おお、生きているのか! 良かっ……」
 駆け寄ってきたロイスが、足を止めた。
 突然無音になったので、さすがにキルリアーナは振り返る。まだ曲者がいて、この瞬間にやられたのかと、悪い想像をしてしまったのだ。
 しかし、彼はただ立っていた。訝しげに、倒れている男を見ている。
 キルリアーナが目線を戻すと、ほとんど意識がないであろう男の方も、驚愕しているようだった。ひどくゆっくりと、一度だけ瞬きをする。
「に……」
 力なく、唇が動く。なにかをいおうとしたのだろうが、音にならない。
 ロイスは、男の脇に膝をついた。額に手を伸ばし、前髪をかきあげるようにする。顔を確かめているのだろう。知り合いなのだろうか。
 まさか、話題に出ていた再会を約束した女性だろうか──ちらりと考えて、キルリアーナは自分の思考に呆れた。女性のようではあるが、間違いなく、男性だ。
「触るな。あんたも毒にやられる」
 なぜこんなあたりまえのことをいわなければならないのかと、苛立ちながらキルリアーナが忠告する。しかしロイスは、手をどかさなかった。
 まじまじと、男の顔を見る。
「……まさか、セリウスか?」
 ロイスが問いかけ、男の目が動いた。
 うなずく力はないのだろう。しかし、彼の瞳は、確かに肯定していた。
 二人の様子と、その名から、キルリアーナも思い出す。
 ずいぶんと様変わりしたが、いわれてみれば、面影があった。
 金色の髪、緑の目。
 まるで女性のように繊細な彼に、昔、キルリアーナは懇願されたことがあった。
 どうか、兄を助けてと。
「にい、さん」
 セリウス・ランセスタは、声を絞り出し、そのまま気を失った。