Elixir
第三章 医師団 1 銀色に輝く杯が、掲げられていた。 霞む視界にそれを捉え、セリウスは笑う。なんという皮肉だろう。それは象徴でもなんでもなかった。まさに、ランセスタの生命線そのものだったのだ。 まるで礼拝堂のような、ただただ広いその空間で、女が微笑んでいる。不意打ちでセリウスが浴びせた一太刀は、確実に彼女に傷を負わせているはずだった。しかし、滴る血など気づいていないかのように、女は悠然と立っている。 痛みも、怒りも、喜びも哀れみも、感じられない。笑みという表情はなんの意味も持たず、無機質に彼女の顔に張り付いていた。 しかし、そこにあるだけで、女は美しかった。 高い位置にある窓から、光が射し込んでいる。赤い光は女を彩り、より美しさを演出する。夕日に照らされると、女の黒髪は青みを帯び、宝石のように輝いた。 「これが、あなたのやり方ですか」 セリウスは声を絞り出した。膝をつき、女を見上げる。結わえている金の髪が前に落ちたが、それをうしろに払う気力はない。 女はさらに目を細めるだけだ。肯定も否定もしない。 「たくさんのひとが、苦しんでいる。消えてしまった命、消えようとしている命もある。それでも、なにも、思わないのですか」 セリウスは言葉を続けた。無駄であろうことはわかっていたが、それでも問いたかった。 女は髪の先をいじりながら、ほんの少し困ったような顔をした。あるいはもう、この場所に居続けることにさえ、飽きているのかもしれなかった。首をかしげるようにして、セリウスを見下ろす。 「勘違いしているみたいだけど。わたし、やってないわよ。わざわざわたしが病気をまき散らしたみたいに、思ってるんでしょう」 「同じことです! 人を殺しておいて、よくも! あなたには力があるのに、そうやってなにもせず、ただあざ笑っている……! 残っていた貴重な薬品を使いものにならなくしたのも、あなたでしょう!」 「んもう」 女は頬を膨らませた。妖艶な美しさと、幼さの同居した風貌に、その表情はひどく似合っていた。 「違うっていってるでしょう。どうしてそういう考え方しか、できないのかしら」 嘘偽りを口にしているという様子ではなかった。セリウスは眉をひそめる。 しかし、思考に入ろうとすると、たちまち脳が麻痺を始めた。急いで頭を振る。このままでは、長くは持たないだろう。 この女に騙されてはいけない。事実、治療院の長を手にかけるところを、セリウスは見ていたのだ。助けようと思っていたわけではない。それでも、見殺しにするつもりなどなかった。 「生きている必要のない人間を、生かしておこうとは思わないの。だって、邪魔でしょう。でも、その他大勢はね、どうでもいいのよ。そうね、医学の発展を阻むものでないのなら」 その他大勢──その乱暴な表現に、激しく憤る。しかしもう、セリウスの声は言葉にならなかった。呻き声だけが、口の隙間から漏れただけだ。 「だいじょうぶよ。もうすぐ、優秀なパジェンズの医師が、この町に来る。そうじゃなくても、あなたなら、お仲間が助けてくれるかしら? あなたたちのしてることはね、わたし、キライじゃないのよ」 なにも見えなくなる。いま自分が、まだ顔を上げられているのか、それとも倒れてしまっているのか、それすらはっきりしない。痺れきった感覚の中で、せめて彼女のいっていることだけは記憶しておこうと、耳に意識を集中させた。 「わたしが治してあげられれば、良かったのかも知れないけど」 もしかしたら、もう聞こえていないと思っているのかもしれなかった。女の声は極端に小さく、独り言のようだった。 「わたしにももう、そんな余裕は、ないの」 |
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