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Elixir
第二章 ランセスタ 2



 洞窟から出るころには、すっかり夜が更けていた。
 結局、盗賊団の全員が『愛の宿』へと転がり込むことになり、宿の女たちは面食らっていたが、代金さえ払ってもらえるのならば問題なしというスタンスらしい。困惑した表情は一瞬のことで、すぐに営業スマイルが開花した。感謝までされてしまい、ロイスとしてはやや複雑だ。この美しい宿に荒くれ者たちは似合わないなと、実際に目にして後悔したことは、黙っておくことにする。
 夕食の風景はまるで大家族の宴会だった。もとよりロイス以外には客がいなかったこの宿の、いちばん大きな部屋を貸し切り、ダートの快気祝いもあって飲めや歌えの大騒ぎだ。料理は女たちの手によって次々と運ばれ、酒もどんどん消費されていく。なんという生命力だろうとロイスは呆れるが、見ていて不快になる類のものではない。彼らを助けたことは正しかったのだと、誇らしい気にすらなってくる。
「ねえねえ、それで要するに、どういうことだったの? もっとちゃんと聞きたいわ」
 ロイスの姿を見るなり、真っ先に謝罪してきたミルカが、ロイスにべったりと身体をつけ猫なで声を出す。最初に盗賊団の三人を手引きした女だ。今日新しく来た客のところへ連れて行け──金を渡され、ナイフをちらつかされ、そういわれたらしい。
 ロイスが快く許すと、彼女はお詫びにと食事の世話を買って出た。世話といっても、ロイスにまとわりついて、甲斐甲斐しく酒と料理を口に運ぶだけだ。ロイスは彼女の手にしたフォークからハムを口に入れ、喉を鳴らす。
「つまり、僕とキルの大活躍によって、この汗臭い男たちの命が助かったということさ。素晴らしい話だろう?」
「いやん、ロイスちゃん、かっこいい!」
 ミルカが身体を揺する。ついでに胸が揺れる。ロイスは感涙した。やはり、女性はこうでなくてはならない。
「でもあの女の子、すごいのねえ。臭いだけで、その水が危険だって、わかっちゃったんでしょ?」
「まあ実際には、飲まない限りは、そこまで危険なものでもなかったらしいがね。そこは僕がこういったのさ。キル! その水は危ない! 決して飲んではいけないぞ!」
「いやん、ロイスちゃん、かっこいい!」
 洞窟にはたくさんの病人がいて、キルリアーナが彼らを治療したという事実は伏せてあった。パジェンズという名を隠したとしても、ランセスタ以外の医療行為は重大な犯罪だ。ただ単純に、危険な水場から男たちを助け出し、ここへ避難してきたということになっている。
 しかしそれでも、武勇伝としては充分だった。実際に男たちはキルリアーナとロイスに感謝をし、ひっきりなしに酒をつぎにきた。宿の女たちの目には、彼らはヒーローに見えることだろう。
 とはいえ、キルリアーナは早々に姿を消していた。自分の宿に帰るといい残し、本当にいなくなってしまった。明日またここへ来るようロイスは伝えたが、考えてみればそこに強制する力はない。
 もしかしたら、もう二度と、会えないのではないか──
 そんな不安がよぎったのは一瞬のことだった。なんといってもロイスは、もうすっかりできあがっていた。
「ロイスさん、あんたには世話になった」
 新たに酒をつぎに来た男が、頭を下げてロイスの隣に座る。ロイスは特に世話をした覚えもないが、もう細かいことを気にするような状況ではない。
「いやあ、なあに。たいしたことはしてないさ」
 決まり文句のようにそういうと、男はいやいやと笑いながら首を振る。もう幾度となく繰り返されたやりとりだ。男たちのほうも、ほぼ全員が酔っている。
「聞いていたとおりだな、パジェ……ああ、ええと、あのお嬢さん。キルリアーナといったか? お頭を助けてくれて、本当に感謝してるんだ」
 一応は理性が働くのだろう、名は口にしない。ロイスに胸を押しつけているミルカも、気づかなかったようだ。
 ふと、ロイスは気になった。どういう経緯で、キルリアーナがこの宿にいると知ったのだろう。聞いていたとおりという言葉にも引っかかりを覚える。顔を見ると、男は最初にこの宿に来た人物のうちの一人だった。ロイスは新しい酒が欲しいとミルカに告げて、彼女をやんわりと遠ざけた。
「どうして、キルがこの宿にいることを? 彼女がパジェンズの医師であるということにも確証を持っていたようだが。手配書を見て、捜したのかな。今後の参考に、ぜひ聞かせていただきたいね」
 ロイスがキルリアーナを見つけたのは、ほとんど偶然だ。手配書を見てこの町にいることを知り、聞き込みの結果裏通りに出没するということも突き止めたが、手がかりはそれだけだった。視力には自信のあるロイスは、できるだけ高いところから見下ろして捜すというシンプルな作戦で、何日もかけて見つけ出したのだ。
「ああ、たしかに、聞いてた宿にはいなかったな。ただそこに、サーラさんがいたからな。あの人が教えてくれたんだ。優秀なパジェンズの医師なら、この宿に男といるってさ」
「ふむ、なるほど……。……うん?」
 うなずいて、それから首をかしげる。
 あまりにもさらりと説明されてしまい、理解が追いつかない。それでも、ロイスの頭の中で、静かに警鐘が鳴った。
 酔っている場合ではないと、脳が告げる。サーラというのは誰だったか。思い出すまでもない、その名は聞いたばかりだ。
 ダートをはじめとする盗賊団の面々を、命の危機に陥れたのではないかと疑われる人物。そして、キルリアーナにとっての「すべて」。
 キルリアーナは、サーラという人物を追って旅をしているのではなかったか。彼女の宿にいたということは、もしかしたら今頃は、出会えているのだろうか。
「いや、ちょっと……ちょっと、待ちたまえ」
 二人が出会えているという可能性を、ロイスは打ち消した。
 なにかがおかしい。
 自らもパジェンズの医師ならば、ダートたちを治すことができたはずだ。わざわざキルリアーナの居場所を伝える必要はない。
 そもそも、なぜ、キルリアーナの行動を知っているのか。
 男というのは、ロイスのことだろう。ロイスがキルリアーナをここへ連れてくる様子を、どこかで見ていたのだろうか。キルリアーナからは隠れて、陰から、密かに。
「その、サーラというのは……いったい、どういう人物なんだ?」
 真剣な声になる。男の方はまだ酔いの最中にいるようで、軽い調子で肩をすくめた。
「簡単にいやあ、男好きだな。お頭だけじゃなく、何人があのひとの色香に惑わされたか。まあオレは、数少ない例外の一人だが。悪いひとではないだろうとは、思うけどなあ。美人だし」
「君たちのお頭は、そのサーラが水に毒を流したのではと疑っているようだったが」
「ああ?」
 男は素っ頓狂な声をあげた。短く刈り上げた髪をかきむしるようにして、笑う。
「そりゃあ、ないだろう。こんな不衛生なところにいたらいつ病気になるかわからないって、オレはサーラさんに叱られたぐらいだ。もし病気になるようなことがあったら、町外れの宿にいるパジェンズの医師に頼れって、あのお嬢さんのことを教えてくれたしな。おかげで、仲間たちは助かった。感謝してるよ」
 最後の言葉は、ロイスにではなく、サーラへの思いのようだった。色香に惑わされることはなかったものの、好感は抱いていたらしい。
「ふむ……」
 釈然としない。ロイスは顎を撫で、思案する。
 サーラという人物について判断するには、まだ情報が少なすぎた。洞窟の水は、人為的に汚されたものなのかどうか。彼の話が事実だとしても、それはサーラの無罪を証明することにはならないだろう。また、サーラが手引きしたということを、キルリアーナは知るに至っているのか。そもそも、二人はどういう関係なのか。
 もし、キルリアーナが一方的に追っていて、サーラが逃げているという関係図ならば、辻褄が合わないこともない。だがそれも、妙な話だ。キルリアーナは純粋にサーラを慕っているようなのに。
「ロイスさん、手が止まってるぜ。もう限界か?」
 自分はどんどん酒を流し込みながら、男が笑う。ロイスは少しずつ酔いの冷めてきた脳をさらに覚醒させようと、テーブルにある水差しから一気に水を飲んだ。普段ならそんな品のないことはしないが、状況が状況だ。
 気が急いていた。
 漠然とした嫌な予感に覆われていく。
「ダートは? 少し、話がしたいんだが」
 サーラについてもっとも詳しい人物といえば、キルリアーナを除いてはダートということになるだろう。しかし男はにやりと笑う。
「あのお嬢さんに会いにいくってよ。どっかサーラさんに似てるしな。どっぷりハマってたお頭なら、惑わされたっておかしくねえ。酔った勢いで、いまごろはイイ仲なんじゃねえの」
「似てる?」
 ロイスは思い切り眉を寄せる。
 彼の脳裏に描かれていたサーラ嬢の想像図とキルリアーナでは、まったく似ても似つかない。むしろ対極だ。
 しかし、それどころではなかった。これはひょっとすると、危機というやつなのではないだろうかと、ロイスの心臓が激しく波打つ。
「彼女の宿がどこなのか、早急に教えていただこう」
 早口でそういうと、男はどう解釈したのか、さらに下卑た笑い方をした。あっさりと宿の場所を教え、頑張れよと付け加える。
 愛の宿からそう遠くはない場所だった。ロイスは酒を手にやってきたミルカに外出の旨を伝え、外套を取りに部屋へ戻ることもせず、そのまま宿を飛び出した。
 嫌な予感が、膨らんでいく。彼女のボディーガードをすると誓ったのに、なぜ一人にしたのだろうかと、後悔の念が押し寄せる。しかし、悔いている場合ではなかった。感傷に浸るのはあとからでも充分だ。
 石畳を駆け抜ける。この町でパジェンズの医師を捜している間に、随分地理に詳しくなった。最短距離を行ける自信がある。
 件の宿は、まるで民家のような佇まいだった。蔦の絡みついた屋根と、歴史を感じさせる壁。どこにでもある建物だ。ひっそりと静まり返った裏通り、並ぶ小さな家々の間に、なんの違和感もなく、堂々と景色にとけ込んでいた。宿としての看板もなにもない。洞窟とは別の意味で、隠れ家にうってつけだ。
 見上げた二階の窓にはカーテンが掛かっているが、灯りは漏れていなかった。あそこにいるとして、もう眠っているのだろうか。
 正面から戸を叩こうとして、思い直す。裏口かなにか、もっと人目に付かない通用口があるかもしれない。長身を跳躍させ、形ばかりの塀を飛び越えると、身を屈めて裏へ回り込む。思った通り、そこに小さな出入り口があった。
 鍵はかかっていない。怪訝に思いつつ押し開けると、かかっていなかったのではなく、どうやら壊されたようだ。ひやりと背中が冷たくなる。
 イイ仲なんじゃねえの──男の下劣な笑みが頭から消えない。キルリアーナに限って、それはない。ないと思いたかった。しかし盗賊団の頭が、もし力ずくでとなれば、彼女に太刀打ちできるだろうか。
 大声で名を呼びそうになるのを堪えて、通用口から滑り込む。上と下、すぐに待ち受けていた階段に一瞬足を止めるが、下への階段は隠されていたのか、床と同じ色の開き戸が開いたままになっていた。だれかが、ここへ来たのだ。迷わず地下へと進む。
 あえて、足音は殺さなかった。第三者が来たことを知らせようと、けたたましく音をたてながら、一気に駆け下りる。
 階段を下りた突き当たりに、扉が一つ。押しても引いても開く様子がない。ロイスはもう、細かいことは考えなかった。思い切り拳を降りあげて、叩きつける。
「ここにいるのか!」
 大声で叫ぶ。部屋の中で、気配がした。
「キル! キルリアーナ!」
 名を呼ぶ。本当に、いるのだろうか。どのような状態なのだろう。もし、男のいっていたとおり、ダートがここへ来ていたのだとしたら──
 大きく首を振り、最悪の想像を打ち消す。何度も、扉を叩いた。
「……ロイス?」
 応える、小さな声。キルリアーナだ。
 その声だけで、充分だった。ロイスはぎりぎりまで後ろに下がって、息を整える。体当たりで、扉を壊すつもりだった。守ると約束した少女が危機に晒されているかもしれないのだ。躊躇している場合ではない。
「いまいくぞ、キル!」
 床を蹴り、走り出す。
 しかしまさに扉にぶつかる瞬間、それはまるでロイスの身体をかわすかのように、奥へと遠ざかった。
 勢いだけが空回りし、ロイスはそのまま室内へとつんのめる。足下に、なにかが転がっていた。ちょうどそこへ足を引っかけて、倒れ込む。
 床に転がっていたのは、ダートだった。ロイスがやったのではない。最初から、気を失っていたのだ。
「……な……?」
 混乱しつつ、あたりを見回す。古びた床と、ベッド。壁を埋め尽くした棚と、見たことのないような機材。
 そして、開けた扉にもたれかかるようにして、あきれ顔のキルリアーナが立っていた。
「なにやってんだよ、あんた」
 彼女は、一見、いつもと同じだった。
 いつもというほどに、ロイスはキルリアーナのことを知らない。しかしそれでも、平静を装い、冷静であろうとしているのが、わかった。
 慌てて直したのだろう。シャツのボタンをかけ違えている。頬がかすかに、紅潮している。
 そしてなにより、その足が、手が、かすかに震えていた。
「キル……!」
 ロイスはひどく悔やんだ。彼女はまさに、いちばん恐ろしい想像の、そう遠くないところにいたのだ。
「だいじょうぶ、だったのか?」
 言葉を選びつつ、尋ねる。キルリアーナは目をまたたかせ、それから肩をすくめた。
「別に。なにがあっても、だいじょうぶだ。問題ない。いっただろう、オレは子を生まない」
 まるで見当外れのことをいう。ロイスは苛立ちを覚えた。
「なんの話をしているんだ。そういうことをいってるんじゃない」
「そういうことさ。異性との交わりは、パジェンズにとってのプラスだ。新しい体液を得る。生命の源だ。それは進化につながる。昔から、そうしてきた。それがあたりまえだ。口出しするなよ、坊ちゃん」
「なら、どうして……!」
 怒鳴りつけようとして、黙る。
 洞窟で、病に倒れたダートの血を啜ったキルリーナ。体液を欲したというサーラ。
 ロイスは、パジェンズの医師というものがどういう存在なのか、本当のところは知らない。
 だが、おぼろげながら、一つの可能性に行き着いていた。
 彼女のいっていることは、真実なのだろう。
 キルリアーナがダートを治したのは、口づけによってだった。つまり、自らの唾液──体液を薬としたのだ。
 それは、体内で作り出された秘薬。
 生成するためには、材料が必要となる。
 その材料がなんであるのか、ロイスはわかった気がした。
 そしてそれが可能だからこそ、あらゆる病を治すと謳われる、パジェンズの医師なのだ。
「キルリアーナ」
 ロイスは、立ち上がる。
 キルリアーナの正面に、立った。
 だいじょうぶだというのならば、どうしていま、ダートが倒れているのか。
 どうしていつも、女らしさを排除して、少年のように振る舞っているのか。
 どうして、震えて、いまにも泣きそうな顔をしているのか。
 答えは簡単だった。
 彼女は、ひとりの、少女なのだ。
「改めて、誓う」
 キルリアーナの手を取る。気丈に振る舞う表情は変わらない。しかし震えた手は、びくりと怯えたようだった。あえて力を込めて、握りしめる。
 ロイスは、膝をついた。
 手の甲を掲げるようにして、頭を垂れる。
「僕は命をかけて、君を──君の心を、守ってみせる」
 キルリアーナは、答えなかった。