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Elixir
第二章 ランセスタ 1




 ──魔法使いというのは、本当にいるんだよ。

 そう教えられたのを覚えている。
 あるいはそれは、おとぎ話だったのかもしれない。
 枕元で語られるその物語は、ランセスタ兄弟にとって、歴史であり、誇りであり、憧れだった。

 ──魔法使いはね、永遠の命を持っていたんだ。
 そして、それを分け与えることができた。
 どんな怪我も、どんな病気も、治すことができた。
 魔法使いのおかげで、人間は怪我や病気に苦しむことなく、長く長く生きることができたのさ。

 彼らの乳母は、毎晩のようにそう話して聞かせた。
 ランセスタ兄弟は、魔法使いの物語に思いを馳せた。どんなに素晴らしい人物なのだろう。心優しく、素晴らしい存在に違いない。

 ──けれど、人間は増えすぎた。いくら魔法使いでも、すべての人間を治すことはできなかった。
 そこで、あるひとりの人間に、『力』をお与えになった。
 わかるかい、坊ちゃんたち。
 このランセスタは、その昔、魔法使いから『力』を授かった、特別な一族なんだよ。
 だからランセスタは、魔法使いに代わって、人々の怪我や病気と、戦わなくてはいけない。
 治し続けなければいけない。
 それが、ランセスタだけに許された特権であり、使命なのだからね。

 どうやったら、魔法使いに会えるの?
 そう聞いたのは、兄だっただろうか、それとも弟だっただろうか。どちらにしろ、幼い二人の興味は、その魔法使いのことでいっぱいだった。
 魔法使いに、会ってみたかった。
 ランセスタにとっての「魔法使い」は、人々にとっての「神」だった。
 もし本当に自分たちが特別ならば、人々から神と讃えられるその存在に、会うことができるはずだと思われた。

 ──魔法使いに、会いたいのかい?

 乳母が笑う。
 その笑顔の意味を、そのとき、彼らは知ることができなかった。
 ランセスタ一族こそが、いまはもう魔法使いと同義なのだと、彼らの両親はいっていた。
 しかし、きっと、そうではない。
 そういうことでは、ない。

 ──魔法使いというのは、本当にいるんだよ。

 乳母は繰り返す。
 呪文のように、ベッドの脇で。兄弟の頭を撫でながら。

 ──けれどこれは、物語さ。


   *


 短い茶の髪が揺れている。
 せわしなくてきぱきと、キルリアーナは洞窟内を動き回っていた。
 一度洞窟を出て、清潔な布や機材、乾燥した草の束を運び込んだかと思うと、彼女は惜しげなくそれを病人に使っていった。
 彼女の弁によると、洞窟を流れる水から有害な物質が出ていたらしい。健康な人間が多少吸うぐらいならばそれほど問題はないが、ここで暮らすとなると命の危険もあるのだとか。とはいえそれも、彼女が調合した薬品により、あっという間に中和されたようだった。その作業すら流れのうちの一つであるかのように、キルリアーナは止まることなく動き続けている。
 ロイスには目もくれない。
 新品だったはずの服は破れたまま、汚れなど気にせず立ち回るので、すでに使い古したかのようにぼろぼろになっている。ひと段落ついたら、また新しい服を──今度はもう少し女性的なものを──用意しようかと、ロイスはぼんやり考える。
 キルリアーナは終始不機嫌そうだ。仏頂面で、ときには文句や愚痴をこぼしているのが聞こえてくる。ただし、治療の手を止めることはない。
 その姿を、ロイスは目で追わずにはいられなかった。
「魔法使い……」
 口に出しているという自覚はなかった。
「あ? なんだって」
 苛立ちのままにキルリアーナが振り返り、ロイスは慌てて首を振る。なんでもないと答えたが、キルリアーナは返事を待つ様子はなかった。さっさとロイスの前を通り過ぎる。
 ロイスはため息を吐き出した。
 キルリアーナから指示されたとおり、岩の上で草をすりつぶし続けて、どれほどの時間が経っただろう。いわゆる民間療法に準ずるものではあるのだろうが、なんともいえない、複雑な気分になる。
 ロイスがしているのは、薬品を作り出す手伝いだ。
 それは、ランセスタに属さない人間が行えば、大罪だった。そういう意味ではロイスはランセスタの血を引いているので、罪にはならないといえなくもない。
 とはいえ、そんなものは詭弁だろう。
「彼らが、町のランセスタ治療院まで行くのは、非現実的だな」
 よほど小さな規模でない限り、町と呼ばれる場所にはランセスタの治療院がある。人々は怪我や病を治すため、治療院を訪れ、寄付をし、祈りを捧げ、治療を受ける。
 だがそれは、ある程度地位の高い人間に限られたことだった。
 庶民は祈りを捧げ、寄付をするだけで終わりだ。
 ほとんどの場合、人々がそのことに疑問を持つことはない。それは一種の信仰だった。古くからそれが当然とされ、ランセスタ以外の医療行為が発覚しようものなら、厳重に取り締まられてきたのだ。
「これが、現実か」
 ロイスは家を出た身だ。ランセスタの医術に対する絶対的信頼などというものは、もうない。
 それでも、こうして目の当たりにすると、思わずにはいられなかった。
 いままで病に冒されて、充分な治療を受けられず、命を落としていった人間がいったいどれほどいるのだろう。
 そこまで考えて、ロイスは自嘲する。
 治療院へ行ったところで、治るとも限らないのだ。
「忙しそうだが。ちょっといいか」
 声をかけられ、ロイスは思考の波から引き上げられた。焦点が定まると、岩の上で、これ以上は細かくなれませんとばかりに草が悲鳴をあげているのに気づいてしまった。いつの間にか岩は緑色に染まり、周囲に粉々の草が飛び散っている。
 やってしまったと情けない顔をして、声のほうを見上げた。
「おっと。これはこれは……ええと……お頭さん、だったかな?」
 声をかけてきたのは、キルリアーナが最初に治した若い男だった。男は小さくうなずいて、ロイスの隣に胡座をかく。
「ダートだ。世話になった。いや、まだなっている最中だが。礼をいおうとしたんだが、追いやられた。それならあんたにと思ってな。あんたは、助手なのか?」
「いや、ボディーガード兼、保護者だ。わかった、責任を持って伝えておくよ」
 助ける必要はないと思っていたロイスにしてみれば、礼をいわれても複雑なものがあったが、ここは伝言役に徹することにする。
「そうしてくれると、助かる。汚い金はいらないといわれるかもしれないが、できる限りの礼をさせてくれ」
「ううん……どうかな」
 言葉を濁す。キルリアーナなら、躊躇なく受け取りそうだ。彼女の性格を熟知しているわけではなかったが、なんとなくそんな気がした。とはいえ、金のためにやったんじゃないといって断る姿も、容易に想像できる。
 液化しかけている草を手で集めながら、ロイスはちらりと隣を見る。ダートと名乗った若き盗賊頭は、難しい顔をしてじっとキルリアーナを見ていた。用件はまだ終わっていないらしい。
「まだ、なにか?」
 促すと、一度唇を横に引く。
「……名前は?」
 ロイスは目をまたたかせた。
「僕はロイス。二十四歳、独身だ」
「いや、あっちだ。あれはパジェンズの医師なんだろう」
「ああ」
 どうやら、名乗ってすらもらえなかったらしい。隠すことでもないだろうと、ロイスは素直に伝える。
「彼女はキルリアーナ・パジェンズ。まるで少年のようだが、女性だ」
 誤解のないよう、性別情報を加えることも忘れない。ダートは髪に指を入れて、ぐしゃりと撫でながら曖昧にうなずいた。
「知ってる。パジェンズの医師は女性しかなれないらしいな。それでその……これは助けてもらったこととはまた別の問題で……あんたに質問というか、忠告というか、まあ、口出しすることじゃないんだろうが」
「煮えきらないな」
 いいたいことがあるのは間違いないようだったが、どうもはっきりしない。ロイスは作業をやめて、ダートに向き直った。
「いっておくが、僕はほとんどなにも知らない。パジェンズの医師が女性でなくてはなれないという話も初耳だ。だから、質問なら無駄だと思うがね。というより……」
 声を潜める。キルリアーナが二人の前を通り過ぎたからだ。少しだけ待って、続けた。
「どうしてそんなに詳しいのかな? そんな話は、よほどの情報通でも、知らないことだと思うがね」
 ロイスがキルリアーナという人物について、知識を持たないのは事実だ。最初に会ったときには会話を交わせる状態ではなかったし、再会を果たしたといってもまだ一日と経っていない。
 しかし、命の恩人であるキルリアーナを探すため、ロイスがあらゆる手段で必死に情報を集めたことも、事実だった。パジェンズの医師の名は、ランセスタが医療技術を手にした当時の記録にも見ることができる。つまりいまに至るまでに少なくとも数人はいるはずだが、その全員が女性であり、女性しかなれないという話は聞いたことがない。
 ダートは首をかきむしるような仕草をして、諦めたように息を吐き出した。声のトーンを低くする。
「なら、いっておいたほうが良さそうだ。少し前に、オレはパジェンズの医師に会った。もちろん、今回オレを助けてくれたお嬢さんとは別の、だ」
「ほう」
 ロイスは眉を上げる。現時点でパジェンズの医師と呼ばれる人間が一人だけではないという可能性については、考えたことがあった。だが、彼がいままで目にしたことのある手配書は、キルリアーナのものだけだ。
「それは間違いなく、ほんものだったのかな」
 自然、そういう質問になる。ダートは苦笑した。
「そういわれると、ニセモノだったということはあるかもしれない。いや、ただ……普通の人間とは、なんというか、様子が違っていた。恐ろしく美しかったよ。オレは彼女に没頭したんだ。彼女と数日間、共に暮らした。離れることができなかった。彼女はオレの……体液を、欲しがった。オレは、それに応えた」
「たいえき?」
 ロイスは繰り返した。聞き慣れない表現だ。
「というと?」
「彼女がそういったんだよ。体液をくれって。血や、汗や、唾液や……」
「待ってくれ」
 ロイスは急いで制止した。彼の様子から、いわんとするところを、おおよそ理解する。
「つまり君は……いや、いい、わかった。こういうことだな、パジェンズの医師を名乗る女性と、愛し合っていたと」
「あいしあう? ああ、まあ……どうかな」
 まるで愛し合うという単語を初めて聞いたかのような反応に、ロイスは顔をしかめた。なんと野蛮な人種だろう。
 思わずキルリアーナのいるほうを見るが、こちらの会話などまったく気にしていないようだ。少女に聞かせたい話ではない。ほっと息をついて、ダートを睨みつける。
「そんな話を、彼女にするつもりだったのか」
 ダートは目をまたたかせた。なにを怒っているのかわからないといった様子で、それでも否定する。
「いや、誤解するな。あんたにいってるんだ。まだ、続きがある」
「他人の愛の営みや、ましてやその嗜好の話など、まったく興味がないが」
「その続きだ」
 ロイスはいらいらと腕を組む。育ちの良さを自負しているロイスは、いわゆる下品な話題が好きではない。もしするのならば、女性としたい。それももっとオブラートに包んで、上品に、楽しみながら。
 なぜ会ったばかりの盗賊頭から、そんな話を聞かされなければならないのか。
「彼女は体液を得ることで、薬を作るとかなんとか……要するに、医療を目的にしてるといっていた。まあだから、彼女にしてみれば、愛なんてもんはなかったんだろう。ハマったのはオレだけじゃなかったらしい。ここにいる仲間たちも、何人かは」
「……?」
 それはいったいどういう女性なのか。完全にロイスの想像を超えていた。
「つまり?」
 いいたいことがわからない。漠然とわかるような気もしたが、ロイスは無意識にその考えを押し止めた。
「つまり」
 ダートはさらに身を低くする。
「あくまで予想だが。今回のこの騒動は、そのパジェンズの医師の仕業かもしれない。オレが動けなくなったのは、彼女がこの場を去ってすぐだった。ほかにもダウンしてるやつらは、彼女と親しくしていたやつばかりだ。はめられたんだ、オレたちは。だからあんたも、気をつけな」
 ロイスはゆっくりと息を吸い込んで、それから倍以上の時間をかけて、空気をすべて吐き出していった。
 そうでもしなければ、怒りのままに怒鳴りつけてしまいそうだった。
 この男は、なにをいっているというのか。
「仮に、そうだったとしよう」
 そう前置きをする。件のパジェンズの医師がどういうつもりで彼らの命を狙ったのか、そもそも本当にパジェンズの医師なのか、疑問に思うことは山ほどあったが、彼の話を根本から否定してもどうにもならない。
 それでも、わかっていることが一つあった。
 それは人として、ロイスが怒りを覚えるのには充分だった。キルリアーナが、あらぬ疑いをかけられている。突然連れてこられたこの洞穴で、献身的に治療を続けるキルリアーナに対して、それはあまりにも失礼だ。
「いわれなくてもわかっているだろうが。それは完全に、君の自業自得だ。そしてもちろん、キルリアーナには関係のないことだ。彼女は君を、治した」
「だが、血を飲んだ」
 ダートは譲らなかった。その目はいつの間にか、キルリアーナを追っている。
「同じ臭いがするんだ、サーラと。保護者だかなんだか知らないが、あんたも魔女と一緒にいるつもりなら、覚悟するんだな」
「魔女だと!」
 とうとう、ロイスは叫んだ。立ち上がり、ダートを見下ろす。蹴りとばしそうになるのを堪えながら、かろうじて紳士然と、両足を強く地面に押しつける。
「彼女を見ろ! 君のいう女性のような美しさや妖しい魅力とは、ほど遠い! そんなことは見ればわかることだ! どう見ても少年じゃないか!」
 いい終わると同時に、ロイスの頭は重い衝撃を受けた。
 ごく正確な軌道で飛んできた岩が、額に命中したのだ。
「ろくに薬草も扱えない坊ちゃんが、ずいぶん楽しそうだな、ああ?」
 目の据わったキルリアーナが、ゆっくりと近づいてくる。ロイスは揺れる脳味噌で急いで考えた。なぜ彼女は怒っているのか。たったいま、まさに彼女のために、自分が怒ったところではなかったか。
「悪かった」
 ダートが礼を告げたときよりも深く真摯に、頭を下げている。
「ちがう……ちがうんだ、キル。この男が、君に会う前、パジェンズの医師を名乗る女性に会ったというから……」
「聞いたよ。サーラだろ」
 意外なことに、キルリアーナの表情が明るくなった。ますますわけがわからなくなり、ロイスは痛む額を押さえ、眉を寄せる。
 考えてみれば、特に口止めをしていなければ、キルリアーナと接触したほかの盗賊団のメンバーが、例のパジェンズの医師について語るのはごく自然なことだ。恨みがましくダートを見下ろすと、彼は彼で仲間たちに睨みをきかせているところだった。軽々しく話すな、ということらしい。
「知り合いなのか?」
 訊いたのはダートだ。あっさりと、キルリアーナはうなずく。
「サーラについて知ってることがあるなら、教えてくれ。オレはもうずっと、サーラを追っている」
 サーラという女性がここにいたという情報に、単純に喜んでいるようだった。動き通しで疲れもあるだろうと思われたが、その表情にはまったく陰がない。
「よほど、その……サーラさんとは、親しいみたいだね?」
 脳内で様々な憶測が飛び交うなか、努めて冷静に、ロイスがいう。キルリアーナは初めて少女のような笑顔で、はにかむようにしてうなずいた。
「サーラは、オレのすべてだ」
「すべて」
 ぽつりと、繰り返す。
 ひどく真っ直ぐなその言葉に、ロイスは胸のざわつきを覚えた。