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第四章 二つの世界 2

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   二


 暗闇が訪れ、どれほどの時間が経ったろう。できるだけ物音をたてないように、フェーヴは身体を起こした。
 寝なかったわけではない。最低限の睡眠はとった。考えごとがあると眠れないというほどに繊細ではない。
 目を閉じて、ゆっくりと開ける。暗闇にだんだん目が慣れてきて、部屋の隅にスピラーリが転がっているのが見えた。長いつきあいだが、彼が目の届く場所で睡眠をとるなど、実に珍しいことだ。
 ショコラの姿はない。メトルがあと一部屋だけ確保できるといい、ショコラだけがそちらへ移ったのだ。
 椅子にかけておいたコートを手に取る。寒くはなかったが、それを着込んだ。帽子がないのが落ち着かないが、贅沢はいっていられない。
 ドアを開けようとして、既視感に苦笑した。
 サンドリユを出たときも、こうして、ひとりだけで動いたのだ。あのときは、ショコラに追いつかれてしまったが。
「そうやって、また単独行動。どうせ僕からは逃げられないんだから、声をかけてくれてもいいんじゃないかな」
 声に振り返ると、つい先ほどまで横になっていたはずのスピラーリが、悠然と腕を組んでいた。眠そうな様子もない。最初から寝てなどいなかったのかもしれない。
「ボクからは逃げられない、とかいうなよ。生きる希望を失うだろ」
「いっそそれを生き甲斐にしたらどうだい」
 冗談だとわかっていても、心底いやだった。顔を歪め、かまわずに出ていこうとする。
「それで、どこに行くのかな?」
 無視するのは簡単だった。彼のいうとおり、答えなかったところで、彼から逃れられるというわけではないのだ。ならば、いう必要性を感じない。
 それでも、フェーヴはスピラーリに向き直った。
「あんたが答えないだろうってことはわかってるが──聞きたいことなら山ほどある」
「おっと、質問したのは僕なんだけどね。まあ、いいとも、なんでも聞いてごらん」
 スピラーリは薄く笑った。答える、とはいわず、聞いてごらん、と促す。それが彼のやり口だ。
 フェーヴは素早く脳を回転させた。聞きたいことをただ尋ねたのでは、彼は決して答えないだろう。少しでも、情報を引き出さなければならない。
「スピラーリ、俺はあんたを信用しない」
 そう、切り出した。スピラーリが笑う気配がする。彼は部屋の端のテーブルまで歩み寄ると、その上のランプに火を灯した。
「なぜ?」
 ただそれだけのことを、ゆっくりと聞き返してくる。照らされた表情からは、感情は読みとれない。
「あんたは、俺の監視者だ。協力者じゃない。女帝といた、カリツォーってやつとはちがってな」
「カリツォーだって監視者さ」
「だが同時に、協力者だった」
 フェーヴはそういいきった。それはスピラーリの興味に触れたようで、彼はおもしろそうに片眉を上げる。
「それで?」
 しかし、出てきた言葉はそれだけだった。フェーヴは辛抱強く、先を続けた。
「あんたは、決めかねてるんだろう、スピラーリ。あのとき、城に出てこられなかったのも、城に侵入するといった俺の姿を消す程度のことしかしなかったのも、堂々と立場に反することができなかったからだ。このまま向こう側に立つか、それとも俺に……こっち側に協力するか、迷ってるんだ。ちがうか?」
「ふむ」
 スピラーリは腕を組んだ。
「なかなか、おもしろいことをいうね」
 そう笑って、沈黙が落ちる。やがてスピラーリは、フェーヴに向かって人差し指を立てると、あたりを見回した。壁際の、ほとんど本の入っていない書棚に目を留めると、下の引き出しを開ける。そこから、紙の束とペン、インク壷を取り出した。
「迷っていた、というのは、まちがいじゃない。カリツォーと僕は……まあ、友人ってやつでね。やつがアンファンに味方するんじゃないかと気づいたときには、驚いたさ」
 テーブルに戻り、スピラーリは紙にペンを走らせた。怪訝に思い、フェーヴもまたドアから離れ、紙をのぞき込む。
『話を合わせて。ここに書くことは、声に出してはいけない。いまなら見えてはいないだろうから』
 紙には、そう書かれていた。
「……カリツォーが、女帝に協力してたってのは、あんたがそんなに驚くことなのか?」
 混乱しそうになる脳内をどうにか整理しながら、フェーヴはいわれたとおりに話を合わせた。スピラーリはうなずく。
「僕らは、監視することが仕事だ。勘違いしてもらっちゃ困るけど、監視しているだけで、特別に敵意があるわけじゃない。たとえば君たちがだれかを愛し、そのだれかが死ぬのは、僕らとは関係ない。それは、そういうシステムになっているってだけだ。僕らはただ、それを見届け、愛されたエートルを回収するだけさ」
 そういいながらも、手が止まることはない。おそらく、口にしている言葉とはまったく異なることを書きつづっているのだろう。
 しかし、フェーヴにとっては、紙になにが書かれているのかということよりも、いま聞いたことのほうがよほど問題だった。スピラーリの言葉を、何度も脳内で反芻する。
「システム……」
 初めて聞く言葉だ。スピラーリは時折、よくわからない言葉を口にした。システムというのは、なにを意味するのだろう。
「ああ、ごめん。つまり、そういうことになってる、ってことさ。それは、この世界の決まりごとだ。君にも、もちろん僕にも、どうにもできないレベルのね」
「──ふざけるな!」
 思わず、フェーヴは吠えていた。どうにもできないといわれ、納得するわけにはいかなかった。それでは、まったく不条理だ。
 オリキュレールの最期がよみがえる。この世界は狂っていると、そういいきった孤高の女帝。
 彼女は、すべてを知っていたのだ。
「ふざけてなんかいないさ。つまり、僕ら監視者にとって監視することはただの仕事で、君たちに特別な敵意もなければ、好意もない。本来はね。でも、カリツォーはちがった」
 スピラーリはペンを置くと、音をたてずにフェーヴに差し出した。感情が爆発しそうになるのを抑え、フェーヴはそれをひったくる。
 走り書きのような、小さな字が並んでいた。
 フェーヴは息をのんだ。
「バカな話だ。エートルに味方するなんてね。ひょっとしたら、愛でもあったかな。いったことがあったね、あいつは無類の女好きだって」
「…………」
 フェーヴは心臓を落ち着かせた。理解することは難しかった。だが、いまやるべきことは、よくわかった。
 息を吸い込む。
「つまりあんたは、俺に協力する気はないってことだな」
 押し殺した声で、そう問いを投げる。スピラーリは声を出して笑った。
「なにをいまさら! もちろんだよ、フェーヴ君。僕は向こう側の人間さ。迷っていたというのはまちがいじゃないが、カリツォーに惑わされていたといってもいいね。でもそれももう、吹っ切れた。君が、僕になにかを期待していたのだとすれば──」
 スピラーリは、フェーヴに近づいた。鼻先が触れるほどに顔を寄せ、囁く。
「──愚かだとしか、いいようがない。運命を悲観し、次々に自害していったほかのアンファンや、叶えようもない夢を見た、あの女帝のようにね」
「よく、わかった」
 フェーヴは、素早く懐に手を差し入れた。
「なら俺が、あんたのいうことをおとなしく聞いてる理由は、ない」
 そこから複数のナイフを取り出す。気づいたスピラーリが跳躍したが、フェーヴの動きのほうが早かった。投げつけたナイフのひとつが、スピラーリの服の裾をテーブルの足につなぎ止める。生まれた一瞬の隙に、もう片方の手で第二撃。
「君らしくもない。そんなものが……」
「効くだろ。カリツォーってやつが赤い血を流すのを見た──あんたたちが無敵ってことは、ない」
 容赦はなかった。さらに両手でナイフ取り出し、すべてをまっすぐに突き刺す。
 外れることは、なかった。
「僕を殺したら、後悔するよ」
 血を流しながらも、虚勢なのか意地なのか、スピラーリが笑う。
「後悔はもうしない──そう、決めた」
 答えると、彼はさらに笑んだ。口の端から、血が流れ落ちる。
 それで、終わりだった。
 フェーヴは瞳を伏せ、息を吸い込む。ゆっくりと吐き出して、きびすを返した。部屋を出ようとドアに向かう。
「──フェーヴ=ヴィーヴィル」
 手をあげた瞬間、向こうから声が聞こえ、フェーヴの心臓は文字通り跳ねた。
 まだ夜は明けていない。いまここに来るというのは、どういうことなのだろう。まさかこれも計算なのだろうか──フェーヴはちらりと背後に目をやった。
 テーブルにもたれかかるようにして、スピラーリが倒れている。動くことは、ない。
 開けてはいけないというべきかどうか、躊躇した。隠す必要も、意味もない。だがどういうわけか、見られたくないという意識が働く。
 しかし、ほんの少しの戸惑いで、充分だった。ドアが開き、部屋の惨状を目にしたショコラが鋭く息を吸い込む。
 彼女の顔は蒼白だった。口元を抑えた手が、震えている。
「……どうして、スピラーリさんまで」
 漏れたつぶやきに、フェーヴは眉をひそめた。スピラーリまで、といういいかたは、この状況にそぐわない。
「なにがあったんです? あなたは無事なんですか?」
 顔を上げ、腕をつかんでくる。フェーヴは苦笑した。彼女は、第三者が現れたと思っているのだろう。
「俺とあいつとが、そんなに仲良しに見えたのか?」
「────っ」
 ショコラは察したようだった。青白かった顔はいよいよ色を失ったが、それでも気丈に、取り乱すようなことはなかった。
「……来てください、フェーヴ=ヴィーヴィル。なにかが、起こっているのかもしれません」
 震えを押し殺したような声で、そう告げる。ショコラが部屋に背を向けて、フェーヴもあとに続いた。
  
  
 メトルの部屋へ案内され、フェーヴは状況を理解した。
 そこには、彼女であったものがあるだけだった。
 ベッドに横たわり、まるで眠っているようにも見えるが、生気というものがかけらも感じられない。
 死、とも違うのかもしれない。
「そういうことか」
 フェーヴは、メトルの頬に触れた。ひやりとした、硬い感触だ。少なくとも、人間のそれではない。
「わかるんですか? わたしは、こんなこと、初めてです。外傷があるというわけではないみたいなんです。ただ──」
「ただ、動かなくなったってことだな。あいつとは根本的に違う。もちろん、こんなのは俺だって初めてだけどな」
 あいつ、というのがだれを指すのか、ショコラは気づいただろう。しかし彼女は、それについてはなにもいわず、ランプをメトルに近づけた。
「息を、していないんです」
 細い声で、つぶやく。それはひと目見て、フェーヴにもわかったことだった。
 それだけではない。
 フェーヴには、こういうことが起こるであろう予感があった。
「これは推測だ。あんたの母親のな」
 そう前置きをして、フェーヴは懐から白い紙を取り出した。ここまできて、渡すべきかどうか一瞬ためらうが、結局、それをショコラに差し出す。
 それは、オリキュレールがフェーヴにと託した封筒のなかの、もう一枚だった。
「確証が得られるまでは、あんたにはいわないつもりだった。ポムダダンは、プテリュクス──向こう側が、もらうといっていた。これが、その意味だ」
 それは嘘だった。もともと、ショコラに告げる気などなかった。フェーヴはもう、彼女とは行動を共にしないつもりだったのだ。
 しかし、状況は、まるでそれを許さないかのように動いていた。
 ショコラが、便せんに目を落とす。そうして、すぐに顔を上げた。
「それじゃあ、侵略は、もう」
「もう、始まってたんだ。やつらにとって、老人と、分別のつく子どもと──要するに、俺たちのうちの大多数は不要ってことらしい。メトルだけじゃないだろうな。いまこの時点で、どれだけの数がこうなってるかは、見当もつかない」
 ショコラの手が震えた。
「こんなやり方が……できるんですか。それじゃあ、お母様のやったことは? わたしのやってきたことは? これじゃあ、まるで──!」
 その続きを、彼女は口にしなかった。
 口にしてはいけないと思ったのだろう。言葉にしてしまっては、囚われてしまう。
 それでも、フェーヴは、口を開いた。
「この世界は、たぶん、プテリュクスの意のままだ」
 ゆっくりと、その意味を伝えるように、告げた。
 ショコラが唇をかみしめる。フェーヴは彼女を、じっと見つめた。
 もともと、勝てる相手ではなかったのかもしれない。彼らがエートルと呼ぶ存在がいくら抗おうとも、どうにもならないことだったのかもしれない。
 システム、という言葉が脳裏に浮かんだ。
 スピラーリが口にした言葉だ。
 そういうシステムになっているだけ──彼は、そういった。おそらく、本当に、それだけのことなのだ。 
 それはまるで、高いところから低いところへ、ものが落ちていくように。空気が湿れば、雨が降るように。
 あたりまえのことなのだ。
「それでも、俺は行く」
 フェーヴはそう、続けた。
「ここの『プテリュクス』じゃ、だめだ。境界を越える。それしかない」
 ショコラが目を見開く。彼女はまばたきをしなかった。まっすぐにフェーヴを見つめ返し、ランプと便せんを棚に置くと、フェーヴの両腕をつかんだ。
 頬が、ほんのりと赤らんでいた。手に力が込められる。
「行きます、わたしも」
「……俺は、ひとりで行くつもりだったんだ。あんただって、そうだろ」
 そうでなければ、こんな深夜に起きてはいないはずだ。眠れなかったとしても、メトルの部屋にまでわざわざ訪れる理由がない。おそらく、出立の前に恩師にだけは一言告げるつもりだったのだろう。
 ショコラは少しも動揺しなかった。悪びれる様子もなく、大きくうなずく。
 その碧の瞳に光さえ見えて、フェーヴはかすかに混乱した。
 彼女の心情など、知ることはできない。だが、想像することはできた。母親の死に直面し、ずっとすがってきたであろう目的も失ったも同然だ。足元から地面が崩れていったようなものだ。
 それでも、彼女の瞳は、少しの迷いもなくフェーヴを射抜いていた。
 あきらめてなどいないのだ。
「わたしも、行きたいです。行きましょう、一緒に」
 フェーヴは苦笑していた。出会ったときから変わらない。この彼女の輝きが、疎ましくもあったが──いまでは、そうは思えなかった。
「あんたには、参る」
「な、なんですか。なにか問題が? 最後までつきあってくれるっていったじゃないですか! ひとりでやろうとしたのがいけないっていうなら、お互いさまです!」
 早口で、まったく見当違いのことをいう。フェーヴは肩をすくめた。
「嘘も方便っていうだろ」
「あの状況で、嘘も方便! 断固性格悪いです!」
 ショコラが吠える。このままでは、なにをいっても火に油を注ぐだけだ。フェーヴは笑いをこらえながら、彼女の肩を引き寄せた。
「──なっ」
 見事に、ショコラが黙った。フェーヴの腕のなかで、固まってしまう。フェーヴは息を吸い込んで、真剣に、呼びかけた。
「ショコラ」
「は、はい」
 うわずった声が、帰ってくる。フェーヴは壊してしまわないように、優しく、彼女の金の髪に触れた。ぬくもりを感じ、瞳を閉じる。
 決意と、覚悟が必要だった。
 このまま、共に行くというのならば。
「俺はあんたを、殺したくない」
 その静かな声に、しかしショコラはなにも反応しなかった。
 腕のなかで、顔を上げる。
「……どういう?」
 最初に会ったときになんといったのか、まさか忘れているのだろうか。フェーヴは目を細め、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「そういうことだ。悪いな」
 そうして、手を離す。忘れないように、体温を身体に刻みつけて。
 もう触れてはいけなかった。ここまでで、限界だ。
「え、どういうことですか? いまから敵地に乗り込もうというのに、どうしてそんな不吉なこといいますか!」
「いいから、案内しろよ。アカデミー所有の四足獣、場所わかるんだろ?」
 ショコラは唇をとがらせた。しかし、すぐに首を振り、息を吐き出す。
 ベッドに歩み寄ると、毛布の上から、メトルを抱きしめた。その頬にキスを落とす。
「死ではないなら、きっと助かります」
 彼女のその発想に、呆れるのを通り越し、フェーヴはいっそ感心した。どうしてそういうことになるのだろう。前向き、という言葉では片づけられない気がした。
 だがきっと、それが彼女なのだ。
 だからこそ、彼女はいま、ここにいるのだろう。
「待っていてください、メトル」
 そうして、フェーヴに向き直ったときには、ショコラはその瞳に強い意志を宿していた。




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