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第二章 愛された子 2

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   二


 サンドリユの町から東へ、馬車に揺られて三日。途中、いくつかの町を通り過ぎたが、必要最低限の食糧補給のみにとどめ、フェーヴは先を急いでいた。
 帝都までは、あと数日かかる。
 急がなければならないという、予感があった。ショコラのいっていたことだけではない。決断が下された、とあの男がいっていたのも気にかかっていた。
「帝都の方ね、荒れてるらしいよ。ここ数日で、翼堕ちが増えてるだろう。帝都に集まってるんじゃないかって噂もあるぐらいなんだ」
 それでも商売のために帝都付近まで行かなければならないという男は、一日前からフェーヴを荷台に乗せてくれていた。大声でそんなことを話しかけてくるので、返事をしたほうが良いような気がしつつ、フェーヴは荷台に乗る面々に目をやる。フェーヴのほかには、旅人らしい母子と、見るからに掃除屋の女がひとり。
「その噂を聞いたから、帝都に行きたいんだよ、おやっさん。あたしたちにとっては恰好の稼ぎ場さ。帽子、あんたもそうだろ?」
 帽子、というのはまさか自分のことだろうか──眉根を寄せてそちらを見ると、しっかりと目が合ってしまった。フェーヴは嘆息する。
「ああ、まあな」
「そういうわけだから、安心しな。途中で襲われるようなことがあったら、あたしと帽子で蹴散らしてやるさ」
 形ばかりの鎧で覆った放漫な胸を揺らして、女は豪快に笑った。盛り上がった筋肉は、フェーヴのそれと比較するまでもなく、腕の立つ人物であろうことを伺わせる。見かけでは判断できないが、経験も積んでいるのだろう。
「都は、そんなに危険なのでしょうか……。主人が先に行っているのですが」
 眠っている少年の肩を抱いて、マントに身を包んだ女性が話しかけてくる。フェーヴが答えないでいると、女が肩をすくめた。
「どうだかな。翼堕ちが増えたのは事実だが、帝都に集まってるってのは、あくまで噂だ。実際のところは、行ってみなきゃな……。それにしてもあんた、えらく無愛想だな。まだ若いんだ、もっと明るく前向きに生きたらどうだい」
 後半は、明らかにフェーヴに向けての言葉だった。無愛想なのはともかくとして、後ろ向きに生きていると断定されるのはどうかと、フェーヴは内心で呆れる。
「コートも帽子もさ、暑苦しいよ。せめて帽子を脱ぎな。かわいい顔してんだからさ」
 無遠慮に手を伸ばしてきたので、とっさにはじく。女は目を見開いたが、すぐに苦笑した。
「青い髪なんて珍しいじゃないか。隠すんじゃなくて、自慢しなよ。あたしにとっちゃ憧れだ。アンファンと同じ色だなんてね」
 そういった女の髪は漆黒で、癖毛なのか、ところどころがちぢれていた。どうやら無言を通すというわけにもいかないらしいと、フェーヴは息をつく。
「放っといてくれよ。帽子もコートも趣味だ、趣味」
「趣味か! そりゃ悪かったな」
 女も、一応は納得したようだ。おかしそうに笑って、あぐらをかいて座り直す。その拍子に、天井に張られた布が揺れた。壊すなよ、と御者台から声が飛んでくる。
「アンファンに、会ったことがあるんですか?」
 女の言葉に食いついてきたのは、マントの女性だった。問いは女に向けられたものだったが、目はフェーヴの髪を見ていた。帽子の下から覗く、鮮やかな青い髪。
「まさか」
 女はまたしても豪快に笑う。おとぎ話だ、と続けた。
「愛するものの願いを叶えることのできる、女神に愛された子──アンファン、だろ。実在するのかどうかも怪しいじゃないか」
「そうですよね。でも、なんだか、夢があって……アンファンがもし本当にいたら、素敵だなって」
 そうつぶやいた瞳はうっとりとしていて、あるはずのないものだとわかっていても、心のどこかですがっている──そういう様子だった。フェーヴは冷淡に、その表情を見る。夢を見るような、どこか虚ろで、しかし輝いた表情。
「愛してもらわなきゃ、意味ないさ」
 女が鼻を鳴らすと、目はすぐに伏せられた。バカですよね、と自嘲する。
 フェーヴは唇を曲げた。本来なら、不快に思うようなことではない。しかし、なにかが胸に残った。
 なにをいおうというのかもはっきりとわからないまま、口を開く。その瞬間、唐突に、馬車が大きく揺れた。
「きゃ──っ」
 マントの女性が叫び、我が子を強く抱きしめる。その拍子に少年が目を覚ましたが、寝ぼけているのか、母親にしがみつくばかりだ。荷台は左右に激しく揺さぶられたかと思うと、とうとうバランスを崩した。荷がすべり、宙に浮き、一方に落ちてくる。ほとんど同時に、馬車全体が傾いた。
「倒れる!」
 女が叫び、マントの女性と少年を抱えた。その様子を確認して、フェーヴは素早く荷台から飛び出す。馬はまさに転倒するところで、御者台そのものがうねるようにして林につっこもうとしていた。それでも手綱を放さない商人を抱き、跳躍する。
 轟音と、砂煙。
 フェーヴが着地するよりも早く、掃除屋の女が飛び出してきた。両脇に二人を抱えて、転がるようにして馬車から離れる。彼女が手を離すと、泣くこともできない幼子を抱きしめて、マントの女性がうずくまった。
 平和であったはずの馬車の旅が、嘘のようだった。馬車であったはずのものはもはや原形をとどめておらず、怪我人がいないことのほうが奇跡に近い。フェーヴは商人を下ろすと、注意深く周囲を見回した。
「商人、なにがあった?」
 腰の短剣に手をあてながら、女が鋭くきいた。男はよろよろと馬車に歩み寄る。あまりにも無惨な姿だ。木々に衝突した勢いのままに、馬車全体がひしゃげ、歪んでいる。横転も加わって、もとの形状はわからない。荷物もほとんど全滅だろう。馬も、動き出す様子はない。
「翼堕ちだ……」
 男は声を絞り出し、ちくしょう、とつぶやいた。女が短剣を引き抜く。フェーヴも息を殺して、様子をうかがった。腐臭が充満している。静けさを取り戻すに従って、不穏な気配。倒れた馬車の向こう側から、それは飛び出してきた。
 男のいうとおり、それは翼堕ちだった。目に見える範囲で、四体。決して多くはないが、このあたりの街道に出るというのは滅多にないことだった。ましてや、馬車を襲うなどと。
「噂は本当らしいな。あんたらも帝都に向かってるくちかい?」
 女が短剣を構え、間合いを計る。目配せをされるまでもなく、フェーヴは道の中央、できるだけ死角のない場所に、ほか三人を促した。それぞれにナイフを手渡す。
「優先順位だ、頭にたたき込め。一つ、動かないこと。二つ、逃げること。三つ、自分の身を守ること。毒が塗ってあるからな、触るなよ」
 毒、という言葉に少年がびくりとする。フェーヴはその頭をくしゃりと撫でて、自らも懐に手を入れた。
 翼堕ちは、虚空の目を見開いて、ゆらゆらとこちらに向かってきていた。女が正面から短剣を突き立て、一体をしとめる。フェーヴは三人の前に立ち、ナイフを構えた。
 この数を倒すのは難しいことではない。だが、フェーヴにはこれだけとは思えなかった。サンドリユの町の、おびただしい数の翼堕ちが脳裏をよぎる。なにかが起こっているというのなら、これだけではないはずだ。
「おい帽子、あんた戦えるんだろうな」
 こちらに目を向けることなく、女が声を投げてくる。見かけよりもずっと素早い動きで、翼堕ちは手を振り下ろし、女に襲いかかっていた。その瞬間に懐に潜り込み、女はもう一体を切りつける。したたる液体と鮮血とを器用に避けて、短剣を構え直した。場慣れしている。
「戦える、が──そっちはあんたで充分だろ。たぶん、まだ増えるぞ」
「これ以上か? ヒマなことだね」
 フェーヴは息を殺した。意識を研ぎ澄ませる。女が窮地に陥るようであれば、もちろん加勢するつもりであった。だが、そちらへの注意は最小限に、周囲へ感覚を広げる。
「──っ」
 かすかな気配に、ナイフを投げつけた。右手の森のなかへ、連続で三度。
 先の四体よりも巨大な翼堕ちが、木々の間から飛び出すように姿を現した。フェーヴのナイフは、ちょうど胸の中央に突き刺さっている。致命傷だ。
 倒れ伏すのを確認する間はなかった。フェーヴは、商人と母子を背にかばうように、ぐるりと方向を変える。反対の森のなかからも、やはり翼堕ちが飛び出してきたところだった。素早くナイフを投げ、後方を確認する。そちらにも二体。
 女は四体をしとめたところだったが、彼女のほうもそれだけでは終わらなかった。
「どこから出て来るのさ! 待ち伏せ? まさか、そんな高度な」
「キリがねえ。完全に俺たちを狙ってるな。荷になにか──」
 フェーヴは言葉を飲み込んだ。翼堕ちが荷を襲うという話は聞いたことがない。襲うのはあくまで人間だ。
 狙いがあるとすれば、人間そのものか──あるいは、これほどの数が狙うとなれば、特別な人間か。
「お母さん……」
 震えていた少年が、母をかばうようにして立ち上がった。フェーヴに渡されたナイフを手に、翼堕ちと対峙する。
 商人も同様だ。この場で守られるべきなのは掃除屋以外であることは間違いなかったが、かといって自分も守られているばかりではいられないとばかりに、母子を挟んで、フェーヴの反対側に立つ。
「……やってやれるもんじゃねえってのに」
 ごく小さな声で、フェーヴは吐き捨てた。フェーヴにしてみれば、脆弱な彼らの行動は愚かでしかなかった。動くな、といったはずだ。それができないのならば逃げろ、とも。
 だが、完全に、囲まれていた。
 もう、無傷ではすまされない。
「──お困りだね、フェーヴ君」
 不意に、場違いな声が降り立った。
 その声がだれのものなのか、フェーヴはよく知っていた。しかし、できれば金輪際──とくにいまは、聞きたくない声だった。
 どこか鼻にかかった、甘いハスキーボイス。声の主は、数日前とまったく同じように、なにもない空間から現れた。音もなく着地し、首に巻いたループタイに手をかける。準備運動でもするように首を軽く左右に傾けて、やあ、とフェーヴに目を向けた。
「ああ、今回はそういう用じゃないからね。そんな顔しないでくれるかな」
 どんな顔をしているのか、自覚があった。フェーヴは完全に彼を無視して、翼堕ちに視線を戻す。相手をしている場合ではない。
「なんだい、あんた。帽子の知り合いか? 加勢するってんなら大歓迎だよ」
 翼堕ちはじりじりと距離を詰めてきていた。間合いを計りながら、女は少しずつ後退する。
「知り合い、だったかなあ。帽子の彼、僕のこと知らないみたいだし。場合によっては、加勢するんだけど」
「おい、坊主! 知り合いなんだろ?」
 商人までもが怒鳴るように問いを投げてきて、フェーヴは舌打ちした。長身の男を一瞥する。まるで力が入っていないような、やる気のない立ち姿からして気に入らない。
「あんたの助けはいらねえよ、スピラーリ。さっさと消えろ」
「あれ、名前知ってるんだ? 初めて見た、んじゃなかった?」
「聞いてたのか、悪趣味野郎」
 フェーヴはさらに眉間のしわを深くし、ためらうことなくナイフを投げた。長身の男──スピラーリに向かって、一直線に。
「嫌われてるなあ」
 難なくそれを指で挟んで止めると、スピラーリは肩をすくめた。まあいいか、と薄く笑う。
「助太刀に来たんだよ、フェーヴ君。ヒーローは呼ばれなくても華麗に登場ってね」
 そういって、彼は右手を挙げた。緩慢な仕草で掲げたそれを、なんでもないことのように下ろす。まるで、力が抜けたかのように、ひどく何気なく。
 それだけの挙動だった。しかし、それで充分だった。
 フェーヴたちを囲んでいた翼堕ちたちは、糸が切れたように、いっせいに崩れ落ちた。
「──うわっ」
 突然のことに、ただれた液体に触れてしまわないよう、女が慌てて避ける。商人も、母子も、身を寄せ合うようにして小さくなった。
 フェーヴは、ナイフを懐にしまった。帽子を深くかぶり直し、両の手をポケットにつっこむ。もう終わったのだということが、フェーヴにはよくわかっていた。
「な、なんなんだよ、あんた……」
 女が問う。スピラーリは不敵に笑って、道化師のように片足を曲げると、大仰な仕草で一礼してみせた。
「僕はスピラーリ。そこの帽子君の良き理解者といったところかな。ああ、サインはいつでも受け付けるよ」
 女は目をむき、フェーヴは忌々しいといわんばかりに唇を曲げた。


 馬車はもう、使いものにならなかった。スピラーリの案内で半日歩き、近くの村までたどり着くと、フェーヴはさっさと宿をとった。本当ならすぐにでも次の馬車をつかまえたかったが、朝にならないことには村を出るものはいないらしい。
「これは、デルゲンのソテー? デルゲンってなんだい? ……ふむ、哺乳類か。いいね、いける」
 当然のように同じテーブルにつき、スピラーリはフェーヴの皿に手を伸ばしていた。あまり規模の大きな村ではなく、夜も遅いので、開いている店はここだけだ。村の入り口でまいたつもりでいただけに、フェーヴの落胆は激しかった。彼から逃れられるとは思っていないが、それでも、ひとりでひっそりと夕食をとるところだったのだ。
「なに怒ってるんだい、フェーヴ君。君のその怒りは、完全にベクトルをまちがえているよ。わかっていると思うけど」
 あっという間に皿を空にして、自前のナプキンで優雅に口元を拭いながら、スピラーリはいけしゃあしゃあといった。メニュー表に手を伸ばし、勝手に注文を追加する。
 この男の顔を前にして、食欲などわくはずもなかった。フェーヴはおとなしく他の皿もスピラーリの側に押す出すと、酒を喉に流し込む。ひとときだけでも感情を麻痺させてくれるはずのそれは、いまはなんの効力ももたらさない。
「なんのつもりだ、スピラーリ。用はすんでるだろう。さっさと帰れ、目障りだ。あんた見てると吐き気がするんだよ」
 顔を見ることもなく、そう吐き捨てる。運ばれてきた皿に歓声をあげ、スピラーリは芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。
「ご挨拶だね。僕がいることで、助けになる場面は多いはずだよ。君たちが翼堕ちと呼んでいるものが集まってきたのは、君のせいだってことは感づいているだろう。殊勝な態度を取ってくれれば、今後もサポートをする所存なんだけどね」
「いらねえよ」
 間髪入れずにそう答えると、スピラーリはおかしそうに肩を震わせた。
「賢明だったね。クレア=ビズ、ギル=ビズ、ミキナ=ビズ──あれ以上一緒にいるのは危険だった。ショコラ=プレジールはどうかな。できれば、僕は彼女とも行動を共にしたいんだ。真っ直ぐでかわいい子だ。あの愚かしさは、とても貴重だよ」
 くつくつと笑って、パスタをフォークに絡める。明らかに厨房から絞り出した材料で作られたらしいそれは、およそ深夜のメニューにはふさわしくない。だが、そんなことにはそもそも気づいていない様子で、スピラーリは満足そうにそれを口に入れた。
「おっと、これもなかなかいけるね。原料は小麦かな」
「……なにが目的だ」
「え、もちろんお金は持ってないよ。おごってよ、さっき稼いだんだから」
 そんなことは知っていた。彼が金銭を所有しているなどとは最初から思っていない。それよりも、明らかにそうではないことを問うているのに、飄々とはぐらかすさまが癪に障る。
「あんたがここにいる目的だ、スピラーリ」
 本意ではなかったが、問いを繰り返した。そうでもないと、彼は核心を語らないだろう。
 スピラーリはフォークを置くと、おもしろそうに眉を上げた。肘をつき、手の甲に顎を乗せる。
「簡単さ、フェーヴ君。ちょっと、君と行動を共にしてみようと思ってね」
 それは、答えでもなんでもなかった。辛抱強く、フェーヴは繰り返す。
「目的は」
「いう必要性を感じないね。どちらにしろ、君に拒否権はない」
「…………」
 フェーヴはもう一度ジョッキを持ち上げ、それが空であることに気づいた。忌々しげに、音をたてて置く。木のテーブルが悲鳴をあげた。なにもかもがおもしろくない。
「ポムダダンに行くんだろう。僕がいたほうがいいと思うな。ああ、『プテリュクス』が押し寄せてきたって、まただれかを愛すればいいのか──無事でいてくれと、願ってくれる愚かなだれかを」
「うるさい」
 敵意を込め、鋭く睨みつける。しかし、そんなものは見えていないとばかりに背もたれに体重を預け、スピラーリは赤茶けた髪をかき上げた。
「好意だよ、全面的に」
 細められた目は薄く笑っているようで、フェーヴはますます苛立った。店員が早く店を閉めたそうにこちらを見ていることには気づいていたが、かまわずに酒を注文する。飲まなくてはやってられない。
「それに、君といると、ショコラ=プレジールともお近づきになれそうだしね」
 底意地の悪そうな笑顔。あの女とはもう会うこともない、という言葉は、声にならなかった。
 タイミングを計ったかのように、けたたましい音。フェーヴのずっとうしろから聞こえたそれが、扉を開けた音であるのは間違いなかった。だれによるものなのかも、想像に難くない。
「捜しましたよ、フェーヴ=ヴィーヴィル!」
 頭痛が起こる。わざわざ確認するまでもなかった。悪党の居場所を突き止めたかのような、きっぱりとした声。この登場の仕方。
「勘弁してくれ」
 低くうめいて、フェーヴは運ばれてきた酒を一気に飲み干した。
 



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