「……。そう。なるほど。クッキーをねえ」
あまり機嫌のよろしくない感じを出しつつそうつぶやいたのは、ブロンドが美しい長髪の女性。その隣に立つのは三角巾にエプロン姿の男性だ。
「やっぱりこういうのは女性の意見を聞いた方がいいかな、と。そこで頼めるのが君しかいなかったわけだよ、エイラ」
「うん。そうね。それは理解出来る。でもね、リスト。それってアエルさんにあげるものなのよね?」
「そうだけど」
さも当たり前のように返すリストに、エイラはぎりりと奥歯を噛んだ。鬼面の形相を浮かべるエイラ。それに対して相変わらずタレ目な脳天気を決め込むリストは、ある意味大したものだと感じる。
「なーにが面白くて他の人にあげるクッキー作りの手伝いしなきゃならないのよ! あなたってそこまで鈍感でしたっけ?!」
「いや、もちろん君の分も作るつもりだけど」
「アエルさんの“ついで”に?」
「うん。……あ」
鼻っ面に強烈な鉄拳を叩き込めれ、二三歩よろけながらもノックアウトされないタフさを見せるリスト。エイラはそれに舌を打つと、面倒臭そうに溜息を吐きつつ料理本を手に取った。ちなみに本のタイトルは「サルでも出来るお菓子100選」とある。タイトルにある種の悪意を感じるのは気のせいだろう。
「で、どれを作るの?」
「ええと、それを決めかねて……ちょっと、そこの鼻紙取ってくれる?」
鼻血が出る程の鉄拳。見た目華奢なエイラではあるが、なかなか良い拳を持っているようだ。それともリストが見た目以上に軟弱なのだろうか。
出血が収まったところで料理再開。とは言え、いまだにクッキー生地さえ出来ていないという始末。料理再開どころか開始すら出来ていないわけだが。
「ほら、鼻血流してる暇があったら手を動かしなさいよ」
「いや、これは君のせいなんだよ?」
「なんか言いましたか?」
「いえ」
エイラの言う通りに生地の製作に掛かるリスト。初めてにしては随分と手際良く料理工程をこなしていく。そんなリストの姿に、エイラは小さく感嘆の声を上げた。
「随分手際良いけど、あなたって料理出来たの?」
「まあ少しはね。そういう君は?」
「え? ああ、と、うん。まあ、それなり、かな……。はは」
乾いた笑い声に明後日を向くエイラ。誰がどう見てもそれは――
「出来ないの?」
「で、出来るわよ!」
「出来ないんだね」
しばしの沈黙の後、持っていた本を滑り落としてしまったエイラはテーブルの下を探りはじめ、目的の物を見付けたのかおもむろに体を起こした。しかし持っているのは本ではなく、きらりと輝く包丁。普段見慣れた銀色のそれは、やけに鋭い光を放っているように感じる。戦場で敵意剥き出しに向けられる刃物とは、おそらくそういった鋭い光を放っているのだろう。
当然の事だが、二人が居る場所は戦場ではない。台所だ。ただ、戦場並の緊張感が漂っているのは言うまでも無い。
「ごめん。ちょっと本落としちゃって」
「いや、それは本じゃないよ。それは包丁だよ。聞いてる? 聞こえてる?」
「聞こえてる。さ、続きに取り掛かりましょうね。時間も無い事だし」
凄まじい緊張感――というより殺意めいた気配漂う中、リストはようやく生地を作り終え、そして今回最大の難関である「クッキーに混ぜる物」の吟味に掛かる。
「ココアとビターチョコだとどっちかな?」
「アエルさんの好み? あの娘って確か甘い物好きよね。それならビターは無いんじゃない?」
「でも、普段甘い物食べてると、ビターな味は新鮮で良いと思うんだよね」
「じゃあビター?」
「でもハズレた場合にどうなるか……」
今更決めかねるリストに対しエイラは呆れ気味に溜息を吐くと、右にココアパウダー、左にチョコパウダーの入った袋を取り、それを彼の前に置いた。
「両方作れば?」
「そうか! そうだね! 両方作ればいいんじゃないか! なんで気付かなかったんだろうなあ。エイラ。君は天才だよ」
「どーいたしまして」
喜ぶタレ目にふくれるエイラ。それでも彼女はどこか楽しげではあった。普段の緊張感漂う職務とは違う作業は、僅かながらにも癒しの効果を持つのだろう。
ただし、彼女の片手には相変わらず包丁が握られているわけだが。
片手に紙袋を持ったリストは、約束の場所である中央公園へと走っていた。季節は暖かくなり始める頃とは言え、吐き出す息はいまだに白い。
大通りを抜けると約束の場所に到着。辺りをきょろきょろと見渡した。しかし目的の人物が見付からないのか、リストは少々焦りの色を見せた。傍からみたらやや不審者気味の彼の肩を、小柄な人影がとんとんと軽く叩いた。
「おにーさん。そんなに挙動不審だと、ジャスティス呼ばれるよ?」
振り返ると、そこにいたのは小柄な少女。大きめの白いコートを羽織った少女は、冷えた両手を温めるように息を吐き掛けていた。
「ごめん。待たせちゃったかな?」
「待ってないけど。今、来たんだし」
寒さに耐えるように両手をすり合わせる少女にリストは微笑むと、持っていた紙袋を差し出した。少女は首を傾げつつそれを受け取ると、中を覗き込んだ。そこからラッピングされた一枚を取り出す。
「クッキー?」
そのクッキーの意味するところが理解出来ないのか、少女は相変わらず不思議そうに首を傾げている。
「この街では、男性から女性にクッキーをプレゼントする日があるんだ」
「へえ、知らなかった。変わった風習があるんだね」
クッキーを見ながら無邪気な笑みを浮かべる少女に、リストはつられるように微笑んだ。
「ところで、なんでクッキーをプレゼントするの? なにか意味があるんでしょ?」
身長差から上目遣いにリストを見上げる少女。向けられたつぶらで美しい瞳に魅了されそうになりながらも、リストは視線を外し、遠くを見た。
「それは――」
「それは?」
リストは少女に視線を戻すと、普段見慣れない真剣な表情を向けた。それからすぐに、見慣れた間の抜けた笑みを浮かべて見せる。
「いや、実は俺もよく知らなかったりして」
「はあ? なにそれ。変なの。まあ、それはいいんだけどさ。ちょっと面白い話があって――」
おしまい