story8 私の世界 1
あなたは光。
あなたは愛。
あなたは夢。
あなたは世界。
だから、どうか、泣かないで。
***
「これをぜんぶ? 盗品じゃないだろうね」
積み上げられた金塊に顔を輝かせたのは一瞬だった。店の主人は、すぐに咳払いをすると、胡散臭そうに目を細めた。
カウンターの手前で、黒髪黒目、黒服の青年は、慌てもせずに首を左右に振る。ずい、と金塊を押し出し、腕を組んで静かに一言、
「換金を」
換金屋において、あたりまえの要求を口にした。
黒縁眼鏡の主人は、ふうむと唸る。大きさもデザインもまちまちだが、この道数十年、これらの金塊が偽物ではないということは一目でわかる。
とはいえ、愛想のない若造が突然持ち込んできた金塊をにわかに信じられない思いもあった。換金屋といっても、ここミラージェの町から通貨が入り乱れるため、他の通貨との交換が主な業務だ。金塊を持ち込まれるなど、久しい。
「人を待たせている。急いでもらおうか」
青年は淡々と続けた。
主人は金塊を手にし、それからあることに気づいたようだった。眉を跳ね上げ、青年と金塊とを見比べる。青年は東方の衣類を身につけていた。旅人であることは間違いないようだ。
「こりゃあ、隣国の刻印が入ってるじゃないか。もっと遠いのもあるな。あんた、賞金ハンターかい?」
「それを生業にしているわけではないが、路銀を補うため、大会等に出場して賞品を得ることもある。そのままでは食えない、換金していただきたい」
なるほど、と主人は納得した。風土にもよるが、有名なところで武闘大会や料理人選手権等、町や国主催で大会が行われることがある。そういう場所で入賞すれば、賞品として金塊が出されることも少なくない。
「まあ、そういうことなら、品質は確かだしな。喜んで換金するが……あんまりこういうことやってると、ろくな人生にならんぞ、にーちゃん。モラルに反する。こういうのは価値がどうのってよりも、名誉ってもんが──」
「急いでいる」
「──少々お待ちくださいよ」
主人は息を吐き出し、金塊の物色を始めた。一つ一つを丁寧に眺め回し、一度店の奥に引っ込んでしまう。
次に現れたときには、かごいっぱいの貨幣を抱えていた。どん、と手に怒気を込めるかのように、音をたてて置く。
「毎度」
青年は無言で、金塊の入っていた布袋に貨幣を詰め込むと、一歩下がって小さく会釈した。踵を返し、店をあとにする。
扉を隔てた道の端では、茶色の髪をうしろでむりやり束ねた少年が、腹を抱えて盛大に笑い転げていた。自分の身長よりも長い棒を持ち、器用に両手で腹を押さえている。黒髪の青年よりも身軽そうな格好だが、こちらも東方の香りを漂わせている。手にした長い棒も、東方では棍と呼ばれる武器だ──ただし、この地でその名を知るものは、ほぼ皆無に等しい。
「……なにをしている」
青年が冷徹に問う。少年は目に涙さえ浮かべて、弁解したいようだが声が出てこない。
その隣で、赤い髪の少女が、すっと前に出た。
「私は笑ってないわよ、
莉啓」
「大丈夫だ、
悠良」
なにが大丈夫なのか、莉啓と呼ばれた青年は、先ほどまでとうって変わった優しい微笑みを浮かべ、赤髪の少女を見やる。少女、悠良は、ならいいわとあっさり引き下がった。彼女は、この地方でもよく見かけるワンピース姿だ。ただし、二人の青年と同列に並んでは違和感があるほどに、ひとりだけ高級な素材のものであったが。
「あ、ちょっ、悠良ちゃんだって笑ってたじゃん! ずるっ!」
「笑っていたのはあなただけでしょう。立ち聞きなんて、私は良くないと思ったわ。
怜がどうしてもって」
「なんだなんだ、俺を陥れるつもりか!」
涙を拭い、笑い地獄から生還した少年、怜が、悠良に全力で抗議する。良くないと思った、ということは、明確には止めていないということだ。制止もせずに黙ってついてきたと思ったら、まさかこんな罠が待ちかまえていようとは。
「大丈夫だ、悠良」
莉啓は、先ほどとまったく同じ台詞を口にした。それから絶対零度の視線を怜に送る。それだけで凍り付きそうになり、怜はじりじりと下がった。
「覚悟はできているだろう。ひとに面倒を押しつけておいて、立ち聞きした挙げ句笑いものにするとはな」
「いや、だって!
啓ちゃんがどうやって換金するのか興味あるじゃん! あ、そうだ、聞いてて不思議だったんだけどさ、啓ちゃんって知らない人に話しかけるときって大抵敬語だろ、なんであんな上から目線だったの」
「店にとって客とは神だ。なぜ敬う必要がある」
客とは神──なるほど確かに、商売の世界においてはあたりまえのことだが、それがこの青年の口から出てきた違和感に、怜は口ごもってしまった。神だからといって横柄な態度をとるというのも、なにか違う気がする。
「それで話題を変えたつもりじゃないだろうな」
冷淡さをさらに増した目で射抜かれ、怜はたじろいだ。ち、失敗、というつぶやきは火に油を注ぎそうだったので、どうにか飲み込む。
莉啓の機嫌が悪いのは明白だった。怒りの炎を燃え上がらせ、それでも冷たく、目を細める。
「最近腕がなまっていたところだ──ちょうどいい、久しぶりに一戦交えるか」
「え、マジで」
怜は頭をフル回転させた。長年の付き合いであるこの相棒を、ここまで怒らせてしまった原因はいったいなんだ。
イカサマくじ引きで換金の役割を押しつけたのがいけなかったのか。そのあいだ悠良ちゃんとデートだ、などと浮かれて、これ見よがしにカフェに入ったのがいけなかったのか。と見せかけて、あとをつけ、立ち聞きした上笑いまくったのがいけなかったのか。あるいはそのぜんぶか。
日頃の行い、といわれてしまえばフォローのしようがないが、おそらく正解はそこだろう。
「ちょっと見てみたいけど。さすがに往来ではどうかと思うわ。お店の人がこっちを見てるわよ」
莉啓と怜の間に入るように、悠良がそう告げる。二人はほとんど条件反射で、換金屋の店内に目をやった。燃えるような熱い瞳でこちらを見ている、黒縁眼鏡。
しかし、その怒り顔はすぐに遮られてしまった。戸が開けられ、店からショートカットの少女が顔を出したのだ。
「あら、いいじゃない。ケンカって好き」
少女は身軽な仕草で、長い足揃えて地面に立った。大きな目を少し細めるようにして、悠良と怜とを観察する。その目が、莉啓で止まった。少女は嬉しそうに、満面の笑みを浮かべる。
なにか嫌な予感がして、莉啓は思わず眉根を寄せた。そのうしろから、怜が頭を下げる。
「ここの店のひと? どうもスミマセン、すぐに撤退しますので。やー、うちの啓ちゃんが時と場所ってのを考えない堅物で、ご迷惑かけます」
莉啓にも同様のことを求めようと、彼の頭に手をやったが、莉啓は根性で頭を下げる事態を回避した。見た目にはわからない戦いが黒髪の上で繰り広げられる。
「やだ、あたしは違うわ。客よ、客。だから謝らないで、困っちゃう」
「どちらにしろ、通行の邪魔になっているのは確かね。早く行きましょう」
いつもどおり、悠良が二人を促す。赤い髪をひるがえし、石畳の道を歩き始める。
「なあに、感じ悪い。あの子、ナニサマ?」
口を尖らせてつぶやいた、そのひとことに、三人の動きが一瞬止まった。
悠良は足を止め、ひどくゆっくりと振り返った。莉啓は明らかな怒りを込めて、冷ややかに少女を見下ろしている。
怜はひとり、いまから繰り広げられるであろう惨状を想像し、どうやって場を収めるべきか思考を巡らせていた。このままではいけない、血の雨が降る。
ナニサマかといわれれば悠良サマに他ならないわけだが、いままで、彼女の態度に真っ向からもの申したものはいなかったのだ。
「……口を謹んでもらえませんか。あなたは他人だ。初対面の相手にいう言葉ではないでしょう」
どうにか怒気を押し殺したらしい莉啓が、言葉を選ぶようにして少女を諭す。それが余計に、爆発前の危険物に思われて、怜は妙にひやひやした。安い言葉に乗る方が馬鹿だぞ、といってやりたいが、なにをいっても悪い方向にいきそうだ。
「いいのよ、莉啓。さっさと行きましょう。まだ、この町での仕事を始めてすら……──あら?」
悠良が眉をひそめた。注意深く、少女の姿を観察する。
丈の短いスカートに、薄手のシャツ。そろそろ寒くなる季節とはいっても、まだどう考えても季節はずれな、スカートよりも長いコートを羽織っている。ショートカットに大きな目の、小柄な少女。
悠良は、そっと怜を見た。いわんとするとことに怜も気づき、うなずく。そのアイコンタクトが気に食わなかったのだろう、莉啓の怒りの炎が勢いを増す。
「そうね。確かに失礼だったわ、ごめんなさい。あたしはリィナ、リィナ=エヴァンス。ね、黒髪のあなた、名前は?」
少女、リィナ=エヴァンスは上目遣いで莉啓を見た。答える義理もないとばかりに、莉啓は口を開こうとしない。
それが余計気に入ったとでもいうように、リィナは目を細めた。それから背伸びをして、莉啓の首に両腕を絡める。
一瞬のできごとだった。
悠良と怜は目を見開いて、あまりの衝撃に、そのまま動けなくなってしまった。
「あなた、あたしの旦那様にならない?」
莉啓の頬から唇を離すと、リィナはにっこりと笑ってそういった。