story6 忘れられた魔女 7

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 悠良は扉を抜けた。
 眼前に広がる白い世界。色としての白というだけではなく、どこまでも清らかな、荘厳な輝きを帯びている。
 背後の扉が姿を消す。白色のなかの、黒い絵の具で線を引いたようなまっすぐな道を歩くと、ほどなくしてひたすらに大きな門が見えてくる。
 そのころには、白いだけだった世界は、だんだんと町らしい様相を帯びてきていた。とはいえ、建物は一つだ。何もない平原にたたずむ、白い楼閣。
 門の目の前に立つ。悠良は、右も左も、頭上も、見ようとはしなかった。この楼閣に終わりがないことを知っているからだ。ここでは、目に映るものはほとんど意味をなさない。 門に触れるように手を伸ばす。磁石が反発するようにゆっくりと、門が開いた。
 一瞬白い光に視界が奪われる。
 目を閉じ、次に開けたときには、シンメトリーの白い部屋のなかにいた。左右には、ずらりと控える十数人の影。皆一様に頭を垂れている。足下から続く白い絨毯の先には、白銀の椅子に座り、こちらを見る天女がいた。
「お久しぶりです、お母様」
 さらりと挨拶をして、左右の影は気にも留めず、優雅に歩を進める。天女の目前まで来ると、ワンピースの裾をつかみ、貴族のように一礼した。
 天女は、ふわりと微笑んだ。燃えるような、赤く長い髪は、悠良のそれと酷似している。母親というよりも姉妹であるかのような、若々しい姿だ。
 天女はすっと右手を上げた。払うように、つい、と数センチ動かす。
 それだけの動きに、控えていた影たちは瞬時に姿勢を正し、部屋から姿を消した。
「突然ごめんなさい、実は……」
 早速用件を切り出そうとする。しかし、目の前の母親は返事をせず、両手で顔を覆い、肩を震わせ始めた。
「……お母様?」
 泣いているのか。しゃくりあげるような声が漏れる。
「…………」
 悠良は、盛大にため息をついた。首を左右に振り、低く、極力感情を押し殺した声を出す。
「…………『会いたかったわ、ママ』」
「悠良ちゃん!」
 天女はぱっと顔を上げた。涙を拭い、手招きをして、悠良を抱きしめる。
「ママって呼んでくれなきゃイヤっていってるのに。棒読みだったけどかわいいから許しちゃう」
 頭を撫で回す。黙っていれば賢そうで、威厳のある姿なのに、と思ってもしようのないことを思ってしまう。
 この世界が、「下」から見て正確にどの位置にあるのか、悠良にもわかってはいない。ただ便宜上、ひとが一生を過ごす地を「下界」、そして、この地を「天界」と呼ぶことがある。
 天界──すなわち、死した魂が集まり、転生を待つ場所。その最高権力者であり、すべての魂を管理下に置く天女が、目の前の母親だ。
 実力はあるのだろう。しかし、世襲制に異を唱える者はいなかったのかと、悠良はいまでも疑問に思うことがある。なんというか、この地のすべてがこの母親の手にかかっているかと思うと、不安でたまらなくなるときがあるのだ。
「お仕事はどう? 大変? 大変よね。それもママみたいな立派な天女になるためだもの、ファイトよ。ママ、いつでも応援してるのよ。もう、仕事なんて手につかないくらい」
「仕事してください……そうすれば、こちらの仕事も楽になるわ」
「そうよねえ、やあねえ、最近おとなしくこっちに来ない子が増えちゃって。悠良ちゃん、忙しくなる一方よね」
 楽しそうに、声をたてて笑う。平常心を保つことに意識の半分を使いながら、悠良は本題を切り出した。
「聞きたいことがあるの」
「わかってるわよう。そうでもなきゃ、会いに来てくれないもの」
 微笑んで、指先を振った。音もなく悠良の後ろに椅子が現れる。おとなしく、悠良は腰かけた。
「未回収の魂のリストから、探して欲しい名前があるの。セリーヌ=エリアントと、レグ……ああ、これは、ファーストネームしかわからないけれど」
 未回収の魂──それこそが、悠良たちの仕事に関わるものだ。ひとは死を迎えると、自動的にその魂が天界に導かれることになっている。それは、死が避けられないものである以上、ある次期になると決定事項として天界のリストに記されることだ。
 しかし、ごく稀に、予定された魂が天界に来ないことがある。死を回避したということはあり得ない──ということは、死してなお、下界にとどまっていることを意味する。
 すでに死んでいるはずの魂の回収こそが、悠良たちの「仕事」だ。
「あら、資料は渡したでしょう? ああ、今回は少し、やっかいだったかしら。複数のターゲットが想定されるケースだものね」
 かわいそうな悠良ちゃん、などといいながら、どこからか紙の束を取り出し、チェックを始める。そもそも、未回収の魂など、イレギュラーだ。リストもそれほど分厚くはない。
「またその名前? いないわよ、どっちも。その二人は生きているんじゃないかしら」
「そう……」
 腑に落ちない表情で、悠良はつぶやいた。この母親がいうのだから、そのとおりなのだろう。
 では、セリーヌというのはやはり、偽名なのだろうか。または本当に生きているのか。どちらにしても、理由がわからない。
「ねえねえ、莉啓ちゃんと怜ちゃんはどう? 仲良くやってる? 今度来るときは一緒に来て。ケーキでも焼いて待ってるから」
 きらきらと顔を輝かせ、天女はそんなことをいう。いいから仕事をして、とはいわず、目だけで訴えて、悠良はもうひとつ重大なことを思い出した。
「そうだわ、いま滞在している町で、翠華に会ったのだけれど。お母様、何かご存じ?」
「スイカ?」
 目をまたたかせる。誰だっけ、という顔だ。
「……怜の昔の相棒よ」
「ああ、翠華ちゃん? 知らないわよ、あの子は管轄外。天界の住人でもあの子だけよ、勝手に下界に降りて好き放題やってるのって」
「そうでしょうね」
 自力で天界中を調べ尽くしたあげく、勝手に下界に降りたというのは有名な話だ。それを知ったときには、怜などはあいつらしいと大笑いしていたものだが。
「でもね、強制的に連れ戻そうと思えば、できるのよ。しないのは、あの子とはそういう契約になっているから。好きにしていいけど、もし死者を見つけたら送りなさいって。だから、悠良ちゃんたちの邪魔はしないと思うわ」
「ならいいのだけれど。全面的に協力、というふうでもなかったわ」
「あら、それは仕方ないわ」
 さもおかしそうに、天女は笑った。
「あの子にとっては、悠良ちゃんは怜ちゃんを奪った張本人ですもの」   
「……逆恨みだわ」
 うんざりと、息をつく。下界に降りる際、莉啓と怜を「聖者」と呼ばれる付き人に任命したのは確かだ。間の悪いことに、そのころ翠華は行方不明だった。かつての相棒を取られた気にでもなったのだろうが。 
「今回のケースは……周辺の町から消えた複数の魂の調査、ね。なかなか見ないケースだわ。心してかかりなさい」
 優しく、しかし力強く微笑んで、母親はもう一度手招きをした。立ち上がって近づくと、そっと頬にキスをする。
「当然よ」
 すっと目を細め、礼を述べると、悠良は踵を返す。数歩下がって、もう一度一礼した。
 天女が手を持ち上げる。鈴が鳴るような音。
 目の前に現れた扉を、悠良はためらわずにくぐった。

 どこか、頭がぼんやりとしている。
 いつのまに夕暮れ時になってしまったのだろう。仕事らしい仕事をしていない。このまま帰っては無収穫の代償に命の危険も否めなかったが、とりあえず腹の危険を優先して、怜は宿の戸を開けた。
「カタリナさーん、メシー」
 自分の家であるかのように声を出す。テーブルを整えていたらしい若き宿の主人は、金髪を元気に揺らして笑った。
「お帰り、レンさん。ずいぶんお疲れですね。夕飯がすぐだけど、なにか出しましょうか?」
「なにか出しましてください……昼食ってないんだ俺……」
 昼も過ぎ、夕食にもまだ少し早いので、食堂には他に人影がない。怜はカウンターに一番近い丸テーブルに落ち着いた。長い棒を立てかける。
「じゃ、夜が食べられなくなっても惜しいから、あんまりお腹に溜まらないものを。少し待っててくださいね」
「よろしくー」
 カタリナが厨房へと姿を消す。だらりとだらしなく、テーブルに突っ伏した。
 頭の片隅がどんより重い。頭痛、というほどでもないのだが。
 そもそも今日一日、自分が何をしていたのかはっきりしない。考えようとしても、まあいいかなんでも、と思考は中断されてしまう。
 何か、奇妙な感覚だ。
「腹の減りすぎかな……」
 的はずれなことを思いながら、盛大にあくびをする。
 らしくもない、体調不良だろうか。
 眠りそうになっていると、入り口の辺りで気配を感じた。慣れた気配だ。半分だけ目を開けてそちらを見やる。
「……お母様に任せると、適当で困るわ」
 何やら文句をいいながら、悠良が入ってきたところだった。宿の自室に戻るつもりが、少しずれて、宿の外に帰ってきてしまったのだ。
 すぐに怜に気づき、ゆっくりと近づいてくる。
「お帰りなさい、怜。収穫は?」
 予想どおり、すぐさま質問だ。怜は苦笑しようとして、思うように笑えないことに気づいた。
「……何? 寝ているの、こんなところで」
 悠良がのぞき込む。さらりと赤い髪がすぐ近くに下りてきた。
 寝ているわけがなかった。しかしいつもの軽口どころか、言葉が出てこない。金縛りにあったように、身体も硬直している。
「怜?」
 悠良も異変を察した。怜の額から汗が伝っている。苦悩するような表情だ。
「…………悠良、ちゃん」
 やっとの思いで声を絞り出す。しかしそれは、自分の知るどの声よりも低く、かすれたものだった。
「どうしたの」
 悠良の表情にも焦りが表れる。怜は爪が食い込むほどに手を握りしめていた。
「啓ちゃん、呼んできて……」
「怜?」
 案じているのか、悠良は動かない。
 やばい──危険信号と同時に、怜は棒をつかみ、椅子から跳躍していた。がたん、と椅子が倒れる。
 次の瞬間には、倒れた悠良の上に覆い被さるようにして、棒先を喉もとに突きつけていた。床に広がった赤い髪に目眩がする。耐えようとするように、棒を持つ手が震えている。
「──っ」
 肩を押さえつける左手の力強さに、悠良は顔をゆがめた。目の前にいる怜の顔に、黒い文様が浮き上がる。頬にも、首にも、そして腕にも、まるで無数の虫が這うように、それは一気に広がった。
 呼吸すら抑えるようにして、怜はもう一度言葉を絞り出した。
「……莉啓、呼んできて」
 武器の先を喉もとで止めていることが、精一杯なのだろう。しかし悠良には、この場を離れることが得策なのかどうかわからない。第一、組み敷かれている状態で、悠良の力でするりと抜けられるはずもない。
「……つ……」
 痛みに耐えるような顔をして、悠良の肩から、手を離す。怜は腰に携えていたナイフを取り出し、棒を持つ自身の右手に思い切り突き刺した。 
「怜!」
「──悠良!」
 力強い一声に追い立てられるように、悠良は床を転がるようにして身を起こし、二階の部屋へ駆け込んだ。 
「莉啓、怜が──」
 その顔色と、白い上着に付着した血とを見て、莉啓がすぐさま立ち上がる。一目見れば、悠良がけがをしていないことはわかる。ならば、可能性は一つだ。
 莉啓は悠良の手をつかみ、背後に回した。開け放たれた扉から躍り出る。
 しかしすぐに、階下のテーブルを踏み台にし、棒を手すりに引っかけるようにして、怜が上がってきた。着地と同時に棒が振り下ろされる。身をひねり、ぎりぎりで避ける。風の音が耳に届いた。莉啓は舌打ちをして怜と対峙する。
「……まんまと操られてるな、情けない」
 怜の目はうつろだ。棒を持つ右手からは血がしたたり落ちているが、痛みなど感じていないかのように見える。
「悪いな、莉啓……」
 意識はあるのか、むりやり笑って怜はかすれた声を出した。
「ちょっと頑張って俺止めて」
 棒を回し、突っ込んでくる。冗談だろう、と吐き捨て、莉啓は背後に飛んだ。
 そもそも怜は武器を持ち、近距離での戦闘を得意とする。対して、莉啓は術を用いる戦闘スタイルだ。明らかに莉啓の分が悪い。
 扉の向こうの光景に、悠良は唇を噛み締めた。こういうとき、自分には何もできない。戦う力など持っていない。しかし、悠良から見ても、このままでは莉啓がやられるのは時間の問題だ。
 悠良は意を決して部屋を出た。せめて一瞬の隙を。
「──怜、こっちに来なさい」
 毅然と命じる。怜の意識はそがれ、ぐるりとこちらを向くと同時に跳躍する。
 棒が振り下ろされたが、悠良は目を閉じなかった。まっすぐに怜を見据えた。この隙を、見逃すような莉啓ではない。
 ドン、と鈍い音。
 閃光が走り、青白い光が怜の足下で炸裂する。
 バランスを崩した怜が床に激突し、同時にもう一度、閃光が走った。今度は右手だ。棒がはじけ飛ぶ。
 すぐに、口の中で呪詛を唱えながら、莉啓が怜と悠良の間に入った。指先を空中に滑らせ、青白い縄を具現化させる。そのまま素早く、怜を縛り上げた。
 縄から煙のようなものが浮き上がる。煙が拭うようにして、怜の身体の文様を消していった。
「……や、大変なご迷惑をおかけして、申し訳ない」
 先ほどよりは幾分ましな声で、怜がそんなことをいう。文様が消えたということは、術も解けたのだろう。
「力の限り罵りたいが、やめておこう。阿呆が。とりあえず怪我の手当だ。間抜け」
「……罵ってるじゃん」
 階下では、他の客が騒ぎ始めていた。すぐ近くの扉からも客が顔を出し、悲鳴を上げる。
 あれだけ派手にやれば、当然だ。
「まずいな、居づらくなる」
「催眠はできないの?」
「これだけ騒ぎになってからでは……」
 面倒だ、といいかけて、莉啓は口を閉じた。  
 どこからか響く笛の音。高く澄んだ音色だ。どこか懐かしいその音色に導かれるように、客たちはそれぞれ、浮いたような足取りで自室に戻っていった。静かに、各部屋の戸が閉められる。
「……とりあえず、味方ということか?」
 音もなく降り立った薄緑色の影は、笛から手を離し、優雅に笑んだ。




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