story6 忘れられた魔女 12

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 来客が悠良ではなかったことに、軽く失望の色を浮かべながら、天女はいわれるままにリストをめくった。
 セリーヌ=エリアント、レグ──この仏頂面の青年のいうことが確かならば、リストにその名が記されているはずだが。
「やっぱり、ないわねえ……そのレグって子の日記は、だいたい四十年前から始まっていたんでしょ?そのあたりのリストは残ってるけど、もう全部解決済み。そもそも未回収の魂自体がないのよ」
 ぱたん、とリストを閉じ、肘置きに頬杖をつく。確かめる? と聞かれ、莉啓は丁重に断った。天女がそういうなら、そうなのだろう。
「では、いちばん古いリストというと、いつごろになりますか。セリーヌについては、もっとずっと以前の可能性があります」
 天女の座る椅子の前に片膝をついた体勢で、低姿勢で莉啓が問う。天女は、ため息をついた。
「……莉啓ちゃん、うちの子がお世話になってるんだし、堅苦しいのやめない? 苦労性ははげちゃうわよ。そんな莉啓ちゃん見たくないのよ」
 いかにも心配している様子で、天女はいう。莉啓は返答に困り、結果、長い沈黙が訪れる。
 まあいいんだけど、とつぶやいて、天女は指を鳴らした。どさりと落ちてくる、分厚い書物。手にとって、最初のページを開いた。
「すぐ見ることが出来るのは、百年と少し前……そう、ちょうど東の災厄の次期ね。莉啓ちゃんと怜ちゃんと、ついでに翠華ちゃんがこっちに来ることになった、あの事件」
 ぴくり、と莉啓は眉を動かした。思い出したくもない。東の大陸がまるごと海に沈んだ出来事──それにより、人口の三分の一が死んだといわれている。莉啓、怜、翠華の三人も命を落とし、天界に訪れた。しかし記憶を失っていなかった三人は「例外」として、こちらで職に就くことになったのだ。記憶をなくしていなければ、転生もできないのだから。
「要するにね、その時期にひとの死が多すぎて、魂の回収もパンクしちゃったわけよ。リストどころじゃなくなったの。このままじゃいけないから、しっかりやり直さなきゃ、ってリストが新しくなったから……それより以前のものは、もう奥の奥の奥のほうにしまいこまれてるわね」
 リストをめくっていく天女の次の言葉を、莉啓は静かに待つ。やがて最後のページまでいきつき、彼女は本を閉じた。
「無駄よう。ないものはないわ。古いものを見てもおんなじ。考えたくないけど、リストから漏れてるってことかもね」
「……そうですか」
 しかしそれでは、セリーヌもレグも、調べることができないままに終わってしまう。何らかの原因で死んでしまった次期がわかるだけでも、理由に近づけるはずなのだ。
 なぜ生きるということに執着するのか──その原因を突き止め、根本から魂に認めさせないことには、魂の回収はできない。
「それでは、生を受けたもののリストのようなものは、ありますか」
「そっち? ええ、そんなのめちゃくちゃな人数よ」
 天女はあからさまに顔をしかめる。しかし、あくまで低姿勢を崩さない莉啓を見て、深く深く、息を吐き出した。
「……わかったわ、もう。そっちは旦那が管理しているはずだけど」
 ぶつぶつと漏らしながら、もう一度指を鳴らす。どさどさと莉啓の背後に、膨大な書物が降ってきた。
 数十冊の分厚い書物たち。さすがに、莉啓がつばを飲み込む。
「……私、ヤよ。莉啓ちゃんがんばるの?」
「…………」
 返事ができない。しかし、やらねば。
「名前なんてあやふやなものだから、一度でも使われていれば偽名でもニックネームでもぜんぶ載ってるわ。死者のリストは死んだ瞬間に使われていた名だから、やっかいなのはそこよね。ま、がんばって」
 明るい声が追い打ちをかける。たっぷりの間をおいて、莉啓は低く、決意の声を発した。
「一室、部屋を貸していただけますか。調査しますので」
 天女は笑った。
「あなた働くの好きねえ」
 そうして莉啓には一室があてがわれ、彼は端から二人の名を探していった。
 少しでも、何かを得るために。



 鐘を鳴らし、門を開けに来た金髪の少年には一瞥もくれず、セリーヌは荒い足取りで屋敷に入った。
 心がかき乱されている。
 苛立ちに任せて廊下を進み、自分にしか入ることの出来ない、花が咲き乱れる部屋の戸を開ける。
 そこで待ちかまえていた人物を見て、忌々しげに眉をひそめた。
「……ここに勝手に入らないでちょうだい、翠華」
 とがった言葉を投げたあとで、もうひとりの人物が立っていることに気がつく。
 赤い髪、赤い瞳──この部屋のなかにいると、花の精のように思われた。
セリーヌにとって、あまり気分のいい相手ではない。
「悠良さん、だったかしら。直々に何かご用?」   
 それでも平静を装い、声をかける。翠華の隣で、悠良は返事をせず、ただセリーヌを見た。
 セリーヌにとっては、その目が、もう、気にくわない。
 きっと自分の望むものすべてを手に入れている女。
「僕がお連れしたんだよ、セリーヌ。君のためにね」
 悠良の前に身を出し、翠華が紹介するように右手で示す。
「死の世界からやってきた、悠良嬢さ」
「死の世界……?」
 セリーヌはせせら笑った。
「ばかばかしい」
「あなたの言葉とは思えないわね。ここにいる子たちが、本来ならどこへ行くべきなのか、考えたことがないわけではないでしょう。」
「興味ないわね」
 嘘だ。
 だが虚勢を張って、わざとゆっくりと歩き、セリーヌは植物でかたどられた椅子に座った。
 死の世界などと。
 そんなものがあるなら、どうして自分はここにいるのか。
「……それで? 二人で、なにを企んでいるの」
 顔を見もせず、問う。ひとをばかにしたような、翠華の低い澄んだ声が、それに答えた。
「君の望みを叶える、手伝いを」
「望み? ──何も知らないくせに」
 言葉を吐き出す。いつから自分の周りには、自分を不愉快にするものばかりが増えてしまったのか。いっそすべてをなかったことにしてしまいたい。
 焦がれている望みはあれど、それが本当に自分の望んでいることなのかどうか、もうわからなくなっていた。得られるという確証がなければ、きっと繰り返しなのだ。
「死後の魂を、彼女は操ることができる。それって、君にとっては素敵なことでしょう?」
 翠華の甘い声が、届いた。
「魂を……?」
 目を見開く。思わず、悠良を見る。
 もしそれが本当ならば──
「あなたの望みを叶えるわ」
 悠良が続けた。
「望み……」
 セリーヌの表情が、複雑にゆがむ。
 望み。
 今更?

 それでももっと以前は、確かな望みがあったのだ。
 何もかもに裏切られ、疲れ果て、そうして決して自分を裏切らないものを作り上げようと、決意した。   
 ひとを愛していた、かつての愚かな自分。求め、求められることを望んだ自分。
 忌々しい記憶の数々は、消えることなく、自らを蝕む。
 闇雲に求めて、手に入れたものはなんだったのか。
 確立された地位。自分を裏切らない子どもたち。

「なんてくだらない……」
 肩を震わせ、セリーヌは笑い出した。
 自分をつくろってきたはずの彼女が、なりふり構わず笑い出したことに、翠華が異変を感じ取る。
「セリーヌ?」
 警戒するように、悠良を後にかばう。
 悠良は彼女から目が離せないでいた。
 壊れたように身をよじらせ、笑い続ける漆黒の女。
「──なら、わたしを殺しなさい。魂を操る? ならわたしを止めなさい!」
 彼女は立ち上がり、スカートをたくし上げ、ふともものベルトから短剣を抜いた。それを天井に向かって掲げる。
 照明が、刃を照らす。戯曲のような大仰な動きで、彼女は自らの胸に、刃を突き立てた。
 悠良は息を飲んだ。
 飛び散る血が、もとより赤い花々に降り注ぐ。
「ほら……」
 セリーヌは笑んだ。
 短剣を引き抜き、ひゅっと血を払う。 
「わたしが望むもの、わかる?」
 痛みなど感じていない身体を、ゆっくりと動かす。翠華と、悠良のもとへと歩み寄る。
 翠華は悠良をかばうようにして、手を伸ばす。腰の笛に触れようとしたが、身体が思うように動かないことに気づいた。
「わたし、間違っていたんだわ」
 歌うようにつぶやいて、彼女は一歩ずつ近づいてくる。作り物の花が視界で揺れ、それが原因だと気づいたときには、翠華も悠良も、自由に身体を動かせなくなっていた。怜をむしばんだ術──この女が術を操るということは知っていたのに。強い後悔を覚えるが、もう遅い。
「翠華……あなた、わたしに似ていると思ったの。だからそばに置いたのに。残念ね」
 セリーヌは自身の血で染まった手で、翠華の頬に触れた。愛おしそうに、彼の瞳を見つめる。
「……褒められてる気がしないよ、悪いけど」
 くっと彼女は笑う。
「もういらないわ」
 そのまま頬を殴るように力を入れた。衝撃が生まれ、翠華は横に跳ね飛ばされる。
 セリーヌは意に介さない様子で、今度は悠良へと手を伸ばした。
 悠良は、毅然と、赤く染まった女を見ている。
 恐れのない、真っ直ぐな瞳。
「その目……」
 セリーヌは両手で悠良の頬をつかんだ。それでも揺らがない瞳に、表情をゆがませる。
「最初から気に入らない。あなたは愛されているのね。だからそんな目ができる……一度、その目を、めちゃくちゃにしてやりたい」
「無理よ」
 静かな反論。
「あなたには」
 かっと、セリーヌは目を見開いた。
「馬鹿にしているの? 笑いたいの? 愚かだと、思っているの? そのとおりよ、なにもかも手に入れて、でもなにも手に入っていない……そのとおりだわ、くだらない!」
 悠良を突き飛ばし、二人を見下ろす。
「だからあの子だけだったのに! でもあの子も離れていった……! 望み? そんなもの、最初から、ひとつだけよ!」
 思い出したように、彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「ひとりにしないで……」
 それだけの望み。
 しかしそれが叶えられないままに過ぎたときの長さを、もう彼女は思い出せない。




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