story6 忘れられた魔女 10

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 レグにとってそれは、当たり前のことであった。
 セリーヌのもとで日々を暮らしていくということは、疑問を抱くことなどひとつもなく、ただ当然のことであった。
 ひとが成長するものであるなどということは、知らないのだ。
 ただ彼女のもとにいることが、すべてだったのだ。
 だからこそ、目の前の怜の驚きも、何も理解できてはいなかった。


「……どういうこと?」
 三人が借りている部屋で怜を待っていた悠良は、渡された日記を手に、眉をひそめた。
 悠良の母親である天女は、レグはリストのなかにないといっていた。だが、四十年とはいえ、それぐらいならリストに載っていなくてはならないはずだ。
「レグがターゲットであることは確実だとして……下界と天界との時間軸のずれを考えれば、四十年なんてたいした時間ではないわ。どうして、載っていなかったのかしら」
「怠慢なんじゃないの、悠良ママ。名前違うってこともあるだろうけど、単に漏れてたとか」
「……そうかしら」
 やる気はなさそうに見えるが、やることはやる母親なはずだ。何か、あるような気がしてならない。
「それにしても四十歳以上か。人は見かけによらないって真理だね」
「しかも、まったく自覚がないということか。それでも、仲間は助けて欲しい……よく、わからないな」
 悠良から日記を受け取り、目を通しながら莉啓がつぶやく。
 怜はベッドに寝転がった。
「当たり前に四十年って、驚くよほんと。啓ちゃんのいうとおり、自覚ないのがまた驚く。そうなると、セリーヌ=エリアントはいつからなんだろうな」
「もしかしたら本当に、東の災厄を……東の大陸が落ちた出来事を見てきたのかもしれないわ」
 それこそ百年単位で昔の話だ。とはいえ、いまではおとぎ話程度にしか伝えられていない「東」の存在を詳しく知るということは、レグの存在も併せて考えると、十分に可能性が出てくる。
「怖いな、セリーヌ=エリアント。まさに魔女」
 枕に顔をうずめ、大げさに身をよじる。そこは私のベッドよ、といってももう遅いので、悠良は深い息を吐き出した。
「でも少なくとも、他のリストにある名前は最近死を遂げた者たちのはずだ。他にも、レグのようなケースはあるのだろうか」
「わからないわね。向こう側にターゲットが何人いるかもまだわからないのに」
「乗り込む?」
 ばっと顔を上げ、怜が瞳を輝かせる。二人は冷ややかな目線を送った。再び枕に顔をうずめ、すすり泣きを始める。
「冷たい……」
「もう一度あなたが行く? 次も術にかかるようなら、莉啓が容赦なくとどめを刺すようだけど」
 冷淡に悠良が告げる。いま怜のいる場所が、悠良のベッドだと気づいた莉啓からは、すでに殺気が立ち上っている。
「同じ失態は二度はしませんよ、誓って」
「頼りない誓いね」
 相棒の殺気が収まらないので、怜はおとなしく身を起こした。ベッドに腰かけるようにして、膝の上の枕にほおづえをつく。
「それより、二人の話だと、日記を見ろっていったのは翠華なんだろ。あいつはたぶん、もう少しいろいろ知ってんじゃないか?」
 もっともな意見だった。莉啓の表情が、さらに機嫌悪く歪められる。
「味方する気もないんだろう。あいつはいないものと考える」
「嫌いだよね、啓ちゃん翠華のこと」
「安心しろ、おまえも嫌いだ」
 えー、と怜がうめく。長く相棒をやっているのに、あんまりではないか。
「とりあえず、ターゲットの確認が先ね。これはレグから聞けるわ。それと……そろそろ、セリーヌ=エリアントにも会っておく必要があるわね」
 悠良の言葉に、莉啓がうなずく。怜としても、仕返しはきっちりしておかなければならない。そういうことだね、とうなずいた。        



 早朝、黒い薄手のコートに身を包み、セリーヌ=エリアントは街道を歩いていた。自ら外出することなど滅多にないのだ。冬が近づき、柔らかいとはいえ、日差しが刺さる。
 昨夜の翠華の言葉がずっと耳について、離れない。ばかばかしい、とも思う。しかし少なくとも、屋敷のなかでのんびりしているような気分でもない。
 開店を始めた店から、セリーヌを呼ぶ声がいくつもかかる。露出が少ないとはいえ、カンパニー代表者の姿は有名だ。しかし、どの声にも応じず、セリーヌはただ、目的地に向かって歩いた。
 ほどなくして、時計台の下にたどりついた。緑色の屋根。レグが行く宿といえば、幾度となく仕事にやったこの宿だろう。
 戸を開ける。まだ早いからか、一階の食堂に、人影はない。
 木製の丸テーブルの間を進み、セリーヌは迷わず、一階の端の戸をノックした。数秒後、扉が開かれる。
 レグは、目をいっぱいに見開いた。
 セリーヌは笑う。
「迎えに来てあげたわ」
 ひどく優しい笑顔。レグは扉を閉めようとしたが、セリーヌの細い腕がそれを阻んだ。真っ赤な爪が、木に食い込む。恐ろしい力だ。
「セリーヌ……ぼくは、戻らない」
「馬鹿な子ね。わたしのところでなければ、あなたは生きていけないのよ、レグ」
「かまうもんか」
 セリーヌは、黒い瞳をゆっくりとまたたかせた。吹き出すようにして、声をたてて笑う。
「何を勘違いしているの」 
 何がおかしいのかわからず、レグは困惑する。扉を閉めるか、または間をすり抜けて、二階まで行くことが出来れば。
 しかし、セリーヌの向こう側に表れた人影に、レグは安堵の息を漏らした。
 もう大丈夫だ。この人たちがいれば。
「……あら、早起きね」
 セリーヌは背後に向き直った。黒髪の青年が立っている。昨日訪れた、長い棒を携えた少年は、椅子に座ってこちらを眺めていた。
「昨日はどうも」
 怜が、形ばかりの挨拶を口にする。莉啓は剣呑な目つきで、じっとにらみつけている。
「セリーヌさん自らこんなところまで起こしとは。人手不足? だから俺を雇っておけばよかったのに」
「嗅ぎ回るネズミはいらないわ」
 柔らかい口調でそう切り返す。
「うわ、感じ悪いなこのひと」
「……レグを連れて行くつもりか?」
 怜の軽口には反応せずに、莉啓が口を開く。
 もちろんよ、とセリーヌは答えた。
「大切な子だもの。レグだって本当は、戻りたがっているのよ」
「しょせん駒のひとつだろう。執着する理由がわからないな」
「……駒だなんて。心ない人ね。レグが傷つくわ」
 セリーヌはレグの手を引くと、そっとその頭を撫でた。
「少し、気分転換したかっただけよね? さ、戻りましょう」
「セリーヌ! ぼくは、戻りたくないんだ!」
 手を振り払われて、セリーヌは信じられないといったように、自身の手と、レグとを交互に見た。不快感ではない、純粋な疑問。
「なぜ?」
「……おかしいよ。狂ってる」
「それのなにがいけないの」
 不思議そうに小首をかしげ、レグを見つめる。馬鹿な子、ともう一度繰り返した。
「いいわ、もう少し待ってあげる。でもみんな心配しているのよ。早く帰ってらっしゃいね」
 レグの頭を撫でた。レグは泣きそうになって、下を向く。この女はおかしい。おかしいけれど──
「──いずれあなたのもとへ行くときがくるわ。その子には目的があるから」
 レグの迷いを断ち切るように、階段を下りてきた悠良が、そう告げた。
 セリーヌの表情に変化が表れる。怒りに近い表情。
「なんの用かしら」
「初めまして、でしょう。私は悠良。怜がお世話になったわね」
 毅然と微笑んで、悠良は一礼する。セリーヌは押し黙った。癪に触る。
「レグ、あなた目的があるのよね。なら、逃げ回ってばかりいるわけにはいかないわ」
「──悠良」
 莉啓が制止しようと声をかける。かまわず、悠良はゆっくりと、レグに歩み寄った。
「あなたなにがしたいの」
 辛辣ないい方だ。
 レグは唇を噛み締めた。
「……助けたい、みんなを」
「助ける? なあに? どうしたの、レグ」
 さもおかしそうも声をたてて笑い、セリーヌは髪をかき上げた。馬鹿な子。何もわかっていない。
「そうなの、助けるというのね……じゃあ待ってるわ、レグ。『助けて』みせなさい」
 かつん、と音を立て、セリーヌは悠良に向き直った。その赤い髪、赤い相貌を、じっと見つめる。
「あなたは幸せね」
 むりやり笑うような口を作る。
「でも、そのやり方、いつか身を滅ぼすわね」
 つかつかと扉に向かい、最後に振り返って、わざとらしくスカートの裾を持ち上げた。
「わたしはセリーヌ。カンパニー代表、セリーヌ=エリアント。お客様のお越しを、いつでもお待ち申し上げております」
 慇懃に礼を残し、立ち去る。
 残された四人のなかで、怜はすっと立ち上がると、レグの頭を軽く叩くように撫で、早々に二階に引き上げていった。莉啓は動かない。悠良はレグをじっと見つめている。
「あなたのおともだちは、みんな死んでいるわ」
 おもむろに口を開く。びくり、とレグは身を震わせた。
 莉啓は見ている。止めたところで、意志を変える悠良ではない。
「じゃあ、レグ。あなたは?」
「…………」
 レグは黙っている。両の拳を握りしめ、うつむいたまま唇を噛んだ。
「覚悟ができたら、いつでも協力するわ」
 いい残し、悠良は踵を返した。




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