story5 恋人 1

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 あなたを愛しています
 ずっと、ずっと、あなただけを、愛しています。










 風が走った。
 恋人たちの集う、フルール広場。木々に囲まれたその広場の、中央の時計台の下に、二人はいた。
 若い男女。
 白銀の髪の男性と、赤い髪の美少女。
二人は見つめ合い、ゆっくりとほほえみ合う。
 その光景を前に、カレン=セルウォーエンは、身を隠していたことも忘れ、悲鳴に似た声をあげていた。
 見てしまった。
 こんなものを、見たいのではなかった。
「……どういうつもり、デルフ?」
 口から出た声は、自分の知るどの声よりも低く、震えたものだった。驚いたように振り返るデルフ=シリエンタの、その青い双眸を、カレンは見つめる。
 戸惑わないで、焦ったりしないで──どうか、どうかと、手を握りしめる。
 しかし、期待に反して、デルフの目に浮かんだのは小さな動揺。そして彼は、悲痛な表情で、瞳を逸らす。
 カレンは震えた。なぜ、そんな顔をするの。なぜ、何もいわないの。
 なぜ、いいわけすらも、してくれないの。
「愛していると……あんなにいいあったわ。結婚しようって、いったわ」
 嘘だったの、などと、陳腐な言葉は口にしたくない。そんな言葉で片づけられる気は到底しない。カレンの目に、思い出したように、涙がにじむ。
「そのひとは、だれ? どうして? わたし、待っていたわ。約束の教会で、ずっと……待っていたわ! どうして!」
「ごめん」
 ただ一言、デルフの告げた言葉に、カレンの視界が色を失う。
 目眩がした。
 幸せなときが永遠に続くと、甘い言葉が永遠のものだと、そんなことを思うほどこどもではないけれど、それでも永遠と錯覚させるには充分すぎるほどのときを、二人で過ごした。
 卑怯だ。
 それならば、最初から他人であればよかった。
「……きらいになったと、そういうこと?」
「ごめん」
「────!」
 カレンは、身を翻した。 
 そのまま振り返らず、まっすぐに広場を後にした。
 残された二人のそばを、もう一度、風が吹く。
「……ばかね」
 赤い髪の少女が、デルフを見上げ、無表情で呟いた。
 
   *

「それで承諾したのか」
 黒髪、黒服の青年が、静かに立っている。
 声に感情はない。
 しかし、長い付き合いだ。怒りのオーラが、手を伸ばせばつかめそうなところまで、めらめらと立ち上っているのが見える。
 豪華絢爛の一言につきる客間。トイレ、バス、キッチン完備。この部屋だけで十分生活していけそうだ。その客間の中のリビングの、ふかふかソファに寝転がったままの体勢で、少年は困ったように片眉を上げて見せた。春ののどかな陽気の中、気持ちよくまどろんでいたところだったのに。タイミングの悪い相棒だ、などと思いながら。
「やー、まあ、啓ちゃんが怒るだろうなあ、とは思ったけどさ。悠良ちゃんももうこどもじゃないんだし、お付き合いぐらい許してあげたら? あれだよ、口うるさいと、嫌われるよ?」
「本気でいっているのか」
 怒りのオーラを更に増幅させ、青年はソファの目の前に立ち、だらしなく寝転がる相棒を見下ろした。
「いや、冗談だけど」
 少年は身を起こす。どうやら、本気で怒っているようだ。
「あれだけ頼まれちゃ、仕方ないだろ。滞在中の宿も食事も、ぜんぶ面倒見てくれるっていうし。そのおかげで、こんな立派な部屋にいるわけだよ、莉啓クン。感謝したまえー」
「だまれ」
「ハイハイ」
 まっすぐな怒りを軽く受け流し、少年は肩をすくめる。
「ま、そろそろ帰ってくるよ。どーんと待ってれば?」
「……見てくる」
 青年は、怒りをあらわにしたまま、それでも静かな足取りで部屋を出て行った。あーあ、と少年は天井をあおぐ。
 仕事をしているのに、いちいち目くじらをたてられたのでは、やっていられない。
 と、閉められたばかりの扉が、跳ね返るように開いた。
「……見てくるんじゃなかったのかよ」
「待つ」
 ずかずかと入り、憮然としてソファに腰を下ろす。
 干渉しすぎてはいけないとでも、思い直したのだろうか。
 少年は思わず吹き出した。
「啓ちゃんさー、前から思ってたけど、年頃の娘を持つパパみたいだよね。いやぁ、見てて飽きないわ」
「ふざけるな。うるさい。黙っていろ」
「まあパパったら、おこりんぼーね」
「…………」
 青年がゆらりと立ち上がる。すっと目を細め、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
 しまったやりすぎた、殺される、と少年は思った。
 しかし、控えめなノックの音に、一瞬青年の注意が動く。その隙を見逃すわけもなく、少年はそのまま宙を舞い、扉の前にひらりと着地した。
「はいはい、ただいま」
 扉を開けると、赤い髪の美少女と、背の高い青年──デルフ=シリエンタが立っていた。 
「ただいま戻りました、レンさん。それから……初めまして、リケイさんですね?」
 デルフは、礼儀正しく一礼して、部屋のなかの二人を見た。少年、怜のにこやかな笑顔とは対照的に、莉啓という名の青年が鋭い目でこちらを睨みつけている。怜から、あとから合流する相棒がいるからと聞いていたが、なにか気に障ったのだろうか。
 困惑していると、表情に出てしまったのか、怜がぽんと肩に手を乗せた。
「コワイカオのおにーさんでごめんね、啓ちゃんちょっと機嫌悪いみたいで。それで? うまくいったの?」
「はい、たぶん……あ、あの、やはり、ユラさんをこんなことに巻き込んだのが、いけなかったのでしょうか?」
 黒髪の青年の仏頂面は、自分のせいなのではないかと、デルフが顔色を青くする。まさしくそのとおりだったが、莉啓は憮然としたまま「別に」と呟いた。それでも充分、大人げない態度には違いない。
「莉啓は大体いつもこんな顔よね? 誰に対してもにこにこしている莉啓なんて、想像し難いわ」
 冷たい声でさらりといい放ち、デルフの後に隠れる形になっていた美少女が、つかつかと部屋に入る。迷わず上座に腰を下ろし、悠然と足を組んだ。
「喉が渇いたわ」
 一言。その一言に、すぐさま莉啓が対応する。
「すぐに紅茶を用意しよう、悠良」
 その様子を、ぽかんとした顔でデルフが見守る。確かに、悠良以外にやわらかい表情をする莉啓は想像できないなと納得しながら、怜はデルフをソファへと促した。
「ま、座ってよ、デルフさん。首尾も聞きたいし」
「あ、はい……」
 促されるままに、ソファに腰を下ろす。結局全員分の紅茶を用意して、買い出しのついでに手に入れた焼きたてパイも皿に出すと、莉啓もまたソファに落ち着いた。
「……カレン=セルウォーエンという女性と、縁は切れたのですか?」
 相変わらずの仏頂面で、莉啓がいきなり確信を突く台詞を口にする。デルフは、きゅっと身を縮こまらせた。
「いえ……、ぼくと、ユラさんがお付き合いしていると、そう思ってはくれたみたいですが、まだはっきりとは……。本当に、すみません、こんなことにユラさんを巻き込んで」
「いえいえ、うちの悠良ちゃんでお役にたてるなら。ねえ、悠良ちゃん」
 すでに大皿の半分のパイを平らげて、怜が調子の良い返事をする。
「別にあなたが女装してもよかったのよ。充分ごまかせられるわ」
 怜の方を見もせずに、悠良がさらりと返した。相変わらずの冷たさに、ますます怜の食が進む。
「これだけ謝礼をいただいて、立派な部屋まで用意して頂いて、もちろん、何も文句などいうつもりはありませんが……」
 そう前置きしておいて、莉啓はデルフを軽くにらむように見た。
「なぜ、悠良なのです? 他にも、たくさんいるでしょう」
 充分に文句のありそうないい方だ。怜が隣で苦笑している。
 それは、とデルフは弁明を始めた。
「ぼくがいうのも、おかしな話ですが……ぼくは、シリエンタ家の一人息子です。この町ではセルウォーエン家と並ぶ、いわゆる富豪です。そんなぼくが、セルウォーエン家の一人娘との婚約を破棄してまで他の女性とつきあうなどと、芝居とはいえ、この町では大変な事件なのです。そのような役は……大変、失礼ないい方になってしまうかも知れませんが、旅の方でもなければ、とても……」
「行きずりの旅娘じゃなきゃ、ゆくゆく面倒ってことだろ、そりゃあそうだ」
 デルフにしても、怜にしても、あまりに身も蓋もないいい方だ。莉啓の双眸が鋭く細められる。
「不愉快だ」
「莉啓が不愉快かどうかは、どうでもいいのよ。あなたは私の何? 保護者だったかしら?」
 こちらも不愉快さを露わにして、悠良が静かな口調でいい放つ。子ども扱いされているような気にでもなるのだろう。難しい年頃だ。
 緊迫感を帯びる旅人たちにやや尻込みしながら、申し訳ありません、と深く頭を下げ、シリエンタ家の一人息子は早々に席を立った。
「また、家の者に、カレンの様子は探らせます。あきらめてくれるようならそれで良いのですが……場合によっては、またご協力をお願いするかも知れません。どちらにしても、連絡致しますので。──それでは」
 育ちの良い一礼を残し、部屋を後にする。
 残された三人に、なんともいえない沈黙がおちた。
「探らせます、だって。ちょっと冷たいんじゃないの」 
 一応は遠慮していたのだろう、依頼主がいなくなったことで、ソファが転倒しそうなほどだらしなくのけぞり、怜が毒づいた。
 確かに、かつて結婚を誓い合った相手に対して、やや冷淡すぎる感がある。 
「金にものをいわせて、後始末か。気に入らないな。──悠良、嫌ならこんな依頼、受ける必要はない。旅の資金なら、なんとでもなる」
「嫌じゃないわ。仕事だもの」
 不快そのものを全面に押し出した莉啓の言葉に、優雅に髪をかき上げながら、静かな口調で悠良が答えた。
「……『仕事』?」
「そ、お仕事なんだって。啓ちゃんが地道に聞き込みしてる間に、向こうからぽろっとやってきたってわけ」
 莉啓の眉が跳ね上がった。
「貴様! それならそうと最初から……!」
「えー、だって啓ちゃんそれどころじゃなかったじゃーん」
「……!」
 反論できず、身を乗り出したままの体勢で、わなわなと拳を振るわせる。悠良がデートをしている、という紛らわしい状況説明のおかげで、確かにそれどころではなかった。
 しかし、それにしても、誤解を生む発言をわざわざする必要もなかったはずだ──などと思ったものの、それを口に出してしまっては負け惜しみのようになってしまう気がして、莉啓は無理矢理ため息を吐き出した。
「……そういうことなら、仕方ないな」
「では、分担しましょう。また依頼があるかも知れないから、私は引き続き、ここにいないと駄目ね。カレン=セルウォーエンのところにも、どちらか一人。……じゃんけん?」
 透き通る赤い瞳を優雅に細め、悠良が静かに指示を出す。だが最後の提案のあまりの意外性に、二人の従者は目を見開いた。
「じゃんけんっ! なつかしい響きだなそれ。悠良ちゃんの口からじゃんけん……。いいねぇ」
 心底可笑しそうに感想を口にする怜とは対照的に、何やら衝撃を受けたような表情で莉啓が固まっている。じゃんけんなどと、どこで知ったのか。どうせ昔、怜か翠華か……もしかしたら、あの母親に教えられたのだろう。
「よし、じゃんけんしよか、啓ちゃん。負けたらカレン=セルウォーエンとこね」
喜々として怜が右手を振り上げる。
「──っ、…………」
 反対するだけの理由も見つからず、莉啓も渋々片手を上げた。





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