story3 とてもとても長い夢 1

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みんな死んじゃう

みんなみんないなくなっちゃう

今日か、明日か、明後日か、明々後日か





みんなみんな














わたしは

















「起きて、ティアラ。……ティアラ! いい加減に、起きなさい! お母さん、これからお仕事に行ってくるから。店番、お願いするわね。お掃除もやっておいてくれると助かるわ。……ねえ、ティアラ、聞こえてるの?」
 もちろん聞こえていたし、もうベッドから抜け出してもいた。毎朝、娘の顔を見ようともせずに同じ言葉を投げかける母親に、少なからず嫌悪感を覚えながら、ティアラは大きく息を吸い込んだ。
「わかったわ、お母さん。無理しないようにね。店番は、ちゃんと、やっておくから」
 しかし、吸い込んだ空気の量に反して、ティアラの口から出た言葉は、ひどく落ち着いた、おとなしいものだった。じゃあ行ってくるわ、という母親の声と、玄関の戸を閉める音が、やけに大きく、ティアラの耳に響く。
 顎の辺りが、むずむずした。彼女は余った空気をゆっくりと吐き出すと、いかにも億劫そうに着替え始めた。
「……身体の調子、悪いくせに」
 思わず、そんな言葉が漏れた。なのに母親は、いつものように出かけていく。
 母親の健康状態がすぐれないことは、もうずいぶん前から知っていた。なにより、毎晩のように、母自身が漏らしているのだ。ああ、今日も疲れた、ああ、今日も大変だった……
 知っているからこそ、毎日、菓子屋である家の店番もする。毎日、家事をする。母のことを気遣う。
 しかし最近、なにかが違ってきていた。
 お互いに、日々が日常になりすぎて、なにかが食い違ってきていた。
 嬉しいと思う気持ち、ありがとうと思う気持ち、心配だと思う気持ち──そういったことすべてが、心から溶けてなくなって、もうずいぶんになる。
 なんの飾り気もない紺色のワンピースに着替えると、彼女はゆっくりと階段を下りた。朝食をとる気にもならず、コーヒーだけ飲むことにして、椅子に腰かける。
 丘の上の教会の、鐘の音が聞こえてきた。
 町が動き出す時間だ。
「大変。店、開けなきゃ」
 あわててコーヒーを飲み干し、店へと通じる扉を開ける。まさにその瞬間、ドアベルが響いて、ティアラは慌ただしくそちらへ向かった。
「はいはい! どちらさま?」
 ドアを開けると、玄関先には、赤い髪をした見事な美少女が立っていた。
「おはようございます」
 朝日を背に受けて、やさしく微笑む。ティアラは、なにごとかと考えて、そしてすぐに思い出した。
「ああ、おはよう、ユラさん。時間ぴったりね」
「ええ、教会の鐘が聞こえたものだから、あわてて走ったの」
 その笑顔はとても美しく、ティアラは思わず見とれてしまった。しばらくの間働かせて欲しいという話だったが、どこかの裕福なお嬢様にしか見えず、とても稼ぐ必要があるようには思えない。
「じゃあ、さっそく、店番をお願いするわ。わたしは、キャンディを瓶に詰めるから」
「ええ」
 赤い髪の少女は、うなずいて微笑んだ。


 ティアラの家が経営している菓子屋は、通りに面したところにあり、近くに公園があるということも手伝って、客の入りは良い方だった。とはおいえ、町自体がこぢんまりとした港町なので、客といってもたかが知れている。
「めずらしいよねー」
 菓子屋の向かい側にある、空き家の二階の窓から身を乗り出して、茶色の髪の少年がぽつりとつぶやいた。相棒に話しかけたつもりだったのだが、返事が返ってこないので、訝しげに振り返る。
「ねってば。……啓ちゃん、なにやってんの?」
「…………」
 返事はなかった。
 聞こえなかったというわけではなく、あえて無視しているようだ。
 しかし、彼の右手に包丁を、そして左手に長い棒を確認して、少年はあわてた。
「ちょっとちょっと! なにしてんの!」
「暇つぶしだ」
「そんなもん、他でつぶせよ!」
 あわてて、愛用の棒をひったくる。最近ではめっきり武器として使われることもなくなってしまったが、それでもやはりなくなるのは困る。
「啓ちゃんさあ、ヒマなのはわかるけど、もうちょっと前向きにいこうよ。こんなこともあるって。悠良ちゃんだって、万能じゃないんだから」
 啓ちゃん、と呼ばれた青年、莉啓は、いかにも不機嫌そうに眉を上げた。
「おまえは一度ぐらい後ろ向きになってみたらどうだ? それと、窓から顔を出すな。空き家を勝手に使っているんだからな。見つかったら変に思われる」
「はいはい」
 そうして、再び沈黙が訪れた。相変わらずの無表情で、今度は包丁を研ぎ始めた莉啓を眺めつつ、少年はため息を漏らす。
 できれば朝食でも作っていただきたいものだが、彼が包丁をふるうのは悠良のためだけなので、我慢するほかなかった。仕方なく、昨日のうちに買っておいたパンを口のなかに放り込む。
「……怜」
「はいはい?」
 パンを飲み込み、少年は顔を上げた。
「めずらしいというのは、なんの話だ?」
「は? ああ、あれね」
 聞いていないわけではなかったらしい。怜という少年は、手にした棒で窓の外を指す。
「悠良ちゃんのこと。今回、ターゲットが誰だかわかってないんだろ? それだけでもめずらしいけど、自分からティアラ=リサルトのいる店で働くとかいいだすしさ。しかも、あっさり啓ちゃん許しちゃうし」
「……仕方ないだろう」
 ため息混じりに、莉啓がつぶやく。確かに、莉啓や怜が止めたところで、悠良は意見を変えるようなことはしなかっただろう。
「とりあえずは、手の出しようがないからな。悠良の思うようにやればいい」
「まあ、ねえ。そうなんだけど。おもしろそうだから、キャンティでも買ってこようかな」
「おまえは情報収集でもしていろ」
 予想通りのお言葉に、怜は軽く肩をすくめた。
「じゃ、そうさせてもらおうかな。こんな小さな町、一日あったら全員の話が聞けちゃいそうだけど」
 怜の言葉が大げさに聞こえないほど、実際、とても小さな町だった。一応は港町なのだが、活気とは無縁とも思える。船が来ても、商人や旅人はこの町を素通りすることだろう。第一、宿すらないのだ。数多くの宿や、旅人を楽しませる店などは、この町から少し北に位置する大きな町に集中していた。海でとれる新鮮な魚でさえも、この町よりも隣町の方が数多く店に並ぶほどだ。
「この町は……」
 少し目を伏せて、莉啓はつぶやいた。
「この町は、どこか、懐かしいな」
 同意しかねて、怜は首をかしげる。いったいなにが懐かしいというのだろう。
「悠良ちゃんも、そんなこといってた気がするけど。懐かしいって、なにが?」
「いや……」
 莉啓の脳裏に、もっとふさわしい言葉が浮かんだが、口にすることなく、彼は窓の外に視線を移した。
 見るわけでもなく、ぼんやりと、眺める。
 懐かしい、というのは、間違いではない。
 しかしそれよりも、ひどく、奇妙な町だった。


 色とりどりのキャンディや、様々な形のチョコレート、それにクッキーやビスケットが並ぶ店内を見渡し、悠良は嘆息した。今更ながら、ずいぶんと、かわいらしい店だ。
「なあに、どうかしたの? ため息なんかついちゃって」
 不意に、店の一人娘であるティアラが現れて、悠良は慌てて笑顔を取り繕う。ティアラは、小さな瓶をいくつもかごに入れて、どうやら店内に並べるところのようだ。
「とてもきれいなキャンディばかりだから、見とれていたの。ティアラさんが作ってるの?」
「わたしよりも、お母さんがやってるのよ、飴細工。動物の形や、花の形をしていると、小さなこどもが喜ぶって」
 そう、と微笑を返しながらも、悠良は必要以上に緊張している気持ちを落ち着かせるのに必死だった。ここで働くことになってから、耳にタコができるほど、怜にいい聞かされたのだ。いつも笑顔を心がけること、やわらかい口調で話すことを忘れずに、と。いつもの調子でやればすぐにクビになるともいわれ、頭にきたのは事実だが、とはいえ外で働いた経験などないので、従うことにする。
「そういえば……」
 悠良は、なんとか話題を作り出した。
「バレッタさんは、今日も、お菓子を売りに行っているの?」
 バレッタとは、ティアラの母親の名だ。
「そう、公園にね。やっぱり、こどもたちが集まるのは公園だから」
 そうこたえた笑顔にどこか違和感を覚えて、悠良は眉を寄せた。しかし、それも一瞬のことで、ティアラは手際よく瓶を並べていく。
「よし! さて、今度はチョコレートのラッピングをしなくちゃ。じゃ、よろしくね」
 そういい残し、彼女は再び店の奥に戻っていってしまった。
 悠良は肩をすくめ、カウンターに頬杖をつく。客が来ても面倒だが、こう来ないと暇でたまらない。
 そんなことを考えていると、六歳ぐらいの少女が三人、店に飛び込んできた。
「いらっしゃい」
 微笑む。そろそろこの笑顔も板についてきただろうかと、密かに悠良は思う。
「ティアラお姉ちゃんは?」
 ひとりの少女が、そういって悠良を見上げた。
「ティアラさんに用なの? ちょっと待ってね、いま奥に……」
「ううん、呼ばなくていいの! そうじゃなくてねーえ、ティアラお姉ちゃんは、元気かなあって思ったの」
「元気? ティアラお姉ちゃん、にこにこしてる?」
「ティアラお姉ちゃん、楽しそう?」
 口々にいわれ、悠良は困惑した。
「え、ええ、元気だし、楽しそうよ」
「よかった!」
 少女たちは手を取り合い、はしゃぎだす。ますますわけがわからなくなり、悠良は尋ねてみることにした。
「ティアラさんが、どうかしたの?」
 とたんに静かになり、三人は顔を見合わせた。どうやらリーダー格らしい少女が、首をかしげつつ、悠良を見上げる。
「だって、ティアラお姉ちゃんはね、病気なの」
「病気?」
「うん。でもねえ、これは、ティアラお姉ちゃんには内緒なの」
 悠良は眉をひそめた。こどものいうことに意味などないかもしれないが、それにしても妙な話だ。ティアラが病気であり、なおかつ本人には秘密というのは、いったいどういうことなのだろう。
 おしゃべりをしながらも、三人の少女は、それぞれキャンディを選んで悠良に差し出した。悠良は、その数を数え、代金を受け取る。
「これからねえ、広場に行くんだよ」
「広場で遊ぶの」
「追いかけっこして、おやつ食べるの」
 悠良は微笑んだ。
 こういう光景を見ていると、心がけていなくても、自然に笑みがこぼれるものだ。
「じゃあね、お姉ちゃん」
 そういって出て行こうとして、不意に、ひとりが振り返った。
「もうちょっと、待っててね!」
 そうして、三人の少女たちは、店を飛び出していった。楽しそうな笑い声が、だんだんと遠のいていく。
「……何を待てばいいのかしら」
 小さく首をかしげ、悠良は、ふたたび頬杖をついた。


 花屋で花束を購入し、怜は街道を歩いていた。
「花って、結構高いよなー。そろそろどっかで稼がなきゃ、やばいかも」
 思わずぼやき、自分でも似合わないと思いながら、花束を持ち替える。
 通りにさしかかったところで、買い物帰りの女性を見つけ、怜はタイミングをはかるために少し立ち止まった。
「すみません」
 絶妙の間をとって、そう話しかける。
「はい?」
「ちょっと、お聞きしたいことがあるんですけど、いいですか?」
 女性は、ほんの一瞬、訝しげな顔をした。
 花束はともかく、長い棒が不思議だったようだ。
「……なんでしょう?」
「お見舞いに来たんですけど、道に迷っちゃって……。ティアラ=リサルトさんの家って、どこかご存じです?」
「ティアラ?」
 女性は、首をかしげた。
「ティアラの家なら、この通りをまっすぐ行ったところだけど……お見舞いって、あの子、どうかしたの?」
「え? 知らないんですか?」
 怜は大げさに驚いてみせる。
「死にそうなめにあったって、聞いたんですけど。ティアラ=リサルトですよ、菓子屋の一人娘の……」
「知ってるわよ、ティアラのことは。変ねえ、こんな小さな町だから、そんなことがあったら噂になってるはずだけど。そんな話、聞かないわよ」
 気さくに答えてきた女性のことを、間違いなく噂好きだと判断し、怜は表面上は不思議そうな顔をした。
「あれえ、勘違いかなあ。じゃあ、この町の人でだれか、そういうめにあったひとって、います? 俺の聞き間違いかも」
「ないわ、そんなこと。平和な町だもの」
 悩むことなく、女性はきっぱりとそう告げた。
 あまりにもはっきりとした答えだったので、怜は眉をひそめる。なにかを、隠しているのだろうか。
「そうですか」
 これ以上追求するのは諦めて、怜は頭を下げた。
「とりあえず、ティアラのところへ行ってみます。元気なら、それが一番だし。どうも、ありがとうございました」
 そういって、ティアラの店へ向かうふりをして、適当なところで角を曲がり、大きく息をついた。
 経験上、相手の対応から、大体の情報は読み取れるようになっている。今回の女性の物いいは、明らかに不自然だ。
「あれは絶対、なんか知ってるよなあ」
 いろいろな手口で試してみたのだが、町の人間は、誰もがこの町は平和だというばかりで、埒があかない。
 悠良がこの町にターゲットがいると感じた以上、それは紛れもない事実であるはずだ。しかし、今回は、いつもと若干事情が違った。
 この町にいるということはわかっても、ターゲットが誰なのか、肝心なことがわからないのだ。
「悠良ちゃんはティアラ=リサルトが怪しいっていうけどさ」
 ひとりでぼやきながら、そろそろ帰ろうかと歩き出す。とりあえず、話を聞いた限りでは、ターゲットが誰なのかわからずじまいだが、仕方がない。
「悠良の言葉に、間違いはない」
 突然、背後から聞き慣れた声がして、怜は驚いて振り返った。
「莉……っ」
「……どうかしたのか?」
 めずらしく本気で驚いている様子の怜を奇妙に思い、不思議そうに莉啓が尋ねる。町を歩いていたら怜の姿が見えたので声をかけただけなのだが、それほど驚かれるとは思ってもみなかった。
「啓ちゃん……いつからそこにいた? ぜんっぜん気づかなかった」
「普通に歩いてきただけだ。めずらしいな、気配がわからなかったのか?」
 怜は、疲れたように肩をすくめた。集中していなかったとはいえ、気配すらろくによめないとなると、おおごとだ。
「わからなかった。変だな、こんなこと……」
 久しぶりだ、といおうとして、怜は言葉をつまらせた。
 久しぶりなのだ、この感覚は。
 まるで、すべてのものに実態がなくなったかのような、おかしな感覚──
「……そっか、わかった!」
 声をあげ、怜は莉啓を見た。
「この町、懐かしい感じがするって、二人ともいってたよな。わかった、俺もいま、そう思った。ここって、天界に似てるんだ」
「天界に?」
 悠良の故郷であり、莉啓や怜が長い間暮らしていた場所だ。死した魂が集まり、転生のときを待つ、神聖なる場所。
 天界にいたころのことを思い出そうと、瞳を閉じて、莉啓は低くうなった。
「……似ている、かもしれないな。空間を流れている力が、近い。悠良も、このことをいっていたのだとすると……」
「怪しいね。天界ってのは、いつも特殊な結界に囲まれてて、いつも特殊な力が流れてる場所だろ? そこに似てるってことは、この町全体に、おかしな細工がされてるかもってことになってくる。それなら、悠良ちゃんがターゲットを確定できないぐらいに不調になってるのも納得できるし」
「そういうことだ」
 腕を組み、莉啓は考え込むように口を閉ざした。いつものことなので、怜はおとなしく待つ。考え事をしている莉啓に話しかけてはいけない。ついうっかり話しかけて、何度ひどい目にあったことか。
「今日はとりあえず戻って、悠良と話し合ってみよう。明日あたり、俺は町の外へ出る。ここが仕掛けの施された空間だとすれば、俺たちは罠にはまっているということだ。罠の中から状況を見るよりも、外部から調べたほうが話が早い」
「りょーかい」
 棒を身体と平行に持ち、怜はまっすぐ敬礼した。
「でもさ。この町には普通に歩いて入ってきたけど、全然気づかなかったな。まあ、俺はそういうことには疎いけど。二人とも、調子悪かったっけ?」
 怜の素朴な疑問に、莉啓は不機嫌そうに眉を曲げた。
 この町に入ってきたときの状況は、よく覚えている。陽も落ちたころに、隣町のルルグにたどり着いたのだが、あと少しだということで、この町までは夜道をやってきたのだ。要するに、あのときは細かいところに気が回らないほど、疲れ切っていた。
「……気づかなかったとしても、おかしくないな。この町につくなり空き家に忍び込み、夕食もとらずに翌日の昼まで眠ったことを、忘れたのか? ルルグで一泊すればよかったものを、おまえがどうせだから目的地まで行くといいだしたんだ。少なくとも俺と悠良は、町の様子がおかしいということに気づけるような状態ではなかった」
「あー、思い出した。そうだったかも」
 ばつの悪そうな表情で、怜は空を仰いだ。
「ま、なにはともあれ、これで事情は少し変わってきたってことで。突破口が見つかっただけでも大進歩! 今日はもう帰って休むか!」
「それはいいが」
 莉啓は、ひどく冷淡な顔で怜を見て、それから視線を花束へと移した。
「その花は、なんの冗談だ?」
「……どうせ俺がこんなもん持ってても冗談にしかなんないけどさ。そのいいかたはひどいんじゃないの」
「悠良が怖がる。捨てて帰れ」
「…………」
 どうせだから悠良にでもあげようと思っていた怜は、がっくりと肩を落とす。
「……高かったのに」
「知らん。小動物の餌にでもしろ」
 怜は、涙をこらえ、ため息を吐き出した。ともあれ、事態は進展したのだ。それだけでもよしとしようと、前向きに考えることにする。
 そうして二人は、とりあえず、不法入居中の空き家へと向かうのだった。     






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