第五章 ネストキィレター5

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「……王都への加護は以前との比較で現在八割程度、アウラードを中心としたミジェリア地方は六割程度、あと数年は現状が維持されると見られている……」
 ニナは目を細めた。薄茶色の紙に並んだ文字はひどく小さく、見ているうちに混ざり合って消えてしまいそうだ。意識を集中させて、続きを読む。
「ええと……ブルーアスの研究者シェリアン・ビースピースは、ネストキィレターを進化させた形でのライティングとの融合を提案しており、技術の導入によってカイミーア王国は……──ああもう!」
 ニナはニュースペーパーを置いた。もう限界だった。ただ文字を目で追っただけなのに、頭痛がする。それでも他の国よりはずいぶん読みやすい仕様になっているらしいが、もう少しどうにかならないものかと毒づく。
 ユイファミーアがシグヌムの導入を撤回し、ネストキィレターの真実を公表したのは、一年前のことだ。
 それから人の手に移ったネストキィレターは、利便性からあっという間に数を減らし、その形も芸術性より書きやすさが優先された。いまでは新しく建てられたスクールでまず教わるのは、基本的な読み書きだ。生まれ変わったそれはカイミーアレターと呼ばれ、一応の原型はとどめているものの、ほとんどが別物だった。
「おい、ニナちゃん。こっちにもニュースペーパー渡してくれ。あとその……これこれ、メニューのここんとこの、虹芋のレインボーソテーってのを、一つ」
「はあい、ただいま」
 ニナはエプロンをはためかせ、店の中を動き回った。一年前から、客は減るどころか、むしろ増えている。町が安全ではなくなると知り、町渡りが増えたのだ。新しく生きる道を開拓しようというのだろう。
「それにしても、赤い魔女が実は救世主で、この国を身を挺して守ったっていうんだからな。わかんねえよなあ」
 客が酒を飲みながら、そんなことをぼやいている。
「違うだろ、なんだっけ、オレが読んだ本によるとだな、本当なら一瞬とか数日とかで町が霧に飲み込まれるところを、数年に引き延ばしたんだってよ。魔女の魔法ってやつだな」
 口々に赤い魔女の噂が囁かれるのは、以前からずっと変わらない。噂の内容自体はこの一年でずいぶん様変わりしたが、ニナはどうしても首を傾げずにはいられなかった。
「それ、本当なのかよ。嘘じゃないの」
 ニナはそもそも、赤い魔女の存在が信じられないのだ。もし本当に実在するのならば、それはもしかしたら──そんな予感はあるが、口にしたことはない。
「お、ニナちゃんは嘘派? どうだろうねえ」
「なんにしてもオレはあれだ、王子を見直したね! 積極的に各地を回って、先祖の罪を償うべく、ネストキィレターを解放して回ってるっていうじゃないか。──おおい、マスター、メシ早く! 腹減ってんだよ」
 カウンターの奥で、ニナの父親がはいはいと返事をする。きっと生返事だと、ニナは肩をすくめた。ニナが先に文字を扱えるようになったことが悔しいのだ。最初こそ抵抗があったようだが、いまでは文字を覚えることに没頭している。
「父さん、ちゃんと働いてよね! ほら、新しくお客さんが……──」
 店の戸が開く音に、そちらに身体を向ける。ニナは、動きを止めた。
 いらっしゃいませと、いつもなら出る言葉を、口にすることができなかった。
 夢ではないかと、疑った。
 この一年、ニナがずっと会いたかった人物が、立っていた。
「おお!」
 文字とにらめっこをしていた父親が、カウンターから飛び上がるようにして、駆け寄っていく。どういうわけか目を潤ませ、感動しているようだった。どちらかというと、客よりも、その肩に乗る尖獣との再会を喜んでいるようだ。
 彼女は口元を覆った布を取り去ると、木の椅子にすわり、ニナに向かって手を伸ばした。ニナがメニューを渡すと、それを受け取って眺め始める。
 どう声をかけようかと、逡巡する。
 しかし結局、いつかのように、意地悪くいった。
「来るのが遅いんだよ。うそつきゴロツキ町渡り」
 彼女は目を細めると、メニューを閉じて、虹芋のグリルと酒、それからミルクを注文する。
 ニナは、わざと丁寧に、かしこまりましたと答えた。完璧なお辞儀をしてきびすを返し、それからふと、聞いてみたくなる。
 父親と町渡りたちが、よくしているやりとりだ。
 振り返り、問いかける。
「なにか、見つかったのかよ」
 彼女は、遠くを見つめた。そうねえ、とほんの少しだけ楽しそうに、笑む。
「やっと、探し始めたところよ」














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