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Elixir
第六章 禁忌 4
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 目の前で起こっているすべてが、どこか遠くの出来事のようだった。
 現実味がない。
 そもそもいままでの自分に、どれほどの現実があっただろう。
 思い起こす、いままでのすべて。
 まるで温度をどこかへ忘れてきてしまったような、ここまでの道のり。
 キルリアーナは、秘薬を完成させるために、生まれた。
 あらゆる病を治し続けること、体内で秘薬を作り上げること、それが彼女の存在意義だった。
 それ以外など、知らなかった。
 知ろうともしなかった。
 様々な病に出会い、最初のうちは試行錯誤を繰り返し、立ち向かい、治し、ときには感謝され、ときには疎まれ、そうやって成長してきた。
 治すことは喜びだった。
 秘薬が完成していくその感覚は、言葉では表せない充足感に満ちていた。
 すべては、秘薬の完成のため。
 そうしてサーラと、ひとつになるために。
「オレは……」
 自らに問う。本当にそれだけだったのかと。
 いままで治してきた病の数々、結局はそれが無意味だったのだとして、この国がなくなってしまうのだとして、本当にそれで良いのだろうかと。
「サーラ、オレは、わからない……」
 わからなくなっていた。
 それだけではないことに、気付いてしまっていた。
「いいのよ、キルリアーナ。無理もないわ。でも大丈夫、その気持ちは大切よ。あなたの秘薬を、もっと素敵にしてくれる」
 サーラの笑顔に、胸が痛む。彼女にとって自分はなんなのだろう。とっくに知っていることなのに、そんな疑問が不意に浮かぶ。
 納得がいかないのではない。
 不満なのではない。
 それを考えてしまう自分自身が、怖かった。
「この国は、まだ終わりません、サーラ。立て直してみせます。海向こうから医術を学び直し、一からやり直します」
 セリウスはきっぱりと、いい放った。国の終わりを示唆したサーラに、正面から反論する。
「そして、わかりました。この国の再生に、エリクシルは……あなたは、必要ありません」
 その宣告は、キルリアーナの胸をえぐるようだった。
 必要がない。
 知っていた。わかる。理解できる。わかっていた。きっとそれが、正しい。
 本当に?
「ウソよ」
 哀れみさえ含ませ、サーラは嘲笑する。
「一度手にしてしまった、知ってしまったら、そう簡単にはいかないの。いままでも、そうやってわたしを悪者にして、追い出した国があったわ。でも結局は、エリクシルの幻想にとりつかれて、ありもしない秘薬を巡って争って、終わっていった。きれい事をいったって、もしどうぞと渡されたら、あなただって使うでしょう?」
 それにと、サーラは続ける。セリウスの前へと歩み寄り、赤いドレスの裾をつまみ上げた。
「ちょっと都合が良すぎるんじゃないかしら。あなたの生き方と同じね。都合良く居場所や立場を変えて、その都度正当化して」
「なんといわれようと。私たちはもう、奇跡に頼ったりはしません」
「ふうん」
 サーラはパレスを見渡した。わざとゆっくり、倒れるひとりひとりを観察するように。
「いいわよ。とりあえずここに倒れてるうちの半分ぐらいは、死んじゃうでしょうけど」
「……っ」
 セリウスの目に怒りが宿る。言葉を返そうと口を開き、しかしそのままつぐんでしまった。
 キルリアーナはその様子を、眺めていた。
 いますぐに自分が立ち回り、ここにいる全員を治療することなど容易だった。
 しかしそれに、どれほどの意味があるのだろう。
 不要なのかもしれない。
 セリウスのいうように。
 もしかしたら、最初から。
「それで、あなたたちは、どんな答えを出すのかしら」
 サーラが顔を上げ、パレスの入り口に向かって呼びかける。
 キルリアーナとセリウスも、振り返った。駆け込んできたロイスと、遅れてもう一人、ひどく色の白い青年の姿があった。
「ロイス」
 名を呼んで、心からほっとする。
 死んでいなかった。間に合ったのだ。つまりそれだけ、いまのエリクシルが完成されているということなのだろう。
「大体の、話はわかった。セリウス、お前は間違っている」
 ロイスは大声で宣言した。大股で歩を進め、キルリアーナの前に出ると、サーラとの間に立つ。
 キルリアーナは、そのうしろ姿を、見た。
 その瞬間、キルリアーナのなかで、唐突に音もなく、答えが出た。
 至極簡単なことだ。
 それだけのことだ。
「どういうことですか、兄さん」
 セリウスが問い、サーラも興味深そうに目を細める。
「サーラ・パジェンズ。そして、キル」
 ロイスが息を吸い込む。それから極端なほどの音量で、吼えた。
「君たちのおかげで、どれだけの命が救われただろう! 心から、感謝する!」
 サーラが、目を見開く。ときが止まってしまったかのように、大きな目のまま、動かなくなる。
「……はっ」
 キルリアーナは失笑した。大体話がわかったというが、本当にわかっているのだろうか。理解していないに違いない。あるいは、理解していてなお、この答えなのだろうか。
 どちらでも良かった。
 きっとそれがロイスという人間で、彼はいまこうして、ここに立っているのだから。
「潮時だ、サーラ」
 肩の力が抜けていた。ロイスに笑いかけてその隣をすり抜けると、サーラに向かって両手を伸ばす。
 抱きしめた。
 サーラは、キルリアーナのすべてだ。
 すべてだった。
「もう、いいよ」
 見開かれたサーラの目から、涙が流れていることに気づいた。サーラはそのままの表情で、ゆっくりと視線をキルリアーナに合わせる。
 たまらなく愛しくなった。複雑な感情が絡み合って、最後に残ったのは、生まれてからずっと変わらない、一途な想いだった。
 だたほんの少し、その形が変わるだけだ。
 自分自身と、サーラと、そしていままでのなにもかもを、否定するのではなく、肯定するために。
 唇を重ねる。
 体内のすべてを、サーラの内部へと流れ込ませていく。
 いまやそれは、どんな薬にも、なり得る。
 奇跡の、エリクシル。
「……待て、キル!」
 ロイスの声が、遠くなる。
 キルリアーナは、唇を離す。
「あんたは、オレを、守ってくれたよ」
 いつか、約束してくれたように。
 キルリアーナの心を、守ってくれた。救ってくれた。
「じゃあな」
 顔全体で笑ってみせて、そしてサーラと共に、崩れ落ちる。



 意識の片隅で、サーラは感じていた。
 アクラスが、慣れない足取りで、ゆっくりゆっくり、近づいてきていた。
 なにか皮肉を、いおうとした。しかしもう、声が出てこない。
「君の出来うる限りの、ぜんぶを。その意味、わかってくれてたかな」
 もうサーラは、返事をすることなどできなかった。しかし、そんなことはまったくかまわないというように、アクラスは両膝をつき、サーラの頬に触れる。
「見えなくていい。歩けなくていい」
 まだそんなことを。サーラは憤る。
 彼が満ち足りた笑顔を浮かべるたびに、サーラの存在している理由が、揺らいだ。
 それが、たまらなく許せなかった。
 そしてきっと、同じぐらいに、心地よかった。
「君がいればよかった」
 もう、動けない。
 それでも最後に、冷たいなにかが、頬を濡らす。
「愛してる、サーラ」

 本当に、それが最後。
 ひとりのふたりは、そうして、動くことをやめた。






   *****






 アルテイト王国で、語り継がれる歴史があった。
 生命の禁忌に触れ、天罰を受けたといわれる、太古の国の物語。
 そして、確かに実在した禁忌そのものと、犯した過ち。
 彼らの身体に刻まれた、歴史。まだ記憶に新しいはずのそれは、まるでひどく昔の出来事のようだった。月日と共に、痛みは薄らいでいく。しかし、決して忘れることのないよう、彼らは語り継いでいく。
「またここですか、兄さん」
 寝ること以外を想定されていない、小さなその部屋に、二人の少女は眠っていた。
 一人、それを見守る兄の元に訪れたのは、女性的な容姿を男性の服に包んだ、弟。
 兄は、そちらを見て笑う。
「やあ、お疲れ、先生」
「やめてください。まだ、そう呼ばれるのは慣れません。……兄さんにも、仕事があるでしょう。兄弟のなかで一番働いていないのは、今やぶっちぎりで兄さんですよ。自覚していますか?」
 弟にとって数少ない息抜きの場所は、ほとんど兄と下の弟によって占領されている。三つ並ぶイスに座っているのは、いまは兄だけだ。
 彼はため息を吐き出しながら、イスの二つ目に、腰をおろした。
「大変なんですよ。大人相手ならまだしも、さすがにあの年齢からでは……文字どころか、絵本から入るんですから。医術に到達するのは、いつの日でしょうかね」
 もっとも働き者の次男の表情には、疲労が色濃く表れている。しかし同時に、満足そうでもあった。彼はまるで償うように、自らを多忙な日々に捧げていた。
「しかし、絵本もなかなか侮れません。口づけで目を覚ますというあれなどは、要するに昏睡状態にある患者の精神へ直接関与を試みるということなのでしょう。なるほどと唸りましたよ。パジェンズの技術と近いものがあります。女性の出産もそうですね。過度のストレスは胎児を危険に晒す。逆に、ストレスによって糖度を増す作物もあります。いかに命というものの精神状態が重要かということです」
「それは……」
 兄は言葉を失った。どこまでが本気でどこまでが冗談なのか、この弟は分かりづらい。
「そこで、提案をしに来たのです」
 どうやらいたって真剣なようだった。弟は抜け殻のようになってしまっている兄に、指示棒をつきつける。
「兄さんも、試してみてはどうですか?」
 鐘が鳴った。いまでは医療学校としても利用されるこの土地は、どこにいても時計塔からの鐘が聞こえるようになっている。
 授業開始の合図だ。
「では、失礼します」
 立ち上がり、弟は小走りに出て行った。
 残されたのは、兄と、眠る少女。
 世界中のどこかには、まだ秘薬が存在するのだろうか。
 それを欲しがることは、間違っているのだろうか。
 そんなことを行ったり来たり、ずっと考え続けていた兄は、弟の提案にも一理ありと、ひとりうなずく。
 あの日から眠ったままの、まるで少年のような少女の前髪を、そっとかき上げた。
 伝えていないことがたくさんある。
 ついたままの嘘も、たくさんある。
「何度でも、誓おう」
 もしも君が目を覚ますのならと、ありったけの想いを込めて。
 身を屈ませると、少女の唇へ、ゆっくりと近づいた。










 了



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読んでいただき、ありがとうございました。心からお礼申し上げます。
感想等ございましたら、ぜひお気軽にお願いします。
今後も精進します。

光太朗






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