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Elixir
第四章 魔法使い 3



 セリウスは、壁を殴りつけた。華奢な手で形作られた拳に、血が滲む。
 彼は警護団の詰め所を飛び出していた。ロイスはあとを追ったものの、かける言葉が見つからない。
 正確には、いうべきことはわかっている。しかし、安易にそれを口にするわけにはいかない。
 セリウスは、自ら、理解しているはずだった。
「……あの薬は」
 努めてそうしているのだろう、セリウスの声はひどく冷静だ。
 ロイスは黙って、うなずく。
「あの薬は、海向こうではだれもが幼少期に摂取するものです。家畜から抜き取った血液を元に作られます。海向こうで大流行した伝染病と、家畜の集団死との類似性に着目した医師が、考え出したものです。薬の事前投与によって、伝染病に打ち勝つことに成功しました。私はこの国が悲劇に見舞われるのを、防ぎたかった」
 声が震えていく。ロイスには想像することしかできなかったが、それでも、セリウスの痛みは伝わってきた。
 救おうという思いだったはずだ。
 苦しめるつもりも、ましてや命を奪うつもりも、なかったはずだ。そんなことはわかりきっていた。
 だからこそ、やるせない。
「……悔しい」
 一言。
 そのまま、沈黙が落ちる。
 おそらくは、それだけではないのだろうということも、ロイスには想像できた。
 純粋に、病を食い止めたいという思い。もちろん、そこに嘘偽りはないだろう。しかし、それだけではなかったはずだ。
 このままではいけないと、熱く語ったセリウスの姿は、一つの目的を確かに見据えていた。
 すなわち、ランセスタの体制を打ち崩すこと。
 医術を学ぶために海を渡り、海向こうの医師を連れて戻って来たセリウスは、思想に身を委ねているだけではいられなかったのではないだろうか。
 なにかが、必要だったのではないだろうか。
 形として、ランセスタを覆すだけの、明確ななにかが。
「私は、どうするべきですか」
 セリウスが顔を上げた。
 打ちひしがれ、弱りきった目では、決してなかった。結論は出ているのだ。それでも兄に、問いかける。
 ガリエンの道には、相変わらず人の姿がない。
 まるで、死んでしまった町。しかし、そうではないことを、もうロイスは知っていた。
「百年前、ランセスタがそうしたように──」
 言葉を選ぼうと、ロイスは一度口を閉じる。
 しかし、どう伝えようと、同じだ。
 その起源を、正確に知っているわけではなかった。どういう経緯で、ランセスタだけが奇跡の薬を得たのかはわからない。
 その後のランセスタがどうなっていったかは、痛いほどに知っていた。ランセスタの人間として、ロイスもセリウスも、愚かさを見てきた。
 それでも、ロイスはきっぱりと、いった。
「──奇跡の薬を得たいと、僕はいま、思っている。エリクシルさえあれば、と。そしてそれを欲することは、間違いではない。少なくとも僕はそう思うよ、セリウス」
 セリウスの瞳が、一瞬、痛みを堪えるように揺らぐ。
「望んでいます、私も同じことを。しかしそれでは、あの家と同じになってしまう。いえ、それよりもなお悪い……ひとの命に関わることで、焦りや計算や、慢心や、そんなものがあってはいけなかったのに」
「大変な事態になっている。解決する方法が、ある。それを拒絶する理由はなんだ? おまえは、難しく考えすぎだ」
 理由はなんだと問いながらも、ロイスにはわかっていた。それでも、口にしたのだ。
 結局すがるのかといわれ、手放しで願い出るようなことはできない。
 変化を望んでいるのなら、なおのことだ。
 しかしそれは、セリウスの心情の問題にほかならなかった。
 キルリアーナもわかっていて、試しているのだろう。
 覚悟がないのなら、医師団なんてやめてしまえ──彼女の瞳は、そういっているようだった。
「そうはいっても、エリクシルはいまは存在しないらしい。だが、それでもキルには、治せるんだろう。彼女はパジェンズの医師だ。薬品は、体内で生成する。万能薬が存在しなくても、特効薬ならあるはずだ」
「ずるい、といういい方は、おかしいのでしょうが」
 セリウスの声は、落ち着きを取り戻そうとしていた。
「魔法使いですね……本当に。そんなものがあれば、すがってしまう。すがることで、この町の人々を治すことができるなら」
 セリウスは、深く息を吐き出した。時間をかけてゆっくりと、深呼吸するように、肩を上下させる。
「彼女に、すがりましょう。重要なのは、その先です。なぜこんなことになったのか、原因を解明し、二度と繰り返さない。時間はかかるかもしれませんが、海向こうとも連携して、治療薬を作り出してみせます」
「そうだな。さすが、僕の弟だ」
 ロイスは誇らしげに胸を張った。セリウスの肩を叩く。
「いまこのときの解決法として、キルに頼るのは間違いじゃないさ。おまえのいうとおり、大切なのはその先だな。おまえなら、だいじょうぶだよ」
「兄さんは、変わりませんね」
 力が抜けたように、セリウスは苦笑した。
 彼の性格からすれば、キルリアーナに頭を下げることには、多少の抵抗があるだろう。少なくともロイスのように割り切ることは、難しいはずだ。
 それでもセリウスに決意がある限り、些細な問題だ。
 弟の背中を押しながらも、ロイスは考える。
 いまここで、キルリアーナに頼ること──それが間違いではないと思っていることに、嘘偽りはない。
 ジリアルの町でキルリアーナが治療を行うところを、ロイスは見ていた。キルリアーナが調合した薬品には、彼女の体液が使われていたはずだった。体内から出てしまえば成分が変化することから、薬品としてだれもが使える形にするには、ある程度の手を加えなければならないのだろう。ロイスはそのことに、特に感想を抱かなかった。単純に、感嘆しただけだ。
 しかし、いまは、同じように考えることはできなくなっている。
 ガリエンでの流行病も、キルリアーナひとりで、結局のところは解決することが可能なのだろう。
 あえて、現状では難しいと示唆したのは、原因がほかならぬセリウスにあったからだ。
 彼女がいいたいことが、わかるような気がした。
 もしかしたら本当は、手を伸ばしてはいけないのかもしれない。
 ひどく甘い誘惑だった。
 甘美な、魔法の力。
「戻りましょう。この時間も惜しい。医師団のメンバーにも、ちゃんと、説明しなければ」
 決意を決めたのだろう、セリウスが落ち着いた声でいい、ロイスもうなずく。
 しかし二人は、足を止めた。
 悲鳴──それも複数。
「……なんだ?」
 ロイスはすぐに、嫌な予感がした。形の為さない胸騒ぎ。聞こえてきたのは一瞬で、いまは不気味なほどに静まりかえっている。
 二人がいるのは、詰め所の裏側だ。ロイスは思わず壁を見るが、その向こう側が見えるわけではもちろんない。なにかが起こっているのは間違いなかった。
「兄さん」
「ああ」
 うなずき合い、走り出す。なにが起こっているのか、一瞬で様々な想像を巡らせた。病の急激な進行、治療者側によるなんらかのアクシデント──もう一つ、どうしても考えたくない可能性がある。
 キルリアーナはパジェンズの医師だ。彼女は広く賞金首として知れ渡っている。
 キルリアーナの身になにかがあったのかもしれない。
 足を速めるが、しかし二人は、表へ回り込むことができなかった。
 一人の女性が、行く手を阻んでいた。
 静かに微笑み、立っている。長い黒髪とスカートの裾を風に揺らし、病の町にはまるで不似合いな佇まいで、悠然と。
 ロイスは直感した。
「サーラ・パジェンズ……!」
 鋭く息を飲むようにして、セリウスがいう。
 ロイスは驚かなかった。その姿を見た瞬間に、そうなのだろうと思っていた。
 そして同時に、詰め所で起こっていることがキルリアーナと関係しているであろうことを察する。そうでなければ、おそらく、サーラがここに立ちふさがる理由がない。
「こんにちは、また会ったわね、セリウス・ランセスタ。それにあなたは、ロイスダーン・ランセスタね? キルリアーナがお世話になっているわ」
 彼女の周りだけ、時間の流れが違うかのようだった。スカートをつまみ、淑女のように一礼してみせる。
「君には聞きたいことが山ほどある──が、とりあえずはどいていただこう。僕たちはいま、急いでいる」
 ロイスは細剣の柄に手をかけた。見た目通りの女性だと思ってはいけない。治療院の長たちは彼女に殺されたのだ。
「なにをしに、来たのですか」
 セリウスの頬を冷や汗が伝っていた。彼はまだ、毒の負荷から回復しきっていはいないはずだった。ロイスは庇うように、セリウスよりも前に出る。
「あら、決まってるわ。笑いに来たのよ、セリウス・ランセスタ」
 彼女は心から楽しそうに、肩を揺らして笑った。
「気づいちゃったの、この町の流行病の原因。功を急ぐあまりに、病を振りまいちゃったのよね? だめよ、集団投与は、充分に気をつけなくちゃ。予防薬っていうのはね、威力が極端に弱くても、結局は病原菌なんだから、とても特殊なのよ。一歩間違えれば、そのまま集団感染だわ。……ああ、ごめんなさい、こんなこと今更いっても、遅いわよね」
 くすくすと笑う。まるで、そこに悪意など微塵もないかのように。
 セリウスの身体が怒りで震えるのがわかる。ロイスはセリウスを落ち着かせようと、あえていつもの調子で、話しかけた。
「わかっているのなら、聞いておきたいな。海向こうでは問題のなかった薬が、どうしてこちらでは病源に?」
 問いながら、サーラの隙をうかがう。本当はすぐにでも隣をすり抜けて、詰め所へ飛び込んでいきたかった。
 しかし、ただ立っているだけのようで、まったく隙がない。気を逸らすことができなければ、突破することは容易ではないだろう。
「お兄さんのほうは、素直なのね。いいわ、教えてあげる。向こうにはなくて、こちらにはあるものって、たくさんあるのよ。このあたりでよく見るダリアスタ、あの赤い鳥もそう。あの種の鳥は、体内に特殊な病原体を有することがあるの。鳥の体内にある間は悪さはしないわ。ひとの身体に入り込んでもだいじょうぶ。でも、希に、ある特定の物質と反応を起こすと、危険な病を引き起こすことがある。そうね、たとえば、海向こうにしか生息しないコールス──家畜としてメジャーよね──その体内にある物質、とかね」
 淀みなく、サーラは説明する。あまりにもさらさらといわれてしまっては、かえってロイスの脳にうまく入ってこなかった。ロイスは医術を学んでいるわけではない。ごく単純な処置法などは教わったが、それだけだ。
 しかし、セリウスにはわかったようだった。
「つまり、この土地の人間は、あらかじめその病原体を保有していて……私たちが薬品を投与したことで、活性化させてしまったということですか」
「たぶん、そうなんじゃないかしら。診たわけじゃないもの、想像よ」
 サーラは微笑んではいたが、この話題にあまり興味はないようだった。知識を出し惜しみする気も、役立てる気もないのだろう。彼女にとってはたいしたことではないに違いない。
 ひとの命も、病の蔓延も。セリウスを笑いに来たといったが、それすら、ことのついでのように思われた。
 ならば彼女の目的はなんなのだろう──ロイスは考える。
 いまここで、足止めをする理由。
 それはやはり、キルリアーナに関わることなのだ。
 サーラがキルリアーナのことを近くで見守っているのは間違いない。
 キルリアーナがどこにいて、どこに行こうとしているのかを見据え、病の在処へと彼女を誘導する。故意なのか偶然なのか、それともその両方なのか、結果としてキルリアーナは、病を治療することになる。
 まるでサーラは、キルリアーナの生き方そのものを、導いているかのようだ。キルリアーナが病を治療するように、自らは巧妙に姿を隠して。
 慈善ではないのだろう。ひとを殺すような人間だ。そもそも、それならば自ら治療を施せばいいだけだ。
「君は……」
 問いの形をとったのでは、はぐらかされるだろうか。それとも快く、教えてくれるのだろうか。
 一瞬考えて、ロイスは口を開いた。
「君は、キルリアーナを鍛え上げて、その先になにを求めている?」
 サーラの瞳が、ほんの少しだけ、見開かれる。
 言葉にして、ロイスははっとした。
 その先に、求めるもの。
 答えは、出ているのではないだろうか。
「まさか……それが、エリクシルなのか?」
「あの子ったら」
 サーラは目を細めた。
 ひどく楽しそうに、笑いをこらえるようにして、自らの口元に触れる。
「そんなことまで話したのね。思ったとおり──思っていた以上に、あなたに懐いてるんだわ」
「君たちの目的は、エリクシルを生成することなのか」
「どうかしら」
 サーラは髪を静かにうしろに払った。道を空けるようにして、そっと横へと動く。
 しかし、いまはそこを行く気にはなれなかった。核心に迫ろうとしている。同時に、いい知れない嫌な予感がしていた。
 サーラは困ったように、小首をかしげる。
「どこになるのかしらね? 犯罪者に賞金をかけているのは、一応は国ということになっているから、連れて行かれる先は王都かしら。この国の王族なんて、いてもいないようなものだけど」
 唐突に、話題が変わった。ロイスは眉をひそめ、そしてすぐに気づく。
「兄さん!」
 セリウスも気づいたのだろう。ロイスは返事もせず、地を蹴った。サーラはもう、邪魔をする気はないようだった。もう遅いのだ。そんなことはわかっていた。
 それでも、走る。
「キル!」
 賞金首の連れて行かれる先。キルリアーナは、生きていることを条件とされていたはずだ。ならば、命を失うことはない。しかし、そういうことではない。
「そう、そうやって、あの子を助け出してあげて。あの子はいままで、だれにも頼らなかったの。あなたというひとが現れて、心から嬉しく思うわ」
 サーラの言葉を、もうロイスは聞いていなかった。
 詰め所の入り口を、力任せに開け放つ。
 ひどく、静かだった。立っている人間は、ひとりもいない。横たわる病人はそのままに、医師団のメンバーや動いていたはずのほかの数人も、一様に倒れ伏している。
 そしてそこに、キルリアーナの姿はなかった。