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第三章 ポムダダン 2

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   二


 プレジール邸の屋根の上に登り、フェーヴはポムダダンの街を見下ろしていた。スピラーリによって運ばれたときには夜遅く、しかも雨が降っていた。いくら夜も光に照らされているとはいえ、街の様子を確認するような状況ではなかったが、こうして見渡すことで、様々なことがわかってきた。
 どうやら、自分が不慣れなだけで、帝都におけるショコラの家は、飛び抜けるほどに大きな規模ではないらしいということ。旧姓を名乗っているところから考えても、女帝の娘──本来ならば姫として扱われるはずだ──としての地位はないも同然なのかもしれない。
 そして、街の状況。
 見下ろしているだけでも伝わってくる張りつめた緊張感に、フェーヴはずっと感じていた疑問が解消されていくのを感じた。あの日に見たおびただしい数のプテリュクスは、やはりこの街に来ていたのだ。
「こりゃ、あんたに運んでもらわなきゃ、一悶着あったかもな。屋敷のなかが別世界だってことがよくわかった。たいしたもんだ」
 視線は移さずに、背後の気配に言葉を投げる。それからうしろを見ると、気づかれていないつもりだったのだろう、スピラーリは意外そうな声をあげた。
「あれ、こっそりついてきて驚かすつもりだったのに。わかってるならわかってるって顔しようよ、やりにくいなあ」
 窓から上がってきたばかりらしく、こんな場所でも悠然と衣類に付いた汚れを払う。そういう挙動ひとつひとつが癪に障るのだが、それには触れず、フェーヴは鼻を鳴らした。
「あんたはどうせいつでも俺を監視してんだろ。それぐらいは学習してる」
「身体ごと監視しにくるのは希だよ」
 まったく悪びれる様子もなくそう返して、スピラーリはフェーヴの隣に並んだ。煉瓦づくりの屋根の上は、決して居心地はよくない。だが、ある意味では屋敷のなかよりはましだった。ショコラの指示なのかどうかはわからないが、やれ身だしなみだの茶の時間だの、召使いたちが次々と世話を焼きにくるのだ。
 フェーヴは、町並みに視線を戻した。
 煉瓦づくりの家々が立ち並び、店らしきものも多く見つけることができる。さすがは帝都といったところだろう、見渡せる地面にはすべて石畳が敷かれ、夜になればともされるであろう街灯も数多い。だが、その光景は、明らかに異様だった。
 賑わいというものが、なかった。
 道を行く姿は極端に少なく、まるで外出そのものが禁止でもされているかのようだ。買い物かごを持つ姿は皆無ではないが、だれもがうつむき、わき目もふらず、足早に道を行く。
 そして、あちらこちらに立つ、二種類の姿。白銀の鎧に身を包んだものたちと、鎧などは身につけていないが、白い衣服に槍のようなものを手にしたものたち。
 白銀の鎧はポムダダン騎士団の象徴だった。問題は、槍を手にしたものたちだ。
「あれが、プテリュクスか……」
 つぶやくと、なにがおかしいのか、スピラーリは肩を震わせた。笑いを懸命にこらえるようにしながら、身を乗り出す。
「あの、白い服のやつらか。なるほどねえ、翼がある」
「……含みのあるいいかただな」
「そうかな?」
 視線を戻したが、スピラーリのいうように翼があるのかどうかはこの高さからではよくわからなかった。だれもが壁に背を向けて立っており、ほとんどが影になっているからだ。だが、白いなにかは確かに見えた。あの日、東に向かって飛んでいった彼らならば、息をのむほどの荘厳な翼があるはずだ。
「だとすれば、彼らは街の監視中……膠着状態なのかな」
 楽しそうな光は瞳に宿したままで、スピラーリがふと真面目な顔をする。
「いつでもどうとでもなるってことか。上ではいまごろ会議中かもな」
「女帝と……『プテリュクス』で?」
「さあな」
 あるいは、待っているのかもしれない。女帝が本当に境界を超える、そのときを。彼女自身が軍を出しているのか、彼女は城に残っているのか──あるいは軍そのものがまだ出ていないのかは知る由もなかったが、女帝自らが城を空けるというのも考えづらかった。こうして緊張状態にある街に牽制の意味があるとすればなおさらだ。
 ふと、フェーヴは気づく。翼堕ちの姿が、見る限りでは皆無だ。
「帝都に集まってるかと思ったが、翼堕ちはいないな。ここの騎士団が自衛しているのか、それとも最初から帝都じゃなく、その周辺に……?」
 思考を口に出し、親指の先を噛む。あらゆる可能性を考えた。帝都に近づくにつれ、翼堕ちの数が増えたのは事実だ。では、そこになんの意味があるというのか。
「帝都にひとを寄せ付けたくない、か──アンファンなら、なおさら。ってのは考え過ぎか」
 つぶやいて、ちらりとスピラーリに目をやる。彼は実に楽しそうに目を細め、フェーヴを見ていた。
 フェーヴの仮説が正しければ、そもそも街に入ること自体困難だったろう。ショコラの存在があれば不可能ではなかったかもしれないが、それでもやっかいなことになっていただろうことは容易に想像できた。制止するのがプテリュクスなのか騎士団なのかはわからないが、すんなりと行き来できるとは思えない。
 もしかしたら、最初から、ここまでフェーヴを──あるいはショコラも一緒に──運ぶつもりだったのかもしれない。思考の読めない笑顔をにらみつけながら、そんな可能性を考える。
 だとすれば、スピラーリの目的には、フェーヴという存在が不可欠だということになる。それだけではない。この街において──正確にはプテリュクス側の意図において──フェーヴが招かれざる存在だろうことはほぼ間違いなかった。
「女帝に、会ってみるか」
 なんでもないことのように、つぶやいた。それがフェーヴの出した結論だった。
「おっと、アクティブだね、君らしくもない。君は逃げ続けるのが信条じゃなかったかい?」
 おもしろそうに眉を下げたままで、スピラーリが大げさに驚いてみせる。フェーヴは唾を吐き捨てたい気分になりながら、別に、と答えた。
「プテリュクスが押し寄せてくるのを見たときから、どこにいたって逃げられないことはわかってる。なら、納得ぐらいはしときたいだろ。──立ち向かおうってんじゃない。逃げ腰なのは変わらねえけどな」
 それに──と続けそうになるのを、フェーヴは飲み込んだ。ショコラの態度や、女帝がアンファンだという事実、スピラーリの思惑……どれをとっても、どうやら自分は無関係ではいられそうになかった。
 どうせ関与することになるのなら、ただ待っているのは性に合わない。そもそも、ここでなにが起こるのかを知りたくて、帝都を目指したのだ。ここまで来てしまったのなら、立ち止まっている理由はなかった。
「そういうわけで、だ」
 フェーヴは立ち上がった。息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。深呼吸には向かない濁った空気だが、それがかえって心地よい。
 ささやかながらも覚悟を決めて、こちらを見上げてくるスピラーリに、視線を合わせた。
「俺の良き理解者のスピラーリは、当然、協力してくれるわけだな?」
 スピラーリは、肩をすくめた。
「もちろんだよ、友人」


 街に出てみれば、監視するように立っているのはやはりプテリュクスだった。翼を持った彼らは、どうやらここでそれを駆使する気はないらしい。そもそも、足すら使っている様子がない。ただ、同一の槍を片手に、微動だにせず持ち場についていた。
 フェーヴは迷わず、城を目指した。どの建物よりも高く、一際荘厳なプテリュクスの城は、街のどこにいようとも臨むことができた。目前までたどり着き、息を潜める。
 見る限り、ひとの出入りはなかった。そびえ立つ城を守るように閉ざされた外門には、騎士団とプテリュクスが同じ数だけ警備につき、とてもではないがなかに入れる様子ではない。だれかがこの門をくぐるならそれに便乗しようと思っていたフェーヴは、早々にあきらめた。
 外門から離れ、塀沿いに歩いていく。門から遠ざかってしまえばずいぶんと数は減ったが、それでも警備は厳重だった。塀の高さはフェーヴの倍以上あったが、石造りのそれは決してなだらかではなく、足を引っかけられそうな箇所はいくらでもあった。フェーヴはできるだけ警備の騎士団から距離をとり、息を止めて、一気に塀を登る。物音をたてないよう最新の注意を払い、それでも素早く。城の敷地内に着地して、だれもひとがいないことを確認すると、やっと息をついた。
 フェーヴの姿は、だれにも見えていないはずだった。スピラーリによる『協力』というのが、これだ。本当は城の内部まで運んでいただきたかったのだが、スピラーリいわく、この街で大きな力を使うことはできない、ということだった。姿を消すように細工するのがせいぜいのところなのだという。
 それでも、城に潜入するには充分だった。フェーヴは自分の右手を持ち上げ、そこにあるはずのものがまったく見えないことに今更ながら感心する。どういう仕組みなのかはわからない。そもそも、あの男のすることをいちいち気にしていたらきりがない。
 遠くで、扉の開く音がした。その必要はないと知りつつも、フェーヴは反射的に茂みに身を隠した。
 声はない。足音と、それからなにかを置くような音。足音はひとつだ。
 ほどなくして、扉の閉まる音が聞こえる。そのまましばらくじっと待ち、フェーヴは動き出した。城の裏手に回ると、外壁から離れた位置に、あまり高くない囲いがあった。腐臭に鼻を押させる。ゴミの匂いだ。運び出す前に、一度ここに溜めておくのだろうか。
 城の壁に、小さな扉がある。あそこからなにかを運び出しているのは間違いないだろう。
 フェーヴは扉の隣にぴたりとつくと、息を殺した。いつ開くかはわからない。だが、待っていればいつかは機会があるはずだ。いくら透明とはいえ、内部の状況がわからない以上、堂々と入っていくのは危険だった。
 どれほどのときが経っただろう。やがて、扉が開けられた。
 出てきたのは、白い衣服の男性だった。食事担当なのか、香ばしい匂いも一緒に漂ってくる。まだ夜には遠いが、すでに準備に追われているのだろう。ショコラの家ですらあの食事の量だったのだ、城ともなるとどんなことになるのか想像もつかない。
 フェーヴは男の手が扉から離れた瞬間、素早く身を滑り込ませた。思った通り、そこは広大な厨房になっていた。数え切れないほどの人数が鍋や食材に向かっている。観察している場合でもなく、フェーヴは急いでそこを抜けた。
 抜けた先は、廊下だった。壷や絵画など、値の張りそうな──といってもフェーヴには価値などまったくわからないのだが──調度品が飾られている。床は汚れひとつない輝く石畳で、フェーヴは思わず自分の通ったあとを振り返った。足跡でもついていたのではどうしようもない。どうやら、その心配はないようだったが。
 女帝がどこにいるのかはわからないが、少なくとも一階ということはないだろう。フェーヴはぐるりと周囲を見回し、あたりをつけて歩き出す。すぐに階段を見つけ、壁に沿うようにしてそっと上った。
 ひととすれ違うことはほとんどなかった。女中らしい人物を数度見かけたが、それだけだ。外の様子があの状態だったのだから、当然のことだろう。
 三階まで上ると、床に絨毯が敷かれていた。心なしか、調度品の豪華さも増したようだ。そろそろか、とフェーヴは生唾を飲み込む。できれば情報を入手したいが、最悪の場合は手当たり次第あたっていくしかない。
 不意に、扉が開いた。フェーヴは背を壁につけ、息を殺す。女中が出てくるとばかり思っていたが、そうではなかった。
 部屋から出てきたのは、妙齢の女性だった。濃い青色の、豪華ではないが決して質素でもない、品の良いドレスに身を包んでいる。髪飾りのひとつもない黒い髪が、腰のあたりまで垂れていた。
「────っ」
 思わず声をあげそうになり、すんでのところでフェーヴは堪えた。女性の顔に、見覚えがあった。見覚えどころではない──他人のそら似ですませてしまうには、あまりにも似すぎている。
「……?」
 あろうことか、女性がこちらを向いた。びくりと身を硬直させ、それでも極力気配を押し殺し、フェーヴはときが過ぎるのを待つ。
 彼女の瞳が、フェーヴを見た。
「あら……」
 忘れるはずもない声が、脳まで響く。すぐによみがえる──泣かないで、と優しく囁いた、あの声。
 駆け寄りそうになり、フェーヴは、自分の姿が見えなくなっていることを思い出した。ほとんど忘れかけていたのだ。動くのは危険だった。彼女がこちらを見ているのは、なにかの偶然だろうと、唱えるように自らにいい聞かせる。まっすぐに瞳を見つめられているとしても──そんなことがあるはずがない。
「久しぶりね、フェーヴ」
 しかし、ごく自然な挙動でフェーヴに近づくと、彼女はそう呼びかけた。白い手をそっと持ち上げ、フェーヴの頬に触れる。ただそれだけで、消えていたはずのフェーヴの姿はあっというまに光の下に晒された。
 なにが起こったのか、わからなかった。悪い夢なのだろうか。姿は完全に消えていたはずだ。そうでなければ、ここにたどり着くこともなかった。
 しかし、女性は、たったいままでフェーヴが消えていたことになど気づきもしない様子だった。
「私に会いに来てくれたの?」
 ひどく柔らかくほほえむ。その声が、フェーヴの全身を揺らした。聞けば聞くほど、まちがえようがない。
「嬉しいわ。ずっと、会いたかった」
 もう一方でフェーヴの手に触れる。そっと握り締め、小首をかしげた。
「なあに、その顔。私のこと、忘れてしまったの? 私はあなたのこと、忘れたことなんてなかったのに」
 そんなはずがない──胸中で繰り返す。そんなことがあるはずがなかった。あってはいけない。
 彼女は、死んだはずだ。
 こうして、ここに、いるはずがないのだ。
 フェーヴは必死に、自分を抑えた。すぐに逃げなければならない。どういう状況であれ、見つかってしまったことは確実だ。それならば、この手をふりほどき、背を向けるのが最良のはずだった。
「ねえ、フェーヴ?」
 しかし、ただ呼ばれただけで、動けなくなる。過去のそれと寸分の狂いもない、甘い声。口を開いてはいけない、と思った。認めてはいけない。なにか得体の知れないものに、とらわれてしまう。
 それでも、彼女の瞳がじっと見つめてきて、フェーヴはとうとう、口を開いていた。
 その名を、呼んでいた。
「クレア……」
「よかった、覚えていてくれた」
 彼女はくすぐったそうな顔をして、それからフェーヴの手を引いた。 
「私の部屋に来て。お話ししたいわ。いやなんて、いわないでしょう?」
 フェーヴには、首を縦に振ることも、横に振ることもできなかった。つながれた手から、ぬくもりが広がっていく。まるで脳まで侵されていくようだった。なにも考えられなくなる。
 頭の片隅で、警鐘が鳴るのを、聞いた。しかし、もう、なにが本当の意識なのか、あらがいたいのかどうかさえ、わからない。
 気がつけば、足が動いていた。促されるままに、彼女の部屋へと導かれ、自らの手で、その扉を閉めた。




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