トリックオアトリート
「トリックオアトリート、といってちょうだい」
突然の要求に、怜は悟る。しまった逃げ遅れた。しかし、もうどうしようもない。
悠良はほんのりと笑みを浮かべていた。どうやら上機嫌のようだ。なにを血迷ったのかエプロンまで着用している。
今日は仕事はしないで宿で休んでいるといいわ──今朝いわれたその言葉に、馬鹿正直にやったーなどと喜んで、のんびりしていた己が悪いのか。これはもう観念するしかないのか。
否。怜は胸中で己を叱咤した。
諦めてはいけない。
あくまで平静を装いつつ、ソファに寝そべった状態のまま、怜は悠良を見上げた。
「悠良ちゃん、エプロン似合ってるねー」
とりあえずそんな方向から攻めてみる。脳はフル回転で状況打破を模索していた。そもそも相棒はどこに行ったのだろうか。彼ならばトリックオアトリートだろうがトリックアンドトリートだろうが喜んで唱えるだろう。悠良がそう望むのなら。
「ええと……啓ちゃんは?」
もしかして一緒にいたのだろうか。それならばあるいは──希望を胸に、問う。
しかし無残にもきっぱりと、悠良は答えた。
「食材の買い出しに行くといっていたわ。そろそろ戻ると思うけど」
「ああ、そう」
そっと、悠良の手にした皿を見る。
菓子が乗っていた。
残念ながら、なんの菓子なのかまではわからない。おそらく菓子なのであろうという程度だ。
だが、悠良が作ったものであることは、間違いない。
特徴が顕著に表れていた。
青かった。
これでもかと、鮮やかに。
悠良は、作った料理すべてを青色にするという特殊スキルの持ち主だ。
料理の色のみならず、食べた者の顔色まで青く染め上げると定評がある。
怜は考えた。
考えた末に、素早く起き上がると、悠良に背を向けた。
「じゃ、そういうことで」
「怜」
ぴしりと名を呼ばれる。
怜は泣きたい気持ちで、振り返る。
「トリックオアトリート、と、いってちょうだい」
「……と……トリックオア、トリ……」
いい終わるよりも早く、悠良が笑顔で菓子を差し出した。
怜の意識は、そこで途切れる。
*
その光景に、莉啓はすべてを理解した。
テーブルに置かれた、青い物体。
床に転がる怜。
うつぶせに倒れた状態でぴくりとも動かないので、表情までは見えない。しかし、見てしまっては夢にまで出てくることになるだろう。およその想像はつく。
なにかと難のある男ではあるが、戦闘能力に長けていることは認めざるを得ない。その怜を、倒すとは。
さすがは悠良。素晴らしい。
半ば考えることを放棄して、そんなことを思った。本心ではあるが、半分が逃避だ。
「おかえりなさい、莉啓」
「ただいま、悠良」
とりあえずはいうべきことをいって、買ってきた食材の袋を置く。
悠良は柔らかく微笑んでいた。
なんという輝かしい笑顔。
莉啓は胸に手をあて、深呼吸する。
覚悟を決めていた。
彼女がなにを求めているのか、わかっていた。
買い出しに行った折、店先にハロウィンの文字が踊っているのを見たのだ。まさかこんな事態になっているとは思っていなかったが、悠良が行事を楽しもうと計画し、自ら腕を振るったのであれば、その思いを無碍にすることなどできるはずもなかった。
そう、悠良の笑顔のためならば。
彼女が望むのならば。
命など、取るに足らない。
「トリック、オア、トリート!」
大きく息を吸い込むと、莉啓ははっきりと男らしく、いい放った。
*
「もしかすると……」
倒れる二人の従者を見下ろし、悠良は一つの可能性に思い当たる。
「料理の練習を、したほうがいいのかしら」
真剣に思うこと、一呼吸分。
「まあ、いいわね、別に」
悠良はあっさりと自らの考えを否定した。
この時点ですでに、彼女の料理欲は満たされていた。正確には、飽きていた。
「私も寝ようかしら」
のびをして、踵を返す。
青い菓子を自らは決して食べることなく、菓子を作ったこと、及びそれに付随した不幸についてもきれいさっぱり忘れ去り、自室へと戻っていく。
次に悠良の料理への熱が燃え上がるのは、おそらく、二月の中旬あたり──
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自己満足ですが久しぶりに。
この子たちを書くのはとても楽しいです。(2012/11)