雪の夜のカボチャ紳士
さんすう、きらい。
なわとび、きらい。
カボチャ、きらい。
パパがいちばん、だいきらい。
「パパ、遅くなるって」
携帯電話を置いて、残念な気持ちを隠すように、わざと明るい声でママがいう。
わたしはくちびるをとがらせて、ふうんと答えた。
だって知ってたもん。
どうせ今日も、遅くなるって。
一緒に晩ご飯食べようねの約束も、一緒にお風呂入ろうねの約束も、一緒に寝ようねの約束も。
期待なんてしてない。
「じゃあ、先に食べよっか。いただきます」
「……いただきまーす」
わたしのテンションはとっても低い。
パパのいない夕食、わたしの嫌いなカボチャのグラタン。
パパがいたら、がんばって食べないこともなかったけど。
もうそんな気持ちもなくなってる。
わたしはカリカリになったまわりのところをちょっとだけ食べて、結局すぐにごちそうさまをした。ママはぜんぶわかってるみたいに、すぐにお皿を引っ込める。
「パパ、ケーキ買ってきてくれるかもよ」
ママがいたずらっぽくいって、わたしは膨らませたほっぺたにさらに空気を入れた。
約束が守れない日、パパはいつもケーキを買ってきてくれる。
大好きなケーキ屋さんの、大好きなケーキだけど。
それはとても、うれしいのだけど。
「わたし、ケーキよりも」
続きをいう気にはならなくて、なにをいいたかったのかももうわからなくなって、わたしは空気を飲み込んだ。
パパは、わたしのこと、好きっていう。
ないしょだけど、本当は、ママよりも好きなんだよって、調子のいいこという。
わたしはもう七歳になって、早く寝なくちゃいけないことも、わがままをいってパパを困らせちゃいけないことも、ぜんぶちゃんとわかってる。
本当は、帰ってくるまで待っていたいし。
できるなら、駅まで迎えに行きたいし。
手をつないで歩いて帰りたいけれど。
そんなのはぜんぶ、できないことだってわかってる。
でも……じゃあ。
「約束なんて、しなければいいのに?」
ベッドに潜り込んで、頭までおふとんをかぶったわたしの耳に、知らない声が聞こえた。
わたしは、目を開く。
いまのは、なに。
だれの声。
ママの声じゃない。男の人の声だった。パパじゃない。もっと知らない声だった。
「ああ、怖がらないでください、レディ。僕は怪しいものではございませんよ。僕のことは……そうですね、カボチャ紳士と呼んでいただければ」
わたしはそうっとふとんから顔を出して、それから飛び起きた。
「ママ──!」
「おやおや。落ち着いて、おはなししましょう、ね?」
落ち着けるわけがなかった。わたしのベッドのすぐ横に、カボチャ頭が立っていたんだから。
「怪しい! 怪しいカボチャ! 知ってる、世の中にはこわーい人がたくさんいるんでしょ! そういうの、オオカミさんっていうんだよ! オオカミさんは、わたしみたいにかわいい子をだますんだよ! だまされたってなったときには、もう遅いんだよ! 赤ずきんちゃんみたいに、わたしのこと、食べるつもりっ?」
まくしたてても、カボチャは平然としていた。肩をすくめてから、いやみったらしくゆっくりと、おじぎなんてしてくる。
「オオカミさんではございません、カボチャ紳士でございます」
「……カボチャはそうやって人間みたいに立たないし、おはなしもしないもん!」
「そう、それは常ではございません。しかしてあなたは雪の日の夜に、外でそうしておはなしするのが常なので?」
カボチャ頭にいわれて、わたしは気づいた。
いつのまにか自分の部屋じゃなくて、家のなかでもなくて、雪の空の下にいた。
真っ暗な夜。
黒のなかで雪の白が、きらきらと光っている。まるで雪を光らせるために、ほかのぜんぶが遠慮したみたいに。
「ほら、常とは、ちがいますでしょう?」
くりぬかれたカボチャの口が、にこりと笑った。
わたしは何度も、まばたきをする。
吸い込まれるように、カボチャ頭を見ていた。
ずっとそこにいたように、そこにいるのがあたりまえのように、雪の真ん中に立っている、カボチャ頭のおかしな紳士。
「……夢?」
「ご褒美です。いつも私をおいしくいただいてくださっている、あなたに」
カボチャを?
おいしく?
それは完全に人違いだ──そうは思ったけど、わたしは言葉を飲み込んだ。ごまかそうと思ったんじゃなくて、とてもびっくりしてしまって、声が出なくなっていた。
「わたし……」
自分の手を、見る。
声も、違う気がした。
たぶん、七歳じゃない。もっと大きい、素敵なお姉さんの姿。
そう、夜に出歩いていても、大人に止められないぐらいの。
「さあ、そのお姿なら、だいじょうぶ」
カボチャ頭が杖を振ると、白いコートが現れた。わたしはうなずいて、駆け出す。
望み。したいこと。いま、わたしが、したいこと。
知ってる、これは夢。
本当にあるわけない。
胸を高鳴らせて、いつもはママと歩く道を、駆け抜けていく。
長くなった足は思ったよりもずっと早くわたしを運んでくれて、あっというまに駅までたどり着いた。
そこにはちょうど、パパがいて。
大きくなってるのに、パパはわたしを見つけてくれて。
デートみたいに手をつないで、二人で歩いた。
約束守れなくてごめんねって謝ってくれて、ケーキ屋さんにもいっしょに寄った。
いつものケーキを三つ買って、たくさんおはなしをしながら、おうちまでの道のりを、並んでゆっくり歩いていく。
知ってる、これは夢。
幸せな、幸せな夢。
歩いているうちに、わたしの体は小さく小さく縮んでいって、そのうちにパパの腕の中にすっぽり収まって──
ああ、あったかいなと思ったら、もうベッドのなかにいた。
ベッドのなかの、夢のなか。
ありがとう、パパ。
約束どおり、今日、会えたね。
おててつないで、歩いちゃったね。
本当はね、
パパのことね──
次の日、いつもと同じ目覚まし時計の音で、目を覚ました。
パパはもう会社に行っていて、ママは洗濯物を干していて、朝ご飯の代わりのケーキが、食卓に並んでいた。
「ねえ、ママ」
お皿に載った茶色のケーキを眺めながら、わたしはママに話しかける。
いままで、意味なんて考えなかったけれど。
もしかして……これって、もしかして。
「パンプキンって、どういう意味?」
「あら、やっと気づいたの?」
ママは笑って、教えてくれた。
もう何度食べたかわからないのに、ぜんぜん気づかなかった。
「……だまされたっ」
わたしはくちびるをとがらせて、ケーキのてっぺんに、フォークを突き刺した。
さんすう、きらい。
なわとび、きらい。
カボチャと、
パパは、
ヒミツ!
────────────────
企画参加作。
ひなたぼっこさまのイラストを元にしていますが、イラストは企画サイトなので、SSのコーナーに。