美少女戦士ヨシコ



 


「好きです、つ、つ、付き合ってください!」
 一村一郎は、うわずった声で、それでもはっきりと思いを告げた。
 告げられたのは、グリセリン小学校でも有名な美少女、花水木ヨシコ。体育館裏に来るまでは笑顔のはずだった彼女は、高い位置で二つに結んだ髪をちらりと揺らして、困ったような顔をした。
 その表情だけで、一郎には今後の展開が見えた。はっきりと、明確に。
 それでも、いまさら引くわけにはいかない。
「ゴメン、あたし、一郎くんとは付き合えないよ」
 予想通りの答えが返ってきて、一郎はヒザをつく。ショックではあるが、こうなるような気はしていた。
 わかっていても、伝えたい思いだったのだ。
 親の仕事の都合で、転校を繰り返すこと八回。五年生にして、初めての恋。
 またいつ、転校になるかわからない。それならば思いを告げようと、かたく決意していた。
「ど、どうしてですか」
 ブロークンハートを押さえつつ、問う。ついでに、簡単にはあきらめない決意もかためていたのだ。
「あたし、秘密があるの。誰にもいえない秘密。お付き合いなんて、できないよ」
「秘密」
 一郎は、口の中でつぶやいた。
 グリセリン小学校には、『秘密』があるらしいという噂は耳にしていた。だれもが知るものの、知らないことになっている、公然の秘密というやつらしい。
 転校して間もない一郎には、それがなんなのか知るよしもない。クラスメイトや先生たちに聞いたところで、知らないの一点張りだ。
 それが、この美少女に関係あるのだろうか──一瞬そんな考えがよぎるが、さすがにそれはないだろうと思い直す。
「秘密なんて、気にしないです。あの、ボクのこと、キライですか?」
 一郎は、なおも食い下がった。しつこいと嫌われるとか、ウザがられるとか、そういう思考はなかった。押せ押せ一本勝負。
 ヨシコは、首を振った。
「キライだなんて、そんな。むしろ……」
 言葉を切り、いい淀む。一郎の目には、漂う甘い空気が見えたような気がした。
 キライではなく、むしろ──とくれば、答えはひとつしかないではないかと、否応なく期待が高まる。
 しかし、続きは声にならなかった。
「きゃ────!」
 けたたましい悲鳴が、体育館裏まで届いた。一郎はびくりとし、思わずあたりを見回す。尋常ではない様子の悲鳴が、続いて複数聞こえてくる。
「な、なにが……」
 情けないことに、声は震えていた。校庭まで様子を見に行くべきなのかもしれないが、身体が動かない。
 放課後の小学校に変質者、危険な午後の小学校──等々、さまざまな文句が脳裏をよぎった。
 しかし、ヨシコには慌てた様子はなかった。それどころか、ぎりりと歯噛みをし、
「ゾンガーイだわ!」
 謎の単語を口にした。
「ぞ、ぞんがーい……?」
「ヨシコ! 大変チュピ!」
 目を白黒させる一郎とはまったく異次元のテンションで、ヨシコのピンク色のランドセルから小動物が飛び出す。
「え、ハムスター?」
「失礼チュピ! チューピーチュピ! 空気読めチュピ!」
 ハムスターらしき小動物は、つぶらな瞳でそう抗議した。ハムスターとの違いは、背でパタついている小さな羽だ。人語を操るというのもハムスター離れしすぎている。
「ヨシコさん、これはいったい……」
「チューピー! ゾンガーイが出たわ! 変身よ!」
 ヨシコの目には、すでに一郎は映ってはいないようだった。聞き捨てならないセリフとともに、右手を高々と掲げる。
「了解チュピ!」
 チューピーがくるりとまわり、口を開ける。そこから、チューピー自身の大きさを完全に無視した、手のひらサイズのコンパクトが飛び出した。高く上げた手でそれをキャッチすると、ヨシコの身体が虹色に輝き出す。
「ヨシコ、行きます! チェィンジ、メタモルマリリンパ──!」
 どこからともなく流れるバックミュージック。ヨシコの全身がシャララランと光を帯び、彼女がゆるりと三回転する間に『変身』は完了した。
 ピンクのトップスにデニムのスカート姿だったはずのヨシコの衣装は、いまやグリーンとオレンジのコントラストがまぶしい、ミニスカ仕様のヒラヒラに変わっていた。高い位置でまとめた短めのツインテールがふわりと揺れ、首もとには赤いブローチ。白い手袋とブーツはどちらもロングだったが、絶対領域はかたくなに確保。
「夢を照らす愛とか希望の星! 美少女戦士ヨシコ、参上!」
 決めゼリフを叫び、ポーズ。チューピーが肩に飛び乗り、光が消える直前に便乗してポーズをとった。
「チュピ!」
 ここで、音楽も鳴りやむ。計算され尽くされた変身シーンだ。
 一郎は、一ミリも動くことができなかった。
 秘密、という単語が頭をよぎる。これがまさか、彼女の──ひいてはグリセリン小学校の秘密ということなのだろうか。堂々と目の前で変身しておいて。
「ヨ、ヨシコ、さん……?」
 そうこうしている間にも、校庭からの悲鳴は激しさを増す一方だが、ここははずすことのできないプロセスなのだろう。ヨシコはたっぷり十数秒ポーズをとり続けた。
「あたしはヨシコさんではないわ。美少女戦士、ヨシコ! さあ、あたしが来たからにはもう安心よ! 逃げて、一郎くん!」
 どうやら、いま駆けつけたという設定らしい。一郎はよろめいたが、とりあえずつっこみは言葉にならなかった。なにはともあれ、ヒラヒラの衣装がヨシコに非常に似合っており、止める必要性は感じられなかったのだ。
「さあ、いくわよ!」
 美少女戦士ヨシコは跳躍すると、校庭に向かって走り出す。
 逃げるべきかと逡巡しつつ、結局一郎もあとを追った。


 校庭では、巨大な勉強机が暴れていた。ぎょろりとした大きな目、そのすぐ近くにまで迫る口。飛び出した金属製らしき手足を振り回し、教科書を逃げまどう少年少女に投げつけている。
「な、なんだあれ……」
 一郎は驚愕したが、グリセリン小学校の児童たちは驚きはしていないようだった。むしろ慣れた様子で逃げる姿も多い。逃げ遅れた少年少女は巨大机に捕まり、強制的に勉強をさせられていた。泣きながら教科書を読み上げるものや、鉛筆を走らせるもの、様々だ。
「おーほほほほん! 放課後にさっさと帰るなんて言語道断! 悪の組織ゾンガーイのゴールデン・ツリー様が、お勉強させてあげましてよ!」
 巨大机の肩らしき部位に仁王立ちし、異様に露出の多い真っ赤な衣装の女性が叫ぶ。どこかで見たことのあるような顔だと思うものの、一郎はどうしても思い出せなかった。そもそも、ゴールデン・ツリーなどという名の人物に心当たりはない。
「さあ、よい子のみんな! 復唱なさい! ゾンガーイの心、ひとーつ! 挨拶を徹底しよう!」
 ゴールデン・ツリーが叫ぶと、巨大机に捉えられている少年少女は叫び始めた。
「挨拶を徹底しよーう!」
 洗脳されている様子はないが、身体の自由は利かないらしい。無理矢理いわされているようだ。
「ひとーつ! 学校には休まず行こう!」
「学校には休まず行こーう!」
「ひとーつ! お年寄りには敬意を払おう!」
「お年寄りには敬意を払おーう!」
「く、なんて卑劣な……!」
 ヨシコがぎりりと歯噛みした。一郎は真剣に考える。至極まっとうなことをいってるような気がするんですが、とはなんとなくいえない雰囲気。
「今日も今日とて悪事をはたらくゾンガーイ! このあたしが来たからには、好きにはさせないわ! 月に代わってとっととお家に帰りなさい!」
 いろいろ混ざっていた。けれど一郎は、懸命に口をつぐんだ。
「来たわね、美少女戦士ヨシコ! 毎度毎度アタクシの邪魔をして──! でも今回は負けなくてよ! さあ、ツクエーン、やっちゃいなさい!」
「ツクエエエエン」
 ゴールデン・ツリーが叫び、ツクエーンという名らしい巨大机が吠える。投げつけられた教科書を、ヨシコはひらりと跳んでかわした。
「勉強させようったって、そうはいかないんだから!」
 白熱のバトルだ。
 完全なる置いてけぼり感をかみしめつつ、一郎はぼんやりと戦いを眺める。
「ヨシコ、このままじゃいけないチュピ! ピッコリンソードを使うチュピ!」
 鬼気迫る様子で、チューピーが叫ぶ。ヨシコはくるくるとまわると、両手を空に向かって高く上げた。
「ピコピコー、ピッコリン!」
 叫び声と同時に、またもや流れるバックミュージック。虹色に光輝き、ヨシコの手にハンマー状の武器が現れた。少なくともソードではない。
 中央には眩しいばかりのハートマーク、ハンマー部分は金属ではなく、赤くやわらかそうな素材でできている。
「ピコピコハンマー!」
 さすがに一郎は叫ばざるを得なかった。
「違うわ、一郎くん! ゴルディオン的なものよ!」
「それはそれで!」
 ありなのだろうか。しかし、もはや一郎の感覚も麻痺していく一方だ。
「ふふん、そんなものであたくしたちに勝てると思ってるの? ゾンガーイは存外に強いのよ!」
「存外に」
 一郎は唸る。なるほど、深い。
 たしかに、ゴールデン・ツリーのいうことももっともだった。ピッコリンソードを手にしたところで、ツクエーンとのサイズの差は超えられるものではない。どうする、ヨシコ! とかだんだんその気になってきて、一郎は手に汗握って美少女戦士を見守る。
「甘いわね、ゾンガーイ! 行くわよ! 巨大化──!」
 ヨシコは、とんでもないことを叫んだ。
 およそ美少女戦士らしくない効果音を響かせつつ、現実に巨大化していく。ズモモモモ。
「ヨ、ヨシコさ……じゃない、美少女戦士ヨシコさん、巨大化まで? あの、一体、なんなんですかっ?」
 どうしようもなくなり、思わず聞いてしまう。スルーされるかと思ったのだが、巨大になったヨシコはにこやかに一郎を見下ろし、爽やかな笑顔を見せた。
「あたしの両親がね、昔流行ったアニメとかの大ファンだったのよ」
「それだけでは超えられない一線を超えてますよね?」
 まっとうな意見は、もはや意味を成さなかった。巨大ヨシコはピッコリンソードを構え、力の限り振り下ろす。
「ほとんど必殺! ピッコリンアターック!」
 ズシャァ──ソードで切った的な音をたて、ツクエーンがまっぷたつに割れる。断末魔の叫びを残し、巨大机は砂へと姿を変え、校庭にはごく普通サイズの机と、転がり落ちたらしいゴールデン・ツリーとが残った。
「く……美少女戦士ヨシコめ! 覚えてなさい!」
 捨てぜりふもしっかりと残し、ゴールデン・ツリーは校舎へと逃げ込んでいく。
 強制的に勉強させられていた少年少女も解放され、彼らはそろってヨシコに礼を告げた。ありがとう、美少女戦士ヨシコ。助かったよ、美少女戦士ヨシコ。等々。
「超、スッキリ!」
 巨大ヨシコがポーズを決める。
「ええと……」
 一郎は言葉を探した。なんといえばいいのかわからなずぎた。
 ヨシコだけではなく、この学校内の全員の、手慣れた感じはなんなのだろう。
 そのうちに、巨大ヨシコの首元にある赤いブローチが、ピコーンピコーンと鳴り出した。巨大ヨシコの身体が再び輝き、風船がしぼむように通常サイズに戻っていく。
「さ、これでもう安心ね! あたしはこれにて……ドロンッ!」
「チュピ!」
 そんな言葉を残して、校舎のなかへと姿を消す。それからすぐに、ランドセルを背負った花水木ヨシコが出てきた。
「だいじょうぶだった、一郎くん?」
 あたしは何もしてないわ的スタンス。うん、と一郎はうなずく。それが精一杯だ。
「さあさあ、そろそろ下校時刻よ。みんな早く帰りなさい」
 校舎から、赤いスーツの教師が顔を出した。児童たちは返事をしつつ、バラバラと帰って行く。
「さようなら、金木先生」
 ヨシコもにこりと笑って、校門へ向かう。
「あ、さようなら、金木……かね……ゴールデン……?」
 一郎は重大な何かに気づいたが、気づかなかったことにして、さっさと帰ることにした。


「今日は大変だったねー」
 帰り道、何食わぬ顔で、ヨシコがいう。
 成り行きとはいえ、途中までの帰路を一緒に歩くことになった一郎は、背筋をのばしてギクシャク歩いた。いろんな緊張に支配されそうだ。
 驚くことはたくさんあった。彼女の秘密は、一郎の想像をはるかに超えるものだった。
 しかし、だからといって、彼の気持ちが変わるということはなかった。
 むしろ、アリだ。
「あ、あ、あの、ヨシコさん」
 意を決して、名を呼ぶ。
「なあに?」
「あ、あの……! ぼぼぼぼぼく、やっぱり、あなたのことが……す、好きです! それで、その……」
 もじもじとうつむく。ヨシコはじっと、待ってくれている。
 一郎は、深呼吸をした。色々ありすぎて大変な思いをしたが──だからこそ、いまなら、もう一押しできるはずだった。
「さっきの! そ、その、『キライだなんてむしろ』、の続きを、聞かせてください!」
 真っ赤な顔で、いいきる。
 ヨシコは、小首をかしげた。そんなこといったっけ、という顔。
 それでも一郎は、辛抱強く待つ。
 やがて、ヨシコは、ああ、と手を打った。
「あたしが一郎くんのことどう思ってるかって話? キライなんかじゃないよ。キライっていうよりね、むしろまったく興味ないっていうか、アンタだれ、って感じかな」
 極上の笑顔だった。
「そ、そうですか」
 なんかすみません、と一郎は謝った。


   *


 私立グリセリン小学校。
 この小学校には、だれもが知る、しかしだれも知らない、『秘密』がある。
 帰宅した一郎に、今日はどんなことがあったのかと母親が問うたが、一郎は首を左右に振り、まったく全然何もなかったよ、と虚言を吐いた。 











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愛田さまのブログ1万ヒット記念に描いていただいたイラストを元に。
勢いのみのコメディでした。