嫌われ召還師
異変には、すぐに気づいた。
玄関で、母さんが止まっている。
靴を磨こうとしたのか、まさにいまから身を屈めようという体勢で。まるでくしゃみが出そうだからその他すべては一時的にストップしました、といったふうに、ぴたりと動きを止めていた。
「そんじゃあ」
行ってきますの代わりにそういって、家を出た。いつまで止まってんだとは思ったが、気にしていたら遅刻してしまう。いつもどおりはつかが隣に並んだが、いつもなら手を振る母は、やはり止まったままだ。
「待ちなさい、弟。姉と仲良く手を繋いで行こうという気概はないの?」
「ねえよ」
礼節にうるさい母さんが、無言で見送るなんて珍しいな──そうは思ったが口に出すことはない。すぐ隣を歩くはつかをちらりと見て、頭痛を覚えた。うちの高校の制服は、確かにスカートが短い。とはいえ。
「見えんじゃねえの、パンツ」
「あら、せっかく短めにアレンジしたのに、感想はそれ? かわいいねとか美しいねとか綺麗だねとか、私の姿を見ていうべき言葉は無数にあるはずだわ」
はつかが表情筋を動かさずに淡々と抗議する。俺は目を閉じてしまいたいながらも、とりあえずその姿を眺めた。
三ツ谷はつか。俺より一つ年上の、姉。
腰までの長い髪、右上には小さな白いリボン。セーラーに身を包んで背筋を伸ばす姿は、無表情ではあるが凛としていて美人といえないこともない。
だが、賛辞を口にしてしまえば、どこまでも図に乗るのは目に見えている。楽しければそれでいい、が服を着て歩いているような人間だ。
「パンツ見せられる方の身になってやれよ」
結局、そんな言葉を返す。はつかはやはり表情を変えなかった。
「魔法を使ってるの。パのつくアレが見えそうで見えない、神秘の魔法よ」
「ああそうですか」
限りなくバカバカしい。
「ねえ、リョウ。あなたずいぶん落ち着いているけど、いいの? 母、動いてなかったけど」
のんびりと歩きながら、はつかが聞き捨てならないことをいった。
いっそ聞き捨てようとも思ったが、やはりそんなわけにもいかない。
「気のせいだろ」
なので、聞いた上でスルーを試みた。
もちろん、なにかがおかしいということには、気づいている。ただ、認めたくないのだ。
俺の日常にぐいぐい入り込んでくる、異常の存在を。
「そうね、気のせいね。いつまで待っても信号は青にならず、車も人も動かず、時計も止まったままだけど、きっとぜんぶ気のせいだわ」
交差点に差し掛かり、俺は立ちつくした。
目眩を覚える。
はつかのいうとおりだ。俺ら二人以外のすべてが、動きを止めていた。
まるで一時停止ボタンを押したかのようだ。中央分離帯のある大通り、加えて通勤ラッシュのこの時間帯、視界に入る車は十を超える。人の数も多く、制服姿やスーツ姿、主婦らしき姿など様々だ。
しかし、動いているものなど、いなかった。
なにもかもがぴたりと止まり、風すら吹く様子がない。
「……帰ろう」
俺はつぶやいた。決意を込めて。
「帰って布団にもぐりこんで目を閉じて、なにもなかったことにしよう」
我ながらナイスアイディアすぎる。
「それでもいいけど、なかったことにはならないと思うわ。この状況が、リョウに関係ないわけないんだから」
「はつか……どうしてそういうことを」
「だってそうでしょう。あなたは──」
空気が震えた。
止まっていたはずの風が、下から上に向かって一気に吹き上げる。
「見つけましたよ、召還師──!」
空から、声が降ってくる。
声だけではない。叫びながら降ってきたのは、ピンク色の髪を振り乱した、ファンタジーな衣装の少女。
「その首、頂戴致します!」
ドスン、と両足でアスファルトに着地し、少女は俺に向かってタクトを突きつけた。白いマントとツインテールが、遅れてふわりと降りる。
俺は頭を抱えた。本当は回れ右して逃げたかったのだが。
「──召還師なんだもの。ね」
やはり無表情で、はつかがいう。俺は唇を曲げた。
認めたくはないが……俺は、召還師だ。
というより、召還師、というやつらしい。実際のところ、それがどういうものなのか、詳しいところはわかっていない。
一ヶ月前、祖母が亡くなると同時に譲り受けた、なんの変哲もない──と思われる、黒縁眼鏡。それを手にした瞬間から、俺の世界は変わってしまった。
見えるはずのないものが、見えるのだ。眼鏡をかけると、より鮮明に。
種類はまったく豊富だ。色とりどりの煙のようなものだったり、空を飛ぶ棒きれのようなものだったり、光や闇そのものだったり。なかには、生物の形をして話しかけてくるものまでいる。そんなものは、ごく希ではあったが。
しかし、それにしても、世界が止まるという現象は初めてだ。しかもいまは、眼鏡だってかけていない。
「むむ? どっちが召還師ですか?」
空から降ってきたピンク少女は、タクトの切っ先を左右に動かす。俺は急いで、かつさりげなく、はつかを見た。できれば余計なことはいわないでいただきたい、という願いを込めて。
「こっちよ、三ツ谷リョウ十六歳乙女座のA型。私は、なんの変哲もないただの姉」
しかし、無駄だった。淡々とはつかがいい、ピンク少女は俺をぎろりとにらみつける。
「なるほど、あなたですね。あたしは『世界の均衡、笑顔で保とう』がモットーの、世界管理委員会十四世界支部所属、ジア=ジー。あ、これ、名刺です」
ジア、と名乗ったピンク少女が、胸元から紙切れを取り出した。ずいと差し出してくるので、仕方なく受け取る。
印刷されていたのは、「あなたの心に癒しの笑顔、ジア=ジー」という文句。名刺というわりに、所属がどうのという情報はない。
俺はどう対応するのが正解なのかわからず、こめかみを押さえた。
それがどーした、と思ったままにいっても良いものだろうか。
「で?」
はつかがずばりと核心を突く。しかしジアはくじけることなく、むしろ誇らしげに、俺を真っ直ぐに見据えた。
「世界管理規約に則り、あなたをただちに抹殺致します!」
……えーと。
一瞬、思考が停止する。
聞き間違いだろうか。
抹殺?
「安心してください。もちろん、一方的にことを成すつもりはありません。万が一異論がある場合には、話し合いや説得の末、合意の上で抹殺が行われます。さあさあ、なにかありましたら、どうぞ!」
あまりにもはつらつとしている。さすがに俺は挙手をした。
「万が一どころか異論だらけだけど」
「なるほど、抵抗を試みますか。では説得してみせましょう」
よほど自信があるのか、ジアはゆっくりと笑ってみせる。腕を組み、顎を上げて俺を見下ろした。俺の方がずっと背が高いので、正確には見上げられているわけだが、どういうわけか見下ろされている感に溢れている。
「召還師、あなたの犯した罪はものすごくでっかいです。召還師の能力を用い、やりたい放題にゲートを開いてくれたおかげで、この十五世界に十四世界からどんどん異物が流れ込んでいます。意志のない物体だけならまだしも、小悪党から大悪党まで、こちらにやって来た人数はわかっているだけでも三十数人。このままでは世界均衡のバランスが崩れ、十五世界そのものが混沌に書き換えられてしまいます。この大変な事態、知らないとはいわせませんよ!」
「いやまったく知らな」
「いとはいわせませんよ!」
……どうしろと。
俺はむにゃむにゃと口を動かし、しかしどう反論しても勝てる気がしなかったので、結局はつかに視線を送った。彼女が率先して俺を助けてくれるとも思えなかったが、それでもすがる相手は他にいない。
「頭の足りないあなたに、こんなことをいうのもどうかと思うけど」
わざとなのか、はつかは挑発的なものいいをした。
「リョウが召還師の能力を得たのは、先代が亡くなった約一ヶ月前。それまでは存在すら知らなかったし、いまだってどういうものなのかほとんどわかっていない状態よ。彼になにかを要求するのは無駄だわ。わかったらとっとと帰りなさい、小娘」
「な……んですか? 小娘?」
かちーん。ジアの額に怒りマークが浮かぶ音が、聞こえた気がした。
なぜあえてケンカを売るのか。教えてくださいネエサン。
「ただの姉の分際で、なんですか! 血縁というだけでは罪になりませんが、思いっきり擁護するというのなら話は別ですよ! あなたもただちに抹殺です!」
「その短絡思考をなんとかしなさいといっているの。召還師ひとりを捕まえるために世界を止めるなんて、なにを考えてるの。あなたの軽はずみな行動で、世界のバランスはどんどん崩れていくわ。いま、悪党に世界を書き換える隙を与えているのは、リョウではなくて、あなたよ」
相変わらず、はつかは表情を変えない。その声音は怒っているというよりも、むしろどこかおもしろがっているように聞こえた。俺は、ごくりとツバを飲み込む。
「書き換え、っていうと……」
心当たりがある。他世界の人間は、自らの力と召還師の力を融合させ、この世界の情報そのものを書き換えることができるのだという。
一ヶ月前、そう聞いた。たとえば、日本という国をなかったことにするとか、太陽の数を増やすとか。もっと規模の小さなことなら、プリンの味をヨーグルトにする、なんてことも。理屈を飛び越えて、常識そのものを塗り替えるのだ。
そしてそれは、嘘や夢物語の類ではない。
事実、俺は書き換えられた情報の中で生きている。
「おい、それはやばいだろ。どうすんだよ」
やっと、事態が飲み込めてきた。このままではいけない。
はつかが知らぬ存ぜぬといった体なので、俺は急いでジアを見る。しかし、彼女はギラギラとした目で俺をロックオンし、タクトを構えていた。
「ですから、召還師を消すのです。そうすれば、ゲートはすべて閉じるのですから!」
ああだめだ、本当に短絡思考。こんなところで俺は抹殺されるのか……というか抹殺ってものすごい聞こえが悪いんだけどなんか他にいいようは……あああそういうことでもなくて──
「そうはさせん──!」
突然、声が響いた。同時に、俺の足元がふくれあがる。
「な……っ」
とっさに飛び退こうとするが、遅かった。アスファルトがめきめきとひび割れ、そこからなにかが突き抜ける。
「召還師の抹殺などナンセンスな! させん! そうはさせんぞ、世界管理委員会!」
出てきたのは、巨大なマッチョだった。上半身を露出させ、下半身すらきわどいパンツ姿だ。俺を軽々と小脇に抱えて飛び出すと、そのまま浮遊する。
「あなたは……! 脱界者ナンバー三○、小悪党マッチョ!」
ジアが吠える。俺は衝撃を受けた。
まさか、本当に、名前が、マッチョ。
「召還師がゲートを開けてくれたおかげで、憧れの十五世界に来られたのだ! これから毎日、テレビも映画も見放題な夢の世界が待っているというのに、その喜びを踏みにじられてたまるか! リアルアニメだぞ! リアル映画だぞ! わかるか、この素晴らしさが!」
マッチョのわりに、方向性がインドアだ。この世界──無数にある世界の中では十五世界と呼ばれているらしい──は、お隣の十四世界にとって憧れの対象だと聞いたが、どうやら本当らしい。俺らにとっては世界といえばこの世界だけで、他の世界など想像上のものでしかないが、十四世界にとっては愛すべきお隣さんなのだという。
それにしても、アニメや映画ぐらい、いいじゃん見せてやれよ。
と思ってしまうのだが、甘いのだろうか。
「あんた、この世界の情報を書き換えるとか、大層なこと考えてんの? 誰にも迷惑かけず、静かに移住してくる分には問題ないんじゃ」
小脇に抱えられた状態で、そう聞いてみる。マッチョは鼻を鳴らした。
「もちろん、野望はあるとも! ワガハイはただ受け身なだけじゃない、目指すはクリエイターだ。話題の3D映画を体感したら、この世界の映画すべてを、4Dにしてみせる──!」
キラキラと輝いている。彼のつぶらな瞳は、あまりにも夢と希望に満ちていた。
俺は、生唾を飲み込む。
「4D映画、だと……?」
超観たい。
「そういう愚かな思考が、やがて十五世界そのものを荒廃させるのです! 世界管理委員の前でそんな宣言をして、ただですむとは思っていないでしょうね! さっさと十四世界に帰りなさい、小悪党マッチョ!」
「ガチでケンカして夢を勝ち取ってみせるとも、世界管理委員会! この好機、逃してなるものか──!」
マッチョが胸を張り、筋肉を踊らせる。俺はなんとか腕から逃れようとするが、さすがの筋肉というべきか、俺の力ではまったくどうにもなりそうにない。
しかし、俺の存在などすでに二人の眼中にないようだった。ジアとマッチョはにらみ合い、比喩ではなく火花が散っているのが見える。どうなってんだこれ。
止まった世界を背景に、対峙するファンタジー少女とムキムキマッチョ。
頭が痛い。
「それであなたたちは、どういう戦いを繰り広げるつもりなの?」
確かにそのなかの一員であるはずなのに、まるで自分だけは関係ない場所にでもいるかのように、ごく淡々とはつかが問いを投げた。
そんなことより、助けようとか、そういうことは思わないんだろうか。
聞いたら即答されそうだから聞かないけども。
「愚問ですよ、召還師の姉。十四世界は、十五世界でいうところの、剣と魔法のファンタジー世界。そりゃあもう、あなたがたがぶったまげるファンタジー戦をお見せしましょう!」
ジアが得意げに鼻を鳴らし、タクトを構える。マッチョは俺を左肩に担ぎ直すと、右手でファイティングポーズをとった。
「ワガハイの拳が真っ赤に燃えるぜ!」
いまいち方向性がわからない。
でもそれは……俺もよくはわからないが、多分、それは。
不可能なんじゃないだろうか。
「ええと、悪いけど」
二人の空気に水を差すことに引け目を感じ、俺はおずおずと手を挙げた。
「魔法がどうとか、真っ赤に燃えるとか……そういうのは多分、できないんじゃないかと」
「なにをいいますか、召還師」
バカにしたように、ジアが肩をすくめた。
「あたしの実力を知りませんね? 世界まるごとを止める権限を与えられているほどですから、それはもう、委員会内でもエリート中のエリート! こんなマッチョなんてちょちょいのちょい、ついでにあなたもキュキュッとひねりつぶしちゃいますよ!」
負けじと、マッチョが筋肉を盛り上げる。
「おまえのことはワガハイが守る、安心しろ、召還師。おまえのそばにいた方が、どうやら力が湧くらしい。無事に片づいたら、一緒に4D映画観ようぜ!」
うーん。なんというか。
「まあ、やってみてもらえばいいけど」
「いわれるまでもない! 先手必勝、拳ボンバー!」
マッチョが叫ぶ。右手をジアに向かって突き出し、その勢いからは、確かに炎でもなんでも飛び出しそうな気配が伝わってくる。
しかし、ボンバーしなかった。
その代わり、ぷすん、と情けない音をたてて、煙が出た。
「……おお……?」
マッチョが驚愕している。ジアは意に介さず、得意げにタクトを振り下ろした。
「いけ! ファイアアターック!」
まったくもってファンタジーな叫び。同時に、タクトの先から、もうしわけ程度の小さな小さな炎が飛び出す。へろへろと緩やかなカーブを描き、炎は地面をじゅわっと温めた。そこから小さな火花が複数生まれ、ゆったりとジアに跳ね返る。
「あちち!」
いかんともしがたい。
「ど、どういうこと? まさか……!」
ジアが目を見開き、俺を見た。冷や汗が頬を伝っていくのが見える。
うーん、どうやら本当らしい。
俺はただの召還師ではなく、千年に一人誕生するとかしないとかいわれている──
「まさかあなた、伝説の『嫌われ召還師』!」
その呼び名は大変不本意だけれども。
「そういうこと」
一連の流れなどどこ吹く風、なぜか一人だけ優位に立っているような顔をして、はつかが腕を組んだ。
「あなたが現れてから、恐らく一時間弱。そちらのマッチョは、三日程度というところかしら。そろそろ、存在を保つことすら難しいはずね」
マッチョに視線を送り、ほんの少しだけ眉を下げる。
「こっちで十四世界の力なんて、使おうとするからよ。あなたもう、消えるしかないわ。お気の毒」
「な……!」
なにかをいおうとしたのだろう、マッチョの頬が動いたが、その先を聞くことはできなかった。マッチョの身体が波打ち、うねる。輪郭と中身が溶け合うかのように、空間を巻き込んで全体が歪み、マッチョがいたはずの場所に渦が生まれた。支えを失った俺は放り出され、激突を覚悟するが、いつのまに真下に来たのか、はつかに抱きかかえられる。
何事もなかったように、すぐ脇に放り出された。
見上げたときには、すでにマッチョの姿はない。
「どうなったんだ?」
「消えたのよ、存在そのものが。限界も知らず、無理をするからだわ。諦めが肝心なのにね」
はつかの言葉は俺の問いに答えてのものだったが、その静かな相貌はジアを見据えていた。ジアは小刻みに震え、自分の腕を抱き込んでいる。
「まさか、嫌われ召還師が実在したなんて……! 強大な力を持つもコントロールゼロ、ゲートは開きっぱなしで世界の境界は越え放題、でも他世界の者がひとたび越えたら、召還師の力に吸い込まれ、能力を失い、存在を維持できなくなる──だから嫌われる、伝説の召還師! それならそうと、どうして最初にいわないんですか!」
震えは怒りに由来するものだったようだ。ものすごい剣幕で怒鳴られるが、俺にどうしろというのか。
ばあちゃんの死と同時にいきなり妙な能力を得て、しかも自分ではまったくどうにもできず、参っているのはこっちだ。極めつけが、嫌われ召還師とかいう不名誉な通り名。もう少し格好良いのがいい、どうせなら。
「さあ、どうするの、ジア=ジー? 世界を止める魔法なんて使って、このままじゃ、あなたのその貧相な身体も消滅を待つだけよ。さっきの攻撃魔法を見る限りじゃ、もう帰る力も残ってないでしょうね。残りの力では、リョウの力を借りたところで、書き換えられる情報もごくわずか……」
「ちょ、ちょっと待て!」
俺は思わず食いついた。はつかのセリフに、ものすごい既視感を覚えたからだ。
まったく同じような展開を、一ヶ月前に体験している気がする。いや、気がするとかじゃなくて。
「まあもっとも、存在の維持さえできれば、リョウのそばにいることで、些細な魔法ぐらい使えるでしょうけど、ね?」
うわあ嫌な予感しかしない。
「こ、このままでは、職務がまっとうできません! 力が抜けていくのが、自分でもわかります! ど、どうすると、いわれても……」
ジアの声が涙ぐむ。どうやらずいぶん参っているようだ。
そんなジアに、はつかは淡々と、慰めるでもなく追いつめるでもなく、静かに告げた。
「世界管理委員会としてのお仕事のことなら、安心していいわ。私の知る限り、こちら側にやってきた小悪党も中悪党も、なにもできずに消えていったから。たった一人、大悪党だけは、残ってるかもしれないけれど」
目を細める。
はつかは実に楽しそうに、笑みを見せていた。
「おまえなあ……」
楽しいに違いない。ものすごく楽しいに違いない。
なにかに気づいたのだろう、ジアが目を見開き、はつかを見る。それから俺を見て、きゅっと唇を噛んだ。
「いまの状態でも、書き換えられる情報──」
ジアの目は、俺を射抜いて離さない。
彼女の決断を、聞きたくはなかった。
聞くまでもなかった、ともいえる。
俺にはわかってしまったのだ。
一ヶ月前、俺の前に降り立った大悪党と同じように──彼女が俺のプライベートに密接する、ある情報を書き換えるのだろうと。
「……俺の父さん、ふつーのサラリーマンなんだけど」
だいじょうぶなのか、うちの家計。
*
玄関で、母さんが手を振っている。
「そんじゃあ」
行ってきますの代わりにそういって、家を出た。いつもどおりはつかが隣に並び、うしろから文月が追いかけてくる。
「待ちなさい、弟。三人仲良く談笑しながら行こうという気概はないの?」
「ねえよ」
三ツ谷はつか。俺より一つ年上の、姉。
「待ってください、召還……じゃなかった、お兄ちゃん! まだ慣れていないんですから、しっかりエスコートしていただかないと!」
「知らん」
三ツ谷文月。俺より一つ年下の、妹。七月に妹になったから文月だということらしいが、あまりにもネーミングが安直だ。二十日のはつかと良い勝負だが。
「協力しますから、とりあえず召還師としての能力のコントロールを覚えましょう。そうすればいつかきっと、十四世界に帰れる日が来るって、あたし信じてますから!」
なにやらやる気に満ちている。正直なところ、勘弁していただきたい。
「私はこっちの生活気に入ってるから、このままでいいわ。時々トラブルがあった方が楽しいし、コントロールなんて覚える必要ないんじゃないかしら。あ、帰りにクレープが食べたい」
こっちはこっちで、この調子だし。
ふと、はつかが顔を上げた。俺をしげしげと見つめ、それから無表情で口を開く。
「ところでリョウ。あなた、ずいぶん落ち着いてるけど……──」
俺は急いで、バッグから耳栓を取り出した。両耳につっこみ、音を遮断する。
「リョウ?」
聞こえない、聞きたくない。俺はフルスピードで走り出す。できれば失ってしまった愛しい日常まで逃げ込みたいと、儚い夢に思いを馳せながら。
「待ちなさい、リョウ」
「お兄ちゃん!」
二人の声が追いかけてきて、俺は一層、スピードを上げた。
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pixiv企画のイラストを元に。王道でした。