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蚊ガール



 


「あのう……ちょっと、よろしいでしょうカ」

 突然投げかけられた声。
 明日のテストに向けて全身全霊で暗記に集中していた幸太は、特に深く考えず、なんか声が聞こえたな、ぐらいの軽い気持ちでふり返ってしまった。
 なあんだ、女の子がいるだけか、と視線を元に戻し、それからぐるりと再確認。二度見。
 眼鏡をはずし、両目をこすった。
 六回まばたきをした。
 どう見ても、そこには少女がいた。
 開いた窓から身を乗り出し、もうしわけなさそうにこちらを見ている。
 ここは、マンションの三階だ。
 
「……夢だ」

 幸太は悟った。
 これは夢だ。
 テスト勉強に追われ、徹夜が続いたから、いつのまにか寝てしまったのだ。ああ、明日は最終日だったのに。
 ごめんなさい、父さん──ビジュアルの劣る男は学歴がすべてだという父さんの教えに従ってがんばってきたけれど、料理ができずとも見目の良い母さんみたいな奥さんをいつかゲットしたいと思っていたけれど──
 ──ボクは明日、赤点を取ります……ガクリ。
 幸太は机に伏した。寝てしまおう。それが最良に違いない。

「お返事ないので、お邪魔してしまいますが。あの、あまりお時間取らせませんので」

 ガクリ中にもかかわらず、少女の声は続く。
 幸太はがばりと顔を上げた。夢ではない。ということは、空き巣か、変態か。ゲーム的にメイドさんが訪ねてきたのだろうか。いや、それともやはり、丸ごと夢なのかもしれない。
 よいしょ、とマイペースに窓枠から侵入してくる少女を、恐る恐る観察する。
 ゲーム脳で瞬時に算出した。
 容姿は中の上。かわいい系だ。声は秀逸。声優のよっこたんに似ていてポイント高し。
 ってなんでやねーん。関西人でもないのに、自らローテンションで突っ込みを入れる。徹夜続き、しかも深夜の脳だ。疲れは最高潮だった。

「こんばんは、はじめまして。わたくし、こういうものです」

 少女は丁寧に一礼し、よっこたん似の声でそう告げると、名刺のような紙切れを差し出した。
 イスに座ったままで、幸太はそれを受け取った。しかるべきところに通報するとか、階下で寝ているはずの両親を呼びに行くとか、そういうことは思いつかなかった。
 危険な香りがまったくしないのだ。どこか天然じみたかわいこちゃんが、深夜に突然部屋を訪れる──いいじゃないか、なかなかいいイベントだ。
 ニヒルな笑みさえ浮かべたい気分で、名刺を受け取る。
 大きな字で、一文字、印字されていた。

 蚊。

 ふふ、と微笑んで、幸太は首を左右に振った。
 あまりにもひどい。

「さっそくですが、ご用件を──」
「血はやらん」

 ずばりと告げた。ふだん、クラスの女子ともまともに話せない健康的な中三男子だが、現実離れしたイベントなら話は別だった。イエスマンにはなるな、という父の教えが頭をよぎる。嫌なことは嫌といおう。

「なんと。わたくしのいいたいことを、すでにご存じで……?」
「簡単な推理だ。夢なら夢でいいが、夢でもきゃつらに一滴の血だってやる気はない。失せろ」

 少女は目を見開いた。
 大きな瞳から、はらはらと涙がこぼれる。
 たったそれだけのことで、幸太の心が揺らいだ。いくらなんでも、冷たくあしらいすぎただろうか。目の前で泣かれると、さすがにばつが悪い。

「あ、あの、説明だけでも、させていただきたいのですが、よろしいでしょうカ……」

 どうにか涙をこらえようと、唇を強く噛むようにして、少女が懇願する。
 幸太は右手を額に当てた。
 蚊、だというのが悪い冗談じゃないのだとすれば、これはもう夢だ。そういうことにしようと、自分にいい聞かせる。
 ならば、話を聞くぐらいなら、断る理由はなかった。

「……いいだろう。簡潔に頼む」

 少女は目を輝かせた。ありがとうございます、と礼を告げ、語り始めた。

「実は、近年、蚊の大量虐殺が問題になっております。わたくしたちの仲間は、人間のワン叩き、ワンスプレーで簡単に死んでいきます。大量虐殺装置など、いうまでもありません。そこで、蚊協会が解決策をと検討を重ねた結果、擬人化した姿でなら血の提供を願えるのではないかと──」
「……うん、わかった、結論から聞こう」

 ちょっと無理、ということがわかったので、幸太は先を促した。
 そんな説明を聞いたところで、何がわかるものでもない。聞けば聞くだけ、気になる点が増えていくだけだ。蚊協会の詳細を聞きたいものの、ぐっと堪える。

「つまり、血を吸わせていただきたいのです。あなたさまの年齢、性別に合わせて、わたくしはいま、このような形状を取っております。ご希望でしたら、お望みの姿になります。どうか、血を、吸わせていただけませんカ?」

 よっこたん似の声で囁かれ、幸太の確固たる決意はぐらぐらと揺らいだ。
 血、ぐらい、あげてもいいかなあ、なんて思い始めた。
 どうせ、大量虐殺装置すら設置していないこの部屋では、放っておいても刺され放題だ。蚊ではなく、女の子が吸ってくれるというのなら。
 万々歳だ。
 どんとこい。
 結論と同時に、頭のなかで銅鑼が鳴った。ボワワワワン。

「………………望みの姿、に?」

 きょろきょろと部屋の中を見て、あたりまえだが自分と少女以外にだれもいないことを確認して、それでも幸太は声をひそめた。
 望みあり、と悟ったのだろう。明るい表情で、ハイ、と少女がうなずく。

「なんなりとお申し付けください。顔だけはどうしても変えられないのですが、服装や体型ぐらいなら、なんとか」

 幸太は、少女の容姿をまじまじと見た。
 大きな目、ぷっくりとした唇。あえて年齢を算出すれば、自分と同じぐらいということになるのだろうが、どちらかというと童顔だ。背も高くはない。黒く長い髪は、腰のあたりで外側にカールしている。洋服は、怪しまれないためということなのか、これといって特徴のないシャツとスカート。
 息を飲んだ。
 どうせなら、望みの姿になってもらった方が、いいに決まっている。
 
「じ、じゃあ……」

 いいかけて、心の中に天使の幸太が現れた。
 現れた瞬間に殴り捨て、そのまま続けた。

「メイド服で」

 一言。
 少女は、大きな目をさらに大きくした。

「なんと……協会長が最初からメイド服で行けといっていましたが、本当だったのですね……人間の男性は、お世話されるのがお好きなのですカ。勉強になります」

 では、と少女が深呼吸をする。大昔のロボットアニメの合体シーンのように、少女の輪郭が淡い光に包まれ、うやむやのうちに衣装が切り替わっていた。黒と白のメイド服。完璧だ。
 幸太は、心中でガッツポーズを取る。しかし、こうなってくると、もっと要求を突きつけたいという気がしてきた。

「スカートを……その、もうちょっと短めに。できれば、胸はでかく。いや、違う、でかすぎるといけないんだ、そこはバランス重視で。あと眼鏡を。赤いフレームの眼鏡を」

 いっていて変態じみている事実に気づいたが、もう自分で自分が止められなかった。
 あれやこれやと要求を増やしていく。しまいには、口調と目線にまでこだわった。
 どれほどの時間が経ったのだろう。とうとう、理想のメイドさんが誕生した。
 ごくりと、息を飲む。
 もう夢でもなんでもいい。蚊でもかまわない。
 幸太は完全に悦に入っていた。
 実用性は皆無に等しい、レース満載のメイド服。すらりと伸びた足に、先の丸い革靴。肩までのストレートヘア、赤いフレームの眼鏡。
 写真を撮りまくりたい気分だった。残念ながら、カメラの類が部屋にないのだが。
 メイドさんは、上目遣いで、幸太を見た。

「これでよろしいでしょうカ、ご主人様」

 緊張したような、少しだけ震えた声。演技もばっちり指導どおり。
 なんという破壊力。目眩がしそうになるのを、幸太は必死で堪える。
 望みどおりのビジュアルに、よっこたん似の声。この子に血を吸われるというのなら、もう身体中の血液がなくなってしまっても本望だ。
 ……そこまで考えて、幸太は現実に気づいた。
 吸う。
 血を、吸うのだ。
 いったい、どこから吸うというのだろう。
 すでに特級列車ほどだった心臓が、更に勢いを増す。新幹線も超え、光速をも凌駕した。
 理科の教科書で見た蚊の姿を思い出す。蚊の針は、口から出ていたはずだ。ということは、この、よっこたん似の声が紡がれる、桜色の唇から──

「どこからお吸いすればよろしいですカ、ご主人さま」

 メイドさんの尋ねる声。
 もう、幸太の頭の中は真っ白になっていた。桜色の唇しか見えない。恋人を作る経験さえゲームの中でしかない幸太にとって、これは恐ろしく魅惑的で、あまりにも刺激の強いイベントだった。
 大人の階段のーぼるー、とテレビで聞いたことのある音楽が脳をよぎる。
 ああ、あの唇が。
 メイドさんの、あの、柔らかそうな、くちびるが。

「く、くち、から」

 それすなわち、ちっす。
 血を吸うとなれば、それはきっと長時間。それすなわち、でぃーぷなちっす。

「わかりました。では、ご主人さま、心の準備はよろしいですカ?」
「──お願いします!」

 息を飲んで、告げた。








 幸太の唇に、蚊がとまった。

 ぷぅん、と音をたてて、小さなそれは、朝日の差し込む窓から出て行った。 











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交流サイト、小説喫茶企画参加作です。
「ある日少女が訪れた。しかしその少女は実は──」に続く物語を考えようという趣旨でした。

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