ぼくはシチュー
ぼくはシチュー。
とってもおいしい、ホワイトシチュー。
そんじょそこらのシチューとは、わけがちがう。ママさんが、小麦粉とバターと牛乳で、一から作ってくれたんだもの。
ママさんは、ちいさなちいさな赤ちゃんを背中におんぶして、ずっとずっと長い間、ぼくのそばにいてくれた。
知ってる?
シチューのもとになる、ホワイトソース。ちょっとでも気を抜くと、ダマになったり焦げたりするんだ。
だからママさんは、ずっとぼくをかき混ぜていてくれた。
おかげでぼくは、とろとろ、とろとろ、真っ白なホワイトシチュー。
赤ちゃんも、ぼくを食べてくれるのかな?
どんな顔して、食べてくれるのかな?
「じょうずにできた」
ママさんがほほえんでる。
ぼくもうれしい。
ねえ、もうそろそろ、食べごろだよ。はやく食べて、もっとすてきな笑顔をちょうだい。
ぼくはそれが、なによりうれしいんだ。
そのために、生まれてきたんだ。
「パパの好きなシチュー、じょうずにできたよ。今夜はパパはやいっていってたから、みんなで食べようね。パパ、喜んでくれるといいね」
赤ちゃんは背中で眠っていたけど、ママさんはやさしい声でそういった。
ぼくは、なんだかわくわくしてきた。
ママさんと、パパさんと、赤ちゃんと。
みんなで、笑って、食卓を囲んで。
ぼくは、そんなしあわせな空気のなかで、食べてもらえるんだ。
ママのポケットで、ぶるぶるとなにかが震えた。
ママさんが、背中の赤ちゃんを気にしながら、小さな声でハイという。
「……え? そうなの? ううん、わかった。帰り、気をつけてね」
とても沈んだ声。
さっきのママさんとは、ちがうひとみたい。
「パパ、遅くなるって。じゃあ、シチューは、明日の朝にしようね」
ちょっと泣きそうな声だった。
ぼくも悲しくなってしまう。
ママさん、いっしょうけんめい作ってくれたのに。楽しみにしてたのに。
ねえ、でも、だいじょうぶ。
朝までじっくりねんねしたほうが、ぼく、きっとおいしくなるよ。
いまよりずっとおいしくなるよ。
ねえ、ママさん、だからそんな顔しないで。
ぼく、自信があるんだ。
ぜったいおいしくなってみせるから。
ママさんが、ぼくにふたをする。
ようし、がんばるぞ。
まだ寝るにははやかったけど、ぼくはおいしくなるために、はやくはやくと目を閉じた。
その夜、ぼくは夢を見た。
ママさんと、パパさんと、赤ちゃんが、おいしいってぼくを食べてくれる夢。
いっぱいの笑顔に包まれて、いっぱいの幸せに満たされて、ぼくはとろけてしまいそうだった。
ぼく、きっとおいしいよ。
だって、ママさんの愛がね、いっぱいいっぱい入っているんだ。
朝になって、ふたが開けられた。
ぼくをさいしょにのぞきこんだのは、パパさんだった。
つかれた顔のパパさん。ママさんはどうしたんだろう?
ああ、赤ちゃんの泣き声。そっか、赤ちゃんが泣いてるんだね。
パパさんが、コンロのスイッチを入れる。
朝一番で、ぼくのからだに火がとおる。
──? ねえ、待って。
待って、待ってパパさん、どこに行くの?
だめだよ、だめだよ、熱いよ。
熱いよ、ねえ、もっと火を小さくして。ねえ、ちゃんとかき混ぜて。
ああ、ああ、ぼくの真っ白なからだが、茶色くなっていく。
だめ、だめ、どんどん黒くなっていく。
赤ちゃんが泣いてる。
赤ちゃんをなだめる、ママさんの声が聞こえる。
遠くから、シャワーの音。
だれもぼくに気づいてくれない。
だれもこっちに来てくれない。
だめだ、もう、だめだよ。
もう、どうにも、ならないよ。
ぼくは、
ぼくはね、
おいしいっていわれたかった。
笑顔を見せて欲しかった。
食べて、欲しかったよ。
ぼくはそれ以上、なにも考えられなくなった。
遠のく意識の片隅で、ママさんの悲鳴が聞こえたような気がした。
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この物語はフィクションです。
シチューを焦がしたショックをぶつけたものです。