莉啓の中華一番 BY光太朗

 赤、黄、緑のドレスを着た食材たちが、鉄のホールで踊っている。
 音の変わる一瞬の隙を逃さず、投入されるアルコール。一気に炎上するが、その様子に眉一つ動かすことなく、彼はフライパンを振るい続ける。
 最後に塩をひとつまみ。それからフタをして、微動だにせずきっかり六秒。
 それから彼はフライパンを火から上げた。大皿に、手早く、かつ丁寧に盛りつける。
 完成だ。
「こんなものか」
 一流シェフ顔負けの豪華料理を作り上げ、それでも彼の感想は淡々としたものだった。
 彼の名は莉啓。
 職業は、炎の料理人──では、ない。
 職業、といういい方をするのなら、彼は『従者』だ。それ以上でも以下でもない。彼は、もう何年も、赤髪の美少女に仕えている。
 とはいえ、彼女の舌を満足させるためだけに振るわれるその腕は、とうにそこらの料理人のものを凌駕していた。しかし彼にいわせれば、それすら彼女の味覚が素晴らしいからこそついてきた結果であり、彼の功績ではないらしい。
 彼にとって、世界の中心は彼女だ。
 悠良という名の、赤髪の美少女。
「おいしいわ」
 出された食事を淡々と口に運びながら、悠良はそう感想を述べた。それについて、莉啓は特に答えない。彼女のために作った料理がおいしいのは、彼にとってはもはや当たり前のことだ。
「アタシも食べたいワ」
 悠良の隣で、頬杖をついている少年が、裏声でそんなことをいってきた。莉啓は彼を一瞥し、笑みも怒りも顔には出さず、静かに告げる。
「ない」
 一言。
 あまりにも冷たい、非情な、しかし現実だ。
「ごらんになってください、みなさん! この現状を! 俺たちの関係をなんだと思いますか、ええそうですねちょっと恥ずかしいですが、あえて言葉にするなら、仲間! そう、仲間! 俺たち三人仲良しこよし、何年も一緒に旅をしている仲間なのです! それが、メシどきに出されるのが、悠良ちゃんの分だけってどういうことでしょうか──!」
 少年は天井を仰ぎ、ずいぶんと長い独り言を吐き出した。音を立てない所作でスプーンを置き、ナプキンでそっと口元を拭うと、悠良は隣をちらりと見る。
「うるさいわよ、怜。食事ぐらい静かになさい」
 そうして、彼女だけ食事を再開した。
 怜、と呼ばれた少年は、恨めしげに悠良を見る。彼女の目の前にだけ、燦然と輝く豪華ランチ。向かい側に座る炎の料理人の前にも、食事の類はない。
「食事ぐらいって……食べてるの悠良ちゃんだけじゃん……」
「何か文句でもあるのか」
 あまりにも答えの分かり切っている莉啓の問いに、答えてやる気力もない。
 怜は、大きく息を吐いた。身体中の空気をため息に変換したかのような、長い息。それすら、もったいないような気になる。
 彼ら三人が抱えている問題は、明白だった。
 そしておそらく、それに気づいているのは怜だけだ。彼だって、本来ならそういうことに気を回す性格ではないのだが、この場合自分がやらなくてだれがやるというのだろう。
 怜は、皿の上で生存していたパンの切れ端を素早く口に運び、一気に飲み込むと、真剣な目で相棒を見た。
「啓ちゃん、大事な話があるんだ」
「貴様、いま悠良のパンを食べたな」
 相棒も真剣な瞳だ。怒りに満ちている。
「いや、それはまあそうだけど、そんなことより大事な話が」
「そんなことだと? 悠良の食事を横取りしておいて、その事実をそんなこと呼ばわりか!」
「……悠良ちゃん、ヘルプ!」
 隣の少女に助けを求める。彼女は冷淡な瞳で、すでに怜を見ていた。
「三倍返しね。吐き出せとはいわないから、安心なさい」
「う、ヘルプ失敗!」
 とはいえ、他に自分を助けてくれそうな人間はいない。というより、キッチン付きの豪華宿の一室には、三人しかいない。
 怜は、意を決した。ここは頑張りどころだ。
 いじめられている場合ではない。
「俺たちはいま、ものすごく重大な問題を抱えている!」
 話の流れは完全に無視して、怜は勢いで押し切った。
 拳でテーブルを叩く。皿がかすかに宙に浮いた。
 冷淡二人組は、とりあえず聞いてくれるのか、黙って怜を見ている。怜は、もったいぶるように咳払いを一つ。
「簡潔にいおう────金が、ない」
 莉啓が、眉をひそめた。
「ばかな」
「ばかなって! ばかなってどういうことだコラ! いま悠良ちゃんが食べたフカヒレやらツバメの巣やらの豪華食材、ほいほい買ってきたのおまえだろうが!」
 とうとう何かがキレて、怜が声を張り上げる。最後のスープを飲み干して、悠良は小首をかしげた。
「それって、高いの?」
 ごく基本的な問い。
「いや、それほどじゃない」
 間違った答え。
 怜は頭を抱えた。この二人は、金がどこからか湧いてきているとでも思っているのだろうか。
「もーほんと頼むから真剣に考えようよ。どーすんのこれから。見るの怖かったけどさっき財布見たらさ、今日のぶんの宿代払ったらすっからかんなんだけど」
 莉啓が眉をひそめた。
 ばかな、ともう一度いわれそうだったので、怜が先手を打つ。
「そこで俺は考えました! いつもなら地道にバイトやらなんやらするとこだけど、ちょっとここらでドカンと稼いではいかがかと! そこで、おあつらえ向きにこれ!」
 懐から、紙切れを出す。
 町のそこかしこに貼ってあった紙だ。派手な色遣いで『参加者募集!』の文字。
 莉啓は、無言で文字に目を落とした。悠良は、声に出して読み上げる。
「参加者募集、世界の料理人選手権──優勝者には、金五百と最先端調理セット」
 満足げに、怜が笑む。
「そう、料理人選手権。どうよ、これ。啓ちゃんが優勝すれば、金五百!」
「俺はこんなくだらないものに──」
 莉啓の言葉を遮るつもりもなかったのだろうが、参加資格等を読み終えた悠良が、強大な力を持つ一言を口にした。
「出たら?」
  何気ない一言だ。莉啓は、悠良を見て、微笑んでうなずいた。
「──出よう」
 怜は、心の中で握りしめた拳を手前に引いた。思惑どおり。こっそりと、懐に忍ばせているカードを確認する。
 大会の開始は、明朝。本当はエントリーまで済ませているという事実は、ぎりぎりまで黙っておこうと心に決めた。


「エントリー人数、百二十三人……どうしましょう、短期間の募集だったのに、こんなに集まってしまうなんて」
 花で彩られた椅子に深く腰をおろし、金髪の少女は瞳を伏せた。まだ、十代前半の幼さの残る表情に、影がさす。
 彼女の名はキャンディ=エラット。キトロンの町の領主である、スイト=エラットの一人娘だ。そして今回、この料理人選手権を主催する人物でもある。
 とはいえ、発案したのは彼女ではなかった。
 彼女はただ、カゴの鳥同然の生活のなかで、ぽつりと洩らしただけなのだ──せめて料理ぐらい、もっともっとおいしいものが食べたいわ、と。
「だいじょうぶ、一次審査は筆記試験にするから。それでずいぶん落とされるよ」
 彼女の隣で、青年が答える。何一つ心配などしていないという、軽い口調だ。キャンディは、すがるような目を彼に向けた。
「でも、スイカさん。わたくし、不安です。たくさんの方たちの前に立つなんて、考えただけで震えが──」
 スイカ──正確には、翠華と発音する──と呼ばれた青年は、優しく目を細める。だいじょうぶ、ともう一度くり返して、キャンディの頭を撫でた。
「キャンディ嬢が出て行くのは、最後の最後でいい。途中の進行は僕がやってあげる。おいしいものを食べたいんでしょう、君は楽しまなきゃ」
 緑色の透き通る長い髪、異国情緒溢れるぞろりとした衣装──黙っていれば、「美人」という形容がこれほど当てはまる人物もいないほどなのだが、彼の口調はずいぶんと幼さを感じさせた。
 それでも、キャンディは安心したようだった。彼女は、つい最近になってエラット家に雇われたこの青年のことを、全面的に信頼していた。楽師として屋敷に来たらしいが、それらしい場面は見たことがない。だが、それに不満を漏らす気などなかった。腰に携えている笛を鳴らすことよりも、キャンディとの対話に時間を割いてくれるのが、彼女にとってはありがたいのだ。
「僕も、楽しませてもらうよ」
 そういって彼が見せた、悪役さながらの笑みにも、彼女は気づかなかった。

   *

 第一問
 料理の「さしすせそ」をすべて答えよ。

 第二問
 小口切りとは、どのような切り方のことか、答えよ。

 第三問
 ピーマンとパプリカの違いを答えよ。
 
 第四問
 魚の二枚おろしと三枚おろし、一般的に向いているとされる料理法を答えよ。


「……悠良ちゃん、わかる?」
「考える気にもならないわ」
 問題用紙から顔を上げ、そう問いを口にした怜に、悠良は簡潔に答えた。身も蓋もないが、それが正解だなと思い直し、怜も問題用紙を放り出す。料理人選手権、第一次の筆記試験は、『料理に関する基本問題百』。
 試験会場は、領主が所有しているというダンスホールだ。急遽運び込まれたのだろう、色も大きさもばらばらの机と椅子が、端から端に並んでいる。百人を超える老若男女が、一心不乱に机に向かっている図というのも、なかなか見られるものではない。
 悠良や怜のような付き添いのものも少なくなく、彼らにも問題用紙が配られていた。単に、だれが参加者でだれが付き添いか、いちいち確認するのが面倒なだけだったのかもしれない。
「莉啓はわかるのかしらね。専門の教育を受けてきたわけではないでしょう」
 案ずる様子でもないが、悠良がそんなことをいいだす。怜は、面倒そうに相棒の後ろ姿をみやった。
 エントリーが遅かったからか、莉啓には最後尾の席があてがわれていた。不正を防ぐため、野次馬が見守る後方からはずいぶんと距離があるが、それでも充分に見える位置だ。
 その後ろ姿に、苦悩の色はない。まっすぐに背筋を伸ばし、筆を動かしている。
「だいじょうぶなんじゃないの。あいつって、なんていうか、変に完璧主義じゃん。本とか読んでんだよ、たぶん。新妻のためのお料理のコツ、みたいなのとか」
「……それは、ちょっと壮絶ね」
 悠良は想像したようだった。新妻のための本を真剣に読む莉啓。
「いや、冗談だけど」
「やりかねないわ。私、夜中に莉啓が包丁を研いでるのを見たことがあるの。彼が料理にかける情熱って、計り知れない」
「…………うーん」
 怜は返答に困る。その情熱は、正確には料理に注がれているものではないはずなのだが。
「──みなさん、時間です! いまから解答を読み上げますので、お隣と解答用紙を交換してください。赤ペンは前から回しますので、一本ずつとって後ろへ──ああ、そうそう。円滑によろしく」
 よく通る声が響いた。
 壇上から、覆面をした男が指示を出している。全身緑色の衣服、覆面から飛び出した長い髪も緑色だ。奇妙に笑った顔をした覆面は、道化師のものだろうか。
「あの声、聞いたことがある気がするのだけど」
 小首をかしげて、悠良がつぶやく。
 怜は気づきたくなかったので、できるだけ気づかないことにしておいた。
「気がするねー」
 なので、流した。
 覆面の男が、一定のリズムで、ゆっくりと解答を読み上げる。採点されていく規則的な音が、まるで円舞曲のようだ。難易度の高い問題は決まっているのか、バッテンが打たれているであろう音も、複数重なって響く。
「飽きた」
 その静かな空気に耐えきれず、怜は一言ぼやいた。
「そうね」
 思考の間もなく、同意。
「もうここ出てさ、お茶でもしようよ。採点終わるまでどうせヒマだし」
「いいわね。そうしましょう」
 彼らのためにがんばっている炎の料理人の後ろ姿を、二人は見た。だいじょうぶ、彼ならきっとだいじょうぶだ。そこにあるのは、輝かしいまでの信頼関係。
 ということにして、二人はさっさと会場を後にした。

 見事全問正解で、一次試験をトップ通過した莉啓が、包丁を構えて彼らのいるカフェに押しかけるのは、それから数十分後のことだった。
 
   
 
 料理人選手権、エントリー人数百二十三人。
 うち、本選に残ったのは、たったの十人。
 筆記試験における上位十名だけが、本選会場へと案内された。
「筆記試験が厳しすぎるとお思いの方もいらっしゃるでしょうが、一般家庭の料理番程度では本選に出る資格もないということを、ご理解いただきたい!」
 屋外の本選会場──エラット家の所有する多目的広場であるらしい──で、真っ赤なスーツを着てそういい放ったのは、髭のたくましい中年男性だった。
 一般人も審査員として参加できるということで、ロープの張られた会場の周囲には、ほとんど町中の人間が集まってきている。これ幸いと、菓子やら飲み物やらを売り歩くものもいれば、ちょっとした屋台まで並び、完全にお祭りムードだ。
「えー、ちなみにワタクシ、実況ひと筋この道四年、チャーリー=ビックルでございます。今回の料理人選手権、実況を務めさせていだたきますので、どうぞヨロシク!」
 会場が妙にざわめいた。
 この道四年。それは果たして長いのか短いのか。
「この催し物、誰が何の得をするのかしら」
 アシスタント、という形で、レースのエプロンに三角巾姿の悠良が、鋭いところに目を向ける。同じく、新妻風エプロンを身につけさせられた怜は、どう答えたものかと眉根を寄せた。
「金持ちの道楽ってことなんじゃないの」
 本当は、ある可能性に思い当たっていたが、口に出さないでおく。前方で聞き耳を立てている莉啓に、食材といっしょに鍋に放り込まれてはたまらない。
「いいか、貴様、邪魔だけはするな。何もしないでそこに突っ立っていろ。存在そのものが邪魔なのに、このうえ手出しをするようなら、問答無用で煮込むからな」
 昨日のエスケープ事件を根に持っているのだろう、莉啓の全身から不機嫌オーラが見える。煮込む、というのもおそらく比喩ではあるまい。調理台の横に用意された、異様に大きな鍋が目に入り、怜の背を冷や汗が伝った。
「りょーかいです、おとなしくしてます、お母さん」
 怜は右手を額に当てる。敬礼。
 当然のことだが、莉啓の怒りオーラが増幅する。
「誰が貴様の母親だ……!」
「いや、だってさ、あんまりはまってるからつい!」
 弁解しようとするものの、怜はどうしても吹き出してしまった。
 参加者の中で、唯一エプロンの類を持参しなかった莉啓に手渡されたのは、輝かしいばかりに真っ白な、割烹着だった。
 割烹着に身を包み、丸い白帽子をかぶって、包丁を構える莉啓。
 そのチョイスに、何者かの悪意をひしひしと感じる。
「怜、いちいち喧嘩をふっかけるのはやめなさい。素直にいえばいいのよ」
 ある意味では恐ろしいほどにエプロンスタイルの似合わない悠良が、そっと莉啓を見上げた。
「だいじょうぶ、似合ってるわ」
「……ありがとう、悠良」
 莉啓はちょっぴり泣きそうだった。
 うしろで、悠良ちゃんナイスといいながら、怜が笑い転げている。
「──えー、皆々様、準備はよろしいでしょうか! 本選のテーマは、『貴方にしかできない究極の料理、ただしデイリーに食べられるメニュー、隠し味はズバリ愛』、でございます! 会場中央にある食材を、どれだけ使っていただいてもかまいません。もちろん、あとで金よこせとかはいいませんのでご安心を! 制限時間は、二時間! ──始めぇぇえ!」
 ボワワワァァン、と銅鑼が鳴った。
 エラット家が用意した楽隊が、音楽を奏で出す。
「金かかってんなー」
「お金持ちの考えることって、わからないわね」
 指示どおりおとなしくしておこうとする怜と、手伝う気など毛頭ない悠良が、完全に観客気分で感想をもらした。


「さあ、始まりました、世界の料理人選手権! さすが、筆記試験上位十名の手練れたち、動きが違います! さばきが違います! フライパン遣いが違います! おおっと、ここで筆記試験トップの莉啓選手、蛙を手に取った──! まだ生きている、まだ生きている新鮮な青蛙です! 東洋では蛙すらも料理に使うというのは有名な話ですが、本当に使うのでしょうか! どうでしょう、解説の道化師仮面さん」
「さー、どうでもいい」
「なるほどー! お? しかし、莉啓選手、蛙の背中を何やらさすって、優しく声をかけた! おおっとこれは意外だ、料理に使うのではなく、地面に放した! 蛙は、名残惜しそうに何度も何度もふり返り、去っていきました! これは、料理人である前に一人の人間、生きた生物は使わない、という優しさでしょうか?」
「さー、知らない」
「ちょっと聞いてみましょう。──莉啓選手、いま蛙を逃がしましたが、あれはどういう…………はあ、はあ、なるほど。みなさん、聞こえましたでしょうか! 俺は蛙は料理しない主義だ、とのことです! 何か特別な恩でもあるのでしょうか。──お、今度は優勝候補と名高いオムロン選手、生きたウサギに包丁を入れた──! オレはなんだって料理してやるんだぜ、という対抗心が見て取れます! あからさまです、やらしいです!」
「料理人なんだから、なんでも使う、に賛成」
「解説の道化師仮面さんは、オムロン選手寄りの意見ですね。っていうか莉啓さんに特別冷たくないですか? あ、キライなタイプ、それはまたどーしょーもないご意見ありがとうございます。──お、今度は唯一の女性参加者、ナターシャ選手、これは素晴らしい包丁さばきだ! あれは、魚、魚でしょうか。魚がまるで大輪の花のように変貌していきます! しかしなんということでしょう、世界中のどこを探しても、これほど生臭い花にお目にかかれることはありません! ──おおっと、今度は最高齢参加者のゲルル選手、持ち上げられない! 鍋が重い! これは予想外のアクシデントか! アシスタントも同じく高齢です! 三人がかりで鍋を──おおっと、ひっくり返した──! ギブアップ、ギブアップです、ゲルル選手!」
 まるで戦場だった。
 さすが実況ひと筋四年、チャーリー=ビックルの実況は途切れることを知らない。
 実況席に座る、道化師の仮面をかぶった『解説者』はというと、チャーリーのテンションに反比例しているかのようなやる気のなさだ。
「この調子で、二時間……」
 思わず、怜はぼやいた。
 それは疲れる。
「もし優勝しなかったら、この時間、無駄ってことよね。怜、あなた、暇なら裏工作でもしてきたら?」
 ちょっと散歩してきたら、とでもいうように、実にさらりと悪事をそそのかされ、怜は悠良の行く末を憂えた。こんな子じゃなかったような気がするのに。いや、気のせいかもしれないが。
「いいよ、それこそ啓ちゃんに煮込まれそう。手出しするなってことは、優勝する気満々なんじゃないの」
「意外とプライド高いわよね」
 意外か? と怜は思ったが、突っ込まないでおく。悠良と怜に見せる顔がまるっきり別人なのだ。二人の『莉啓論』が同じになるとは思えない。
 莉啓は、すぐ後ろで座り込んでいる二人には目もくれず、一心不乱にマイ包丁を操っていた。切られた食材が弧を描き、勝手に鍋に投入されていく。その真剣な横顔に、汗が光る。割烹着姿が眩しすぎて、怜は直視しないようにするのに必死だ。
「莉啓、何か手伝うことはある?」
 よほど暇だったのだろう、座ったままの状態だったが、悠良がそう声をかけた。莉啓は手を止めて、ふり返る。
「悠良、その言葉だけで充分だ」
 目を細め、幸せ百パーセントの表情で、そっと微笑んだ。
「そう」
 悠良、あっさり引き下がる。
 なんだかやってられない気分で、怜はあさっての方向を見やった。その目に、まっさらな皿の山が入る。できあがった料理を盛りつけるためのものだろう。
「まー、優勝するだろうとは思うけど」
 それでも、路銀の足しになるだろう──怜は、日持ちしそうな食材を、せっせと皿に乗せ始める。これだけ暇な思いをするのだ、食材をいただいていくぐらい許されるはず。
 悠良は、何やら自分の役割を見つけたらしい怜を眺め、よりいっそう退屈な気分になった。
「もし優勝しなかったら、私が何か働こうかしら」
 そのつぶやきを聞きつけて、莉啓の闘志がより一層燃え上がる。
 
 そんなこんなで二時間。
 開始時と同じく、銅鑼の音が、会場中に響き渡った。
 
     

 九名の料理自慢による『究極の料理』が、ずらりと並んでいた。
 各料理人にテーブルが一つ割り当てられ、テーブルコーディネイトまで委ねられる。花を飾りつけ、パーティさながらに盛りつけたものもいれば、自前のテーブルクロスで家庭的に演出したものもいる。
 コーディネイト、という意味では、莉啓のテーブルは味気ないものだった。これといって、特別に何かを飾ったというわけではない。
 ただし、一つ、他の参加者を圧倒している点があった。
「満漢全席……! 満漢全席だ……!」
 観客席からざわめきが起こる。
 莉啓だけは、食卓が一つでは足りないと直訴し、五つのテーブルを使用していた。その広大なスペースすべてを、大皿が占拠している。
「マンカンゼンセキ?」
 用は済んだとばかりに、早くもエプロンを脱ぎ捨てた悠良が、聞き慣れぬ単語に首をかしげる。
「それ、何?」
「俺も詳しくはないけど、どっかの皇帝のために作られるすごい量の豪華料理……じゃなかったかな。豪華すぎて、三日三晩かけて食べるとかなんとか」
 うろ覚えの知識を怜が披露する。しかし、冷淡な目で莉啓が怜を一瞥した。
「そんなものではない。これは、悠良の好物百品だ」
「……ああ、そうですか」
 莉啓にとって、満漢全席は「そんなもの」であるらしい。悠良の好物百品は、皇帝のための豪華料理を超越するようだ。
 それにしても、二時間で百品。
 いったい何が彼をそこまでさせたのだろう。
「もうさー、特級厨師にでもなって、背中に中華鍋とお玉背負って、馬に乗って料理修行の旅でもしたら?」
「俺は料理のために生きているわけではない」
 怜の投げやりなぼやきに、莉啓がごく真面目に答えた。
 じゃあ何のために生きてんだ、と聞こうと思ったが、それこそ愚問だ。
 そんなやりとりをしているうちにも、審査はすでに始まっていた。チャーリー=ビックルが、エントリーの早い参加者の料理から順に、次々と試食していく。まず彼が試食し、実況。それを聞いた一般審査員が試食。最終的に人気の高かった料理人の優勝、ということになるらしい。
 ちなみに、主催者であるキャンディ=エラット嬢の試食分は、最初に取り分けることが指示されていた。  
 彼の実況を聞いている限りでは、それぞれやはり美味であるようだ。ただ、誇張表現が多すぎて、どんな味なのか正確に伝わっては来なかったが。
「さあ、皆さんお待ちかねの、この方──リケイ選手、リケイ選手の満漢全席です! なんという量でしょう、二時間でこの量、なかなかできるものではありません! ……は? 満漢全席じゃない? はあ、なるほど……大変失礼しました、こちら、悠良さんの好物百品ということでございます!」
「うわー、恥ずかしい」
 怜が思わず他人のフリをする。そんな大声で、皆様にアピールしないでもよさそうなものなのに。そもそも、料理人選手権で作る料理が誰かの好物などと、感覚がずれていなければできない行動だ。
 しかし、当の莉啓も、名前を出された悠良も、まったく意に介していないようだった。
 感覚が常人とは違うのだろう。
「それでは、不肖チャーリー=ビックル、試食いたします!」
 そう宣言して、チャーリーはスプーンを口に運んだ。


 瞬間、彼の口から光が溢れ出した。
 コメコメコメコメコメ……と、どこからともなくメロディが聞こえ始め、チャーリーの口から米つぶが踊り出てくる。
 チャーリーの身体は宙に浮き、恍惚とした表情で、彼は両手を大空に掲げた。
「こ、これは……! まるで、米が奏でるハーモニー……!」
 彼の姿は、もはや米そのものになっていた。来ていた赤いスーツは、いまや黄色のドレスに変貌している。
 黄色のドレス──そう、それこそが卵黄だった。

 タマタマタマタマ、タマーゴタマーゴ。
 コメコメコメコメ、コメとタマーゴ。
 相性抜群、わたしたち、ステキパートナー。

 宙を舞う米と、黄色ドレスのチャーリーとが歌い出す。
「なんということだ──! 米一粒一粒に、薄い卵黄のコーティング! まるで匠の技! 卵の甘みが米を引き立て、そして米がそれに全力で応えている! 固すぎず柔らかすぎず、それでいて弾力豊富! パラパラ感は残しているのに、かつ全体のまとまりを損なわない……! こんな、こんな料理に出会える日が来るなんてー!」
 なんてー、に呼応するように、米が虹色に変化して、空を彩り始める。
 タンゴのステップで空を踊りながら、チャーリーは涙を流して絶叫した。
「う──ま──い──ぞ──!」
 
「当然だ、悠良の好物だからな」
 淡々と、莉啓が述べる。
「当然ね。おいしいわよね、莉啓の炒飯」
 悠良はいつもどおり偉そうだ。
 唯一、怜だけが、苦虫を噛みつぶしたような顔で、一言つぶやいた。
「そんなばかな」
  怜はもう帰りたかった。
 しかし、彼の願いもむなしく、百品分の実況が延々と続いた。


 チャーリーによる実況試食が終わり、一般審査員の試食が始まった。
 試食開始の合図とともに、二時間以上も腹を空かせて待っていた野次馬たちが、わらわらとなだれ込んでくる。実況を聞きながら、まずどこに行くかを考えていたのだろう。ロープがはずされると同時に、それぞれが目当てのテーブルへ突進していった。
 無論、莉啓のテーブルも例外ではなかった。
 大勢が、皿とフォークを手に押し寄せて来──たのだが。
 誰一人として、五つ分のテーブルを飾る料理の数々に、手を伸ばすことができなかった。
 そこには、独立した空間が生まれていた。
「さあ、悠良。スープと前菜と……メインは何がいい?」
「そうね、少しずついただくわ」
 五つ並んだテーブルの中央に、どこから持ち出したのか妙に立派な造りの椅子を配置し、悠良が当たり前のように悠然と腰かけていた。
 ナプキンを首からかけ、莉啓が運ぶものを少しずつ口に運ぶ。
 明らかに、他から浮いている行為であるはずなのに、なぜかまったく違和感がなかった。
 好奇な令嬢の食事風景が、できあがっていた。
「……た、食べたいけど……」
「食べられない……」
 得物を手にした野次馬たちが、生唾を飲み込む。
 手を伸ばそうものなら、莉啓の絶対零度の視線が突き刺さるのだ。食べるな、と諫められるのではない。ただ、視線。
 しかし、それだけで充分だった。
 誰一人として、莉啓の食事を食べようとはしなかった。
 かといって、他のテーブルに行くこともためらわれるのか、大半はその場にとどまって、遠巻きに悠良の食事を眺めている。
 異様な光景だ。
「動物園の餌やりじゃあるまいし」
 あきれ果てて、そうつぶやきながらも、怜は一般審査員に扮してたらふく食事をいただいている。こっそりとテイクアウトの準備をすることも忘れない。
「さあ、審査まであまり時間がございません! よろしいですか、これだ、と決めた料理人の名前を書いて、こちらに投票して下さいね!  食べるだけじゃだめですよ! 一票を! 清き一票を!」
 首から箱をぶら下げて、チャーリーが練り歩いている。他にも、エラット家の使用人らしい人物が数人、投票箱を持って立っていた。


 そうして、結果発表。
 参加者は、広場の中央に集められた。当初の目的を忘れているのかなんなのか、莉啓はやりきったという顔で背筋を伸ばして立っている。割烹着姿ではあったが。
「食べ過ぎたわ」
 淡々と悠良が述べた。それはそうだろう、と怜が遠い目をする。そんなことなら、自分にぐらい食べさせてくれてもよさそうなものなのに。
「一般審査員の点数がゼロなんだから、だめだろうね、啓ちゃん。残念、大収入のチャンスだったのに」
「無銭でこれだけ飲食できたのだから、充分なんじゃないかしら」
「まあね」
 確かに、金五百がないにしろ、たらふく食べて、おみやと食材も手に入ったのだから、充分すぎるほどだ。
 悠良も怜も、結果発表にはほとんど注意を払っていなかった。何か他の儲け方を模索しないと、と思考はすでに遠くにある。
 だから、聞き逃した。
 歓声が飛び交い、拍手が巻き起こったときには、二人は顔を見合わせただけだった。
「おめでとうございます! 莉啓選手、優勝、おめでとうございます!」
 なぜかチャーリーが涙を流している。
  怜は、思い切り眉間に皺を寄せた。
「……優勝?」
 そんなばかな、という続きすら声にならない。
 なぜ優勝。悠良の好物を作っただけで、試食すらさせなかったのに。
「あら、すごいわね」
 悠良の声にも、あまり感動がこもっていない。
「ええ、審査の声ですが──『わたしも、あんなふうに尽くされたい』、『ひとりの主人にだけ心を開く様子に感動した』……などなど、莉啓選手の悠良さんへの奉仕の精神が得票に繋がったようです! 莉啓選手、喜びの声を一言」
「俺の料理がすごいのではない。料理を求める悠良の味覚が、素晴らしいのだ」
 その声に、さらに大きさを増す歓声。
「そういうことよね」
「……この場合、どっちにつっこめばいいんだろう……っていうかナンダコレ、なんの大会?」
 知っていたはずの現実だったが、よりその重さを増している気がして、怜が呻く。どうしたものか。この二人についていけるのだろうか、自分は、本当に。
「ええ、では、主催者でいらっしゃいます、キャンディ=エラット様から、賞金とトロフィーが手渡されます。さあ、莉啓選手、こちらへ」
 チャーリーに促され、莉啓が数歩前へ出た。
 ずっと様子を見守っていたのだろう、広場の隅のテントから、淡いドレスの少女キャンディ=エラットと、道化師の仮面の青年とが、ゆっくりとした足取りで歩いてくる。
「莉啓さま──」
 金髪の美少女は、震えるほどの小さな声で、莉啓を見上げた。
「その精神、速さ、もちろん味も、完璧でございました。おめでとうございます」
 彼女の手には大きすぎるほどのトロフィーを差し出す。さすがに金五百は重いのか、賞金が入っているであろう箱は、道化師仮面が代わりに手渡した。
 緑色の衣服を翻し、道化師仮面は、そっと莉啓の手を取った。小声で、囁く。
「おめでとう、陰険術師」
 莉啓だけに聞こえる、小さな声。莉啓は、眉を跳ね上げた。
「──貴様っ!」
「今日はなんというめでたい日でしょう! 今日このときを持って、エラット家の新しい料理長が決定致しました!」
 道化師の仮面を投げ捨てて、翠華はそう声を張り上げた。トロフィーを持った莉啓の腕を高々と掲げ、周囲に向かって宣言する。
「エラット家の新料理長決定をかけた料理人選手権、優勝は莉啓選手です! 拍手──!」
 町中の人間が参加しているのではないかというほどの拍手が、響き渡った。
「料理長、だと?」
「知らなかった、じゃすまないよ。拒否するなら、賞金もナシ。お金入んないんじゃ、悠良嬢は悲しむだろうねえ」
 翠華の口調は完全におもしろがっている。莉啓は反論しようとして、口をつぐんだ。確かに、この場で拒否できるようなムードではない。主催者側は、恐らく翠華にそそのかされたのだろう。
 はめられたのだ。
「どうりで。既視感があったのよね。怜、あなた、気づいてたわね?」
「誓っていうけど、共犯じゃないよ」
  悠良の問いに、怜はちょっとだけ目をそらす。気づいてたかといわれれば、もちろん否定はできないのだ。
「……それにしても、手の込んだいたずらだな。よっぽど暇なんだな、翠華」
「本当ね。お母様にいって、強制送還してもらおうかしら」
 拍手喝采を浴びる莉啓の姿に、二人はまったく実感が湧かない。まるで他人事のように、観衆に撤している。
「助けに行ったほうがいいかしら」
 莉啓は何やらコック帽まで授与されていた。悠良のつぶやきに、怜が返す。
「自分でなんとかするでしょ。翠華も気がすんだんだろうし」
 それでも、このまましばらくは、この町に滞在せざるを得なくなりそうだ。笑みの形に唇を上げ、怜は続けた。
「それに、いい商売思いついた」


   ***

 
 それからしばらく、町には、一流の料理人を目指す人々が集うこととなる。
 それはそれは高貴なお嬢様が、料理の批評を安価でしてくれるという噂が広まったからだ。彼女の批評は実に手厳しく、そして的を射ていたので、実力向上を望む料理人が我先にと料理を持ち込んだ。
「さすが怜、ただでは起きないね」
 当たり前のように怜の隣に居座り、満面の笑みで翠華が褒め称える。怜はかつての相棒を一瞥した。何もかもが、この男の思い通りであるような気がして、おもしろくない。
「おまえさあ、いいから手伝えよ。あと、啓ちゃん帰ってくる前に姿消しといた方がいいんじゃないの、刺されるぞ、包丁で」
「怖くないね、陰険術師の包丁なんか。──あ、料理人の方ですね、こちらへどうぞー」
 それでも、翠華はちゃんと手伝っていた。板についた様子で、代金を受け取り、厨房へと通す。厨房の奥では、悠良が優雅な食べ放題を満喫しているはずだ。
「それに、あと十日はエラット家から出られないんじゃないかな。あそこの料理人に料理を伝授し終えるまでは料理長やる、っていう話になったみたいなんだよね」
 そう語る翠華の目が、少年のようにきらきらと輝いていて、怜は嘆息した。怜と莉啓も仲の良い方ではないのだろうが、ここまでではない。
「なんか、俺の方が啓ちゃんに刺されそう……」
 絶望的なつぶやきが実現するのは、それからまさに十日後のことだ。

  そんなこんなで幕を閉じた、料理人選手権。
 短期間で料理テクニックすべてを伝授した莉啓は、『エラット家伝説の料理長』として、後世まで語り継がれることになる──

 

 

 

 了