ロンドド郊外には、モダンな作りの建物がある。デザインこそ最先端だが、積み上げられたレンガのあちこちに絡みついた蔦が、その古さを物語る。近頃では珍しくもなくなった、三階建ての建物だ。
正面から見て、入り口は三つ。一階ごとに一つだ。格安物件にもかかわらず、一階にはいまだ入居者の予定はない。この近辺で白くて丸くて浮いている謎の生物が目撃されるからだとか、二階に常識の通じない困ったさんが住んでいるからだとか……理由は様々囁かれているが、定かではない。
二階の扉には、「フォームスン探偵社」なる看板が掲げられていた。その下には、堂々と「名探偵在中」の文字。
「やっとできたのかね、エリスン君」
大きな肘掛けイスに深々と腰を下ろし、パイプを吹かしながら、自称名探偵シャルロット=フォームスンは片眉を跳ね上げた。
あくまで、自称、名探偵。今後、自称という注釈が取り払われる予定は皆無だ。
金に近い茶の髪に、緑の瞳。引き締まった体格、甘いマスク。黙っていれば思慮深いという形容もできようものだが、黙っていることがないので常に残念な結果に終わっている。
「お待たせして悪かったわね。まったくもう、もう二度と作らないわ」
不機嫌な声で言葉を返したのは、シャルロットの助手、エリスン=ジョッシュだ。美しいブロンドに抜群のプロポーション、シャルロットと並べば実に知的な印象を与えるが、真実は闇の中。建物の三階に住み着き、助手として働き始めて四年になる。
室内だというのに、バイオレットローズのドレスに身を包んだエリスンは、すでに準備万端のテーブルの上に、ドカンとホールケーキを置いた。焼きたてのスポンジケーキだ。甘い香りが、室内に漂う。
「いいかげん、空腹で腹部と背部の皮膚がくっつきそうなのだがね。なぜまた、朝からケーキ作りを? ケーキが完成するまでは朝食も昼食も抜きなどと、パタモンガーも真っ青だ」
悪の大怪獣パタモンガー。毎週日曜、絶賛放映中のこども向けアニメ。
「作ってみたくなったのよ。まさか、昼過ぎまでかかるなんて思わないじゃない。食べるのはあたしたち二人しかいないんだから、食事なんてしてたらケーキをもてあましちゃうでしょう。文句いうぐらいなら、手伝えばいいのよ」
「はっはっは、手伝ったら手伝ったで怒るだろう、君は。菓子作りに関しては、口出しだってしないさ」
肩をすくめ、シャルロットはパイプの火を消した。イスを回して立ち上がり、テーブルに移る。
頬に生クリームをくっつけたエリスンが、ぶつぶつを悪態をつきながらも、ケーキ作成の仕上げに取りかかっていた。焼きたてアツアツのケーキに、塗りたくられる生クリーム。塗った端から溶けている。
しかし宣言通り、シャルロットは口出しをしなかった。
溶けていく生クリームを、ちょっともったいないとは思ったが。一般的に知られるケーキではなく、なにか独自のものを作り上げようとしているのだろうと好解釈。
「できたわ……!」
達成感に満ちた声で、エリスンがつぶやいた。
アツアツスポンジケーキの生クリームがけ、季節のイチゴと共に。
見た目はアレだけど、きっと味はおいしいから──そんなことをいいながら、ざっくり包丁を入れる。スポンジケーキの中央から、トロリと液体が流れた。
生焼け。
「これは……! まさかの、フォンダンケーキ!」
シャルロットは本気だ。決して皮肉ではない。
「あ、味はいいわよ、きっと」
それでもエリスンは諦めなかった。タネが泡立つまでかき混ぜようと奮闘した数時間──結局泡立たなくてそのまま焼いたが、それでも全身全霊で頑張ったのだ──あの努力のときを、無駄だったなどと思いたくはない。
六分の一を皿に乗せ、シャルロットの前に差し出す。その隣に、ブラックのコーヒーも並べた。
「どうぞ、シャルロット」
足りない何かを補うかのように、いつもより極上の笑顔。
「では、いただこう」
まったく物怖じせず、シャルロットは未知の菓子にフォークを突き刺した。
パクリ。
ほとばしる衝撃。
「およそケーキとは思えない硬さ……裏腹にまったりと口内を潤すフォンダン部分……! くどいばかりの生クリームソースがアクセントとして全体を包んでいる! 新しい、新しい味だ……! おかわり!」
決して皮肉ではない。皮肉ではおかわりできない。
その反応に期待を膨らませ、エリスンもほんの少しを口に運んだ。
ほとばしる衝撃。
そっと、フォークを置いた。
エリスンの皿と、まだ三分の二を乗せた大皿を、シャルロットに突き出した。
「……あたしの分、あげるわ」
「なぜだね、これほどのケーキを。まさかダイエットかな? まったく、女性は大変だ」
喜々として、シャルロットはケーキらしき物体を、次々と腹に放り込んでいく。
エリスンは立ち上がると、窓を開け放った。浮かぶ雲に目を細める。胃薬のストックはあっただろうかとちらりと考えたが、あらゆる面で鈍い上司が腹をこわしたことは一度もないので、恐らくなくとも平気だろう。そんなことより、むなしく過ぎてしまった数時間に、心の涙でさようなら。
「あら?」
ふと視線を落として、眉をひそめた。何やら、白くて丸くて浮いているものが、通りを爆走してくるのが見える。
フォームスン探偵社の馴染み客だ。いつも共にいるはずのピンクワンピースの姿は見えないが、こちらに向かってくるということは、何か用があるということなのだろう。
「シャルロット、ジョニーさんが来るわ。キャサリンさんはいないみたいだけど」
「ほほう? 単独でみえるとは、珍しいな」
顔中を溶けた生クリームでべたべたにしたシャルロットが、それでも知的に眉を上げる。無言でタオルを手渡すと、エリスンは来客に備えた。あの生物は単独では扉を開けられない。ノブに手をかけ、スタンバイオーケー。
チリンチリンチリン、と急かすような呼び鈴の音。エリスンは扉を押し開けた。
「いらっしゃい、ジョニーさ……」
「ヒュイー!」
扉が開ききるのも待たず、白くて丸くて浮いている生物は、弾丸のように飛び込んできた。あまりの勢いにうまく止まれず、食卓でケーキを征服し終えたシャルロットの頭に激突する。漫画的に星が散った。
「ヒュィ!」
「痛いではないか、ジョニーさん。これ以上私が天才になったらどうするんだね」
「ヒュヒュィ」
ジョニーはもうしわけなさそうに身を縮ませた。身、といっても、全身が丸ごと顔のような一頭身なのだが。
「だいじょうぶですか、ジョニーさん。そんなに急いで、いったい何が……」
扉を閉めて、エリスンがジョニーのみに気を配る。いやあ、頭が痛いなあ、などとシャルロットがわざとらしく強調。
「良かった、だいじょうぶそうですね」
鮮やかにスルー。
咳払いを一つして、シャルロットは少し冷めたコーヒーで喉を潤した。悠然と腕を組み、テーブルの上にちょこんと座るジョニーを見やる。
いつもどおり、白くて丸い。つぶらな瞳は今日も今日とてキラキラしている。しかし、キラキラ度はいつもより低かった。どう見ても元気がない。
「キャサリンさんが一緒ではないとは、珍しいな。さては……何か、あったのではないかな? はっはっは、なあに、簡単な推理さ!」
「何があったんです?」
ミルクを差し出して、エリスンもイスに座る。二つの目に見つめられ、ジョニーはうつむいた。
その瞳に、涙が溢れ出す。ぽたぽたとこぼれ落ち、テーブルクロスを濡らした。
涙って出るんだー、と探偵とその助手は、密かに感動する。謎の生物の謎に、ほんの少し近づけた瞬間。
「ジョニーさん、泣いていたのでは、わかりませんわ。あたしたちにだって、何かできることがあるかもしれません。話していただけませんか」
「うむ、さあ、涙を拭いて」
偉そうに胸を張って、シャルロットは生クリームまみれのタオルを差し出す。エリスンがそれを奪い取り、代わりに自身のハンカチを差し出した。銀ラメ入りのシルクハンカチ、『週間ゴージャス』の応募者全員サービス品だ。
「ヒュイ」
受け取らず、全身をハンカチに押しつける。上下運動で涙を拭って、ジョニーは赤く腫れた瞳で二人を見た。
意を決したように、口を開く。
息を吸い込んで、告げた。
「ヒュヒュィ、ヒュイー、ヒュイ。ヒュヒュヒュゥ、ヒュイ、ヒュイヒュイ。ヒュイヒュイ、ヒュイー! ヒュイヒュゥ、ヒュユユ、ヒュイー。ヒュイヒュイヒュイ、ヒュヒュゥ、ヒュイ」
静かな沈黙が、訪れた。
シャルロットは立ち上がり、肘掛けイスに座り直すと、パイプに火をつけた。食後の一服。
エリスンは、ジョニーから目を逸らした。
高い。
あまりにも高い、言語の壁。
「ヒュイ?」
全身を傾けて、ジョニーが不思議そうにエリスンを見る。
「そ、そんな目で見ないでください……──ていうかなんで逃げてるの、シャルロット! 名探偵として、ジョニーさんの伝えたいことを解読しなさいよ!」
「はっはっは、推理でどうにかなる次元を越えているとは思わないかね、エリスン君」
「思うけど!」
憤然と床を蹴りつけて、それでも無責任な上司のようにその場を離れることもできず、エリスンは白い生物に視線を戻した。
何かを伝えようとしているのは確かなようだ。しかし、言葉はわからない。文字で伝えるという手も仕えないのは、立証済み。
「ヒュイィ……」
ジョニーは、大きな瞳を伏せた。自身の言葉が伝わっていないことを知っているのかいないのか、背中の羽根あたりをいじり始める。短い手を伸ばし、羽根と身体の隙間から、白い封筒を取り出した。
「え、いま、どこにしまってました? ポケット?」
エリスンが身を乗り出す。
「エリスン君、それは、手紙かな?」
シャルロットも食卓に戻ってきた。
「シャルロット、いま、ジョニーさん、このうしろから…………いや、いいわ。それより、こっちね」
「ヒュヒュィ」
差し出されたので、受け取った。どこにでもある、白い封筒だ。ジョニーへ、とものすごい丸文字。封もされていない。
「キャサリンさんの字だな」
「そうね。……これ、あたしたちが、読んでも?」
「ヒュイ」
ジョニーは全身でうなずいた。
恐る恐る、エリスンは封筒の中から便せんを取りだした。見たいような、見てはいけないような。
シャルロットも、エリスンの頭上から便せんをのぞき込む。
予想に反して、小さなメモに過ぎなかったそれには、簡潔にただ一文が記されていた。
『わたし、グレます』
それは、やはりどう見ても、キャサリンの文字だった。
ジョニーの目から、再び涙が溢れ出す。
「グレ……ます?」
「ふむ、これは事件の香りだな」
探偵とその助手は、顔を見合わせた。
*
「まず、グレます、の定義について考えてみようか。グレる、まあ一般的には、道を外れた行いをすることを指すわけだが」
「そうね。ロングスカートでヨーヨーを持つ、アレよね」
エリスンの口にした定義がいまいちわからなかったが、世の中がわからないことだらけなのは彼にとっては日常のことだったので、そのまま流した。
シャルロットは、道の脇に目をやる。季節の花々が売りに出され、町は賑わっていた。空気はまだキンと冷えているが、暦の上ではすでに春だ。目覚めるのは冬眠していた動物だけではない。新しい風を感じ、誰もが自然と活気づく、そういう季節だ。
シャルロットとエリスンは、心当たりも情報もほとんどゼロの状態で、とりあえず町に出ていた。探偵社でコーヒーを飲みながら話しているよりも、外気に当たりながらの方が考えもまとまるというものだ。思いがけず、手がかりが転がり込んでくる場合もある。
「そこで、思うところがあるのだがね、エリスン君」
「しょうもないことだろうとは思うけど一応聞いてあげるわ。何かしら、シャルロット」
ファーのまとわりついた白いジャケットを着た助手が、顎を上げるようにして促す。前置きが多少気になったものの、シャルロットは目を細め、自らの推理を口にした。
「キャサリンさんが、ジョニーさんと熱愛中であるという事実──これは、すでに道を外れた行いということにはならないだろうか」
エリスンは息を飲んだ。
「何の道?」
踏み外しているとして、それは果たして。
なんだかものすごくもっともなことを口にした上司に、エリスンは額を抑える。落ち着け、と自分にいい聞かせるかのように。
「ねえシャルロット。そのとおりだとしても、その道を外すという表現、才能も実力もないのに自ら名探偵と名乗っているあなたや、認めたくはないけれど有り余る才能をもてあましてこんなところで助手をしているあたしにも当てはまるんじゃないかしら」
どさくさに紛れて、エリスンはちょっとヒドイことをいった。シャルロットは胸に深々と突き刺さった刃を、パイプを持ち上げるように難なく引き抜く。名探偵の耐久値は異様に高い。それはつまり、理解力のなさに等しい。
「ふむ、なるほど。つまり人は、生きている以上、なんらかの道を踏み外しているというわけか」
「深いわね」
現実的な意見を哲学的なところまで昇華され、エリスンは呻いた。いいたいことはそんなことではなかったような気がするが、まったく的はずれでもない。
「問題は、そういうことではないのよ。あ、あい……愛し合っているはずの最愛のジョニーさんに、あんな置き手紙を残して、実際に姿を消した、これが問題なわけでしょう」
愛し合う、と口にする刹那、白くて丸いアレが脳裏をよぎり、思わずどもった。シャルロットは気づかなかったのか、ふむ、とうなずく。
「詳しいことを聞こうにも、ジョニーさんは姿を消してしまったしな。君たちは君たちで、尽力してくれたまえ、私は私で彼女を捜そう……ヒュイッ、とでもいうかのように。まったくもって、情報はゼロだ」
「ジョニーさんの口調については異議ありだわ」
「もしかしたら、混乱のままに飛び出してしまったのかもしれないがね」
エリスンは黙った。ジョニーはずいぶん落ち込んでいる様子だった。もし万が一、キャサリンの傷心の原因がジョニーにあるのだとして、気に病んで早まったことをしなければいいが。
「──だから反対だったのよ! 娘を返しなさい!」
唐突に、ヒステリックな声が飛び込んできた。
「む?」
シャルロットが空を見上げる。青いカラスが飛んで行った。アホウ。
「カフェからだわ」
頼りない上司の袖を引いて、エリスンはカフェの様子をうかがった。叫び声は、彼ら自身もよく利用するオープンカフェから聞こえてきていた。すでにちょっとした人垣ができており、数人が息を飲んでその様子を見守っていた。
「うるせい! オレは関係ねえ!」
「関係ないですって! あなたが何人もの子に手を出してたんだって、あの子泣いてたのよ! あなたの責任でしょう!」
「知るかよ、あいつとはもう別れたんだ!」
口論しているのは、いかにも軽薄そうな緑色の髪の若者と、その母親世代の女性だった。内容から、甲高い声をあげているのが若者の元彼女の母親、ということらしい。
「お客様、他のお客様の迷惑になりますので……」
店員らしき女性が、恐る恐るマニュアル台詞を口にするが、どちらにも取り合われない。
「あんなに内気で母親思いの優しい子が、グレますなんていう書き置き一つで姿を消したのよ! どこにいるのか、教えなさいよ!」
「ほ、本当に知らねえって」
だんだん、中年女性の方が優勢になってきた。若者の方は、まったく心当たりがないのか、弁解口調になっていく。
「マジで知らないんです、許して」
とうとう謝った。
「あくまでもシラを切るのね! ミランダの居場所、あなたの魂に聞いてもいいのよ……!」
中年女性が、懐から包丁を取り出す。冗談とも思えない危険な台詞を吐き出した。
「シャルロット……!」
「うむ、これは放ってはおけまい」
シャルロットは地を蹴った。人垣の中から飛び出し、申し訳程度に設置されている花壇に右手をかけ、華麗に飛び越える。
花壇の向こう側は、すぐにオープンカフェ。二人が口論している現場だ。
女性が包丁を振り上げる。誰のものとも思えない悲鳴が空気を切り裂く。
名探偵は音もなく着地し、格好良く二人の間に入り、やめたまえ、とかなんとかいう予定だった。
予定でしかなかった。
着地失敗。
頭から、簡易テーブルに突っ込んだ。デザートの乗っていたらしい皿と、ホットコーヒーが宙を舞う。重力に逆らわずに地面に落ち、大惨事。
「……シ、シャルロット……」
ざわつく野次馬の中に隠れるようにして、エリスンは顔を伏せた。他人です。
だが、結果として、流血事件は免れた。名探偵が多少流血したが、それはそれだ。
「な、なに、あなた」
「助かった──」
それぞれが、思い思いの声をもらす。しばらく床にキッスしていたシャルロットだったが、おもむろに起きあがった。身なりを整え、ありもしないパイプを吹かすフリをする。
「はっはっは、喧嘩はやめたまえ」
衝撃に視界が呆け、あさっての方向を向いていたが、いいたいことだけはちゃんといった。根性。
「どいて、どきなさい! ロンドド署のものだ!」
「どくです──! デカのお通りです!」
まるでタイミングをはかったかのように、高圧的な怒声が響く。聞き覚えのある声に、エリスンは後方を見やり──
──現れたそれに、絶句した。
いっそ気を失ってしまおうかと思った。
「詳しい事情を聞かせてもらおう。ご婦人、その物騒なものは、こちらに」
「ケンカ、反対!」
刑事、と名乗るその二人は、白い大きな楕円に身を包んでいた。
頭の先から、膝のあたりまでの。まったくもって動きづらそうな、白くて大きなもこもこだ。
エリスンのよく知るそれよりも、多少スマートな作りになっているようだった。胸元には、ロンドド署のバッヂがきらめいている。
「おや、これは名探偵どの」
「あ、シャルロットさん!」
二人はシャルロットに気づき、直立不動の体勢で、右手をびしっと額にあてた。
「ヒュイ!」
「ヒュイ!」
シャルロットは、架空のパイプをゆっくりと吹かした。空を見上げ、痛む頭をそっと押さえ、それから自身の右手を額に持っていく。
「ヒュイ」
とりあえず、ノった。
*
ブームなんです、の一言で片づけられ、それ以上つっこめなかったが、エリスンにはどうしてもそれが気になった。
白くて丸くて浮いている生物を模しているとしか思えない──もっといえば、自称名探偵がどこからか調達してきた着ぐるみを模しているとしか思えない、そのフォルム。聞けば、衝撃を吸収する素材でできており、銃弾だって跳ね返すのだという。なんという技術の無駄。
「実は、いま問題になってるんですわ。育ちの良い、まあ比較的おとなしい妙齢の女性が突然姿を消すというケースが続発しておりまして。皆一様に、グレます、と書き置きを残してましてね」
着ぐるみから顔を出し、重々しく口を開いたのはウノム刑事だ。シャルロットたちとは何度か顔を合わせている。隣に控えているのは、通称下っぱ。二人はコンビを組んで動いているらしい。
「ほほう、それは興味深いな」
そのままカフェのテーブルを陣取って、刑事二人と探偵ズはティータイムを満喫していた。騒ぎの中心にいた女性には、現在調査中である旨をウノムが告げ、青年も解放。そんなにあっさり帰して良いのかとエリスンは思ったが、一般市民が口出しをすることではない。
「今回の女性……えーと、ミスミランダで十三人目ですね。確認とれているだけでこの数、実際はもっといると思われます!」
メモを見ながら、下っぱが律儀に報告する。そんな情報を流しても良いのかとエリスンは思ったが以下略。
「ということは、キャサリンさんで十四人か」
名探偵の脳内で、キャサリンのケースとめでたく合致したようだ。エリスンは思わず拍手した。
「それで、そんなにたくさんの女性がどこに行ってしまったんです? グレるって、どういうことでしょう。ブーム?」
「そこなんですわ。まったくもって事件は迷宮入り。どうすればいいのか途方に暮れているところです。なんといっても、動きづらくて」
「そうなんです、あったかいんですけど、動きづらくて」
ウノム刑事と下っぱが汗を拭う。エリスンは鼻を鳴らした。じゃあ脱げ。
「しかし、妙な話だな。一人や二人ならともかく、それだけの人数が姿を消せば、目撃情報もあるだろう。完全に身を隠すことなど、できるものかな」
やっと血が止まったらしいシャルロットが、もっともなことを口にした。ああ、きっと打ち所が悪かったんだわ、と思いつつ、結果オーライということでエリスンもそこにのっかる。
「そうよね、お買い物でもしたら目に止まるし。もしかして、遠くに行ってるとか。旅行?」
「なるほど、皆で仲良く旅行か。はっはっは、平和だなあ」
「平和よね。放っておいてもそのうち帰ってくるかもしれないわね」
エリスンとシャルロットが結論を出しかける。刑事二人は目を見開いた。
「なるほど! それは考えなかった。ううむ、さすが名探偵殿」
「事件は解決でございますね!」
ということで、一件落着。
ちゃんちゃん。
──ということにはもちろんならなかった。エリスンは見てしまった。
カフェの向こう、通りを越えた花屋の脇、ちょうど日が陰っているところに、見慣れた女性の姿を。
ピンク色のワンピースを着ていない。メイクもなんだか濃いが、それなりに長い付き合いだ、見まちがえるはずがなかった。
「……キャサリンさん……? ねえ、あれ、キャサリンさんだわ」
「む?」
「え?」
「どれどれ?」
男性三人が揃って身を乗り出す。
大通りから脇道に入る、それほど広くはない通りの一角に、十数人の女性が集まっていた。全員が濃いメイク、紺色の長すぎるスカート、胸元には赤いスカーフを巻いている。くちゃくちゃと口を動かしているものもいれば、煙草らしきものを吹かしているものもいた。
ひとことでいえば、ガラが悪い。どう見ても近寄りがたい集団だ。
「ね、キャサリンさんよね?」
「ううむ、ずいぶん印象が違うが、どうやらそのようだ」
「え、どれどれ」
「だれですか? 右から三人目? あ、その横?」
着ぐるみ二人は完全に野次馬化している。カフェの他の客も、なんだなんだと集まってきて、女性団体に視線が集中した。
集団のうち一人が、こちらに気づいた。サイドポニーテールの、リーダー各らしい女性になにごとかを耳打ちする。サイドポニーテールの彼女はこちらを睨みつけた。両手をポケットに突っ込んだ状態で、ずかずかと近づいてくる。大股で花壇を乗り越えると、オープンカフェに堂々と入ってきた。
「なにガンたれてやがんだよ、ああん?」
シャルロットたちのテーブルまできて、低い声を出す。ウノムと下っ端は頭を垂れた。小さな声でゴメンナサイ。実に早い対応だ。
エリスンも謝ってしまおうかと思ったが、彼女とてなんだかんだで裕福な家の箱入り娘。こんな状況には耐性がなく、不本意にも動けなくなってしまった。
「こんにちは、お嬢さん」
ところが、我らが名探偵は微塵も動じなかった。空気を読めないスキル、発動。
サイドポニーテールは、不快げに眉をひそめた。テーブルに右手をつき、くっちゃくっちゃとガムを噛みながら、ぎりぎりまでシャルロットに顔を近づける。
「なんだテメエ。平和呆けしたツラしやがって。なに勝手に人のことジロジロ見てんだよ」
「失礼、君の顔を見ていたつもりではなかったのだがね、美しいお嬢さん。君こそ、もう少し顔を離した方がいい。それとも、私と口づけでもするつもりかな?」
「──! なんだコイツ!」
的確な一言を吐き出して、サイドポニーテールは顔を離した。ほんのり頬が紅潮している。面と向かってそんなことをいわれれば、誰だって恥ずかしい。
エリスンは上司をかすかに尊敬した。真っ向勝負をしかけて、これほど苛つく相手もいないだろう。空気を読み違えるんだ、もっともっと! とエールを送る。
「時間があるのなら、一緒に茶でもどうだね。私はシャルロット=フォームスン、彼女はエリスン=ジョッシュだ。君は……ええと、サイポー君と呼べばいいかな?」
「なんでだよ! なんだよソレ! アタシはミランダだ!」
「いや失礼、サイドポニーテールがあまりに似合っていたのでね」
これで悪気がないところがすごい。
ウノム刑事と下っ端は、名探偵になにか策があるのだろうと過度の期待を胸に、おとなしくことの成り行きを見守っていた。口を出すのはちょっと怖い、という本心もある。
エリスンもまた、黙って見ていた。こういう相手に、だれよりもゴージャスで美しい女性(自己評価)が正論で割り込むのは逆効果というものだ。
「ちょっと聞きたいことがあるのだが、君たちといっしょに、キャサリンさんという女性がいるかな。彼女の知り合いに頼まれてね、行方を捜しているんだ」
「キャサリン? ああ、新入りか」
ミランダはちらりと後ろを振り返った。仲間たちがこちらの様子をうかがっている。ばつが悪いのか、キャサリンは身を隠すようにしていた。
「その知り合いに伝えな、あいつは簡単には帰らねえよ。グレます隊に入ったってのはそういうことさ」
「グレます隊?」
思わず、エリスンが声をあげた。ミランダは片眉を上げて、値踏みするようにエリスンを見る。それからニヤリと笑った。
「そうさ。あんたもどうだい、ねーちゃん。アタシらは、『紅蓮の炎のように燃えさかる想いが伝わるその日まで、この愛を胸に日陰で生きていきます隊』、通称グレます隊さ!」
カフェで話を聞いていた全員が、あまりの衝撃に息を飲んだ。
だれもが、言葉もない。
なんといっていいのかわからない。
「……なるほど、だから日陰にいたのか……!」
沈黙の中、名探偵が大変どうでもよろしいことをつぶやいた。
*
放っておいてください──ほとんど泣きそうな声を出して、キャサリンは走り去ってしまった。ジョニーが心配していると、ただその旨を伝えただけで、彼女はひどくつらそうな顔をした。
シャルロットとエリスンには、それ以上手の出しようがなかった。残ったグレます隊メンバーが、キャサリンを守るかのように立ちふさがってしまったのだ。どこへ行ったのかもわからない。
「……困ったわ。ジョニーさんになんていったらいいかしら」
「ふむ、ロンドド内にいるということはわかったが、それだけだ。考えてみれば、そもそも彼女がどこに住んでいるのかも私たちは知らないわけだが……おそらく、どこか別のところで寝泊まりしているのだろうしな」
「そうね」
収穫ほとんどなし、という状態で、探偵とその助手は、肩を落として探偵社に帰り着いた。正確には、肩を落としているのは助手だけで、名探偵の方は相変わらず根拠のない自信に満ちているが。
引き続き調査をします、なあにじきに解決しますよ、ご安心を! ──と、まったく安心できない台詞をにこやかに吐いて、いやあ動きづらいとこぼしながら刑事二人も姿を消した。彼らに任せる気にはどうしてもなれない。頼りないにもほどがある(主に見た目)。
「あら、ジョニーさんだわ」
階段を登り、玄関まで来て、やっとそこに丸い生物がいることに気づいた。
「なにやら疲労困憊だな」
運動不足の探偵も、大通りまで行って帰って階段登って、の日常運動で充分に疲労していたが、ジョニーのそれは彼以上だった。細かな傷のようなものもあり、毛(?)並みも全体的に下がっていて元気がない。
「ジョニーさん、どこに行ってらしたんです? とりあえず、中へどうぞ。なにか温かいものでも用意しますわ」
「ちょっとした報告もある。偶然だがね、町でキャサリンさんに会ったのだ。サイポー君と一緒に、紅蓮の炎が燃えます隊で活動していた」
シャルロットが鍵を差し込み、探偵社の扉を開ける。足を踏み入れようとするより早く、鬼気迫る様子のジョニーが彼に飛びついた。あまりの剣幕に、エリスンは思わず身を引いてしまう。
「ヒュイヒュイ、ヒュヒュイッ?」
「ご、い、痛い、ジョニーさん、胸ぐらをつかむのはやめていただけないかな」
「ヒュヒュゥ! ヒュイ!」
聞こえていないかのように、大きな目をさらに大きくしてつめよる。シャルロットの顔が土気色に変わりゆくのを見て、やっとエリスンは命の危機に気づいた。なんとかジョニーを引きはがす。
「ジョニーさん、落ち着いてください。たいした内容じゃないんですが、わかったことは全部お話ししますので。まだ外は冷えます、とりあえず中に……」
「ヒュイ! ヒュヒュイ!」
ジョニーはエリスンの手をふりほどいた。扉の前で浮遊して、なにやら瞳の中に炎を燃やしている。シャルロットとエリスンは顔を見合わせ、肩をすくめた。
「残念ながら、いま私が話したことで全部ですよ、ジョニーさん」
「というか誤情報も混ざってます、サイポーじゃなくてミランダさんです。それに、グレます隊の正式名称も……なんだったかしら、あなた、いまなんていった?」
「む? 紅蓮の炎が燃えています隊かな?」
ジョニーは身を乗り出して、二人の話を吸収しようとしていた。どんな情報も逃さないといった情熱が全身からオーラとなって立ち上っている。
エリスンは丁寧に記憶を探った。この期待に少しでも応えたい。
「違うわよ、もっとこう、グレてるんじゃなくて、愛を貫き通す、みたいな意味合いがあったはずだわ。あら意外、って思ったもの」
長い名称の中に、愛を信じるとか、愛が伝わる日までとか、そんなフレーズがあったのではなかったか。思い当たったのか、シャルロットは顎の下に親指をあて、ふむ、となけなしの脳みそを探った。
「そうだったかもしれないな。ああ、それに、日陰がどうのといっていたはずだ。日陰で暮らすとかなんとか……──そうか!」
おもむろに、名探偵は目を見開いた。不敵な笑みを浮かべ、開けたばかりの扉を閉める。鍵をかけ、踵を返した。
「ひらめいたよ、エリスン君。キャサリンさんの居場所を突き止められるかもしれない。もう一度出かけよう」
「え?」
エリスンが目を丸くする。自信に満ちた上司の顔ほど、信用できないものはない。
「一日……二日、そうだな、二日もあれば、居場所がわかることだろう。ジョニーさん、もう少しだけ待っていただきたい。この名探偵シャルロット=フォームスン、二日後には必ず、キャサリンさんを見つけてみせる! はーっはっはっは!」
「ヒュイ!」
生傷だらけのジョニーは、目を輝かせた。高笑いするシャルロットの手をそっとつかみ、重々しくうなずく。まるで、お願いしますといっているかのように。そのまま、超高速で跳び去っていった。彼には彼で、やることがあるようだ。
「……どうするの? もう日も暮れるわよ」
「なあに、ちょっと店をめぐろうかと思ってね。運が良ければすぐにでも、彼女を見つけることができるだろう」
若き名探偵は、自信百パーセントの笑みを見せた。
*
名探偵がひらめいてから、店を回ること五件目。
予想以上にあっさりと、グレます団のアジトは見つかった。探偵の体力が少なく、加えて早々に諦めるため、五件目を回ったのは宣言通り二日目のことだったが。
え、その方法で探すの、とエリスンは呆れ果てたが、実際に突き止めてしまったことにもっと呆れた。世の中色々間違っている。
「さあ、ついたぞ、エリスン君」
一度探偵社に戻り、準備をして再出発。
二人は、とあるアパートの前まで来ていた。
対策も万全だ。
「どうするの。本当にこの……作戦でいくの?」
作戦と形容できるほどのものでもないような気がして、エリスンが一瞬言葉に詰まる。本当ならそれはやめようといいたかったのだが、興味が勝ってしまったのだ。
隣の上司を見上げた。
紺色の長いスカート、胸元に赤いスカーフ。ロングヘアのかつら、エリスンの手で施されたゴージャスメイク。
本当は、美女といっても良いぐらいに美しく完成していた。やり出したら凝り性のエリスンが、全身全霊でメイクをしてしまったのだ。しかし、完成した姿にちょっとむっとした。頭がアレなのになぜ見た目がコレなのだ、とふと殺意がよぎった。
結果として、できうる限りの濃いメイクにしあげ、直視できないほどの姿になりはてていた。頬には赤い染料で丸が描かれ、ルージュは唇の枠を越えてまるで口裂け女のようになっている。ごめんなさい、と思わないでもない。
「はっはっは、完璧な作戦だろう。とにかくキャサリンさんと接触しないことには話が始まらないからね。門前払いされるわけにはいかない」
「充分門前払いされそうだけど」
ため息をこぼすエリスンももちろん、グレます隊のコスチュームを着込んでいた。あたりまえだが、シャルロットよりも着こなしている。
「では、いこうか」
右手を挙げ、シャルロットがノックする。しばらくの間を挟み、カチャリと鍵を開ける音がした。扉が開かれる。
「妖怪っ?」
顔を出した少女が悲鳴をあげた。キャサリンではなかったが、その姿が見知った服装であったことに、シャルロットは内心で大満足する。妖怪と呼ばれたことなどスルーした。
「アタシたち、グレます隊に入りたいんだぜ!」
自信たっぷりに、シャルロットは棒読みで台詞をぶちかました。少女が眉をひそめる。
フォローなどしたくなかったが、一応エリスンが身を乗り出す。
「町であなたがたを見かけて、ぜひあたしたちも、って思ったんです。お邪魔してもよろしいですか?」
「……ちょっと待ってな」
怪訝そうな顔でそう吐き捨てると、少女は奥に引っ込んだ。ほどなくして、戻ってくる。
「姉御の許可が出た。入りな」
「うれしいんだぜ! はっはっは!」
「おじゃまします」
もうなにもしゃべるな、と思いつつ、エリスンが先導する。
部屋のなかは、外観から想像するよりも広いようだった。グレます隊のメンバー全員が一緒に暮らしているのだろう、とシャルロットにいわれたときには、そんなまさかと思ったが、実際、部屋には十人ほどの女性がいた。家具の類はほとんどなく、緑色の絨毯の上には、壁に寄せられた小さなテーブルと、簡素なソファが複数あるだけだ。
部屋の中央では、サイドポニーテールのミランダが仁王立ちで待ちかまえてきた。エリスンとシャルロットの姿を見て、鼻を鳴らす。
「わざわざ服まで揃えたのかい。気合い入ってるね。『紅蓮の炎のように燃えさかる想いが伝わるその日まで、この愛を胸に日陰で生きていきます隊』、通称グレます隊は、アンタらのようなさまよえるオトメをいつでも歓迎するよ」
ミランダは、二日前カフェで会ったときよりも、よほど優しい顔をしていた。目を細め、エリスンに右手を差し出す。
「アンタは、くだらない男にでもひっかかったのかい? いや、話したくなったら話してもらえればいい。詮索はしないさ」
「ええ、ありがとう」
エリスンも手を差し出す。どうやら、気づかれていないようだ。握手を交わした。
それからミランダは、シャルロットを見上げた。右手を差し出して、首を左右に振る。
「あんたは……いや、わかるよ、なにもいうな。神様って、不公平だよな」
「いやまったくだ」
空気も読まず、シャルロットは大肯定しつつ握手する。なにか悲劇的な思いこみをされたらしいが、シャルロットはもちろん気づかないし、エリスンもつっこんでやる義理はなかった。
「すまないが、場所が狭くてね。アンタたちは、家を出てきたのかい?」
「ええ、まあ」
曖昧に返しながら、エリスンは室内を観察した。十人ほどの、同じ格好の女性たち。ソファや椅子に座って、本を読んだりぼんやりしたりしている。奥の扉の手前には新聞が敷かれ、丁寧に揃えられた靴が三足並んでいた。こんなところで靴を脱ぐということは、奥はベッドルーム──この規模で集団生活ということになれば、もしかしたら床に毛布が敷き詰められているのかもしれない──ということなのだろう。ということは、全部で十三人程度。ミランダの口調からすると、家からここに通ってくるものもいるようだ。
視界に入る範囲に、キャサリンの姿はなかった。
「あの、メンバーはこれで全員ですか? これからお世話になるので、ご挨拶をと思うのですが」
しゃべればボロが出そうなシャルロットではなく、率先してエリスンが問う。ミランダは顎で奥を指した。
「まだ、向こうに三人だな。今日は来てないやつらもいる。──おい、新入りだ! こっちに来な!」
ほどなくして、扉が開く。やはり同じ衣服に身を包んだ女性が、一人、二人と靴を履いて出てくる。
最後に出てきた人物に、エリスンは心の中で勝利のポーズをとった。
キャサリンだ。
キャサリンは、すぐにこちらに気づいた。驚いたように口を開ける。しかし、探偵サイドの方が素早かった。
「エリスン君、確保!」
「任せて!」
低く通る声で、シャルロットが告げる。打ち合わせのとおり、エリスンは俊敏に動いた。素早くキャサリンの背後に回り込み、隠し持っていたロープであっという間にキャサリンの両手を縛り付ける。いつもなら抵抗もするのだろうが、驚きも手伝って、キャサリンはされるがままだ。他の面々も、なにごとかと動けずにいる。
「ごめんなさい、キャサリンさん。でも、逃げないでください」
「エリスンさん……」
キャサリンの瞳が潤む。彼女は困惑しているようだった。とはいえ、その普段のピンクワンピースから想像できない姿にエリスンも充分困惑していたので、お互い様だ。
「なんのマネだ、アンタら……!」
怒気を隠そうともせず、ミランダが二人を睨みつける。こんな格好をしていても、やはり皆育ちの良い令嬢であるというのは本当なようで、だれも動かなかった。一様に緊迫した表情で、様子をうかがっている。
シャルロットはいつもの高笑いを一つして、悠然とかつらを取り去った。エリスンから預かっていた布で、ごしごしと顔を拭う。完全にとはいかないものの、メイクの大部分が落ち、本来の顔が露出した。
「そんな怖い顔をしないでくれたまえ、サイポー君。せっかくの美しい顔が台無しだ。女性には笑顔が似合う」
「あ、アンタ……! あのときの!」
ミランダはやっと思い当たったようだった。慌ててエリスンを見て、唇を噛む。子女たちは、男、男だわ、と怯えるように身を縮こまらせていた。っていうか男ってわからなかったの、ほんとに? とエリスンが胸中でつっこむ。
「なんでここが」
悔しそうに歯がみしながら、ミランダが問う。よくぞ聞いてくれた、とでもいうかのように、シャルロットは眉を上げた。
「簡単なことさ! サイポー君、グレます隊の正式名称はなんだったかな?」
「サイポーじゃなくてミランダだ。アンタ喧嘩売ってんのか。……さっきもいっただろう、正式には、『紅蓮の炎のように燃えさかる想いが伝わるその日まで、この愛を胸に日陰で生きていきます隊』……──はっ、まさか!」
ミランダが目を見開く。シャルロットは勝ち誇った笑みを浮かべ、びしりとミランダに指を突きつけた。
「そのまさかだとも! 君はすでに、アジトの場所をこの名探偵に教えていたのだ! 日陰で生きるというその宣言! 不動産屋で日当たりの悪い不人気物件を探したら、すぐに見つかったというわけさ! はーっはっはっは!」
「や、やられた……!」
ガクリと肩を落とし、ミランダが膝をつく。
「さすが名探偵ですね……!」
なにやら感動するキャサリンの後ろで、もーはやく終わらないかなーとエリスンは遠い目をした。
*
「……実は、ジョニーと、ケンカをしたのです」
椅子に座り、茶を出され、キャサリンはポツポツと話し始めた。シャルロットとエリスン、ミランダも椅子に座り、神妙な顔でキャサリンの言葉を待つ。他のメンバーも、テーブルを囲むようにしてキャサリンを見守っていた。
グレます隊キャサリンによる、大告白大会だ。
「もう何年も付き合っているのに、ジョニーったら、わたしと、結婚しないなんていうんです」
シャルロットとエリスンは、言葉に詰まった。
恐らく、ジョニーがどういう存在なのか知らないであろう面々は、そりゃヒドイなどと唸っている。二人はどうにかフォローを口にしようとしたが、言葉にならない。
二人の頭の中を宇宙が支配した。
結婚。
マリッジ。
あの、生物と。
「で、でもキャサリンさん、ジョニーさん、本当に心配していましたよ。それはもう血相を変えて。あなたが、急に姿を消したって……──いやあの言葉はわからないんですが、そんなような感じで」
エリスンがどうにかこうにかフォローする。キャサリンは少しつらそうな顔をして、唇を噛んだ。
「本当は、結婚しようって話していたんです。それで、両親に紹介しようと、先日、わたしの実家に……。お母様は賛成してくれたのですが、お父様はひどく厳格な人で。すごい剣幕で反対されました。『もっと話のわかるやつを連れてこい!』なんて、怒鳴って」
え、それ笑うとこ?
つっこもうとして、エリスンは黙った。
話のわかるやつ、もなにも。いやそもそも、賛成したという母親の存在の方が気になった。
「そうしたら、ジョニーったら、結婚はやめにしようって。ちゃんと両親から祝福されて結婚すべきだって……。彼のいっていることはわかります、わかりますけど……でもそれじゃあ、わたしの気持ちはどうなるんです? いくら反対されても、わたしを攫ってでも、結婚したいっていって欲しかった……!」
はらはらとキャサリンの瞳から涙が流れた。ミランダを始め、ギャラリーももらい泣きし始める。
コホン、とシャルロットが咳払いをした。
「ええと、それは笑い話かな?」
エリスンが上司の足をぐりぐりと踏みつけた。思ってもいうな、と目で告げる。
「ねえ、キャサリンさん。気持ちはわかりますが……でも、それがジョニーさんの優しさだって、わかっているんでしょう? 姿を消してしまうなんて、あんまりです。ジョニーさん、ひどくげっそりしてしまって、見ていて気の毒なほどでした」
それはフォローだったが、もちろん本心だった。もし自分が、心から好いた相手と結婚したいと思ったとして、キャサリンと同じ状況になったとしたら──想像でしかなかったが、エリスンにも、その辛さはわかるつもりだった。自分のためとはいえ、諦めることができるといわれてしまったのだ。わかっていても、それは悲しいだろう。
「でも、わたし、今更──」
「今更、帰れないかな? だいじょうぶ、最愛の人がやがて、迎えに来る」
「え?」
シャルロットの言葉に、キャサリンが顔を上げる。ほとんど同時に、けたたましい音が鳴り響いた。
部屋が揺れる。なにごとかと、シャルロット以外の全員が音の方を見る。
それは、扉がむりやり開けられた音だった。構造上、外にしか開かないはずの玄関戸が、力ずくで押し開けられていた。あまりにも大きな力で押されたため、枠が破壊されたのだ。戸自体も、砕け散るとまではいかないものの、閉まらない程度には壊れてしまっている。
扉の前には、白い生物が浮いていた。
強い意志を秘めた、大きな瞳。傷だらけの肢体。
エリスンは、目を見はった。
「ジ、ジョニーさん……? なんだか……」
続きが言葉にならない。
なんだか、ムッキムキだった。
可愛らしいはずの小さな手足は、二倍三倍に膨れあがり、ムッキムキになってきた。
「ヒュイ!」
心なしか、いつもよりも男らしい声で、ジョニーがジョニー語を操る。キャサリンに向かって、ゆっくりと飛ぶと、威厳溢れる姿で、手にした白い紙を差し出した。
「これは……お父様の字だわ!」
達筆で書かれたそれは、キャサリンへのメッセージだった。
『拳でワシに勝った男は初めてだ。
結婚を、認めよう。 ──愛する娘へ。パパリンより』
「ジョニー……!」
キャサリンの瞳に、再び涙が溢れる。しかし今度は、歓喜の涙だ。
「ヒュイ、ヒュヒュゥ」
ジョニーはそっと微笑んで、羽根のつけねを探った。小さな箱を取り出す。
そっと開けて、キャサリンに差し出した。
そこには、ピンクゴールドのリングが輝いていた。
「ヒュイ、ヒュイヒュイ、ヒュヒュイ」
キャサリンの頬が、喜びに赤く染まる。
「嬉しい……! 結婚しましょう、ジョニー!」
二人は熱く抱き合った。
はっはっはっ、めでたいなあ、などと、名探偵は本気で祝福しているようだった。その隣で、エリスンが一応拍手する。なにはともあれ、めでたいのは間違いない。
極限まで盛り上がる二人のまわりで、グレます隊の面々はどこまでも微妙な顔をしていた。
***
舞台はフォームスン探偵社──
今回、自らの名推理を存分に発揮した我らが名探偵は、満足げにフォークを置く。皿にはクリームの残骸。どうやらフォンダンケーキを賞味した後のようだ。
コーヒーカップを口に運び、それからこちらを見て静かに笑う。パイプに火を灯すと、椅子を回して向き直る。
「こんにちは、皆さん──実に久しぶりだ。また出会えてことを心から嬉しく思う。グレます隊は、あれからすぐに解散を決めたようだ。世の中、些細なことにこだわっていても仕方がないと、キャサリンさんとジョニーさんを見て学んだようだね。サイポー君は、時々ここに遊びに来るようになったよ。新しい恋に生きるといって目を輝かせていた。若いというのは良いことだね。──む? ああ、ジョニーさんかね。心配ない、彼のフォルムは三日ほどで元に戻ったよ。筋肉はどうやら体内に吸収されたらしい。全国のジョニーさんファンが泣くのは免れたようだ。やはり、あのかわいらしさが失われるのは残念だからね。彼らの結婚は決まったものの、式はまだずいぶん先になるということだ。その様子をお伝えできれば良いのだが、その機会に恵まれるかどうかはわからない。──おや? エリスン君が呼んでいるな。どうやら、フォンダンではないケーキが焼けたようだ。まったく、あれから連日ケーキを焼くので困っているよ。おいしいのだが、さすがに毎日というのはね。……それでは、私はこれで。また近いうちにお会いしよう──」
笑いながら姿を消すシャルロット。
キッチンからエリスンの歓喜の声が聞こえてきて──
──暗転。
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