story3 名探偵vs名探偵


 



「ラブレターが届いてるわよ」
 いつものフォームスン探偵社。いつもどおり仕事もなく、でもいつもどおり特に気にせず、いつものエリスンヌでティータイムをしていたシャルロットに、エリスンがつい、と封筒を差し出した。
 その白い封筒には、確かにハートマークが描かれていた。これでもかとラブレター仕様だ。
 シャルロットは、ふふんと鼻を鳴らした。悠然と、見せびらかすようにラブレターを受け取る。
 封筒の端をつまんで、ビリビリと開封。右手の切れ端と、左手の封筒とを見て、しばし思案。
「ラブレターが……」
「ヤブレターって? ラブレターがヤブレターって? いう? いうつもりなの?」
「ハハハいやまさか」
何かの使命感にかられていたシャルロットだったが、カラ笑いでごまかすと、封筒のなかから白い便せんを引き出した。

『いまから十分以内に同じ内容の手紙を一億六千万人に送らなければ、愛するラバーを失うことになるで候』

「──! こ、これは!」
「呪いの手紙だわ!」
 二人は戦慄した。すぐにアイコンタクトを交わし、いつになく俊敏に行動を開始する。シャルロットはデスクから万年筆を二本取り出した。エリスンは三階へ駆け上がり、ありとあらゆるレターセットを手に戻ってきた。
「エリスン君……!」
「わかってるわ、シャルロット!」
 そして二人は頑張った。
 ──十分後、気づいた。
「……これって、不可能なんじゃないかしら」
「奇遇だね、エリスン君。私も同じことを思っていたところだ」
 テーブルの上には、九枚の完成された便せん。シャルロット、三枚。エリスン、六枚。シャルロットの方は、妙に字が綺麗だ。
 シャルロットは、気分を落ち着かせようと、パイプに火をつけた。できるだけゆっくり吸い込み、ふーと吐き出す。
 もう一度封筒を手に取り、覗いてみる。もう一枚、便せんが入っていた。

『ハッハン、一億六千万も書けなかったでございましょ。ザマミロブタのケツー。つまりユーは、すでに愛するラバーを失っているということであるよ』

 さすがに、イラっとした。
「……明らかにケンカ売られてるわよ。どうするの、シャルロット」
 他にも何か入っていないか確認するが、その二枚だけのようだ。シャルロットは、文面にもう一度目を通し、肩をすくめた。
「とはいえ、実害があったわけでもないしな。程度の低いイタズラだろう。気にすることはない」
 そのまま、ゴミ箱へ捨てようとする。
「た、た、大変です──!」
 まさにそのとき、おなじみのピンクワンピースが、呼び鈴も鳴らさずに探偵社に飛び込んできた。
 泣きそうな声で叫び、よほど急いで来たのだろう、ぜえぜえと息をするのがやっとで、続きが言葉にならない。
「どうかなさったんですか?」
 背中をさすってやりながらエリスンが問うと、キャサリンは急にしゃくり上げ始めた。そのまま床にぺたりと座り、両手で顔を覆うと、わっと泣き出す。
「キャサリンさん、とにかく、落ち着いてください。……今日は、ジョニーさんの姿が見えないようですが?」
 できるだけやんわりと、シャルロットが問う。キャサリンは、涙を拭いながら、切れ切れに告げた。
「ジ、ジョニーと、いつものように、デートをしていたんですが……、さっき……目の、目の前で……」
「目の目の前……ふむ、誰の目の目の前かな?」
「違うわよシャルロット、キャサリンさんの目の、目の目の前……あら?」
 二人は二人なりに心配しているのだが、着眼点が完全に的をはずしている。
 しかし、キャサリンにはそのことについてもの申すほどの余裕はないようだった。懸命に落ち着こうと息を吸い込み、震える唇で、はっきりと告げた。
「さらわれてしまったんです──!」
 二人の頭のなかで、ぱりーんと皿が割れた。
 そのまましばらく沈黙し、顔を見合わせる。
「さら……われた?」
 それは確かに大事件だ。
 大事件だが、誰が好きこのんであの生物をさらうというのだろう。もしやマリアンヌ?
 キャサリンは顔を上げ、シャルロットの手をがっしりと掴んだ。
「ジョニーを連れ去った人物が、シャルロット君によろしく、と……」
 二人ははっとした。まだシャルロットの右手に握られていた、ハートマークが眩しい封筒に視線を移した。
『すでに愛するラバーを失っているということであるよ』──あの文面が、否応なく、脳裏に蘇る。
「いやいやいや」
「ないないない」
 そろって否定する。なぜジョニー。
「お願いです、ジョニーを、ジョニーを助けてください……!」
 とはいえ、探偵サイドも、なじみ客であるバカップルも、何かの事件に巻き込まれてしまったことは確かなようであった。

「まず、状況を整理しましょう。キャサリンさん、犯人の姿を見たんですよね? 特徴など、覚えているところで、教えていただけませんか」
 助けに行こうにも、どこに行けばいいかもわからないので、とりあえずティータイムで落ち着くことにした。さすがに今日はキャサリンの手みやげ菓子もなかったが、とはいえ、菓子を食べながら談笑するような状況でもない。
「特徴、ですか……自信がありませんが……」
 落ち込んだ様子の隠せないキャサリンだったが、それでも前向きに動こうと決意をしたようだ。オロオロするのはやめて、懸命に記憶を探る。
「ええと……そうですね、背はシャルロットさんぐらいか……もう少し、高かったかもしれません。ほっそりしていたと思います。声の様子からは、男性の方だと」
「ふむふむ」
 エリスンは先ほどの便せんの裏側に、すらすらとペンを走らせる。特徴を書き出すのではなく、似顔絵を描こうとしているらしい。
「……エリスン君、その漫画タッチな絵はどうかな」
「文句があるならシャルロットも描きなさいよ」
 エリスンは、便せんと万年筆をシャルロットの前に置いた。
「いいだろう」
 負けず嫌いなシャルロットも参戦する。
「……覆面はしていませんでした。金髪で……一般的には美男子の域に入るのではないかと」
「美男子、美男子ね」
「覆面もしないとは、いまどき前向きな青年だな」
 熱心にペンを動かす。二人とも、キャサリンが一般的な美意識を持ち合わせていることに実は驚いたりしたのだが、そういうことはつっこまないようにしている。
「あとは……そうですね、ああ、そう、きらきらしたエメラルドグリーンのマントをしていました。服も全体的に派手だったような。覚えていることはこれぐらいです」
 その情報が最後にくることが不思議極まりなかったが、ともかく、二人は似顔絵を完成させた。
「できたわ!」
「うむ、描けたな」
 エリスンの手による似顔絵はやたら目がきらきらしたハンサムボーイにできあがっていた。巷で流行している恋愛小説の挿絵のようだ。異様に足が長く(胴体の倍はある)、尻がきゅっと小さい。
 シャルロットの方はというと、なぜか喧嘩番長のようなごっつぁん青年が、紙面が足りないとばかりに躍動感溢れる様子で描かれていた。下駄を履き、何かの草をくわえている。しゃくれ顎。
「まあ、おふたりとも、絵がお上手ですねー」
 のほほんとした感想。「似てる」とは言わない。
「あと何か、思い当たることはありませんか」
「ちょっと待ってシャルロット、『シャルロット君によろしく』っていったんだったら、あなたの知り合いなんじゃないの?」
 エリスンの指摘に、ふむ、とシャルロットは腕を組んだ。自ら描きあげた喧嘩番長に視線を落とし、
「こんなしゃくれた顎の知り合いはいないが」
 さらりといいきった。
「なんで判断基準を自分の絵におくのよ、こっちよ、こっち」
 エリスンが、もーしょーがないなー、といった様子で自分の絵をびらりと見せる。
「そんな人外さながらに足の長い知り合いもいないな」
「そうなの? じゃあ、逆恨みってことかしら……」
 助手が正論で探偵を引っぱっていくように見せかけて、実は二人ともだめだというこの状況。
「困りましたね……」
 そしてそれに客もつっこまないというこの状況。
 いつもなら、ジョニーがヒュイヒュイとつっこんでくれそうなものなのだが、そういうわけにもいかない。
「ああ、そういえば──」
 ぽん、と手を打って、キャサリンは手提げバッグから封筒を取りだした。
「──これ、その犯人さんからのお手紙です。うっかりしていました」
「おお、それは素晴らしい」
「見せて見せて」
 うっかりにもほどがある。
 受け取ってみると、それはハートマークの描かれた白い封筒だった。明らかに、探偵社に届けられたものと同じだ。
 びりびりと開封し、便せんを取り出す。

『愛するラバーを返して欲しくば、ディンドンの森まで来るが良いであろう』

「ディンドンの森……」
 町はずれにある森だ。ちょっと遠い。
 シャルロットはパイプに火を灯し、ぷはーと息を吐き出した。
「やることは決まったな。すぐにディンドンの森へ行こう」
 もちろん馬車で、と付け加えた。

   *

 馬車に揺られること十数分。
 ディンドンの森に到着したシャルロットとエリスン──それに、どうしてもついてくるといって聞かなかったキャサリンの三人は、森の入り口にあるアーチを見上げていた。
 どう見てもアーチだ。
 ウェルカム、と書いてある。
「……こんなアーチ、前からあったかしら」
 ぽつり、とエリスンがつぶやく。そもそも、あまり人の訪れない森だ。隣町へ抜けるために通り抜けることはあれど、この森そのものを目的としてやってくる者などほとんどいないだろう。少なくとも、ウェルカムされるほどではない。
「これ、比較的新しそうですよ。犯人の罠ではないでしょうか? わたしたちを待ち伏せしているとか、そういった類の」
 探偵でも助手でもないキャサリンが、いちばんそれっぽいことをいった。
 負けていられないと、これ見よがしにシャルロットが咳払いを一つ。
「それはどうかな、キャサリンさん。比較的新しいのであれば、なくてはならないものがある──そう、このアーチには、『ペンキ塗りたて』の張り紙がないのだ! ということは、これは少なくともペンキが乾くだけの間ここにあったということだ。はっはっは」
「す、すみません、わたしったら素人考えで差し出がましいことを」
 オロオロしだすキャサリンの肩に、エリスンがそっと手を乗せた。
「キャサリンさん、差し出がましいのはむしろシャルロットよ。もういっそ存在が差し出がましいわ」
「あ、そうですよね、よかった」
 無意識に人を傷つけるタイプ。
「出る杭は打たれるとはよくいったものだ! はっはっは!」
 しかし探偵は無敵だ。ぷっはーとパイプを吹かし、恐れることなくアーチをくぐった。
「ともかく進まないことには、ジョニーさんが取り戻せない。行こうではないか」
 リーダーらしく先導されてしまったので、二人もおとなしく後に続いた。      

 うろうろと森の中をさまよい歩いて、どれほどの時間が経っただろう。
「いないな」
 シャルロットはそう結論を出した。
「ちょっとシャルロット、まだ五分も探していないわよ」
「いやまさか。五分は探したはずだ」
 至極心外そうにシャルロットが反論する。エリスンはぐっと胸を反り返らせた。
「あたし、体内時計には自信があるの。まだ四分ちょっとしか経ってないわ」
「では、あと数十秒探すとしよう。それで五分だ」
「そうね、それなら五分…………危ない! 騙されるところだったわ! 五分探せばいいってものじゃないでしょう!」
 決してノリツッコミではなく、あくまで自然にエリスンは気づいた。彼女も日々成長している。
 シャルロットは、ふうむとうなり、森の中を見渡した。
 花々は姿を消し、緑一色に染まろうとしている。まだ汗ばむほどではなく、心地良い陽気に心躍る季節だ。
「こういうところでランチというのも、なかなかいいな」
 とか考えていたら、頭の中で話題がずれた。
 その背後で、キャサリンがわっと泣きながら膝をつく。
「来いって書いてあったから来たのに、何もないなんて……! ひどすぎる! 私たち、弄ばれているんでしょうか……! ああ、ジョニー、どうか無事でいて……!」
 彼女にとってみれば真剣なのだろうが、シャルロットにもエリスンにも、いまいち無事ではないジョニーが想像できない。
 殴られても飛び跳ねそうだ。
 刃を突き立てられても体内に吸収しそうだ。
 やってみたいという誘惑に駆られたが、その本体が誘拐されているという事実に、やっと思い当たる。
 脱線している場合ではない。
「そうよね……ここに来いって、犯人の手紙にあったんだから、何のイベントも起きないっていうのはおかしいわ」
「だが、これだけ探しても何もないというのは事実だ──そうだ、探偵七つ道具で探してみるとしよう」
 シャルロットは、胸ポケットから、ルーペを取りだした。目の前に構え、身体ごとぐるりと回転し、周囲を観察する。
 そのまま空を見た。
「眩しっ」
 う、っと目を押さえ、うずくまる。
「もうちょっと、ちゃんと探しましょう。広い森だもの、きっとどこかにジョニーさんがいるか、少なくとも手がかりになるようなものがあるはずだわ」
 慣れた様子で、助手はさらりと流した。

 ────…………マリ………………ヌ……

 ふと、どこからか、声が聞こえた。
 ぴくりと顔をあげ、涙を拭いながら、キャサリンが立ち上がる。
「……いま、何か」
「どうかしましたか、キャサリンさん」
 何ごともなかったように七つ道具をしまったシャルロットが、なぜか威厳たっぷりに問う。しっ、とキャサリンは人差し指を立てた。

 ────……リ………ンヌ……

「何か聞こえます! ……マリヌ? マリンヌ?」
「本当、声がするわ」
 女性陣二人が耳を澄ます横で、シャルロットは大きく息を吸い込んだ。
「ッックショイ」
「あなた、なんでそんなにどうしようもないのっ?」
 怒り心頭といった様子で、エリスンが根源的な問いを投げる。シャルロットはもっともらしくうなずいた。
「まったくだ、この鼻め。くしゃみにもTPOというものがあるだろう」
「あー! イライラする! イライラするわ! あなたよ、あなたにいったのよ!」
 エリスンが指を突きつけたが、その指の先にはちょうど鼻があった。
「鼻には後で私からよくいっておくから、そんなにカリカリしないでくれたまえ」
 エリスンは無言で歯を食いしばって空を仰いだ。イーってなった。長い爪でガラスをキィとやられたときに味わうようなこの感覚。まさか人相手で体感できようとは。
「お二人とも! 聞こえません! 静かにして下さい!」
 ぴしりと叱責され、さすがに二人は黙る。
 急にしんとした森の中に、遠慮がちに声が響いた。

 ────…………アンヌ……

「ちょっと! あなたもあなたです! いいたいことがあるなら、思わせぶりに演出しないで、はっきりいったらどうなんですか! わたし、怒りますよ!」

 ────マ、マリアンヌ、マリアンヌ!

 やや焦った様子で、はっきりと声が聞こえた。
「それでいいんです。最初からそうしてください。……なんですか、マリアンヌって? エリスンヌみたいなものでしょうか?」
 きょとんと首をかしげながら問うその姿に、探偵とその助手は、きっとこの人最強なんだ、と悟った。


「マリアンヌさんというのは、以前、ジョニーさんに字を教えたご老人の名だ。この森の奥地で、一人で暮らしている」
 そう説明を受けたキャサリンは、むっつりと頬をふくらませていた。唇を尖らせ、黙って歩を進めている。方向だけを聞いて先陣を切って突撃するピンクワンピースの後ろを、シャルロットとエリスンは、やや恐れながらついて歩いていた。
「……彼女は何を怒っているのかね?」
「逢い引き相手だからでしょ」
 声をひそめ、エリスンが答える。シャルロットは眉根を寄せた。
「それは誤解だったではないか。ジョニーさんは、キャサリンさんにラブレターを書くために、マリアンヌさんに字を教わっていたというのに」
 エリスンは一瞬シャルロットに目をやり、それから呆れたように視線を戻した。
「……どんな理由でも、相手が女性なら、もやもやするものがあるんじゃないの。たとえば、あなた、恋人が自分のプレゼントを選ぶために男友達と二人でショッピング、っていう状況、平気?」
 いやに具体的なシチュエーションだ。シャルロットは考えようと空を仰いだものの、ううむとうなった。
「難しいな」
 平気かどうかの判断が難しいのではなく、その状況を想像することが困難だったらしい。
 最初から答えは期待していなかったので、エリスンはさっさと先に進んでいる。
「あの小屋ですね」
 キャサリンの声に前方を見ると、一年ほど前に訪れたきりの、小さな小屋が見えた。相変わらず、薪が積んである以外には、生活の臭いのしない質素な小屋だ。
 出番とばかりにシャルロットが咳払いをひとつ。先頭に立ち、小屋の戸をノックした。
「マリアンヌさん、いらっしゃいますか? 名探偵シャルロット=フォームスンです」
 何の疑問も持たずに、自ら「名探偵」。いたたまれなくなって、エリスンがそっと涙を拭う。
 返事は聞こえてこない。もう一度ノックをしてみるが、結果は同じだ。
「このパターン……もしかして、小屋の中にマリアンヌさんが倒れていて、その指の先に、血文字でダイイングメッセージが書いてあるんじゃ……!」
 エリスンが恐怖に打ち震える。最近はそういう小説にも手を出しているらしい。
「鍵はかかってるんですか?」
「いや……開いているようだな」
 引いてみると、かちゃりと開いた。少しためらったのち、一気に引き開ける。
「────!」
「こ、これは──!」
「ひどい……!」
 正面の壁に、赤い文字が躍っていた。

 マ リ ア ン ヌ は あ ず か っ た 

「誘拐……」
 ぽつり、とエリスンが呟き、そのまま後ずさるように壁にすがる。キャサリンは両手で口を押さえ、ずるずると力なく座り込んでしまった。
 小屋の中は、ある臭いが充満していた。正面の赤い文字、そして、食卓に並べられたオムライス──
「ケチャップ文字か……」
 もっともらしくシャルロットがそう口にする。狭い小屋の中は、ケチャップの香りむんむんだ。
「比較的新しいな。オムライスもまだ温かい」
 食べてみた。
「味もいい」
 ついでに横にあった茶もいただく。
 シャルロットは左手に皿、右手にスプーンを持った状態で、部屋の物色を始めた。何か、手がかりになるものはないか。他にメッセージはないのか。
「しかし、愛する者を失う、という手紙をよこしてきたにしては、ジョニーさんの次にマリアンヌさんとは……一体犯人の狙いはなんだと思うね、エリスンくん」
 呼びかけ、振り返る。
「……エリスンくん?」
 もう一度、呼んだ。
 しかしそこには、エリスンの姿も、キャサリンの姿もなかった。
 
 

 ──まったく、君はいつまでたっても半人前だね、エリスン君。
   名探偵たるもの、常識に囚われているようではいけない。もちろん、助手も同様だ。
   あり得ないものを消去していって、最後に残ったものこそが、真実なのだよ。
そう、つまり、私は人間ではないのだ。
考えてみたことはないかね?
人間は、かくも阿呆になれるものなのか。
人間は、かくも空気を読まずに生きていけるものなのか。
答えは、否!
私は人間ではない──シャルロット星から来た、シャルロット人なのだ!
おおっと、「人」とかつけたら人間になってしまうな……ふうむ、どうしたものか。
ではこうしよう、未知の生物「シャルロットーン」。
うむ、いい響きだ。
む? ははは、もちろん冗談さ。
何が冗談かって?
おやおや、そんなこともわからないのかね。
私が阿呆だとか空気が読めないだとか……壮大な冗談をいってしまったよ! はっはっは──

「────!」
 エリスンは目を開けた。
 しかし、そこは暗闇だった。わけがわからないままに、ゆっくりと瞬く。だんだん闇に慣れてきた視界に、ぼんやりと鉄の柵が浮かび上がってきた。閉じこめられているらしい。
 ひやりとした感触が、下から伝わってきている。寒い。動こうとして、自由が奪われていることに気づく。
「大丈夫ですか? ひどい汗……」
 聞き慣れた声に隣を見ると、キャサリンが思案顔でこちらをのぞき込んできていた。ポケットからハンカチを取りだし、エリスンの額を拭う。
「え、ええ……なんだか、ひどく不快な夢を……」
「無理もないです、おかしな薬で眠らされて、こんなところに放り込まれて……」
 キャサリンの言葉に、エリスンはうぅんと眉根を寄せた。それとは関係ない夢だったような。何かを激しくつっこもうとして目が覚めたような。
「ありがとうございます、もう大丈夫……って、あれー……なんか自由ですね」
 自分だけ両手両足が縛られている。
「あ、すみません、わたしも気づいたのがさっきだったものですから……」
 キャサリンは慌てて、ピンクの革靴のかかと部分をパチリと開けた。
 中から、小さなナイフを取り出す。
「さ、どうぞ」
 エリスンの縄を、こともなげに切った。
「…………、…………どうも」
 考えるな、考えたら負けだ。
「ここは、一体どこなんでしょう……シャルロットさんも連れてこられたのでしょうか」
 ナイフを元の場所に収納し、辺りを注意深く見回しながら、キャサリンが独り言のようにつぶやいた。エリスンも、改めて周囲に目をやる。
 石造りの小さな部屋が鉄格子で仕切られており、キャサリンと二人、その一角に閉じこめられていた。試してみなくても、鉄格子の開閉部には大きな南京錠がぶら下がっており、自分たちでは出られないことは明白だ。その向こう側に階段があり、上から光が漏れてきている。
「地下牢……かしら。誘拐されたのだとして、普通に考えれば、シャルロットに手紙を送ってきたやつの仕業よね……」
 エリスンの言葉に、キャサリンははっと目を見開いた。
「じゃあ、ジョニーもここに?」
「たぶん──」
「ジョニーはここにはおらんえ」
 第三者の声に、二人は緊張した。
 慌てて、手足が自由になったことを悟られまいと、体勢を取り繕う。見ると、ランタンを手にした老婆が、ゆっくりと降りてくるところだった。
 老婆は二人の様子を確認し、面白そうに目を細めた。
「おやおや、勇敢なお嬢さんがた。縄など関係なしじゃったかの。逃げないというのなら、そこから出してもいいのじゃが、どうじゃ?」
 足下に、縄の切れ端が転がっていた。エリスンは唇をきゅっと噛み、それでも気丈に老婆を見上げる。
「あなたね、シャルロットに手紙を送って、ジョニーさんやマリアンヌさんを……」
 人差し指を突きつけようとして、止まった。
 口を開けたまま、動けなくなる。
「……あれ?」
「どうしたんですか? ぎっくり腰?」
 いかにも心配そうに、キャサリンが見当違いなことをいってきたが、エリスンはそれに構うどころではなかった。
 目の前で、ランタンを手に、にやついている老婆。
 見事な白髪を何本もの三つ編みに結い上げ、銀ラメ入りの紫ワンピースを着こなす、その姿。
 一度見たら、忘れられるはずもない──
「──マリアンヌさん?」
「ひゃっひゃっ。久しぶりじゃのう」
 老婆は、肩を揺らして、おかしそうに笑う。マリアンヌ──かつて、ジョニーに文字を教え、いまは誘拐されているはずの、元気いっぱい動物大好きお婆ちゃんだ。
「マリアンヌさん? この奇抜なお婆さんがですか? 誘拐されたんじゃあ……」
「そっちのピンクのお嬢さんは、初めましてじゃの。ジョニーのコレかね、コレ」
 マリアンヌはにやつきながら、小指を立てる。古い。
「それです」 
 キャサリンは真面目に肯定した。
「マリアンヌさん……これは、どういうことですの? 逃げませんから、ここから出してください。事情を聞かせてもらいます」
「事情もなにも、孫の頼みとあっては断れんじゃろうて。危害は加えんけ、おとなしくしちょり」
 あっさり南京錠をはずす。エリスンとキャサリンは、マリアンヌに促されるままに、身をかがめて牢から出た。
「……孫?」
「だれなんです?」
 二人がそろって問うが、それには答えず、ひょいひょいを階段を上っていく。顔を見合わせながらも、とりあえず後に続いた。
 四角く切り取られたような出入り口から顔を出すと、そこはマリアンヌの小屋の中だった。なんのことはない、ラグの下に、地下への入り口が隠されていたようだ。
「不肖の孫じゃ。探偵のお嬢さんは、会ったことがあるじゃろ?」
 テーブルチェアに腰かけていたのは、金髪の、一目でそうとわかる美男子だった。すらりと背が高く、引き締まった体つき。何やら打ち震えるようにして、テーブルに両手をついている。
 彼は、マリアンヌに気づくと、怒ったように振り返った。
「グランマ! ミーのオムライスがオールレディなくなっているのであるが、それについてはどう──」
 怒りにまかせてどなったものの、二人の存在に気づく。彼は、眉を上げ、大げさに両手を広げた。ッピュー、と口笛を一つ。
「──おやおや、これはこれはレディたち、アイグラッチューシーユー」
 立ち上がり、すっとお辞儀をする。
 エリスンは、いまとなっては、なぜあの手紙の主が誰だかわからなかったのか、不思議でならなかった。
 唖然としながら、震える指で金髪男を指す。
「あ、あなた……!」
「いかにも、ミーの名は──」
「ジョニーはどこですかっ?」
 名乗ろうとした金髪男の胸ぐらをつかみ、キャサリンが力の限り揺さぶった。
 金髪男はがっくんがっくんとなりながらも、どうにかテーブルの向こう側を指さす。キッチンの方向だ。
「ジョニーっ?」
 ポイと男を投げ捨て、キャサリンはそちらへ走り寄る。金髪男は床に熱烈なキッスをし、そのまま動かなくなった。
「……大丈夫ですか?」
 一応聞いてみた。動く気配はない。放っておいて、エリスンもキッチンへ回り込む。
「──!」
 鋭い悲鳴を上げ、キャサリンがよろめいた。その背中を支えながら、エリスンも彼女の指す方向に目をやる。
 床に散らばった食料をあさる、二つの白い球体。ふわふわもこもこのそれは、気配に気づいたのか、そろって振り返った。
「ヒュイ?」
「ヒュイ?」
「なんてこと──!」
 二匹は、三角のサングラスをかけていた。かわいらしさ大幅ダウン。
「何がそんなにショックなんです? 確かに、ファッション的にはどうかと思いますが──」
「あなたたち、わたしのジョニーに、一体何をしたんですっ?」
 エリスンの問いには答えず、キャサリンはマリアンヌを睨んだ。マリアンヌはひゃっひゃっと笑う。
「ちょっと操らせてもらってるだけじゃえ。ジョニーとマイケルには、協力してもらおうと思ってのう。儂に怒らんと、文句は孫にいっとくれ」
「……一目で操られてるってわかったんですか?」
 エリスンにはそっちの方が疑問だったが、キャサリンはいわれるままに金髪男に文句をいい始めていた。ヒトデナシ、とかいいながら、力の限り踏んづけている。こうなってしまうと、どちらに同情すればいいのか微妙なラインだ。
「とにかく、これで、うかつには逃げ出せなくなったってことだわ……シャルロット、助けに来てくれ……………………るわけがない……」
 くれるかしら、といいたかったのだが、独り言さえも現実的に自重。
 エリスンはうなだれた。もう、一人でも逃げちゃおうかな、とか思いながら。
     

 シャルロットは、道の真ん中で、腕を組んで突っ立っていた。
 とりあえず、馬車に乗って街まで戻ってきた。戻ってきたものの、これからどうするべきか。
 本当は、何をするかはもう決めていた。
 あとは、行動あるのみだ。
「あのう……道の真ん中に立ってられると、邪魔なんですけんどもねぇ」
 善良そうな市民に声をかけられ、はっはっはっいや失礼、とその場を退く。
 ちょっと考えて、おなかがすいたので、カフェに入ることにした。
 注文しようとして、今朝食べたばかりなのに、エリスンヌが恋しくなった。あの、複雑な味。
「……こうもはっきりとケンカを売られた以上、買うしかあるまい」
 誰にも聞こえないぐらいの声で、ぼそりとつぶやいた。
 
   *

「……わかりまちた。そういうことでちたら、わたくち、力の限り、お手伝いさせていただきまちゅ」
 カチャリ、と少女は受話器を置いた。
 世話になった人からの願いだ。断るはずもない。
 彼女は、すぐにメイドの一人に指示を出す。メイドはさらさらとメモを取ると、「きゃ、おもしろそう」とかいいながら下がった。
「ケイティ、いまの電話は?」
 愛する影の薄い少年の問いに、少女はニタリと笑った。
「わたくちたちの愛のキューピッドからでちゅわ」


 エリスン・キャサリン消失事件から丸一日。
 シャルロットは、探偵社の座り慣れた椅子に、深く腰をかけていた。
 窓の向こうから、赤い空がこちらを見ている。シャルロットはパイプを置いた。ゆっくりと、腰を上げる。
 上着を取ろうとして、デスクに放ってあった便せんに、もう一度視線を落とした。三通目になる、例の手紙。

『ユーのことを、ホワイトモンスターが襲うであろうぞ』

 今朝、郵便受けに入っていたものだ。
 若き名探偵は、かすかに眉を上げた。上着をソファに投げ、代わりに、衣装ケースから別のものを取り出す。
 不意に、呼び鈴が鳴った。普段は客などほとんど来ないのに、皮肉なものだ。シャルロットは玄関へ向かおうとはせず、顔だけそちらに向けた。
「開いている」
 一言。少々の間の後、ためらうように、戸が開かれた。
「失礼」
 低い声で告げて、金色の蝶ネクタイ、赤いサスペンダーの、ナイスミドルが現れた。ヒゲが眩しい。後ろから、びしりと気をつけの姿勢をした細身の男も続く。
「名探偵シャルロット=フォームスンどの、お久しぶりですな」
「お久しぶりです、シャルロット様」
 口々にいわれたものの、シャルロットはそちらに一瞥をくれただけで、手を止めなかった。客人たちの見ている前だったが、意に介さず、それを着込んでいく。
「ええと……以前、世話になりました、ウノムでございます。覚えておいででしょうか」
「レオディエールエントロッファレリティーノ=アンジェスケリアントスです! お久しぶりです!」
 ああ、とやっとシャルロットも声をあげた。
「いつぞやの事件のときの。ウノム刑事と、ミスタ下っぱ……だったかな? 今日は何か?」
 ちー、とチャックを上げる。
 ウノム刑事とレオディエールエントロッファレリティーノ=アンジェスケリアントス──シャルロットに倣って、以下下っぱとする──は、目の前の名探偵を、何ともいえない表情で見つめていた。
「ええと、とある事件のことで、聞きたいことが……」
「悪いが、こちらもいまとりこんでいてね。協力できるかどうかはわからない。だが、まあ、知っていることなら答えよう。何でも聞きたまえ」
 ウノム刑事は、ごくりと息を飲んだ。
「何でも聞いて良いのですかな」
 固い声。ええもちろん、とシャルロットが応ずる。
「……その格好は?」
 ズバリ聞いた。
 目の前の自称名探偵は、白いもこもこの着ぐるみに身を包んでいた。楕円のフォルムから、手足がにょきりと生えている。
「ジョニーさんだ」
 さらりと答えられた。
「…………」
 返答に窮し、ウノム刑事は隣の部下に目をやった。下っぱはというと、何やら目を輝かせ、探偵に見入っている。
「ほしー……!」
 聞き捨てならない一言が聞こえたが、あえて聞き捨てた。
「……ゴホン。では本題に。ケイティー=グリダン嬢をご存じですな?」
「知っているとも」
 どうしてもつぶらな瞳の頭部に目がいきがちだったが、どうにか着ぐるみの中の真の顔に焦点を合わせつつ、ウノム刑事は続けた。
「差し支えなければ、どういう件で関わったのか、お聞かせ願えませんか。実はケイティ嬢が……あなただからいうのですが、まあ、誘拐されたということで、捜査中でしてね。少しでも手がかりになればと」
 シャルロットは、ふむ、とうなずいた。
「それは心配だな。しかし、私が関わったのは、恋愛相談だったのでね。恐らく関係がないだろう。私はいまから別件で調査に出るのだが、何か手がかりになりそうなことがあれば、すぐに連絡しよう」
「おお、それは助かります。ありがたい」
 ウノム刑事は握手しようと右手を出し──たものの、着ぐるみ探偵の手を握る勇気がどうにも振り絞れず、そのまま通り越して左肩を叩いた。最近肩こりがひどくて、と苦しいフォロー。
「では、私は出かけるので、失礼するよ。いいかな?」
「は、あ、こりゃ、気がつきませんで」
 ウノム刑事は慌てて探偵社の戸を開けた。先に出て、後ろの部下を促そうと振り返る。
 下っぱは目を輝かせ、シャルロットにすがった。
「そのコスチューム、どこにあるんですか? わ、わたくしも欲しいのですが……!」
「どこにあるか? ──ふむ」
 着ぐるみの中で、シャルロットはふっと笑った。歯が光る。
「君の、心の中さ」
「かっこいいー!」
「……ううむ、私も欲しくなってきた……!」
 ウノム刑事と下っぱは、ロンドド警察署の新しいブームを予感した。

 
 恥ずかしい、という概念は、恐らく彼にはない。
 どんな服装でも、本人が自信を持ち、胸を張ってさえいればおかしいということはないのだ、という説があるが、この場合、それが適応されるかどうかは非常に微妙だ。
 名探偵シャルロット=フォームスンは、まるでそれが常日頃から着こなしている普段着であるかのように、悠然と商店通を歩いていた。誰もが道を空けてくれるので、いっそ気分がいい。
 今回は、隣を行く助手もいない。しかし、それを嘆いている状況ではない。
通りの向こうから、白くて丸くて浮いているものが二つ、こちらに来るのが見えた。
 シャルロットは、胸中でほくそ笑む。予想通りだ。
「──ヒュイー」
「ヒュイーイッイッイッイッ」
 異様に似合わない三角サングラス姿で、ジョニーとマイケル──どちらがどちらなのかは分からないが──が、シャルロットの前に立ち(浮き)ふさがった。あろうことか、二人(匹)とも、手に鞭を持っている。持っているといっても、ものを握れる構造をしていないので、手に縛り付けている状態だ。
 通りを陣取る、大きなもこもこ一つと小さなもこもこ二つ。
 ギャラリーが遠巻きに見ている。──ほら、またあの探偵よ! という声すら聞こえてくる。
「やはり、ホワイトモンスターとは、君たちのことだったか……自分の推理力が恐ろしい」
 自分に惚れ惚れした。ツッコミ不在。
 ジョニーとマイケルは、鞭を地面に叩きつけ、威嚇している。その様子に、シャルロットは着ぐるみの前で腕を組んだ。かさばるので、実際には両手を重ねただけだったが。
「ふむ……何か弱みを握られて、こういった行動に出ているのか……または、誰かに操られているのか……。そもそも、ジョニーさんとマイケルくんだという確証もないわけだ──いや、展開からいくと、片方はジョニーさんで間違いあるまい」
 探偵らしい、しかしシャルロットらしくはない長台詞。
 ホワイトモンスター二匹は、威嚇しながら、じりじりと近づいてくる。ヒュイー、という声すらいつもより低い。
「どちらにしろ、対策は万全だ」
 シャルロットは、不敵に笑んだ。
 二匹がこちらを見上げてくる。シャルロットは、両手を広げ、高らかに叫んだ。
「──ヒュイ!」
 実にいい声。
「……ヒュイー」
「ヒュユユ」
 二匹が歩みを止め、何ごとか返す。シャルロットは大仰にうなずき、
「ヒュイヒュイ、ヒュイー。ヒュイ! ヒュイヒュイ!」
 よく通る声で続けた。
 二匹は顔を見合わせた。
 うなずき、お互いが、鞭を振り上げた。
「ヒュイヒュイ。……ヒュイ? ヒュ、ヒュユ…………ち、ちょっと待ちたまえ!」
『ヒュイー!』
 待ってもらえるはずもなく、鞭が振り下ろされる。
「──!」
 小さな身体のどこにそれほどの力があるのか、したたかに打ち付けられ、シャルロットはどってんと背中から倒れ込んだ。着ぐるみのおかげで衝撃は減ったのだろうが、それでも痛い。
 じたばたと両手を動かす。立てない。
「ふ……作戦失敗か……」
 それでも慌てず焦らず、状況を認識。もう一度じたばた。
「ヒュイー」
「ヒュイー」
 二匹がとどめを刺そうとにじり寄る。シャルロットは勢いをつけて横に転がり、どうにか立ち上がった。
「こんなこともあろうかと、次の作戦も用意してあるのだ!」
 高らかに宣言し、勢いをつけてチャックをはずす。
 正義の味方がマントを翻すかのように、白い着ぐるみを一気に脱ぎ捨てた。
「これで、どうだ!」
 二匹の動きが止まった。
 ギャラリーもしんとした。
 着ぐるみの下には──ピンク色の、ひらひらワンピース。着ぐるみの中に入れてあったのだろう、ブロンドのカツラまで取りだし、よいしょとかぶる。
 自分以外の時が止まるなか、シャルロットは、無断で持ち出してきたエリスンのルージュを、のっぺりと塗りたくった。どこからか手鏡を取りだし、それを見ながら髪を整える。
 それから、深呼吸。
 両手を広げ、内股で、
「ジョニー、わたしのために、争わないで!」
 裏声でいいきった。
 セリフの選択が間違っているとか、そういうことは、この際問題ではなかった。
 それを超越した破壊力が、そこにはあった。
 二匹の目から、三角サングラスが、スローモーションのようにゆっくり、かしゃりと落ちる。
 二匹はそのまま、ころりと気を失った。
「……自分の変装能力の高さが恐ろしい……!」
 静まり返るなか、一人、本気で呟く。
 ギャラリーから拍手が巻き起こり、小銭が投げられた。
  
 

 ディンドンの森、マリアンヌの小屋で、エリスンは憮然と泡立て器を動かしていた。
 左手にはボウル。中身は、小麦粉、卵、砂糖、ベーキングパウダー。
「……なんであたしがこんなことを」
 いってもしようがないとはわかっていながらも、いわずにはおれず、ぶつぶつと繰り返す。その隣で、まさにいまドーナツを揚げ終えたキャサリンが、慰めるように肩に手を置いた。
「炊事をしないと、ジョニーの命がないなんて……ひどい脅しですよね。手元にちょうどいい毒でもあれば、混入できるんですけど……」
 本気のようだ。それはどうかと思ったが、致死量でないならいいかもしれない。
「さあさ、お嬢さんがた、今日のおやつの準備は万全かえ?」
 ドレスの裾を引きずりながら、マリアンヌがキッチンを覗いてくる。二人は、ええもちろんと笑顔で返した。こき使われようとも、拘束されて閉じこめられるよりはましというものだ。
「……あの、マリアンヌさん? ジョニーの姿がないようですけど、本当に、安全は保証していただけるんですよね?」
 それこそ、もう何度もしている問いだった。マリアンヌは肩をすくめる。
「儂だって、ジョニーのことは愛しいやつじゃと思っちょうけぇ、危害は加えんぞな」
「だったらなんで操ったりしたんですか」
 エリスンから新しいアプローチ。マリアンヌは、うーむと考えながら毛先をいじる。仕草が若い。
「シャレじゃの、シャレ。心配せんでも、儂の特製目覚まし薬を飲むか……あとはまあ、ものすごいショックでも受けりゃあ、すぐに元通りじゃよってに。今回は、儂のかわいい孫が更生するっちゅうから協力しとるんじゃ。悪事はせんわいな」
「……?」
「なにいってるんでしょう、このお婆さん。歳のせい?」
 小首をかしげるエリスンに、キャサリンが遠慮のない言葉を囁いてくる。聞き間違いでなければ、孫が更生する、といったはずだが。
 そこへ、慌ただしく、問題の孫が小屋へ駆け込んできた。今日のファッションは、真っ赤なマントに、羽付きのテンガロンハット。もはやコンセプトも何もない。
「シーット! 大変だ、グランマ! ホワイトモンスターズが──……っとと」
 人質二人の存在に気づき、慌てて口をつむぐ。しかし、それを見逃す彼女らではない。
 キャサリンの目がきらりと光り、間のテーブルを飛び越えて派手孫の前に着地。そのまま菜箸を水平に構え、両目にロックオンした。
「ジョニーが、どうしたんですか……?」
「う、ウェイト、ビューティーなピンクレディー」
「キャサリンさん、いっそそのままぶすっとやったらどうです、ぶすっと」
 エリスンが悪を促したが、キャサリンはいま気づいたというように、「きゃ、わたしったら」とかいいながら菜箸を下ろした。エリスンはこっそり舌打ちする。
「──で、ジョニーさんとマイケルさんが、何か?」
 マイペースで型に生地を流し込みながら、一応尋ねておく。彼はわざとらしく咳払いをして、取り繕うようにゆっくりと食卓椅子に腰かけた。
「例の名探偵にあっさりとしてやられたよ……さすが、マイフォーエバーライバル。ここを嗅ぎつけるのも、時間の問題でござ候」
「シャルロットが?」
「まあ!」
「ほう」
 女性陣がそろって声をあげる。エリスンは驚きすぎて、生地を天板にそのまま流してしまった。しかしそれに気づく余裕もない。
「……そんな、まさか……! 一体どんな偶然が重なったらそんなことに──!」
「さすがシャルロットさんです! きっと、すぐに助けに来てくれますね!」
 エリスンは魑魅魍魎でも見てしまったかのように打ち震えているが、キャサリンは単純に喜んでいるようだ。マリアンヌが眉を上下させながら、おもしろそうに笑んだ。
「やりおるのう、あの探偵。こりゃ、一筋縄ではいかないやもしれんじゃの」
「……そうでなくては、ミーのライバルとしては役不足であるよ……。プレイスを移そうにも、街はどこかの令嬢の誘拐事件で警察がうようよ真っ最中──ここで待ち伏せをして、ジャスト決着をつけるしかないであろうこと請け合いですね」
 室内だというのにわざわざ三角サングラスをかけ直し、揚げ上がったドーナツに手を伸ばす。
「デーリシャス!」
 余裕なのか、追いつめられているのかわからない。
「……あなた、そこまでシャルロットを目の敵にして……シャルロットに勝って、どうするつもりなの? 悪いけど、こんな回りくどいことしなくても、あれに勝つのなんて簡単よ? しかも勝ったってなんの自慢にもならないわよ?」
 本気で心配そうにエリスンが問う。仮にも上司のことを語っているとは思えない。この場にシャルロットがいたら泣いていそうだ。
「ふふ、おもしろいクエスチョンだ。教えて差し上げよう、レディ。ミーは、名探偵シャルロット=フォームスンに勝利することによって──」
 こんこん、とノックが聞こえた。
 両手を広げ、演説しようとしていたところをくじかれ、不満そうに首だけドアに向ける。
「……こんなときにフー?」
「シャルロットさんだわ!」
「違うと思うなぁ……」
 テンションの差はありながらも、ドアに注目する。こんな森の奥の小さな小屋に、一体誰が訪ねてくるというのだろう。
 もう一度、ノック音。マリアンヌが腰を上げ、ドアに向かった。
「どちらさまかの?」
 向こう側から、うわずったような細い声が聞こえてきた。
「若返り化粧品の者ですー、無料サンプルをお届けに参りましたー」
「頼んだ覚えはないがの」
「配らないと上にどやされるんでー、もらってくださいませんかー」
 あからさまに怪しかったが、若返り、無料、の二つのキーワードに心を動かされたのか、マリアンヌが少しだけドアを押し開ける。
 裾の広がったブラウンのドレス、黒く深い帽子が見えた。
「じゃあ、もらおうかのう」
 女性の姿に気を許し、招き入れる。
「ご説明させてくださいねー」
 ブラウンドレスの貴婦人は、異様にゆっくり、楚々として歩みを進め、小屋の中に入ってきた。足先すら見えない、広がった長い裾。まるで結婚式のドレスのようだ。
「……ほら、シャルロットじゃないわ」
「残念ですね……」
 エリスンとキャサリンが、顔を見合わせ囁き合う。もっとも、エリスンは最初からシャルロットが来ると思っていないので、その声に残念そうな色はない。
 貴婦人は、小屋に入ってからやっと、帽子を脱いだ。ついでにカツラを取った。そして、どこからかパイプを取りだし、火をつけた。
 ぷはーと吹かす、その顔。誰もが目を丸くして、注目している。
 あたりまえのようなテンションで、貴婦人──に扮したシャルロットは、悠然と片手を上げた。
「やあ、諸君、ごきげんよう」
「────!」
 その場にいる全員が、絶句した。
「はっはっはっ、驚いてもらったようでなにより。エリスン君もキャサリンさんも、マリアンヌさんも、元気そうで良かった。ちょっと遅くなってしまって、すまなかったね。──さ、この私に挑戦したいというのは、どこの誰だね? 受けて立とう、出て来たまえ」
 敵地に一人で乗り込んできたとは思えない余裕ぶりで、シャルロット節をかます。エリスンはうっかり感動した。この空気が読めないという能力が、こんなところで映えるとは。まるで大物のようだ。
「……ふ、ふふふ、ふはははははは! インタレスティン! 久しぶりでござろう、名探偵シャルロット=フォームスン!」
 気を取り直し、赤いマントをひるがえすと、ケンカを売った張本人がシャルロットの前に立ちふさがった。
「ユーに手紙を送り続け、ユーの愛するラバーを次々とさらい、さらにホワイトモンスターを差し向けたのは、シュアリィ、このミーであるよ! 驚いたか! 驚いているな! はっはん!」
「…………」
 シャルロットは無言でパイプを吹かした。
 間。
 あー、きっと覚えてないんだなー、とエリスンは察したが、それを教えてやるつもりもなかった。せいぜいショックを受ければいい、という気持ちで、ことの成り行きを見守る。
「……ユー?」
 ちょっと不安になって、促してみる。
 シャルロットは、静かに眉を上げ、パイプの火を消した。
「君は何か誤解をしていないかね。私にとっては、君が誰であろうが、そんなことはどうでも良いのだ。君が私の大切な者を危険にさらした、その事実だけで、私は今ここにいるのだよ。くだらない話で、親睦を深める気などない」
「──! ちょ、ちょっと、聞きました? シャルロットさんがかっこいいですよ! どうしてしまったんでしょう?」
 いたく心を打たれた様子で、キャサリンがきゃいきゃいとはしゃぐ。エリスンは答えられない。もしかして偽物なのでは、と本気で思っていた。
 と、シャルロットのスカートの中から、ふよふよと白いものが浮き出てきた。ジョニーだ。
 ジョニーは、テーブルの上で、何やらポーズを取り、
「ヒュイー……ヒュイヒュイ、ヒュイー──ヒュイ」
 対抗したのだろう、かっこよさそうなテンションで何かをいった。
「ジョニー……! ありがとう!」
 キャサリンがはらはらと涙をこぼす。
「……えー、コホン。ライバルのハートに火をつけることに、このミー、かつては怪盗三面相として、幻の宝石ビビンビーンの事件でユーと争った、この本名リオンであるミーは、成功したようであるな!」
 できるだけ自然な流れで説明台詞。
「ああ、名乗っちゃった」
「自分で名乗るとは、我が孫ながらかっこわるいのう」
「あら、意外とふつうのお名前なんですねえ」
 女性陣が感想を述べる。金髪美青年──リオンは、少しだけ恥ずかしそうに赤面したが、ごまかすように何度も咳払いを繰り返した。
「ふむ、なるほど、怪盗三面相──あのポリシーのない若者か。どういう理由で私に挑戦してきたのか、理由ぐらいは聞こう」
 ドレス姿だというのに、シャルロットは妙に格好良かった。この、いつどんなときでも変わらない余裕──それをエリスンは空気が読めないと形容するわけだが──が、この場面では完全にプラスに作用していた。
 気圧されたような気分になりながらも、リオンは懐から一冊の本を取り出す。それを、びしりと突きつけた。
 タイトルは、『名探偵の心意気〜真理編〜』。
「ミーは、あの日、ユーにいわれたことをずっとシンキンしていたのであるよ……そして、これを手に取り、決断したでござりますろう! ミーはもう怪盗三面相ではない──、名探偵派手男として、生まれ変わったのだ──!」
 しん、とした。
 ツッコミ担当のエリスンも、どこからつっこんで良いのかわからなかった。
「……名探偵、派手男……」
 とりあえず、そのインパクトの強すぎる名前をつぶやく。探偵というより怪人のセンスだ。
「私の著書を手に取ったことだけは、褒めてもいいな」
 まんざらでもない様子で、シャルロットはそんな感想だ。『名探偵の心意気〜真理編〜』、シャルロット=フォームスン著。限定三冊の自費出版。
「リオンは、怪盗はもうやめて、探偵としてまっとうに生きていくと約束してくれたんじゃ。これは、そのための第一歩なんじゃて」
 マリアンヌの言葉に、キャサリンは眉をひそめた。エリスンも、思い切り顔を歪めている。根本的な矛盾が生じていることに、気づいていないとでもいうのだろうか。
「ミーはこのブックを熟読しました……とてもためになりましたね。特に、ここ、これ! 『名探偵になるためには、華麗に事件を解決しなければならない。しかし、事件がない場合はどうすれば良いのか。そのときは、自ら、事件を起こせば良いのだ』──! もう、もうなんていうか、目からウロコ!」
 リオンは力説した。ああなるほど、とキャサリンは納得し、エリスンはふっと目頭を押さえた。つまり、この阿呆な探偵の被害者なのだ、彼も。
「愚かな」
 ふふん、とシャルロットは笑った。
「いくら名探偵になるためであろうとも、自ら事件を起こせば、それはただの犯罪者だ」
「────!」
 リオンはあまりの衝撃に、くらりとよろめいた。頭を抱え、自分がやってきたことを、思い出す。
「ほんとだ……!」
 納得してしまったらしい。
「……まったく、そんなことで、恋路を邪魔して欲しくないでちゅわ」
 突如、この場にはいないはずの声が割り込んできた。
「この声って──」
「誰かいるんですか?」
「ここでちゅ」
 ばさりとシャルロットのスカートを跳ね上げ、いかにも育ちの良さそうな少女が顔を出す。
「お久しぶりでちゅ、と、初めまちて。ケイティ=グリダンでちゅ──さ、そろそろ、お縄につきなちゃい、犯罪者ちゃん」
 にっこりと、ケイティは笑った。シャルロットとジョニー以外の、その場の全員が、事態が飲み込めずに目を丸くしている。
 スカートから出て来た、偉そうな少女。そして、その言動。
 いち早く、エリスンがはっとした。
 リオンがいっていたはずだ──どこかの令嬢の誘拐事件があった、と。
「まさか──」
 ケイティは、すうっと息を吸い込み、
「きゃ────! たちゅけて────!」
 小さな身体からは想像もできないほどの大音量で、叫んだ。
「突入ー!」
『らじゃー!』
 その声に応えるように、警官隊が押し寄せてくる。いつの間にか、小屋の外で待機していたようだ。何が起こったのかよくわからないでいるうちに、リオンはあっさりと捕獲され、縄で縛り上げられた。ケイティとエリスン、キャサリン──それに、被害者ということなのだろう、マリアンヌとジョニーが、複数の男たちに取り囲まれ、保護される形になる。
 警官隊の後ろから、二人の男が歩み出た。
「ご協力感謝します、名探偵どの!」
「さすがであります! シャルロットさん!」
 ウノム刑事と下っぱだ。なあに、とシャルロットは爽やかに笑う。
「──さて、派手男君。天下のグリダン家の令嬢をさらったんだ──それなりの罰は、覚悟しているだろうね?」
 やっと、リオンは、悟った。
 つまり、
「はめられた──!」
 しかし血の叫びもむなしく、連行されていった。
 名探偵、圧勝。
「……助けに来てくれるとは思わなかったわ」
 心からエリスンがいうと、シャルロットはいかにも心外そうに、眉を跳ね上げた。
「君の危機とあれば、どこにでもかけつける所存なのだがね」
 エリスンは絶句した。
 たっぷり十数秒の後、声をしぼりだす。
「…………よけい不安」


 


 舞台はフォームスン探偵社。
 大活躍のシャルロット=フォームスンは、満足そうに夕食を口に運ぶ。向かい側で助手が席を立ち、空ビンを手に台所へと消える。部屋の端では、すでに夕食を食べ終えたキャサリンとジョニーが、いちゃいちゃとティータイムを満喫している。
 と、こちらに気づくシャルロット。ナプキンで口を軽く拭い、ゆっくりと笑む。
「──やあ、みなさん、こんばんは。今回の活躍はいかがだったかな? 私は、エリスン君の作る夕食を食べる喜びを再認識しているところだよ。この、調味料を少しずつ間違えた感覚がまたいい。もちろん、褒めているのだ。本人にいうと、怒ってしまうのだがね。──む? 怪盗三面相……もとい、名探偵派手男はどうしたかって? 今度こそ捕まって、しばらくは出てこられないだろうな。出て来たとしても、グリダン家の圧力につぶされてしまうことだろう。なあに、私は自書のやり方を実践したまでだとも。ない事件は作ればいい。それに──一人でやる必要のないことは、しない主義でね。警察の方々に感謝しなくてはなるまい。──おっと、エリスン君が呼んでいるな。赤か白かだって? まったく、この料理なら赤に決まっているだろう。
 さあ、今回はこのあたりで失礼しよう。また、いつの日か、お会いできることを祈って──」
 席を立つシャルロット──暗転。
 
 
  
 
  
  
 
  
   
 
  
 

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