ロンドド郊外。そこに居を構えるは、我らが迷探偵シャルロット=フォームスンの探偵社。多くの事件を解決へと導くかと言えばそうでもなく、特にこれと言って事件と関わる事がない。そんな探偵なのかどうかすら怪しい彼ではあるが、その日は少々違った。 探偵社から歩く事十五分程。ここに来たら日用品が全て揃うと言われる商店街へと足を運んでいた。探偵社の近くにも商店はあるのだが、そことの規模の差は、比較するのも笑ってしまう程だ。 かくして、シャルロットはカイツに無事手帳を届ける事が出来た。その手帳には息子であるステファンの日程がみっちりと書かれてあったらしく、命よりも大切な物だとカイツは泣きながら語っていた。当然ながら、慈善事業だったため報酬は無し。しかしながら、二人は満足そうに笑みを浮かべていた。 本日もロンドドは平和である――
昼。これと言って依頼もなく、シャルロットが特等席である肘掛椅子に掛け、窓の外に広がる青空を眺めつつ午後のティーブレイクを楽しんでいると、探偵社の戸が開いた。顔を見せたのは彼の助手であるエリスン。少々浮かない表情だ。
「ねえ、シャルロット」
「ん。どうかしたかな?」
エリスンは彼の前に置かれた重厚な机の上に、随分と汚れた手帳を置いた。
「これは?」
「外に落ちてたのよ」
探偵社の玄関先に、ではなく、恐らくは建物の外。昨日から今朝方に掛けて外は大雨だった。恐らくはその影響でこうまで汚れてしまったのだろう。
「中は?」
「さすがにそれは気が引けて。落し物、よね?」
エリスンの問い掛けにシャルロットは足を組むと、顎先に右手を添えて見せる。その姿だけを見ればなんとも探偵らしいのだが、実際は思考しているのかどうかは怪しいところだ。
「落し物、だろうな。まさか自分の予定やその他もろもろ書かれてある手帳を、人通りは少ないとは言え道端に捨てて行く者はいないだろう」
「そうよねえ。ついつい拾ってしまったけど、警察に届けた方がいいかしら」
エリスンの言葉にシャルロットは笑みを浮かべると、人差し指を立てて見せる。その仕草の意味するところがなんなのかわからず、エリスンは首を傾げた。
「私は誰かな? エリスン君」
「誰って、あなた、自分の名前もわからない程に、なの?」
「そうではないぞ。そこではないぞ。私は探偵。つまり! その持ち主を見つけ出すのは私の役目。そうではないかな?」
「そうかしらねえ……」
少し呆れ気味なエリスンをよそに、シャルロットは手帳を手に取ると、おもむろに開いた。一晩中降り続いた雨にやられたため、中の紙はどうしようもない有様。文字に至ってはほぼ解読不可能だ。当然、ネーム欄の名前も読めたものではない。早速持ち主の判別が困難となった。
「ふむ。読めないな。これは困った」
「そうね。昨日はひどい雨だったし」
言いつつ、二人して窓の外を見る。昨日の夜とはうって変わって晴れ渡る青空。ついでに言えば、向こう三日晴れ続きらしい。
そこで何か閃いたのか、迷探偵は小さく声を上げた。それに対して助手の冷ややかな事。向ける視線は氷点下と言ったところか。恐らくは、どうせいつもの素っ頓狂な思い付き、と考えているに違い無い。
「なんだ、簡単な事ではないか。犯人は犯行を行った後、必ず犯行現場に戻って来るという。つまり、犯人はこの手帳を探して昨晩の行動をトレースするに違いない」
「犯人じゃないから。別に手帳の持ち主はなにも悪い事はしてないから。とは言え、その通りよね。待ってればいいって事かしら?」
「そうだな。待ってればいい。……。あ、いや、待て。もしも、君がこの手帳を拾った直後に犯人がここを通ったとしたら……」
「あー……」
手帳を落とした人物が、それを探してすでにここを通り過ぎてしまった可能性は無きにしも非ず。更にここまで汚れた手帳だ。目に止まったとしても、まさか自分が落とした大事な手帳だとは気付かないだろう。せいぜい、マナー知らずの誰かが捨てたゴミ、程度の認識だ。
そうなると、手帳の持ち主を探し出すのは非常に困難だ。この探偵とこの助手では、持ち主を見つけ出す可能性は絶望的だろう。
エリスンは溜息を漏らすと、シャルロットから手帳を取り上げ、適当に濡れたページをめくっていく。文字はどれも滲んで読む事が出来ないが、どのページもぎっしりと書かれてあったらしく、墨汁を垂れ流したように真っ黒。内容がどうであれ、スケジュール面も真っ黒という事は相当忙しい人物、と言える。ページをぺらぺらとめくり手帳の中ほどに来ると、雨による影響が弱いのか、多少なり文字が読める箇所が増えていた。分厚さが役に立ったと言える。
「あ。ここはしっかり読めるわね。えーと……『ステフの誕生日』。ステフ。人の名前よね。女性かしら」
「略称とすればステファニー。女性の名前だろう。その誕生日は?」
「日付は五日後ね。……これって、手掛かりになるんじゃないかしら?」
「ふむ?」
不思議そうにするシャルロットに、エリスンはにんまり笑みを浮かべて見せた。それから手帳を更にめくると、日付は次の週のものに変わっている。
「……。……。ステフの名前がよく出て来る手帳だ。という事は?」
「彼女。か、それとも娘さんね。この辺りにステフなんて娘いたかしら」
「さて、聞いた事はないな。キャサリンさんならなにか知っているかもしれないな。彼女は商店街の辺りにもよく出掛けるだろう」
「そうねえ。こうしてると、なんだか探偵になったみたいね」
「はっはっは。私は元から探偵だよ?」
二人はしばらく、はっはっはだのうふふだの意味もなく笑い合い、それから数十分後ようやくキャサリンに電話をし、商店街で待ち合わせる事にした。
その商店街にあるカフェにて、キャサリンの来るのは待っていた。シャルロットは三段重ねのパンケーキを、エリスンは大盛りのチョコレートパフェを口に運びながら、通りを行く人々を眺めていた。
「確かに昼時ではあるけど、よくそんなに胃に入るものね。見てるだけで苦しいわ」
「そういう君のパフェも山のような大盛りだな。見ているだけで、しばらくの間生クリームはいらなくなりそうだ」
そんな事を言い合いながら、互いの食事が終わりに差しかかろうとしていたその時、店に女性が訪れた。ピンク色のワンピース、傍らにはマシュマロのようななにかが浮いている。女性はシャルロットとエリスンを見付けると駆け寄った。
「ごめんなさい、遅れてしまって。ジョニーさんのヘアースタイルがなかなか決まらなくて」
ジョニーさんというのは彼女、キャサリンの横で若干浮遊している奇妙なマシュマロ生物だ。マシュマロのような胴体にマシュマロのような手足をくっつけた、およそマシュマロのような生物。それはもはやマシュマロと言っても過言ではないだろうが、しかしながら食べ物ではない。ついでに言えば、髪はない。スキンヘッドなわけではなく、胴体に顔がある。顔と胴体が二個一なわけだ。
「なるほど。それは色々大変だったようだね。それでだが、君に一つ聞きたい事があって――」
ジョニーさんのヘアースタイルに対するツッコミは全て無し。それは暗黙の了解。ジョニーさんのヘアースタイルうんぬんに疑問を持つ以前に、ジョニーさんが何者なのかを問うべきが先であるため、その存在を良しとしまっている現状、ヘアースタイルなどどうでもいい事なのだ。
キャサリンとジョニーさんは席に座ると、シャルロットのかくかくしかじかの後、うーんと小さく唸る。
「ステフ。その名前の方ならこの辺りに何人かいますよ。ステファニーちゃんもいますけど、そのままステフさんもいます。ステファンくんもいますし」
「予想と違う展開だな。ここで一つだけ言わせてもらっていいかな?」
「なにかしら」
シャルロットはおほんと一つ咳払いすると、テーブルに両肘を付き、指を組む。見せる表情はいつになく真剣なものだ。
「……原作はこんなに謎々したものだったかな、と」
「今それを言ってしまうわけね、あなたは」
二人の会話をよそに、キャサリンはいつの間にか手にしていた例の手帳を開いていた。ぱらりぱらりとめくっていく途中、なにかに気付いたらしく手を止めた。
「あら? このページのネーム欄、ちょっと読み辛いですけど、Rって書いてありますね」
言われ、シャルロットとエリスンはそこを覗き込む。傍から見ると奇妙な光景だが、そんな事を気にする二人ではない。
「本当。これがなに?」
「Rの前に滲んだ文字が見えますよね。これって多分“K”だと思うんですよ」
「ふむ。K。それがなにか?」
「ステファンくんのフルネームは、ステファン=ロドリックくんなんです。それで、そのお父さんはカイツさん。カイツ=ロドリックさんです」
「はあ、なるほどねえ」
手帳の持ち主はどうやらカイツという男性らしい事が判明した。
了
「――……という感じの投稿小説を見付けたわけだが?」
シャルロットは手にした『ロンドド☆タイムズ』の投稿欄を、向かいのソファーに座るキャサリンに見せた。
「ええ。少し前に出版社に出したんです。面白かったですか?」
にこやかなキャサリンに対し、シャルロットの隣に座るエリスンは呆れた風に溜息を吐いた。
「いえ、あのですね。勝手に名前を使ってもらっては困りますよ」
「いけなかったですか?」
「うむ。特に、なぜ私ではなく、キャサリンさんが謎を解いた感じになっているのかが問題だ」
「あ、そうですよね。ここはやっぱりシャルロットさんが閃いて――」
「そこじゃないでしょ……」
ここはこうすべきだ。あそこはこうだったら面白い。などと話す二人に、エリスンは深く溜息を吐いたのだった。
了