彼らの出会い






 ロンドド郊外。多くの建物が並ぶ中、赤茶けた煉瓦と雨風にさらされて薄汚れた白煉瓦を組んで作られた、三階建てのモダンな建物が構えている。一階と三階は空き家、二階には辺りでも有名な“迷”探偵が看板を掲げる「フォームスン探偵社」がある。
 社長のシャルロット=フォームスン。自称名探偵を気取ってはいるが、その実頭の中は万年お花畑。金の髪、碧色の目、整った顔立ち。見た目だけで言えば美青年なのだが、中身と外見はまるで別物。神様は残酷な仕打ちを与えたもので。
そして、その傍らに立ち、陰に日向に彼を支えるのが私、エリスン=ジョッシュ。知的で有能。自他ともにそれは認められている。ただ、彼の傍にいるせいか、私までバカ扱いされる事もしばしば。失礼ね。
 今日は珍しくあのバ……。っと、失礼。仮にも雇い主、バカバカ言ってはいけないわ。シャルロットが一人で出掛けているため、探偵社の自室でくつろぎタイムを満喫中。今更ながら、私はここ、探偵社で住み込みで働いている。働くと言っても、探偵モノにありがちな推理合戦なんてものは無きに等しい。いえ、無いわね。鳥を捕まえに行ったり、飲食店を荒らす白い生物を捕まえに行ったり、なんちゃって怪盗を捕まえに行ったり。捕まえてばかりねえ。
 当然、お気付きの方もおいでかと思う。なぜ、そんなおバカさんの下で働くのか。探偵としては、はっきり言って致命的にド低脳。恐らくCTスキャンに掛けたら、脳内には「脳」と書かれた紙切れが一枚入っているだけ。振る舞いは紳士を気取ってはいるものの、どこか間違っている。良いところを挙げるとすれば、常にポジティブなところ。ただ、そんな困った彼にも、誰にも負けないところはある。それこそが、私がここで働く唯一の理由。
 あれは、彼と出会った日の事──

 その日の午後。予報になかった突然の雨に降られ、雨具の用意などしていなかった私は、急ぎ雨宿りが出来る場所を探していた。商店街を駆ける中、目に止まったのが赤茶けた煉瓦と白煉瓦で組まれたモダンな建物。ロンドドにあって、別段目を引くわけでもないその建物に、私はなぜか惹かれるものがあった。
 気付けば、一階のエントラスにまで踏み入っていた。雨をたっぷり染み込ませたドレスの裾からは、冷たい滴がぽたりぽたり、床に敷かれた薄汚れた赤い絨毯にしたたり、じんわりと濡らしている。
「おや? お客様とは珍しい」
 エントランスから二階に伸びる螺旋階段。その踊り場付近から男性の声がした。金色の髪、細くした目の奥に輝く碧色の瞳。シャツにベスト、スラックス。貴族的な顔立ちにありながら、服装は随分と庶民的な彼は、私に声を掛けるや微笑んで見せた。
「突然のドシャ降りに雨宿り──っと言ったところかな。マドモアゼル」
 その顔立ちからまだ若いだろう事は察知出来る。青年は、年齢にまるで合わない歯の浮くセリフをさも当たり前にもらし、その事に私は思わずくすりと笑ってしまった。
「私の顔になにか?」
「あ、いえ……」
 緩んだ口元を隠すように両手を被せると、改めて彼を、そして、建物内を見回す。大家は掃除をしていないのだろうか、エントラスの天井のあちらこちらには蜘蛛が我が物顔で巣を張り、壁に掛けられたプラスティック製の外装に覆われた電気ランタンは、供給下が弱いのか、それとも内部に故障があるのか、点灯と消灯を忙しく繰り返している。感想から言えば、オンボロ。住人の話し声などが聞こえない事から、一階は空き家、と言ったところ。
「──ふむ」
 気付けば、青年は私の目の前にまで迫っていた。シャープな顎先に指を添わせ、私、というか私の着ている服をまじまじ見ている。嫌らしい目付きではないにしても、あまり気持ちのいいものではない。
「あの、なにか?」
「君の着ている服、有名なブランド品のようだね。ともすると、良家の方。そんな方がこんな郊外にまで何用で来られたか、と……」
 半分正解、半分不正解。私の着ている服は確かに有名ブランドのそれだけど、かと言って良家の方ではない。良品を身にまとうイコール良家の者、という図式でもあるんだろうか。確かに、庶民が易々手に出来る程安価なブランドではないのだけれど。
「それはさておき、そのままでは風邪を引いてしまうかもしれない。女性の着替えは無いがシャワーくらいは使える。どうかな?」
 にこりと微笑む青年。話の流れで言うと、つまり濡れた格好では風邪を引くから自分の部屋に来ないか、という事か。はい、わかりました。と、男性の部屋にお邪魔出来る程、私は節操無しではないので、お断りしようとしたのだけれど。
「そうと決まれば早速案内しよう。……と、紹介が遅れてしまった。私はシャルロット。シャルロット=フォームスン。皆からは名探偵と呼ばれている」
 言いつつ高笑う彼。賢い人間の取る行動は正直理解出来ない。今このタイミングは高笑うべきだったのだろうか。彼自身はとても満足そうだけど。
 断るつもりが流されて案内されたのが、二階にある探偵社。内装にはこれといって凝りも無く、スッキリしたもの。応接のソファーとテーブル、その奥には重厚感たっぷりの机がある。存在感のある大きめの肘掛椅子が置かれている事から、重役、つまりここの社長である彼の特等席、と言ったところ。
「浴室は奥にあるから、ゆっくりして行きたまえ。私はその間にコーヒーを淹れるとしようか」
 そう言いつつまたも高笑い。なにかおかしいから笑う、というよりもとにかくなんでも笑う、と言った感じなのか。正直、変人。だからと言って悪い人間でもなさそうなので、多少警戒しつつ浴室へ向かう事にした。
 浴室に入り適当に湯を頂く。雨に濡れた体の芯に染み込む暖かな湯に、頬を緩める。それから十分と少々、あまり人様のところで湯を使うのはよくないと考えて適当に上がると、少し濡れた感じが気になる下着を身に付け、それから用意された男モノのワイシャツとパンツに着替える。着ていたドレスはびっしょり濡れているので、また着るわけにはいかない。
「おや? 随分早いじゃないか。温まったかな」
「ええ、お陰様で」
 脱衣所から出、応接間に向かうと、調度コーヒーを淹れたのか、トレイに二つカップを乗せた彼が、にこやかな笑みを向けて来た。応接用のテーブルにその二つを置くと、ソファーに腰掛け、その向かいに座るよう言われ、断る理由もない私はそれに従った。
 彼がコーヒーを口に運ぶのを見た後、私も合わせるようにそれを飲む。別になにか変な物を入れてないか、とか考えていたわけではないけれど、初対面の男性。一応の警戒といったところ。
 コーヒーを飲み終えた彼は、ふうと息を吐きながら、窓の曇天に目を細める。つられて私もそちらを眺めた。先程よりも弱くはなっているけど、雨具無しに歩いて帰ろうとは到底思えない。
「それで……。君はなにか悩み事があるのかな? もしよければ、私が話を聞こう」
「──え?」
 間の抜けた声をもらす私に、彼は再びにこやかな笑みを向けると、自身の片目、その瞼を指差した。
「ほんの少し、赤く腫れている。人の顔は心を映す、などというが、泣いた後はそれが現れるもの」
 さすがは探偵を自称するだけはある。変な人物ではあるけど、注意力は大したものかもしれない。
「悩みって程でもないし、人に聞いてもらう事でもないわ。それにもう──終わった事だし」
「……そうか」
 空のカップを片手に取ると、彼はゆっくりと立ち上がり、窓に寄る。眺めながら空のカップを口に近付けたが、そこでようやく空なのに気付いたのか、恥ずかしさを紛らわせたつもりなのか、またも高笑い。そんな彼の高笑いを聞いていると、なぜか私までつられてしまいそうになる。
「あ、そうそう。君の名前、聞いていなかった。よろしければ」
「エリスン。エリスン=ジョッシュ」
 そう言って微笑む私に、彼は笑みを返す。笑顔がよく似合う、美青年だ。
「ようやく笑顔が見れた。女性には笑顔が似合うよ、エリスン君」
 彼のその歯の浮く言葉に合わせて、降り注いでいたはずの雨も止み、鉛色の雲の切れ間から明るい陽が差し込みはじめた。
「止んだようだ」
「ええ」

 誰にも負けないところ。それはいつも見せる、彼の明るい陽のような笑み。今日も彼はその笑みを向けてくれている。

 


 


「──……という、奇天烈極まりない、妙なものを見付けたんだけど」
 パイプをくわえるシャルロットに詰め寄るエリスン。表情は非常に険しい。
「はっはっは。事実を書いたまでだよ? いや、なにね。ロンドド☆タイムズの記者に、自伝的なモノを書かないか、と誘われたのだよ。そこで、その序章となる部分をこうして執筆したわけだ」
 高笑うシャルロットに、肩を落としつつ溜息を吐くエリスン。こんなものがもし自伝として市場に出回ろうものなら、脚色どころの話ではない。まったく別人のエピソード。これでは詐欺だ。
「自伝ていうのは、自分の身の上の事を書くのよ? 自分の生きた道程を。これ、私の一人称じゃない。私の自伝を書きたいの?」
 手にしていた原稿を机に叩き付けると、シャルロットにずいっと寄る。迫力負けしたのか、シャルロットは顔を逸らしながらパイプを吹かした。
「そう怒る事もないだろう。これで有名になれば、君は一躍スターの仲間入りかもしれないのだよ? 当然、私も」
 怒る気も失せたのか、エリスンは肩を更に落としつつシャルロットに背を向けると、部屋を出て行った。
部屋の扉を閉める時には怒りを込めていたらしく、それはもう盛大に、部屋全体が揺れる程に思い切り扉を閉めたのは言うまでもない。閉めたというよりも叩き付けた、というのが正しいかもしれない程だ。
 一人残ったシャルロットはやれやれと言った感じに首を振ると、窓の外を眺めた。広がるのは雲一つ無い晴天だ。
「……ふむ。あの日のように、突然降り出さなければいいが……」

 二人の出会いがシャルロットの空想だったのか、はたまた真実だったのか。
 それは──

 






 了