新米記者のとある出会い





 私は今、ロンドド郊外にある、茶色と白い煉瓦で造られた三階建ての建物の前にいる。そこで『探偵社』と書いてある看板を発見したのだ。汗まみれになっている私に向けられる視線がかなり痛いが、仕事にこれくらいのことは付き物だろう。
 おっと、紹介が遅れました。私はミルマ=キュレル。ロンドド☆タイムズで働いている駆け出しの若手記者。そんな私にロンドドにある探偵の話を記事にするという仕事が舞い込んできたのだ。これは大々的な探偵特集であり、多くの探偵を紹介するために地域ごとに記者が振り分けられ、私はロンドドのとある郊外の場所となった。
 さて早く取材に行って、早く帰って記事書かなくては上司に怒られるのに、どうしても足が踏み出せない。
 だって探偵といったら、厳ついちょび髭のおじさんや分厚眼の眼鏡をかけている超理論思考のお兄さんとかでしょ!? そんな人から話を頂くなんて……、恐れ多くてできない。
 ああ、どうしよう。さっきから脇からちらっと出たりして、ドアに視線を向けているけど、どうしても行けない。ああ、本当にどうしよう……。

「ヒュイー」
 ん? 何、今のは。後ろから変な声が聞こえた気が。
「ヒュイヒュイヒュウー。ヒュヒュイー!」
 だから一体何なのよ。変な声を出しているやつは!
 私は勢いよく後ろを振り向く。そして固まった。目の前には真白で丸い物体、いや生き物らしいのか煌めく目と口が付いている。それが凄い勢いで私に向かってきていたのだ。
 避ける暇もなく、謎の生き物が私の頭にぶつかってきた。
 脳に激しく震動が伝わる。私は為す術もなく、倒れこんだ。
 ああ、パパ、ママ。ミルマは一足先に逝きます。取材中に逝くのなら、本望です……。悔いがあるのなら、あのカフェのクレープ包みメープルイチゴシロップを食べて逝きたかった……。
 だがどうやら私の意識はまだあるみたいで、上から女性と謎の生物の声が聞こえてくる。

「まあ、ジョニーったら、そんなに急いで行かないでよ」
「ヒュイー」
「謝らなくてもいいわ。……あら、この人は?」
「ヒュイヒュウヒュウ!!」
「何ですってジョニー、この人にぶつかってしまったの!? そんな! このまま病院まで連れていけば、ジョニーは犯罪者として牢獄の中に。逃げても罪が重くなるわけだわ……。ああ、どうしましょう」
「ヒュヒュイ?」
「まあ、それはいい考えだわ。シャルロットさんの所にひとまず連れて行くなんて。彼ならいい案を出してくれるかもしれないわね」

 シャルロット……? 誰その人。まあいいや。どうとでもなれ……。
 私はか弱い女性に抱えられながら、階段を上らされた。薄ら目を開けると、飛び込んできたのは『フォームスン探偵社』の看板。ちょっと待ってよ、心の準備ができていないよ!
 もちろん心の叫びも聞こえることなく、扉は開かれた。
 まず聞こえたのは少しキンっとくる女性の声。

「あら、キャサリンさん。どうしたの? そんな形相で。それにその人も」
「エリスンさん、お願いです。匿ってください!」
「匿う? 一体どうして」
「いいからお願いします! 私のジョニーのためなんです!」
「……わかったわ」

 ずるずると引き摺られるのはもう嫌だったので、意識もしっかりしているし声を出すことにした。
「あの、自分で立てますからもう大丈夫です」
「しっ死体がしゃべったわ!」

 誰が死体だ。私は死んでいない! 
 キャサリンと呼ばれた女性の手が緩むのが分かると、自分の足で探偵社へと立ち入った。まだ少し頭がくらくらする。かなりの勢いでぶつけられたのだからしょうがない。でもしばらくは動きたくない気分。額を触るとほんのり浮かんでいる。どうやらコブができているようだ。
 目の前には長いブロンドの女性が少し迷惑そうな表情を浮かべながら立っている。後ろではドアが閉まる音がした。

「それでキャサリンさん、一体どうしたのです?」
「ジョニーのために力を貸して下さい!」
「わかりました。ひとまず座って。そこの人も」

 エリスンと呼ばれた女性に若干きつい視線を受けた。
 やっぱりこの探偵社には厳ついおじさんがいるんだ……!
 部屋の奥に目をやると、大きな肘掛椅子に金髪で緑色の目をした青年が腰を掛けていた。思わず私は見とれる。異性に疎い私でさえもこう思えた、美青年だと――。

「おや、客人とは珍しい。まあ座ったらどうだい」
「あの、あなたは?」
「私かい? 私はこの探偵社の社長、シャルロット=フォームスン。君の脇にいるエリスンくんと共に、毎日難事件を追っている探偵だ」

 私は目を疑った。予想していた探偵がこんなにも美青年だったとは!
 髪を慌てて整え、頭痛がしているのも忘れて彼に近づき、慣れない手つきで名刺を差し出した。

「初めまして。わたくし、ロンドド☆タイムズで記者をやっております、ミルマ=キュレルと申します。今回は新聞で大々的に探偵特集をするということとなり、是非ともフォームスンさんにお話を聞きたく参りました。もしお時間があれば、取材をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
 ドキドキしながら返事を待つ。すぐにシャルロットさんは口を開いた。
「ほほう、私に取材か。聞いたかね、エリスン君! 私に取材だ。私に取材だぞ!」
「まあ、取材ですって!? 困ったわ、ここしばらく美容院に行っていないのに」
「私もだ。今から行ってこなくては」
「……あの、お写真は普段のままの姿を撮りたいですし、今はお話の方を聞きたいのですが……、宜しいですか?」

 私は置いてきぼりになりそうになった所に無理矢理入った。確かにアポなし取材だから、慌てるのは当然かもしれないけど。
 シャルロットさんはにこにこしながら私を見た。

「取材は喜んで受けさせて頂くよ、ミルマ君」
「ありがとうございます。では早速ですみませんが、この文を読み解いて頂きたいのです」

 本当はシャルロットさんの事件解決の話をじっくり聞きたいのだが、上司にはまず始めにこれを解かせるようにと言われた。だから私はしぶしぶ一枚の紙をシャルロットさんに差し出す。そこにはこう書かれている。


 『 Kさまへ

  
   宿舎る待つ
   手甲太郎去り
   私意乗り。
   十!住まいの子
   目を九奴過言
   字はをるゃし藻後


       M.K より』



 そして、この言葉の脇にはアナログ時計の絵が描かれている。
 一体何の文なのだが、私もパッと見ではわからない。

「これは一体何だね、ミルマ君」
「おそらく暗号です。これを是非解いて下さい」
「これを解くか。ふむ……」

 シャルロットさんはそう言うと、考え込んでしまった。横からエリスンさんやキャサリンさん、そしてあの白い生き物、たしかジョニーとかいうのも物珍しそうに見ている。
 どういう推理を披露するのか正直言ってかなり楽しみ。華麗に言い当ててくれたら、もう最高だ。
 突然シャルロットさんはエリスンさんに目をやった。

「エリスン君」
「何かしら?」
「手甲太郎と言うのは一体誰だろうか。そして何だか急にエリスンパイが食べたくなった」
「さあよくわからないわ。それにしてもシャルロット、どうしてエリスンパイなのかしら」
「空腹を感じるのだ。お腹が空いてはこの暗号は解けないと思われる」
「それは残念。すぐに作れるほど材料はないわ」

 何だか一瞬奇妙な言葉を聞いた気がした。暗号って、そのまま読むものじゃない気が……。それは置いといて、私はバックからクッキーの箱を取り出して、シャルロットさんに差し出した。
 お腹が空いては思考も働かない。だからきっと変なことを言ったのだろう。

「フォームスンさん、つまらないものですがどうぞお召し上がりください」
 上司に言われて、差し入れは必ず持っていくように言われたのだ。シャルロットさんは勢いよく箱に飛びつく。そしてばりばりとクッキーを食べ始めた。
「ありがとう、ミルマ君! はっはっは、何て美味しいクッキーなんだ!」
「ありがとうございます」
「さて、空腹も少し満たされたところで、この暗号を解こう。まずは実際に声に出し手読んでみようじゃないか」
「珍しい、シャルロットが正論を言っている……」

 エリスンさんが何やら奇妙なことを言っているが、探偵としてはそれくらいの行為をするのは当然じゃないかと思う。大きく息を吸って、シャルロットさんは文を叫んだ。
『しゅくしゃるまつてこうたろうさりしいのりしてま。とお! すまいのこめをくやつかごんじはをるゃしもご』
 少し音量が大きかったので、思わず耳を塞いでしまった。それにしても何度聞いても、チンプンカンプン。シャルロットさんはこれを読み解けるのかな。ううん、きっと華麗に素敵な推理を披露してくれるはず!
「エリスン君」
「今度は何? シャルロット」
「この文は、一体何だね?」
「わからないわよ」
「はっはっは、それはそうだ。さて、私の頭脳を使おう。これを読み解くと、ある宿舎から手甲太郎と言う人が去ったのだろう。そしてそこに住まいの子と呼ばれる子がいた。それならば、その人を呼んできてくれたまえ」

 何だろう、何か心に引っ掛かってきたなぁ。
「あとは目が九つある人が余計に何か言葉をしゃべったのだろう。この人さえ揃えば全てが解決する。エリスン君、頼んだよ」
 んんん? 何だこれは? 探偵というのは自分で行動するんじゃないの。それに九つある目って、どこかの異形ですか。そんな人存在するかしら。それに他の文字が全然解かれていないし!
 私は思わずジョニーさんを抱えているキャサリンさんに尋ねてみた。
「あの、フォームスンさんは今までどういう事件を解決なされたのですか?」
「事件ですか? そうですね……、何かあったかしら、ジョニー」
「ヒュイヒュイヒューイ?」
「ああそうね。ジョニーらしき着ぐるみを着ていた時があったわね、白いモコモコの変なのを。ほら、偶然写真を撮ったのよ。もちろんジョニーの方がカッコいいわ」

 写真を見た瞬間、何かにひびか入り始めていた。
「ヒュイヒュヒュヒューイ?」
「そうそう、自費出版で本を出したことがあるそうですわ。ねえ、エリスンさん」

 キャサリンさんがそう言うと、埃が被っている本棚から一冊の本を持ってきた。『名探偵の心意気〜心理編〜 シャルロット=フォームスン著』という本を。おそるおそる私はそれをぱらぱらっと読み始める。普段活字と格闘している私には、パラ読みなど簡単なことだ。
 ……何やらシャルロットさんとエリスンさんがとんでもないことを言っているが、そんなのはもはやどうでもいい。
 本を閉じると同時に、私の中で確かに砕け散った。
 いそいそとシャルロットさんの机から、ほとんどないクッキーの箱を取り上げる。ついでに近くにあった自分も名刺も。
 そして笑顔を作りながら、精一杯本心を隠しながら言った。

「すみません。やはりコブの痛みがまだひかないようなので、今日は帰らせていただきます。ああ、このコブは勝手に自分がこけて作ったものにしますので」
「それは残念だわ。またいらして下さい」
「何とミルマ君! それは残念だ。お大事にしてくれ。私はいつまでも君の事をまっているよ」

 エリスンさんとシャルロットさんが次々と言っていく。キャサリンさんはコブのことを言ったおかげか、幾分表情が和らいでいた。
「では、失礼します」
 そう言って、私は足早にフォームスン探偵社から出た。階段を下りて、顔をあげてさっきまでいた所を見る。そして、ぽつりと呟いた。
「……頑張って、他の探偵さん見つけよう」
 確かに美青年だった。でも頭の中身は決して探偵とは言いづらかった。
 収穫は頭のコブと空に近いクッキー箱。
 しょうがない仕事だから。これくらいでへこたれない。そう私は自分に言い聞かせたのだった。

 



   了





 *  *  *




 さて、他の探偵さんにさっきの文を解読してもらったところ、いとも簡単に解読した。
 読み方としては、まず文章を段落はそのままで全て平仮名にする。


  『しゅくしゃるまつ
   てこうたろうさり
   しいのりしてま。
   とお!すまいのこ
   めをくやつかごん
   じはをるゃしもご』


 そして時計の絵があったように、『し』を最初の文字として、時計回りに端を外から中へ読んでいく。読むと以下のようになる。
『しゅくしゃるまつり。こんごもしゃるをはじめとしてこうたろうさまのごかつやくをおいのりしています!』
 滑らかな文章にするとこうなる。
『祝シャル祭り。今後もシャルを始めとして光太朗さまのご活躍をお祈りしています!』
 







 完