金ボンとマーメイド




 その海には、美しい人魚が住んでいた。
 美しくも、ゴージャス。金の髪に青い目、ぷっくりとした唇を持ち、好きなものはズバリ「キラキラしたもの」――人魚の名は、エリスン=ジョッシュ。

 彼女はある日、海におぼれる人間を助けた。
 沈みゆく彼を見かけたときには、鼻で笑った。こりゃもう無理だな、と。
 しかし、気づいてしまった。気を失う青年の、輝くほどの美しさ。金に近い、明るい茶の髪。瞳は閉じられていて、水塗れた頬は透き通るような白。
 青年の外見はまさにエリスンの好みど真ん中で、エリスンは人魚界の掟に逆らってまで、彼を助けた。
 ちょっと、ロマンスを期待した。
 しかし、助けた彼と恋に落ちてハッピーエンドなどと、所詮は物語の中の出来事。

 青年を助けたことを、エリスンは心の底から後悔していた。
 彼は、外見こそ美しいが、中身が非常に残念な仕上がりの、金ボン――人魚界の流行語で、金持ちのボンボンの意――だった。

 

   *

 

「いい加減にして、っていってるでしょう! 迷惑なの、迷惑!」 
 沖合の岩場では、今日も青年が待ちかまえていた。
 青年は、シャルロット=フォームスンと名乗った。どうやってかエリスンのお気に入りの場所を調べあげ、彼はほとんど毎日エリスンに会いに来た。
 今日も例外ではない。ふつうにしていれば眉目秀麗なのに、わざわざ水泳パンツに麦わら帽子という出で立ちで、小舟を櫂で操舵している。
「はっはっは、こうして会いに来ているというのに、まったくつれないではないか! たまには、追い返す以外のせりふを聞きたいものだ」
 つれないどころか全力で拒絶しているというのに、シャルロットにはへこたれた様子がない。ふんぞりかえってバカ笑いを披露する。

 そのまま海中に逃げてもよかったのだが、エリスンは岩場に上がった。一度、きっちりと意志表示する必要がある。怒鳴ってばかりではいけない――穏便にいくことだって必要なはずだ。大きく息を吸い込んで、諭すように口を開く。
「ねえ、あなたあたしに嫌われてるのよ、わかるでしょう? わざわざ毎日、あたしによりいっそう嫌われるめに来ているの?」
「まさか」
 ひどく心外そうに、シャルロットが肩をすくめた。
「命の恩人であり、いまでは良き友人である君にこうして会いに来るのは、ごく自然なことだとは思わないか」
「その、ひとの話を聞かないところがまず我慢ならないのよ!」
 穏便計画、失敗。

 はっはっは、とこりもせず、シャルロットは笑った。
「君の照れ隠しは見ていて飽きないなあ。私に会えて嬉しいなら、そういえばよいではないか!」
「ギィ――――!」
 もはや怒りを表す言葉が見つけられず、エリスンは擬音を叫んだ。イライラを通り越すと、ギィーになるという新発見。
「人間とこうして接触するのって人魚のタブーなの。近づきすぎると罰を受けて、ニンゲンになってしまうのよ、冗談じゃない! あなたの存在そのものが、迷惑なの、うんざりなの! もう二度とこないでっ、わかった?」
 ビチリ、と尾びれを岩に叩きつけ、エリスンがいい放つ。
 さすがに勢いに気圧されたのか、シャルロットは黙った。
 長い沈黙を挟み、ふむ、とうなずく。
「よく、わかった」
 つぶやいて、櫂を手にした。では、と一礼し、小舟でゆらゆらと去っていく。


 拍子抜けしてしまうほど、あっけなかった。
 いつもならのらりくらりと逃れて、なんだかんだと居座るはずなのに。
 少しいい過ぎてしまっただろうか――そんな思いがかすかによぎる。しかしすぐに、エリスンは首を振った。
 迷惑なのも、うんざりしているのも、事実だ。それをその通り、伝えただけだ。
 小舟が小さくなっていくのを一瞥し、エリスンは海に飛び込んだ。

 

 

 そして、三日後。
 エリスンは頭を抱えた。
「……見事に二日しか保たなかったわね」
 岩場には、水泳パンツと麦わら帽子の青年がやってきていた。まったく悪びれた様子もなく、不安定な小舟の上で仁王立ちしている。
「この二日間、寂しい思いをさせてしまったね。本当なら昨日も一昨日も来たかったのだが」
「あたしのいったこと、全然ちっとも一欠片もわかってないじゃないのよ……!」
 この平穏な二日間はなんだったのか。エリスンは空気の読めない金ボンを睨み上げた。
 しかし、ごく平然と、シャルロットは肩をすくめてみせる。
「はっはっは、本当に私に会いたくないのなら、こうしてこの岩場に来ることもないだろう、エリスン君?」
「――ッ! そういうの、自意識過剰っていうのよ! いますぐ、お気に入りスポットを引っ越すことだってできるわ……!」
「ふむ、引っ越しか」
 シャルロットの表情に、ふと影が差した。
 エリスンを見つめ、寂しそうに笑う。

「実は、私の両親の事業の関係でね。拠点を隣国に移すことになった」
「……なんですって?」
 エリスンは眉をひそめた。
 ゆっくりと、その意味を考える。拠点を隣国に移す……それはつまり、
「もう、あなたに会うこともないってことね?」
 キラキラと瞳が輝いた。
「はっはっは、そんなに寂しいとは」
 話がかみ合わない。

 けれど、これが最後だと思えば、多少寛容になれた。エリスンは悲しそうな表情を作って、両手を組む。
「あちらに行ってもどうかお元気で。オブラートに包んだ婉曲表現だけど、あたし、とっても清々するわ」
「オブラートを取り去った表現が気になるところだが、いつもの照れ隠しだと受け取っておこう」
 それでもシャルロットには響かない。エリスンの心に、ちょっとした意地悪心が芽生えた。
「ねえ、あなた――あたしが人魚で珍しいから、こうして来ているんでしょう? 友人だなんてウソ。あたしを懐柔して、どこかに売り飛ばすつもり?」 
 そんなことをいってしまったのは、やはりこれが最後だと思うからかもしれない。存外に悪意の含んだいいかたになってしまったことにエリスン自身が驚いたが、シャルロットはもっと驚いたようだった。目を見開いて、首を左右に振る。
「君は――私のことを、そんなふうに?」
「ニンゲンって、みんなそうでしょう? 掟をやぶって強欲なニンゲンと接触したあまり、誇り高き人魚の姿でいられなくなった仲間たちの話を、たくさん知っているわ」
 冷たくいい放つ。シャルロットは黙った。

 彼の表情が傷ついていることに、エリスンは気づいた。これが最後なのに、そんな顔をさせたいわけではない――理性が告げるが、裏腹に、勝手に口が続ける。
「少しでもニンゲンと慣れ合ってしまったこと、後悔してるわ。じゃあね、向こうでも、元気で」
 そのまま逃げるように、海に飛び込んだ。
 懸命に帯びれを動かし、深く深くへ潜っていく。ニンゲンの世界の空気など、決して届かないほどの深くへ。
 待って、と青年の声が聞こえたような気がした。かまわず、進む。
 しかし、水音が響いて世界が揺らいだとき、エリスンはとうとう振り返った。

 輝く水面から、こちらに向かってまっすぐにやってこようとする、シャルロットが見えた。青の海を隔てて、ほんの一瞬、目が合ったような錯覚を覚える。
 彼はひどく真剣な表情で、手足を可能な限りバタつかせているようだった。しかし、一目で、エリスンは気づく。
 泳げないのだ。
 完全に、溺れていた。
「――あのバカ!」
 エリスンはすぐに水を蹴った。あっという間に追いつくと、最初に出会ったときのように、気を失った青年を片手に抱く。上へ上へと、浮上していく。

「どこまでバカなの!」
 岩場に上がって、エリスンは叫んだ。ぐたりとして動かないシャルロットを寝そべらせ、身体を揺らす。
 もともと白い肌は、いまは蒼白といってよかった。息も弱々しい。
 ニンゲンというのは、どうしてこう脆弱なのだろう――ひどい焦燥にかられ、エリスンはシャルロットの胸元に耳を当てた。弱々しい動き。このまま死なせてしまったのでは、あまりにも後味が悪い。
「こういうときは……どうするんだったかしら……ええと――」
 落ち着いてくれそうにない頭で、急いで情報を探る。そう、こういうときは、息を吹き込めばいいのだと、遠い昔に聞いたのを思い出す。

 息を――想像してしまって、エリスンの思考は停止した。
 それはひょっとして……おそらく、否、十中八九確実に、口から。
 めまいがした。
 けれど、迷っている暇はない。
 最初に見たそれと変わらない、美しい顔を見た。いまなら緑だと知っている、閉じられた瞳――まっすぐに通った鼻筋、少しだけ開けられた唇へと、順に視線を落とす。


     
     BY AYAKAさま


 気持ちとは裏腹に、鼓動が速まった。
 人助け、これは人助けだと、いい聞かせる。一度助けたのだから、二度だって同じことだ。もう今後は一切会わないのだから、尚更。
 意を決した。
 息を吸って、そっと、顔を近づける。

 パチリと、目が開いた。
「――――!」
「誤解があるようだが――」
 溺れていたのが嘘のように、シャルロットはあたりまえのように口を開いた。とっさに身を引こうとするエリスンの背に手を回し、引き留める。
「両親の事業は拠点を移すが、私はここに留まるんだ。君に会えなくなるのは、耐えられないのでね」
「は、離しなさいよ!」
 彼の話す内容よりも、まるで抱きしめられているこの状況の方が、エリスンにはよほど問題だった。どうにか逃れようとするが、シャルロットの力は存外に強く、動くことができない。
「それと、人魚がニンゲンになる条件というのを、知っているかね? 私たちの世界では有名な話だ。君は罰といったが、ニンゲンに近づきすぎるというのは、つまり――」
「そんなこと、知るわけ……!」
 シャルロットはにやりと笑った。エリスンの身体をぐいと引き寄せると、続きを遮るように、口をふさぐ。

 抱きしめられ、エリスンは、条件が何であったのかを知った。 
 しかし、知ったところで、もう遅い。
「なんでもいいから、離して――!」
 二本の足をバタつかせ、必死に叫ぶが、シャルロットはいっそう腕に力を込め――――


 ――フォームスン家に美しい人間の娘が迎え入れられるのは、それから、すぐのこと。


 


 
   
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いただいたイラストを元に、「微ラブ」で、ということで、書いたSS(にしては長い)です。
心臓かゆくなっていただければ幸いです。

AYAKAさま、素敵なイラストをありがとうござました!




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