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やっと幸せをつかめるのだと、思っていた。
こどもがいるなんてばれたら、婚約も白紙に戻ってしまうと、そう思った。
だから殺したのに。
だから殺したのに、あの子を。
公園の大木の前で、あの子を呼び出して、首を絞めた。
そうして、土に埋めた。
殺したはずだ。
自分は、幸せになれるはずだった。
町が眠る時間──
家屋の明かりはすべて消え、大通りに時折見える明かりが、ほのかにその下を照らしている。
噴水のある公園の木の下では、リディスが立っていた。悠良たち三人もまた、同じだ。 やがて、夜中だというのに日傘をさした、見事なブロンドの女性が、現れた。
「……どうして?」
彼女は、悠良たちの存在には注意を払いもせず、真っすぐにリディスのもとへと歩みをすすめた。
「あなた、死んだでしょう? あの夜、あなた、この場所で、死んだでしょう? どうしてまたいるの、どうしてよ……!」
震えた、むりやり感情を押さえこんだような声で、いう。
しかし、リディスが何かをいう前に、悠良が口を開いた。
「あなたが、殺したのね?」
エイヌ=ニールティアンは、悠良の方を見たが、驚きもしなかった。もしかしたらどこか、おかしくなっているのかもしれない。必要以上に、彼女は饒舌だった。
「ええ、そうよ。わたしが殺したの。わたしの幸せのために、この子を殺したの。だって、
この子邪魔なんだもの。この子がいたら、わたしは、幸せになれないんだもの……!」 「人を殺して得る幸せなんて、幸せじゃないと思うけどね。ちょっとその辺、あまいんじゃないの、おねーさん」
しかしエイヌは、怜の言葉に、高らかに笑った。
「何も知らないくせに……! いいのよ、人はね、裏切られて、裏切って、そうやって生きていくのよ。あなたたちだって、そうでしょう? リディスだって、そういうこと、知らなかった自分が悪いのよ」
「安心してください」
リディスは、淋しげに、笑った。
「僕はもう、死んでます」
「何よ、じゃあさっさと消えなさいよ!」
「……!」
かわいた音が響きわたった。
悠良は、エイヌの頬を、殴っていた。
「……あなた、何様のつもり? この子を生んだって、それだけで、すべては思い通り?
冗談じゃないわ……あなた、そんな……!」
「だってそういう生き方をしてきたのよ」
泣き笑いのような、笑顔。
エイヌはただ、笑った。
「泣き方も忘れたわ。本当の笑い方も、忘れたわ。毎日を取り繕って、そうやって生きてきたのよ……でもね、幸せになれるの、幸せになれるのよ……! もうすぐ、本当の幸せが、手に入るのよ……!」
ほんとうのしあわせ。
そんなものはたぶん、誰も知らない。
その言葉に執着する愚かさに、彼女は気づいてはいなかった。
「あなたのいう幸せというのは、なんなのですか?」
莉啓の問いに、エイヌは唇の端をあげる。
「変なこと聞くのね。幸せは幸せよ。自分が、幸せだと思えることよ。そんなこと決まってるじゃない!」
「お母さん」
リディスは、じっと母親を見つめた。
「あなたは今、幸せですか?」
ひどく簡単に、その言葉は口から流れでた。
ずっと聞きたかったこと。
自分を生んでくれた母親に、自分に幸せだと思うことを与えてくれた母親に、ずっと聞きたかったこと。
幸せですか、と。
「……し、幸せじゃないわ……でもあなたが死んでくれれば、幸せだわ……そういっているでしょう……」
肩が震える。
この息子は、何をいっているのだろう。
死んでもなお、自分の前に現われて、一体何を。
自分を責めているのではない。これは、そういう目ではない。
……哀れみ?
「いいたいことがあったんだ。だから、死ねなかった。お母さんに逢えて、やっといえると思ったら、この前はいえなかったから、今いうね」
リディスは微笑した。
「僕を生んでくれてありがとう。僕はとても幸せです。だからお母さんも、幸せになってください」
短い、ただそれだけの言葉。
「……な……ん、ですって……?」
エイヌは、リディスを見つめた。
馬鹿だ。
自分を捨てた母親を、自分を殺した母親を、そんな目で見るなんて。
そんな、嬉しそうな、いとおしそうな、目で。
リディスの身体は、次第に薄れていった。役目を果たし、天へと昇華する。
かすかに残った輪郭が、笑顔が、最後に怜たちを見た。
「……レディは、悲しむかな」
誰もその問いには、答えられなかった。
悲しむに決まっている。しかしそんなことは、いうべきではない。
「……ああ、ねえ、レディに伝えて。リディスはこんなにも……こんなにも、レディのことが大好きだって……」
そして、静かな、静かな光。
リディスの消えたそのあとには、ただ静寂だけが、残る。
「覚えておきなさい」
悠良は、押し殺した声で、ゆっくりと告げた。
「あなたは、愚か者だわ」
翌日。
旅の宿リュミエの女将であるレディが、もっとも心待ちにしていた朝。
しかし、彼女は、木の下に植えられていた死体を発見することになる。死後一週間の、息子の死体を。
一度も、お母さんと、呼ばれることのないままで。
とうとうこの日がやってきたと、エイヌ=ニールティアンは微笑んでいた。
手を尽くして手に入れた幸せだ。絶対につかんでみせる。
息子は、確かに、死んだ。消えていくのを、この目で見た。
これでもう、邪魔するものは何もない。
きらびやかなドレスに身を包み、彼女はパーティー会場を見渡した。まだ、人はきていない。当たり前だ、まず婚約者との対面をするのだから。
こんな胸の高鳴は、久しぶりだった。これから一生一緒にいる相手だ。どうせなら、いいひとがいいに決まっている。
やがて、ホールの重い扉が、開かれた。
勢い良く振り返る。
そこでは、自分と同じ年齢ぐらいの男性が、立っていた。
この地方ではめずらしい、白銀の髪。
どこか情けない、笑顔。
……エイヌの表情が、強ばった。
「久しぶり、エイヌ」
男はどこか照れ臭そうに、いった。
「前々から、報せておいても良かったんだけど、驚かそうと思ったんだ。ここのお屋敷に、世間を知るためにお世話になって、良かったと思ってる。だって、君に出会えたんだから。びっくりしただろう?」
エイヌの耳に、言葉など届いてはいなかった。
視界が真っ暗になり、男の姿だけが、浮き彫りにされた。
これは、どういうことだろう。
何かの、夢なのだろうか。
こんな、たちの悪い夢……!
「僕たちのこどもは、元気にしてるかい?」
その場にへたりこみ、エイヌは、笑った。
両目から、忘れたはずの涙が、思い出したかのようにあふれ出てきた。
「じゃあ、わたしのしたことは……」
あなたは愚か者だわ。
あの少女の言葉が、聞こえてきた気がした。
エイヌは、声をあげて、笑った。
*****
それから何年、たったのだろう。
旅の宿リュミエに、三人の客が、訪れた
「いらっしゃい、お泊りですか? それともお食事?」
ふくよかな女性にそういわれ、客は食事だけと答える。
女性は、うしろに大きく声を張り上げた。
「アンター! お客さんだよ! お茶をお持ちして!」
そして、すいませんねぇさわがしくて、といいのこし、女性は慌ただしく他の客の注文を受けに行く。
三人は、顔を見合わせて苦笑し、椅子に腰かけた。
「可愛い赤ちゃんね」
その中のひとりが、そう女性に話しかけた。
彼女は振り返り、恥ずかしそうに笑う。
「この歳になってね、やっと生まれたんですよ。でもおぶってお仕事しなきゃなんないから、もう大変! ほらリディス、ご挨拶!」
「あー、う!」
にこやかに、背中の赤ん坊が声をだす。
一生懸命手をのばそうとする赤ん坊に、女性は笑った。
「あらあらお客さん、気に入られちゃったみたいね。なあに、その長い棒!」
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