story2 幸せの所在 3

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 やっと幸せをつかめるのだと、思っていた。
 こどもがいるなんてばれたら、婚約も白紙に戻ってしまうと、そう思った。
 だから殺したのに。
 だから殺したのに、あの子を。
 公園の大木の前で、あの子を呼び出して、首を絞めた。
 そうして、土に埋めた。
 殺したはずだ。
 自分は、幸せになれるはずだった。


 町が眠る時間──
 家屋の明かりはすべて消え、大通りに時折見える明かりが、ほのかにその下を照らしている。
 噴水のある公園の木の下では、リディスが立っていた。悠良たち三人もまた、同じだ。 やがて、夜中だというのに日傘をさした、見事なブロンドの女性が、現れた。
「……どうして?」
 彼女は、悠良たちの存在には注意を払いもせず、真っすぐにリディスのもとへと歩みをすすめた。
「あなた、死んだでしょう? あの夜、あなた、この場所で、死んだでしょう? どうしてまたいるの、どうしてよ……!」
 震えた、むりやり感情を押さえこんだような声で、いう。
 しかし、リディスが何かをいう前に、悠良が口を開いた。
「あなたが、殺したのね?」
 エイヌ=ニールティアンは、悠良の方を見たが、驚きもしなかった。もしかしたらどこか、おかしくなっているのかもしれない。必要以上に、彼女は饒舌だった。
「ええ、そうよ。わたしが殺したの。わたしの幸せのために、この子を殺したの。だって、
この子邪魔なんだもの。この子がいたら、わたしは、幸せになれないんだもの……!」 「人を殺して得る幸せなんて、幸せじゃないと思うけどね。ちょっとその辺、あまいんじゃないの、おねーさん」
 しかしエイヌは、怜の言葉に、高らかに笑った。
「何も知らないくせに……! いいのよ、人はね、裏切られて、裏切って、そうやって生きていくのよ。あなたたちだって、そうでしょう? リディスだって、そういうこと、知らなかった自分が悪いのよ」
「安心してください」
 リディスは、淋しげに、笑った。
「僕はもう、死んでます」
「何よ、じゃあさっさと消えなさいよ!」
「……!」
 かわいた音が響きわたった。
 悠良は、エイヌの頬を、殴っていた。
「……あなた、何様のつもり? この子を生んだって、それだけで、すべては思い通り?
冗談じゃないわ……あなた、そんな……!」
「だってそういう生き方をしてきたのよ」
 泣き笑いのような、笑顔。
 エイヌはただ、笑った。
「泣き方も忘れたわ。本当の笑い方も、忘れたわ。毎日を取り繕って、そうやって生きてきたのよ……でもね、幸せになれるの、幸せになれるのよ……! もうすぐ、本当の幸せが、手に入るのよ……!」
 ほんとうのしあわせ。
 そんなものはたぶん、誰も知らない。
 その言葉に執着する愚かさに、彼女は気づいてはいなかった。
「あなたのいう幸せというのは、なんなのですか?」
 莉啓の問いに、エイヌは唇の端をあげる。
「変なこと聞くのね。幸せは幸せよ。自分が、幸せだと思えることよ。そんなこと決まってるじゃない!」
「お母さん」
 リディスは、じっと母親を見つめた。
「あなたは今、幸せですか?」
 ひどく簡単に、その言葉は口から流れでた。
 ずっと聞きたかったこと。
 自分を生んでくれた母親に、自分に幸せだと思うことを与えてくれた母親に、ずっと聞きたかったこと。
 幸せですか、と。
「……し、幸せじゃないわ……でもあなたが死んでくれれば、幸せだわ……そういっているでしょう……」 
 肩が震える。
 この息子は、何をいっているのだろう。
 死んでもなお、自分の前に現われて、一体何を。
 自分を責めているのではない。これは、そういう目ではない。
 ……哀れみ?
「いいたいことがあったんだ。だから、死ねなかった。お母さんに逢えて、やっといえると思ったら、この前はいえなかったから、今いうね」
 リディスは微笑した。
「僕を生んでくれてありがとう。僕はとても幸せです。だからお母さんも、幸せになってください」
 短い、ただそれだけの言葉。
「……な……ん、ですって……?」
 エイヌは、リディスを見つめた。
 馬鹿だ。
 自分を捨てた母親を、自分を殺した母親を、そんな目で見るなんて。
 そんな、嬉しそうな、いとおしそうな、目で。
 リディスの身体は、次第に薄れていった。役目を果たし、天へと昇華する。
 かすかに残った輪郭が、笑顔が、最後に怜たちを見た。
「……レディは、悲しむかな」
 誰もその問いには、答えられなかった。
 悲しむに決まっている。しかしそんなことは、いうべきではない。
「……ああ、ねえ、レディに伝えて。リディスはこんなにも……こんなにも、レディのことが大好きだって……」
 そして、静かな、静かな光。
 リディスの消えたそのあとには、ただ静寂だけが、残る。
「覚えておきなさい」
 悠良は、押し殺した声で、ゆっくりと告げた。
「あなたは、愚か者だわ」

 

 

 

 

 

 

 翌日。
 旅の宿リュミエの女将であるレディが、もっとも心待ちにしていた朝。
 しかし、彼女は、木の下に植えられていた死体を発見することになる。死後一週間の、息子の死体を。
 一度も、お母さんと、呼ばれることのないままで。

 

 とうとうこの日がやってきたと、エイヌ=ニールティアンは微笑んでいた。
 手を尽くして手に入れた幸せだ。絶対につかんでみせる。
 息子は、確かに、死んだ。消えていくのを、この目で見た。
 これでもう、邪魔するものは何もない。
 きらびやかなドレスに身を包み、彼女はパーティー会場を見渡した。まだ、人はきていない。当たり前だ、まず婚約者との対面をするのだから。
 こんな胸の高鳴は、久しぶりだった。これから一生一緒にいる相手だ。どうせなら、いいひとがいいに決まっている。
 やがて、ホールの重い扉が、開かれた。
 勢い良く振り返る。
 そこでは、自分と同じ年齢ぐらいの男性が、立っていた。
 この地方ではめずらしい、白銀の髪。
 どこか情けない、笑顔。
 ……エイヌの表情が、強ばった。
「久しぶり、エイヌ」
 男はどこか照れ臭そうに、いった。
「前々から、報せておいても良かったんだけど、驚かそうと思ったんだ。ここのお屋敷に、世間を知るためにお世話になって、良かったと思ってる。だって、君に出会えたんだから。びっくりしただろう?」
 エイヌの耳に、言葉など届いてはいなかった。
 視界が真っ暗になり、男の姿だけが、浮き彫りにされた。
 これは、どういうことだろう。
 何かの、夢なのだろうか。
 こんな、たちの悪い夢……!
「僕たちのこどもは、元気にしてるかい?」
 その場にへたりこみ、エイヌは、笑った。
 両目から、忘れたはずの涙が、思い出したかのようにあふれ出てきた。
「じゃあ、わたしのしたことは……」
 あなたは愚か者だわ。
 あの少女の言葉が、聞こえてきた気がした。
 エイヌは、声をあげて、笑った。

 

 


*****

 

 


 それから何年、たったのだろう。
 旅の宿リュミエに、三人の客が、訪れた
「いらっしゃい、お泊りですか? それともお食事?」
 ふくよかな女性にそういわれ、客は食事だけと答える。
 女性は、うしろに大きく声を張り上げた。
「アンター! お客さんだよ! お茶をお持ちして!」
 そして、すいませんねぇさわがしくて、といいのこし、女性は慌ただしく他の客の注文を受けに行く。
 三人は、顔を見合わせて苦笑し、椅子に腰かけた。
「可愛い赤ちゃんね」
 その中のひとりが、そう女性に話しかけた。
 彼女は振り返り、恥ずかしそうに笑う。 
「この歳になってね、やっと生まれたんですよ。でもおぶってお仕事しなきゃなんないから、もう大変! ほらリディス、ご挨拶!」
「あー、う!」
 にこやかに、背中の赤ん坊が声をだす。
 一生懸命手をのばそうとする赤ん坊に、女性は笑った。
「あらあらお客さん、気に入られちゃったみたいね。なあに、その長い棒!」

 

 

 

 



 

 

 

────────────────
1997年執筆。
読んでいただき、ありがとうございました。

 

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