どんな願いでも叶えられるという、黒魔術師。
彼を呼ぶのは簡単だ、とひとはいう。黒いバラ、それさえ手に入れればいいのだと。
だが、真の黒いバラなど、本当は存在しない。
黒いバラとの出会い、それがもう、最初の奇跡。
見つけたら、あとは願うだけ。
トゲで素肌が傷つくのも厭わず、両の手で強く握りしめ、心を支配するその願いを、ただひたすらに唱えるだけ。
「何用か」
ひどく優しい声にいざなわれ、彼は舞い降りた。
消えてなくなりそうな月夜の晩。
彼を呼んだのは、一人の可憐な少女だった。
「こんばんは、黒魔術師さん。まさか本当に会えるなんて! おとぎばなしみたい」
青い目の少女は、きらきらと瞳を輝かせた。
それから寝間着の裾をつかんで、踊るように一礼した。
「お会いできて光栄ですわ」
淡い黄色の寝間着が、トゲで流れた血で染まる。
しかし少女は、その事実にすら気づいていないようだった。
ただ純粋に、出会えた喜びに感謝して、満面の笑みを湛えていた。
黒魔術師は瞳を伏せた。
感情のこもらない声で、淡々と告げた。
「おとぎばなしなどではない。現実だ。なんでも願いを叶えよう。なんなりと申せ──ただし、守ってもらう掟がある。叶えられる願いは、一つだけだ」
「素敵!」
少女は歓喜に頬を赤く染めた。
金の巻き毛を揺らすようにして、黒魔術師を見上げる。
漆黒の瞳をじっと見て、急に深刻な表情になると、ゆっくりと告げた。
「では、願いごとをもうしあげます。隣町へ続く橋が、先日の大雨で流されてしまったの。隣町ではもうすぐ、とっても大きなお祭りがあるのよ。もちろん、村の大人たちが橋を直してくれるけれど、このままじゃあお祭りに間に合わないの。村の子どもたち、みんなすっごく楽しみにしているの。黒魔術師さん、あなたの力で、どうか、橋を直してください」
少女はひざまずいた。
頭を垂れ、祈るように目を閉じた。
黒魔術師は、無表情のまま、首をかしげるようにして小さな少女を見た。彼女の肩に触れ、顔を上げるよう促す。
「いいだろう。橋はすぐに直そう。──その代わり、一つの魔術を使うと、私は少々疲労する。しばらく、ここで世話になる」
少女が目を見開いた。あっというまに喜びが顔いっぱいに広がり、目尻には涙がにじんだ。
「ありがとう! ありがとうございます、黒魔術師さん!」
飛び跳ねて、黒い外套の上から彼に抱きついた。
翌日には、隣町への橋は元どおりに修復されていた。
村の大人たちは訝しんだが、子どもたちは諸手をあげて喜び、はしゃいで村中を走り回った。
その日から、黒魔術師は少女の家で暮らした。
彼はものを食べなかったが、少女は毎日、パンを焼いてスープを温めた。
彼は眠ることはなかったが、少女は毎晩、暖かい毛布を用意した。
満月の夜、黒魔術師は少女に告げた。
「もう充分に回復した。私は去ろう」
少女の表情に、影が差した。少女は幾分ためらったようだったが、とうとう、いってはならないことを口にした。
「もう一つだけ……願いを叶えていただけませんか?」
黒魔術師の唇が、笑みの形に曲がった。
少女は彼の瞳を見た。最初に見たそれよりも、ずっと深い漆黒だった。
「おまえもか」
ただ一言。
その一言は、そのものが闇を帯びているかのように、少女を支配した。少女の金の髪も、青い瞳も、黄の寝間着も、あっという間に黒く染められた。
「私がすぐに去らないのは、人間を試すため。約束を違えて、もう一つと願ったときこそ、私が人間を食らうとき。これは掟だ。愚かな愚かな小さな子」
ごめんなさい、と消えそうな声で少女が告げた。
闇に蝕まれ、少女の表情まではわからない。
それでも最後に、もう一つの願いが、風のように空気を揺らした。
「どうしても、もう少しだけ──」
続きは声にならなかった。
しかし皮肉にも、彼の心に、確かに届いた。
──あなたと一緒に、いたかったの。
黒魔術師は少女を食らった。
漆黒の瞳から、黒い何かがひと筋流れた。