こちらとあちらの境目で、紳士と少女はゲームに興じる。 



 おそらくは気まぐれであり、それ以上のものではなく、
 おそらくは運命であり、それ自体でしかない。



 長い長い、廊下があった。
 左右には窓。始まりから終わりまで、同じ形の窓が整然と並んでいる。窓の外には紫色の風が吹き、少しの灯りを廊下へと届けている。
 突き当たりには、扉があった。
 廊下は、それで完結していた。
 場所と場所とを繋ぐ廊下ではない。廊下は廊下としてそこにあり、訪れる者は皆、それより以前の記憶を持たない。ただ気がつけば廊下にいて、先へと進むのだ。
 左右に開くその扉の向こう側には、なにもなかった。
 同時に、なにもかもがあった。
「これから」と、彼らは呼んだ。
 扉の向こうは、「これから」で溢れている。
「──では次は、なんのゲームをしましょうか」
 扉の前、少し右側に寄った場所に、テーブルと二脚の椅子があった。
 扉側に座るのは、紳士だ。
 紳士の肢体は骨で構成されていた。
 不釣り合いなほどに上等な燕尾服を着込み、縛めなのか洒落なのか、帽子には鎖が絡みついている。
「また、ゲーム」
 向かい側に座るのは、少女だ。幼い体躯に大人びた顔立ち、全身を青い服で包んだ少女。
 身に付けているものはすべて、「これまで」のものだった。しかし少女も、もちろん紳士も、廊下を訪れる誰もが、「これまで」のことなど知り得ない。
「なにか、問題でも?」
 紳士が問いかけ、少女は髪をうしろに払う。少しの間、見つめ合った。
 いまは廊下に、二人だけだった。
 テーブルの椅子はいつもは空いていて、廊下を進んできた誰かが、座ったり、座らなかったりする。
 扉を出る前、最後に立ち止まり、腰を下ろして、もう一度見返す場所。
 そこで止まっている間に、ほかの誰かが現れて、手を繋いで扉をくぐる者たちもいた。
 揃って、「これから」に進むために。
「問題というほどではないけれど。わたし、ゲームはあまり、好きではないの」
「好きではないといいながら」
 紳士は肩をすくめた。
「こうしてゲームをするのは、何度目でしょうかね」
「いまのところ、誰もおりませんし。どなたかが座りたがっているのならともかく。好きではないけれども、暇を潰すことはできるわね。たとえ、相手が貴男のような骨であっても」
「なるほど」
 少女の言葉の棘に、紳士は嬉々として返す。
「つまりわたくしと同じわけですね。暇を潰すにはもってこいですとも。たとえ、相手が貴女のような生意気なお嬢さんであってもね」
 テーブルにはカードがあった。伏せられたカード。彼らはもうずっと長い間、ここでカードゲームに興じていた。
「ならば、提案してもよろしいかしら。嘘を、つきませんこと?」
「嘘?」
 少女の提案に、紳士は穴の目を少しだけ上に向けた。
「一枚ずつ、めくっていくの。奇数だったなら、嘘を必ず一つ。偶数だったなら、嘘を必ず二つ。ジョーカーだったなら、嘘をついてはいけない」
「ほう」
 紳士はうなずく。一度カードをすべて集めると、スペードだけをとりわけ、テーブルに伏せた。
「言葉遊びということならば、この枚数で充分でしょう。ジョーカーを一枚入れて、全部で十四枚」
「では、わたしから」
 少女は手を伸ばした。引いたのは、9。表を向けて紳士に見せると、自分の手元に戻す。
「……見せるんですか?」
「そうしなければ、意味がないもの」
 少女は咳払いをして、改まって口を開いた。
「とても綺麗な、お肌ですわね」
 少女のカードは9、つまり奇数。つく嘘は、一つだけ。
 紳士は二度うなずくと、カードに手を伸ばした。
 引いたのは、3。
「貴女こそ……」
 いいかけて、止まる。考えるように骨の頬を撫でる。慣れ親しんだ冷たい感触だ。
 紳士に、肌はない。
 じっと少女を見つめ、それからもう一度カードを確認した。
 奇数。一つの嘘。
 天井を仰いで、やっと言葉を形にする。
「……貴女こそ、今日は特別に、美しい」
 少女は黙った。睨みつけるように紳士に目線をやって、次を引く。4。偶数。
「もしかして、意味がわかっていないのね。思った通り」
 二つの嘘があるはずだった。紳士は得心したとばかりに笑みの形に口を曲げる。
 続いて、カードを引いた。10、偶数。
「理解できません。簡単ですがね」
 少女、7。
「ええ。自分でいいだしておいて、どうかとは思いますけど。まったく簡単ですこと」
 紳士、8。
「簡単なので、つい冗談をいってしまいましたよ」
 ここまでで、六枚。徐々に仕組みに慣れて、お互い滑らかに会話していく。
 少女はカードを引き、口を開いて、それから閉じた。
 カードは13、奇数だ。
 瞳を伏せ、深呼吸をする。
 目を開けると、いままでよりも少し低い声で、続けた。
「どうしてわたしがずっとここにいるのか、知りたいですか? 教えたくは、ないのだけれど」
 紳士はうなずいた。カードは、2。
「いいえ。知りたくありません」
「貴男は気づいているでしょうね」
 そう切り返す少女のカードは、6だ。
「わたし、貴男が大嫌いなの」
 紳士は目を細めるようにして、笑う。すぐにカードを引いた。12。
「知っていました! わたくしも、大嫌いですよ」
「嬉しくないわ」
 即座に答えた少女は、11だ。
 残りは二枚。
 出ていないのは、1と、ジョーカー。
 二人は黙って見つめ合った。長い沈黙の後、紳士がゆっくりと手を伸ばす。
 引いたカードを、彼は見せなかった。
 少女も、見ようとしなかった。
 ただ、一言。
「一緒に行きませんか」
 少女は最後のカードを引いて、僅かに笑う。
 伏せたままカードを置くと、立ち上がり、紳士に向かって満面の笑みで、右手を差し伸べた。
「イヤ!」



 おそらくは気まぐれであり、それ以上のものではなく、
 おそらくは運命であり、それ自体でしかなく、
 おそらくは意志であり、その先を夢見て。

 二人は手と手を取り合って、「これから」への扉を開けた。